MERU [ メルー] 試写会にて

自分は山岳やトレイル物の映画、小説、ドキュメンタリーというものがあまり好きではない。多くの場合、登山 = 孤独、そこへステレオタイプのネガティブ人生とかを盛り込んだり…そんな気持ちで、山登ってねーし、走ってねーよ、というものが実に多いのだ。なのであまり期待せずに、MERU[メルー]の試写会に足を運んだ。   img_7788   この映画はそんなレベルのものとは違っていた。一瞬でも疑ったことに「すいません」と素直に謝りたい。Jimmiy Chinはアルパインクライマーであるとともに、National Geographic誌の山岳Photographerでもある。その映像が美しくないわけがない。ヨセミテのような垂壁、ポータリッジでの宙吊り生活を淡々と映し出していく。そして全編に渡って、使われた単語で最も多かったものは、riskteammentor(師)そしてfamilyだと感じた。(数えたわけではないが…) これは、共同監督のエリザベス・チャイ・バサヒリィの影響だろう。アルパインクライミングがわからない人にも楽しめるエッセンスが全編に流れている。それは、極端な誇張や、ヒューマニズムに偏りすぎることなく、程よいバランスを持って展開されていく。

自分には無理ですな。早く温泉に入りたいってもんです。

自分には無理ですな。早く温泉に入りたいってもんです。

山で遊ぶ者としての視点から考えてみる。エクスペディション(遠征)は2回に渡っている。つまり1回目は撤退しているということだ。自分は1回目、残り100mを残しての撤退を最大限にリスペクトしたい。4日間のポータリッジでの停滞の後、食料が不足しているにも関わらず、下りずに登っていく。これは節約することで計算できること、その経験値が3人のうち2人にはあること。そして撤退ラインが明確に決まっているからこそできることであり、プロであれば次につなげるデータが必要で、登れる高さまで登るのも納得できる。つまりコントロールできるリスクだ。一方、残り100mであっても、日没後の1ビバークは、気温次第では死を意味するものであり、とってはいけないリスクとなる。山に行かない人にはなぜ?と思えたかもしれないが、当然の判断だったと思う。そして、2回目の遠征の前に、チームはある重大な決断をする。映画を見ている時は、「その判断はちょっと…」と自分は思った。実際に賛否両論があるはずだ。でもよく考えると、あの1回目の撤退判断ができるチームであれば、それもありかなと思えてきた。自分の過去を振り返ると、どんな山や岩を登ったかも大切だけれども、誰と登ったか、その景色を誰と共有できたかはとても大切なもの。そのための準備、行程、すべてが登山であり、ピークに立てたか、立てなかったか、登れたか、登れなかったかは、その要素の一部にしか過ぎないということ。そんなことをふと思った。そしてその重大な判断とは…それは大晦日の公開で映画をご覧になってください。

Jimmy ChinとTNFのアルパインクライマーが花を添える。なぜか、フリークライマーの平山ユージが。ジャンル違うじゃないか?と思ったが、ヨセミテでのプロジェクトの際に、Jimmyに撮影を依頼した縁があるそうです。

Jimmy ChinとTNFのアルパインクライマーが花を添える。なぜか、フリークライマーの平山ユージが。ジャンル違うじゃないか?と思ったが、ヨセミテでのプロジェクトの際に、Jimmyに撮影を依頼した縁があるそうです。

自分は人工登攀、アルパインクライミングはやっていません。クライミングはやりますが、自然の外岩でのロープクライミングでもフリークライミングまでです。(違いがわからない人はググってみてね)自分が向き合えるリスクはそこまでだと思うからです。それは決して恥ずべきことではなく、その範囲でのチャレンジとそのプロセスを楽しめばいいことだと思っています。アウトドアアクティビティーにリスクはつきものです。アバランチ(雪崩)という計算できないリスクも存在します。ちょっと寒いですが、自分が向き合えうことのできるリスクの範囲で、最大限チャレンジしようよ、もっと山に行こうよ、というのが、私がこの映画に付け加えたいメッセージです。

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