今までいくつかの100マイルレースを走ってみて、感じたことがあります。
100マイルレースは「冒険」だ (初100マイル、HURT100にて)
100マイルレースは想いが通じるスポーツだ (2012年UTMF)
100マイルレースは究極の個人競技だけど、チーム戦でもある (2012年Hardrock100)
各々、何でそう感じるに至ったかについてはまだ上手く書けそうにないので、別の機会に譲ります。でも、ウルトラトレイルはウルトラならではの魅力的な何かがあるって思いませんか? その魅力や楽しさは、山を走ることの楽しさと根源的なトコロで通じている(部分が多い)ように感じます。だから今、トレイルランでは世界的に100マイルレース熱が高まっているのかなぁ、なんて。
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僕にとって、ウルトラトレイルに欠かせない魅力的な要素のひとつが、ペーサーやクルーとして参加する/してもらう楽しみ。日本で初めてペーサー制度を導入した2010年の信越五岳トレイルランニングレースで、ペーサーやクルーという概念と、止められない止まらないオモシロさを教わりました。石川さんが輸入してくれた北米トレイルランニングシーンを彩るナイスな文化。
その2010年大会で、前回ブログにご登場願ったTomoさんのペーサーをした日のことは、あまりに楽しすぎてもう一生忘れられそうにありません。それにしても当時のTomoさんの戦績を思い返してみると、まさかあんなハイポジションでペーサーする展開になるなんて!
そのときの一日のこと、よかったら当時のTomoさんのブログでどうぞ。
リンク先の記事でTomoさんは書いてなかったけれど、他にも個人的に忘れられないエピソードがあります。
Tomoさんが足をつって11位に順位を下げてしまった、瑪瑙山ゲレンデの下り。長かった一日の陽がちょうど沈む時間帯で、黄金色に輝く雲のあいだに向かって、これまた黄金色に輝く草原を一直線に下ってった。金の海に向かって飛び込んでいくみたいな、強烈な赤ワインにでも沈んで窒息・泥酔しちゃうような、不思議な感覚だった。もちろんこんな気持ちになったのは後にも先にもこのときだけ。
飯縄山の最終エイドを出発して、しばらくして。「ビンタ事件」の前だったと思う。当時、Tomoさんの奥さんのお腹の中には赤ちゃんがいた。「Tomoさん、今つらいですか。キツいですか。でも、これから奥さんが迎える出産の方が痛いし、苦しいはずですよ」。数秒後、Tomoさんが声にならない声で咆えた。表情がガラリと変わった。明らかにペースがアップした。目には力がみなぎっていた。それ以降の十数キロは、もう弱気になることなんてなかった。おまけに最後の林道では、あろうことかペーサーが置き去りにされてしまった。Tomoさん、バラしちゃったけどもういいよね(笑)
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自分が走るわけじゃないから重圧は限りなくゼロに近い。でもレースならではのワクワクドキドキはちゃっかり味わえる。ペーサーって本当に楽しいです。
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[…] そして、ちょうどイベント当日にハワイでHURT100を走っているDMJ Tomo&ISOペアの […]
[…] 秋の3連戦・第2戦。今年の信越五岳は、2010年に続き、盟友Tomoさんのペーサーとして参加しました。 […]
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