顔が見えるということ – Orcas Island 100 -

3週間前に行ったオーカス島に、今度は昨年に引き続き100マイルレースのボランティアとクルーをしに行ってきました。

シアトルから車で一時間半の場所にあるアナコルテスから車ごとフェリーに乗り込みオーカス島へ向かいます。

島に到着したら、さっそくレース前日のブリーフィングが行われるキャンプ・モラン(Camp Moran)へ。

今年の参加者は60人ほど。昨年からのリピーターや他の100マイルレースで見た顔、地元のレースでよく会う面々やレインシャドウ・ランニングのスタッフなどが賑やかに集い、和気あいあいとした雰囲気です。

アメリカのトレイルランニング・イベントは、しばしば「ロー・キー」(控えめな・慎ましい)と形容されます。エントリー可能なランナーの数は多くても300人前後。ごく少数のスタッフとボランティアで十分に運営可能な身の丈にあった規模で、自然に対するインパクトもある程度限定されます。

レース主催団体であるレインシャドウ・ランニングのオーナーで、レースディレクターでもあるジェームス・ヴァーナー(James Varner)が作るイベントは、ちょうどよい規模感でいつも居心地が良く、心から楽しいと思わせてくれます。

オーカス島は2006年にレインシャドウ・ランニングが初めてレース(Orcas Island 50k)を開催した場所。ジェームスが満を持して彼にとって初めての100マイルを開催したのが昨年で、今年は第二回のOrcas Island 100でした。

一周25マイル(40キロ)の周回コース。雨が多いこの地域ならではの、苔に覆われた神秘的な原生林の中を駆けめぐります。

レース開始後、私もトレーニングがてら軽くコースの一部を走ってみました。

普通シアトル周辺は緯度の割には冬もさほど気温は下がらず雪も少ないのですが、今年は例年と比べて低温で雪の日が多く、レースがあった週末も少し標高が上がっただけでトレイルを雪が覆い始めます。

たまにすれ違うランナーに「その調子!」と声をかけながら、うっすらと粉砂糖をまぶしたようなトレイルを進みます。

コース上で一番標高が高いコンスティテューション山でも730メートルほど。それでも登るにつれて雪の量が増していきます。

コンスティテューション山の頂上には約15メートルの高さの石の塔があります。塔の上からは、天気次第で周辺の島や、カナダやアメリカの町、カスケード山脈などが見渡せます。

この塔は公式なコースには入っていないのですが、登った人にはおまけが付いてきます。

ループごとに一回、計四回塔を登って頂上に置いてあるトランプを四枚すべて集めると「タワー・クラブ」のメンバーになることができます。クラブ・メンバーはカスタムTシャツが貰えます。

登りたくない人は登らなくてよいのですが、今回完走した45人のランナーのうち実に38人がタワー・クラブの会員になりました。

この塔がある山頂に設置されたエイド・ステーションは、私を含むセブンヒルズ・ランニングショップ関係者の有志がボランティアで運営していました。

中には初めからエイドステーションの閉鎖時間までいずっぱりの人も。かなり寒いので、飲んだくれながら自分たちも楽しんでやるのがこちら流。

ランナーが来たら声をかけ様子を見ながら対応します。ループコースではエイドステーションをランナーが何度も通るので、レースが進むに連れてボランティアとの一体感も増していきます。

どのエイドステーションもレース中は当然休まず運営。ボランティアの皆さん、お疲れ様。

妻もランナーのサポートで複数のエイドステーションを行き来していたので、休む暇も寝る間もほとんどナシ。ホントにお疲れ様でした。

二日目を迎えてレースも終盤へ。まだ走り続けるランナーの中には腰を痛めて上半身が完全に傾いた状態で走っている人も。それでも歩みを止める素振りは全くありません。強い。

レースを終えた人やその仲間たちは、ゴール地点で最高の生演奏の中、最高のピザと最高のビールをやりながらランナーを迎えます。宴は最後のランナーがゴールした後も続きました。

2日続いたレースの翌日は表彰式。会場となる町の映画館には「ウェルカム、オーカス島100マイルのランナー達」の文字が。

表彰式では、ジェームスが壇上に完走したランナーをひとりひとり迎え、各々にコメントを送って完走バックルを授与していました。

実はジェームスはこの表彰式で各ランナーに言葉を送るために、レース中寝ずにエイドステーションなどでランナーを迎えて話した内容や気づいたことをメモにとっていました。

この規模のレースならではの、それぞれのランナーを特別に扱う配慮に感心させられます。こんなのを見せられたら、わたしも走りたくなってしまいます。

楽しい週末も終わり、帰りのフェリーへと乗り込みます。

フェリーで座っていると、トレイルランニングの風景を撮り続けるカメラマン、グレン・タチヤマさんが私達の席にやってきたので、ちょっとおしゃべり。

お気に入りのレースは?という話になった時にグレンが挙げたのは、このオーカス島100マイル。その理由を聞かれたグレンの答えに、その席にいた誰もがその通りだと思ったはずです。

「小さいこのレースは、みんなの顔が見えるから。」


H.U.R.T 100 〜 ”オハナ”の精神

1月14日から15日にハワイ・ホノルルで開催されたHURT100を走ってきました。

今年のプランの中でAレース(=最重要レース)の一つと位置付けていたレースでしたが、結果は23時間39分19秒のタイムで総合3位と、最高の形で一年のスタートを切ることができました。

以下、レースのレポートです。

レースの概要

HURT100は、観光客でにぎわうワイキキからたった5キロほどのハワイ・ネイチャーセンターをスタート・ゴールとし、1周20マイルのループを5周する100マイルレースです。

エイドステーションは1周当たり三か所。各エイドステーションの間にだいたい一つの上りがあるので、エイドステーションをスタートしたら一山のぼってくだって、次のエイドステーションへ着いたらまたのぼってくだって…というのを3×5=15回繰り返します。

参加賞のシャツに描かれたコース・プロフィール。

参加賞のシャツに描かれたコース・プロフィール。


ループを5周した後に、ゴールに置かれた看板にキスをして、鐘を鳴らしたら正式にゴールとなります。

熱帯特有の木々が生い茂った山の中、根っこが地面をびっしりと覆うセクションや、突き出た石で足場が安定しないトレイルを走ります。完走率も例年50%を切り、アメリカのレースの中でもかなりテクニカルでタフな部類に入ると思います。

参加者

参加できる人数は130人ほどに制限され、前年の男女上位3位には自動的に翌年への出走権が与えられますが、その他の参加者は抽選で決まります。私は運よく当選し、今回が初出場です。

参加者枠は少ないもののレースのレベルは比較的高く、今年もさまざまなレースで優勝経験があるランナーがちらほら。アメリカのトレランサイトiRunFarが挙げた有力選手は以下の通り。なかなかの猛者ぞろいです。

【男子】

  • Guillaume Calmettes (昨年のAngeles Crest 100 Mileで優勝)
  • Jesse Haynes (昨年のTahoe Rim Trail 100 Mileで優勝)
  • David Goggins (昨年のStrolling Jim 40 Mileで優勝)
  • 井原知一 (2015のUTMFで15位)
  • David Johnston (昨年のSusitna 100 Mileで優勝)
  • Alex Nunn (2015のHURT 100 Mileで2位)
  • Jake Rankinen (2015のHURT 100 Mileで5位)
  • Patrick Stewart (2015のSilverheels 100 Mileで優勝)

【女子】

  • Alyssa Amos (昨年のPeacock Challenge 55 Mileで優勝)
  • Lee Conner (昨年のHURT 100 Mileで4位)
  • Kathleen Cusick (2015年のOld Dominion 100 Mileで優勝)
  • Nikki Kimball (昨年のBighorn 100 Mileで2位)
  • 鈴木潤子 (昨年のHURT 100 Mileで3位)

このレースでは、100マイルを走ったことのない人にも機会を与えるために、一定の優先枠が与えられているとのことです。日本からも初の100マイルにHURT100を選んだ強者がちらほら。

天気

例年この時期は雨期にあたり、激しいぬかるみがランナーを襲うらしいのですが、今年はレース前に雨が少なかったこともありドライなコースコンディションになりました。

ワイキキビーチが晴れていても山側は雲が出来やすい。

ワイキキビーチが晴れていても山側は雲が出来やすい。


一方で、例年よりかなり蒸し暑い天気となりました。ハワイでガイドをしていて、今回レース中応援してくださったまり子さんのブログで知ったのですが、「VOG」という気象現象の影響だそうです。VOGとはVolcano(火山)とFog(霧)を組み合わせた造語で、ハワイ島のキラウエア火山から流れる噴煙が霧と混じって発生するそうです。これがランナーを苦しめることになります。

前日

レース前日のブリーフィングでチーム・ジャパンのみなさんと合流して写真をパシャリ。


日本の方と一緒のレースを走る機会がそれほど多くないので、普段ブログに対する反応を聞くこともあまりないのですが、今回は日本からも多くのランナーが参加していて、「ブログ読んでますよ」と声をかけていただき、結構うれしかったです。

レース当日

今回も妻が私のサポートです。

レースは朝6時にスタート。明るくなる7時頃まではヘッドランプを着けて走ります。

スタート直後から私は先頭付近でレースを進めます。

スタート地点のネイチャー・センターを出ると間もなく根で覆われた傾斜のきつい上りがあり、ラインを探しながら登っていきます。

根っこが一段落しても、段差や石の多いセクションが続き、また細かいターンも多く、スピードに乗ってしばらく気持ちよく走れる箇所はあまりありません。

山を登るといったん舗装路へ。遠くにホノルルのホテル群をちらっと望むことができます。

遠くにワイキキのホテル群が覗く。

遠くにワイキキのホテル群が覗く。


すぐにシングルトラックのトレイルに戻ってしばらく進むと、HURT100名物とも言えるパウオア・フラッツと呼ばれる根っこ地獄が出現します。できるだけ走りやすいラインを進みますが、それでも根っこを避けることはできません。

Pauoa Flats

Pauoa Flats


根っこ地獄を終えると、スイッチバックを下り、マノア滝のすぐ脇を通ってパラダイス・パークのエイドステーションへと向かいます。

マノア滝

マノア滝


こちらのエイドステーションは例年海賊をモチーフにした飾りつけとコスチュームでランナーを楽しく迎えてくれます。食べ物も和洋さまざま充実しています。私は食べなかったのですが、ピザ釜から焼きたてピザも供されたようです。

海賊がお出迎え。

海賊がお出迎え。


私はエイドの滞在時間をできるだけ少なくする作戦。フラスクの水を補給したらすぐに先へと進みました。

パラダイス・パークから次のエイドステーションへ向けてはしばらく今来た道を戻るので、後続との距離を確認することができます。

マノア滝をとおり、スイッチバックを上り、パウオア・フラッツの根っこ地獄を進み…と、先ほど通った道を逆に戻った後、こんどは道をそれてヌウアヌのエイドステーションへと向かいます。

このあたりはすこし走れるセクションで眺望もよく、ちょっと一息ついたあとヌウアヌへと下っていきます。

やや難易度が低いトレイルでちょっと一息。

やや難易度が低いトレイルでちょっと一息。


途中かなり切り立った崖もあり、要・落下注意です。下りを終えると、ヌウアヌのエイドステーションまではもうすぐ。木々に覆われたこの場所は例年だと水捌けが悪くぬかるみが激しいそうですが、今年はそうでもありません。

思ったほど泥濘んでいなかったNu'uanu。

思ったほど泥濘んでいなかったNu’uanu。


ヌウアヌのエイドステーションでも水とゲータレードを補給してもらったらすぐ出発。また今来た道を戻ります。

三たびパウオア・フラッツまで戻った後、スタート地点のネイチャー・センターへと向かいます。山頂からの下りは比較的走りやすく、気持ちよく走れる数少ないセクションのひとつです。

ネイチャーセンターの直前にはガレた下りがあり、注意を怠ると転倒しやすいので慎重に下ります。

1周目をアレックス・ヌーンに続く2番手で終えて2周目へ。

先頭を走っていたアレックス・ヌーンは2周目の途中で急に脱落。暑い中オーバーペースで走ったせいか、お腹を壊したとのこと。

それと入れ違いで先頭に立ったのがマイケル・アーンスタイン。彼はフルータリアン、つまり果物しか食べないことで有名です。(ちなみに妻の報告によるとエイドステーションで果物ではなくジェルしか食べてなかったとのことですが。)

Paradise Parkへ向かう。

Paradise Parkへ向かう。


私は終始二番手。パラダイス・パークやヌウアヌのエイドステーションの折り返しですれ違うのですが、先頭との距離は確実に離れていっています。マイケルの足色はよさそうなので追走はあきらめ、自分のペースで進むことにします。

3周目までは順調に2番手をキープしたまま終えましたが、4周目に入ると途端に下りの脚がなくなり、下れなくなりました。前半飛ばしすぎたつもりはなかったのですが…。踏ん張りがきかなくなり、転んだ数は数え切れず。顔面から地面に突っ込むことも2度、3度。まだ10分以上の差があるとはいえ、後続との距離も少しずつ縮まってきています。

また途中、ふわっと平衡感覚を失いかけます。昼間のほうが気温は暑かったはずなのに、夜になって熱中症の症状です。体の熱が逃げなくなっているのでしょうか。速度を落とし、頭から水やスポーツドリンクをかぶって体を冷やします。

前半突っ込みすぎて、後半失速というパターン?後続に抜かれるのも時間の問題?

そういう展開になりそうだとは思いつつも、ひとまずできるだけの抵抗を試みることにしました。下りを下れない分、上りを走ってカバー。過去のレースでも、走れる上りでは優位に立てるケースが多いので、とにかくそこで時間を稼ぐ作戦です。

Nu'uanuのエイドステーションのすぐ近くの沢渡り。

Nu’uanuのエイドステーションのすぐ近くの沢渡り。


それでも4周目の最後にギヨーム・カルメットに追いつかれてしました。私に追いついたギヨームは私を励ましてくれます。曰く、「お前の走りは凄い。俺のヒーローだ。次のエイドステーションに着いたらしっかり食って、絶対に後ろに抜かれるんじゃないぞ。」

ギヨームに抜かれた私は3位でネイチャーセンターに到着。アドバイス通りちゃんと補給して最後の5周目へ。以前Orcas Island 100でボランティアをした時に出会い、今回途中でリタイアしてしまったブレンダンがエイドステーションで待っていてくれて、氷を首に当ててくれたり、汚れたメガネを拭いてくれたり、状況を聞いてくれたりといろいろとサポートしてくれます。

妻によると4位とは30分ほどの差とのこと。簡単に抜かれる時間差ではないものの、じわじわと後ろから詰め寄られ、いつ後ろの選手の足音が聞こえてくるか気が気ではありませんでした。来年の出場権が与えられるかどうかのボーダーライン3位と4位ではえらい違いだぞ、後ろだってきっと疲れてる、と自分に言い聞かせて足を回し続けました。

最後のエイドステーションを過ぎて後続との距離を確認すると、思ったほどは距離を詰められていない模様。気は抜けませんが、大きく失速しなければ逃げ切れそう。最後の上りは、走れるところはできる限り走って進みます。ここまで来ても案外登れるもの。下りの足と上りの足は別物ですね。

ネイチャーセンターへ向かう最後のガレた下りを慎重に下り、5周目完遂。無事3位で逃げ切り。疲れと安堵のゴールです。

ゴールしたあと、座ってゴールするランナーを迎えて小一時間。さぁちょっと歩こうとすると、酷いマメでまともに歩けません。これまでにないほどのダメージです。足の裏を地面につけるだけで火が吹くほど足が痛く、翌朝はトイレに這っていったほど。HUR100がいかにタフなレースなのかを身をもって思い知らされました。

足裏のマメが痛すぎて立つこともできない。

足裏のマメが痛すぎて立つこともできない。


レースの完走率は43%。トレイルコンディションの良さからレーコードタイムが出るか、完走率が上がるかとも思われましたが、暑さもあって、やはり今年もきつく厳しいレースでした。

レースの翌日

レースの翌日にレース主催者、ランナー、ボランティア、クルーが参加して行われたバンケット(宴会)。おいしい食事と一緒に、冗談を交えながら、楽しく宴会は進みます。

初めて100マイルを完走した中で一位の男女の表彰や、総合上位入賞者の表彰、初のHURT100完走者の表彰や、主催者が選ぶ特別賞など様々な表彰がありました。

100マイル完走したみなさん。

100マイル完走したみなさん。


惜しくも100マイルは完走できなかったものの100キロを走り切った人も「ファン・ラン」の完走をたたえられます。完走できなかった人も、チャレンジしたことを讃えられます。

ファン・ラン完走のみなさん。

ファン・ラン完走のみなさん。


さらには、ボランティアにも、クルーにも、レースに関わったすべての人に拍手が送られます。HURT100のコミュニティが、イベントに関わる全ての人によって成り立っていることを感じさせられます。

ハワイ語に「オハナ」(ʻohana)という言葉があります。ウィキペディアによると「広義の『家族』に相当する概念。ただし、オハナは、血縁関係がない者も含んだ意味での『家族』を意味するという点や、世代を超えて永々と続くという捉え方が強調される点に特徴があり、英語の『family』などと単純に同一視すべきではない概念であるとされる。」とあります。まさにHURT100という場をよく表現する言葉です。

運良く来年も参加できる資格を頂きました。また戻ってきたいと思います。


アメリカにはいくつ100マイルレースがある?

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

おそらく個人がボランティアで作成している「RealEndurance.com」というサイトに、アメリカのウルトラ・ランニングに関する情報がデータベース化されています。

2016年のサマリーを見ると、アメリカのトレイルランニングの現在の規模感がわかって、なかなか興味深い。


・アメリカには2016年現在、167もの100マイルレースがある。
・ここ数年レース数が急増してきたが、今年は昨年比で横ばい。
・ずっと右肩上がりできた完走者数も、今年は昨年比で微減。

急速な成長を遂げてきたアメリカのウルトラ・ランニング市場も、すこし落ち着きつつあるのでしょうかね。


準備がすべて〜2017年レース・スケジュール

先週サンフランシスコを走った12月第一週の週末は、ウェスタンステイツハードロック100の抽選が行われた週でもありました。全米の100マイラーは、この時期、みんな抽選結果に一喜一憂。

私も両レースの抽選に参加しましたが、あえなく落選。ということで来年のスケジュールがだいたい確定しました。中期目標、2017年の目標と合わせて、公開したいと思います。同じレースを走る方、現地でお会いするのを楽しみにしています。

中期ゴール

今年45歳を迎えました。幸い今のところ、走力については加齢による限界を感じてはいませんが、それでも体重が減りにくくなったり、疲労回復が若干遅くなったりはしているように思います。

年齢に最終的に勝利した人間は誰もいません。私もそう遠くない将来、結果を上げることはもちろん、維持していくことも簡単ではなくなってくると思いますが、なんとかパフォーマンスを劇的に下げないことで、中期的に達成したい目標があります。

それは「UTMBで50歳代でトップ3に入ること」です。今年の私のタイム27時間39分12秒なのに対して、ここ3年の50歳代の3位のタイムは以下のとおり。

  • 2016年…31時間45分34秒
  • 2015年…28時間11分39秒
  • 2014年…28時間20分31秒

そう簡単ではありませんが、実現可能性はそれなりにあるかなと思ってます。

2017年のゴール

2016年の目標は「100マイルレースを昨年以上に上手く走ること」でしたが、結果はザイオン100で優勝、UTMBでも自己ベストで総合40位と、望外の結果を残すことができました。

今年も、中期ゴールへむけて、引き続き「100マイルレースを安定して上手く走ること」を目標に据えたいと思います。

マイ・ルール

私がスケジュールを組むときは、走りたいレースをとりあえず片っ端からエントリー…ということはしません。

まず、一年のうち注力したいレースを1つないし2つ決めたうえで、疲労を残さないように以下のマイルールに従って計画を立てます。

  • レースはA〜Cの三段階に優先順位付け。
    • A…目標レース。年に2つまで。
    • B…Aレースを犠牲にしない範囲で結果を求めるレース。年に2〜3レースほど。
    • C…調整目的のレース。結果は気にせず怪我しないことが第一。
  • Aレース同士は3ヶ月以上離す。(基礎作りからピークに持っていくために最低3ヶ月必要なため。)
  • 100マイルレースは一年に2本が理想。3本が上限。
  • 100マイルレース同士の間隔は最低でも2ヶ月はあける。
  • 50キロ〜50マイルレース同士の間隔は1ヶ月程度はあける。
  • 年に一度は、2週間以上のオフをとる。
  • 100マイルの後は、必ず最低一週間のオフをとる。

レース・スケジュール

ということで、以下が私の2017年のレース・スケジュールです。

1.Hurt 100(100マイル1月14日/重要度A

【レース概要】
ハワイ・オアフ島ホノルル近くで行われる100マイルレース。一周20マイルのコースを5周します。場所柄、日本からの参加が多いですが、アメリカ西海岸のトレイルランナーにも人気のレースです。

【個人的な位置づけ】
私にとっては初めてのHurt 100。というか、これまでハワイには飛行機の乗り継ぎで一泊したことがあるだけで、ほぼ初めてのハワイです。
例年は12月にシーズンオフの休養、1月からを練習を開始していましたが、今年は変則的に8月のUTMB後に休養したあと、このレースへ向けて準備してきました。5位以内が目標です。高温多湿のレースはあまり経験がないですが、残り一ヶ月、良い準備をしたいとおもいます。

2.Orcas Island(50キロ/2月4日/重要度C

【レース概要】
オーカス島はシアトル近郊からフェリーで1時間ほどの週末旅行にもってこいの場所。地元トレイルランニングコミュニティが集まる年始行事のような大会です。

【個人的な位置づけ】
昨年優勝したので今年も、といきたいところでしたが、このレースにエントリーした後にHurt 100に当選したため、スケジュール的に厳しくなってしまいました。常識的にも経験的にも100マイルレースから3週間後に良い走りをするのは難しそうです。
年始行事としてみんなと挨拶して、怪我せずに完走すれば十分。疲労の回復具合によってはキャンセルすることも考えます。

3.Chuckanut(50キロ3月18日/重要度B

【レース概要】
シアトルから車で北に1時間ほどのベリンガム近郊で行われます。今年で25回めを迎えるクラシックレースで、クリッシー・モール(Krissy Moehl)がレース・ディレクター。毎年有力選手が参加し、ハイレベルなスピードレースになります。
今年は世界選手権のアメリカ代表・カナダ代表選考を兼ねているため、いつも以上にハイレベルな闘いになりそうです。現時点で既に先のThe North Face Endurance Challenge Championship で2位のヘイデン・ホークス(Hayden Hawks)と3位のデビッド・レイニー(David Laney)がエントリー済み。

【個人的な位置づけ】
私にとっては6年連続6回目の出場。年始の走力チェック的な意味合いもあります。おそらく例年以上のレベルの戦いになるので順位は下がりそう。ほぼパーフェクトの出来だった2016年ほどの走りをするのはそう簡単ではなさそうですが、マスターでトップ3を目指したいと思います。

4.[未確定]Sun Mountain(100キロ/5月20日/重要度C

【レース概要】
シアトルから見てノース・カスケード山脈の裏側で行われる、人気のレインシャドウ・ランニングが主催するレース。雨季も終わり、花が咲く丘を走ります。大きな山は少なく、走れるコースです。

【個人的な位置づけ】
夏の目標レースに向けたトレーニング的な位置づけ。順位やタイムはあまり気にせず、怪我に気をつけつつしっかり走り切るのが目標です。

5.Andorra Ronda Dels Cims(170キロ7月6日/重要度A

【レース概要】
フランスとスペインに挟まれた小国アンドラで行われる超級山岳レース。累積標高差は、距離が近いUTMBやハードロック100(約10000メートル)をかるく凌ぐ13500メートル、優勝タイムも優に30時間超えと、かなりな難易度のレースです。

【個人的な位置づけ】
今年は一度UTMBをお休みして、アンドラを楽しんでみることにしました。どちらかというと走れるコースが得意な私にとって、おそらく私向きとはいえないレースです。順位を気にしすぎず、未体験の難易度で完走を果たして、なにか新しい発見があればいいなと思います。

6.[未確定]Bear 100(100マイル/9月23日/重要度B

【レース概要】
ユタ州で行われる100マイルレースです。ハードロック100のエントリー資格を得るためのレースの一つに選ばれており、比較的難易度が高いレースです。ロッキー山脈で行われる4つの100マイルレースを一年で完走するロッキー・マウンテン・スラムに含まれています。

【個人的な位置づけ】
このレースについてはそれほどよく知らないのですが、走ったことのある人から聞く限り評判の良いレース。アンドラの疲労が抜けていれば、上位を狙って走ります。

7.[未確定]The North Face Endurance Challenge Championship(50マイル/12月2日/重要度C

【レース概要】
毎年12月第一週に行われる超高速50マイルレースは事実上の全米選手権です。サンフランシスコからゴールデンゲートブリッジを渡ってすぐのところで行われます。

【個人的な位置づけ】
年末の走力チェックという位置づけのレースです。その時点での体調次第ですが、今年と同じくらいのパフォーマンスができればと考えています。エリートランナーの雰囲気を感じながら、レースの雰囲気を楽しみたいです。

レースの結果は良い計画にもとづいて、どれだけしっかりと準備できるかにかかってるので、調子を見ながら柔軟にうまく調整していきたいと思います。


UTMB 2016

こんにちは、藤岡です。8月最後の週末にUTMBを走ってきました。

2014年から続けて参加していますが、今年も例年通り妻がサポート、日本から来てくれた妻の両親が応援というチーム編成で臨みました。

今年の成績は27時間39分21秒で総合40位(男子36位)。タイム、順位ともに自己ベストで三年連続の完走を果たせました。

アメリカでも注目度が上がるUTMB
UTMBの知名度はアメリカでも年々上がっていて、今年は2015年のCCC優勝者ザック・ミラー(Zack Miller)や同2015年UTMBで3位のデイビッド・レイニー(David Laney)、2014年UTMBで4位、今年Hardrock 100でキリアン・ジョルネと同時優勝したジェイソン・シュラブ(Jason Schlarb)などのスーパーエリートが名を連ね、アメリカから初の優勝者が出るかとの期待もありました。

私が所属するセブンヒルズ・ランニングショップ(Seven Hills Running Shop)のチームからも私の他にジョンマットが参加しました。

UTMBまでの過程
前々回のブログにも書きましたが、今年の最大目標だったHardrock 100に出場できず、バックアップとして考えていたUTMBに目標を切り替えて臨みました。

最後に走ったウルトラディスタンスは6月初めに走ったコロラドのDirty 30という50キロのレース。そこからレース間隔が少し空いてしまったのに加え、このレース以降は1日に走った距離が長くても30~40キロ程とあまり長い距離の練習はしていませんでした。

それでもUTMBの10日前になっても足の疲れや重さが抜けないなぁと思って、普段あまり気にしていない月走距離をふと見たところ560キロ超。加えて普段ジムでやっているエリプティカル・トレーナーも考慮すると、なかなか疲れが取れないのも納得。それ以降はいつも以上にテーパリング期間の練習量を減らし、最後の一週間は6キロから長くても10キロほどのランにとどめ、足の疲れを取ることに重点を置きました。

目標
昨年は中盤以降、胃の不調で苦しみ、不本意な結果に終わってしまいました。

今年は、昨年の分を取り返すべく28時間での完走が目標です。

目標達成に向けたポイント
基本的に胃は強い方なのですが、昨年は途中で胃の調子を崩し、思うような走りができなくなってしまいました。走っている間に胃が揺れてしまったのが原因か、気温の変化でお腹が冷えてしまったのが原因か、はたまた途中の食料補給の仕方が悪かったのか、いずれにせよ今年はそうしたトラブルが起こらないように気をつけないといけません。

また、過去二年ともフィニッシュにたどり着く前に足を使い切ってしまい、シャモニーへと向かう最後の下りは走ることもままならない状態になってしまったので、今年は最後まで走れる足を残しておく必要があります。

レースプラン
周りのペースに惑わされることなく自分のペースを守ること。100位前後のポジションでスタートして、後半以降にじわじわ順位を上げていく展開を考えていました。

コースプロフィール(クリックして拡大)

コースプロフィール(クリックして拡大)


実際のレース・序盤
昨年に引き続き好天かつ猛暑となり、主催者から水分を余分に持つよう注意喚起が行われました。

夕方6時、熱狂の中スタート。アメリカのレースと比べて圧倒的に参加規模が大きく、お祭騒ぎの様相です。

シャモニーの街中は沿道の両側から声援が続き、多くのランナーはアドレナリンが出て我こそ前へ前へと速いスピードで駆けて行きますが、私は混沌を避けるためにエリート達が並ぶスタートライン前方から少し下がったところから出発、時計を見ながらキロ4分30秒前後のペースでレースに入りました。

序盤、私がいるポジションは最終的に今回のUTMBで2位に入ったアンドレア・ヒューザー(Andrea Huser)や、3位の「闘魂」のハチマキでお馴染みのウシュエ・フライエ(Uxue Fraile)など女子のトップ勢の姿が見えました。ロリー・ボシオ(Rory Bosio)はやはりトレイルに落ちているゴミを拾いながら走っていました。男子では上背があるマイケル・ワーディアン(Michael Wardian)やチームメイトのジョンも近いところを走っています。

レ・コンタミヌ(Les Contamines)までの31キロは比較的難易度が低いセクションで、日が暮れていくにつれ気温も下がってくるので、リズムよく楽しく走れます。

35キロ地点を過ぎ、コル・デュ・ボンノム(Col du Bonhomme)からコル・ドゥ・ラ・セーニュ(Col de la Seigne)を通ってコル・デ・ピラミッド・カルケール(Col des Pyramides Calcaires)へと連なる長い登り、その後66キロ地点から始まる美しい(はずだけど闇の中で望めない)コンバル湖のほとりを抜け、アレ・デュ・モン・ファーブル(Arrête Du Mont Favre)を越えるトレイルを順調に進み、79キロ地点にある中盤で一番大きなクールマイヨール(Courmayeur)のエイドステーションには過去二年よりずっと疲労が少ない状態で到着しました。とはいえまだ全行程の半分もいっていないので、その後もペースを上げすぎて足に負荷がかかることのないように進みます。

チームメイトのジョン @ Courmayeur

チームメイトのジョン @ Courmayeur

レース中盤
84キロ地点のベルトーネの山小屋(Refuge Bertone)を過ぎたころに空が明るくなってきました。ここから97キロ地点のアルヌーヴァ(Arnouvas)まではしばらく走れるセクションですが、昨年はここの後半で胃の不調を抱えてしまったので、体の上下動を気にしつつ楽に走ることを心がけました。

この辺りまでくると、ランナーの間隔は完全にばらけて、前後に誰も見ない時間が長くなってきます。

91キロ地点のボナッティ小屋(Refuge Bonatti)では、体調不良で外のテーブルに突っ伏して寝ている大瀬さんに遭遇。その後しばらく回復に時間を要したそうですが、それでもレースを再開しゴールした姿勢はさすがです。

私はここで例年通り紅茶に砂糖を多めに入れていただきました。まだまだ朝方で涼しい中、正面にモンブランを望みながらの一杯は格別です。

昨年、胃の不調を抱えて入ったアルヌーヴァに、大きなトラブルもなく到着。今年はまだ胃も元気で、オレンジを立て続けに食べていたらエイドステーションのボランティアに「お腹を壊すからもうやめときなさい」と言われてしまいました。

日も次第に高くなり、足の疲れも蓄積してくる中で迎えた大きなフェレ峠の登りではなかなかスピードがあがらなかったものの、なんとか頂上へたどり着きました。峠で一息つき、ジェルを飲み込んでカロリーをとると、110キロ地点のラ・フリー(La Fouly)への長い下りを駆け下りました。

ラ・フリーから124キロ地点のシャンペ湖(Champex-Lac)は毎年苦労させられます。最も気温が上がる時間帯で、恐らく35~36度くらいまで上がっていたでしょうか。水場を見つけるたびに頭から水を被ります。

なんとかサポートの妻が待つシャンペのエイドに到着。結構くたびれていたので、25分と長めの休憩をとりました。妻が後で言うには、その間私が発した言葉の9割は「暑い」という単語で、エイドに「暑い」と言いながら入り、「暑い」と言いながら出ていったとのこと。

シャンペ湖(Champex-Lac)

シャンペ湖(Champex-Lac)


そして今年最も苦しかったのがシャンペの後、135キロ地点のラ・ジエット(La Giete)へと続く登り。暑くて食欲がわかず、何も食べずに登った結果、スピードもダウンして最後はフラフラ。足も痺れたようになり、チームメイトのジョンにも抜かれてしまいました。なんとか登りを終えたところでジェルを一気に三つ摂ると、山の上は少し涼かったこともあり、やがて足色も回復し、下りではなんとかリズムを取り戻し、すぐにジョンを抜き返しました。
フォルクラッツ峠(Col de la Forclaz)

フォルクラッツ峠(Col de la Forclaz)

終盤

141キロのトリアン(Trient)から先は、少し雲が出て暑さも弱まってきたこともあり順調に巡行。途中、酷使した左足裏の皮がズリッと大きくめくれる感触がありましたが、今すぐ走りに影響してくるほどではありません。

トリアン村(Trient)

トリアン村(Trient)


バロルシヌまで着くと、残す登りはテット・オ・ヴァン(Tete aux Vents)のみ。今年はまだ十分に足も残っています。

「こんなに長かったっけかなぁ」と思いながら、ジョンをはじめ後続の選手に追いつかれないように必死にテット・オ・ヴァンまで登りきると、日が傾き始めました。毎年この時間のこの場所には、アルプスアイベックスやアルプスカモシカがあちこちに現れます。今年もたくさん姿を現してくれました。

やがてぽつぽつと雨が来て、続いて雷鳴が始まりました。幸い近いところに落ちていないようなので、早めにヘッドライトを装着して、ゴールへと急ぎます。

ラ・フレジェール(La Flégère)まで到着すれば、あとはシャモニーへの下りを残すのみ。普段なら全く問題にならないようなちょっとした石や根っこがあるトレイルですが、過去二年とも足が上がらず躓きまくりました。でも今年は足も残っているので大丈夫、と順調に駆け下りていたら途中で石だか根っこだかに躓きスッテーンと転倒。悶絶している間に女性の4位に抜かれてしまいました。

すっかり暗くなった中、転倒した拍子に何か落としたりしていないかヘッドライトで確認し、身なりと息を整えてから下りを再開。雨脚と雷鳴が強くなる中、シャモニーの街へと入ります。

シャモニーに入った午後9時半頃は、普段ならまだまだ街中にたくさん人がいる時間ですが、雷雨のせいで人はまばら。そしてゴール地点は停電中。

それでもだいたい思っていたような走りができたので、意気揚々とゴールへと向かいます。

最後はチーム・フジオカはじめ皆が待つゴールにジャンプしながらフィニッシュ!

終わりに
昨年は満足できる結果を残せなかったのですが、今年は難しい時間帯もなんとか乗り切り、細かいところではもうちょっと上手くやれたところがありつつも、全体としては満足できる走りができました。

当初のプランどおり、100位くらいからスタートして徐々に上げることができました。

当初のプランどおり、100位くらいからスタートして徐々に上げることができました。

2555人中1468人完走で完走率57.4パーセントという厳しいレースの中、チーム・セブンヒルズの三人は、
・私(40位、27時間39分21秒)
・ジョン(47位、28時間14分55秒)
・マット(83位、30時間32分06秒)
とみんな100位以内で完走。こちらも素晴らしい結果です。

サポートしてくれたチーム・フジオカや、中盤以降土井さんの近くを走っていたこともあってエイドごとに声援を送ってくださった土井さんチームの皆さん、その他現地で、あるいは遠くからインターネットを通じて応援していただいた皆さん、それからチームメイトとSeven Hills Running Shopには大感謝です。皆さんに変な結果は見せられないなぁという見栄を力に走りきることができました。

近年のトレイルランニングブームで世界中で数多くのイベントが開催されるようになっていますが、シャモニーという美しい街に世界中のランナーが集まって一週間続くお祭り騒ぎはやはり独特です。こってり濃厚でタフなレースなので、しょっちゅうこんな非日常をやっていたら堪ったもんじゃありませんが、一年に一回くらいなら、やっぱり楽しいもんですね。


規模を追わないという選択 – Hardrock 100 –

ハードロック100(Hardrock 100)のスタート・ゴール地点となるシルバートン(Silverton)は、デンバーから車で6時間以上もかかる小さな田舎町。町までは舗装された道があるものの、そこから先、サン・ファン山脈(San Juan Mountains)の中へと続く道は、レンジローバーやトヨタの4Runner、Tundoraなど硬派な4WDでないと太刀打ち出来ない荒れたダート道になります。

Silverton

Silverton


また、前回のブログにも書いたとおり、ランナーが走るのは険しく迷いやすいコース。コースは当然車が入れないようなところばかりですが、途中のエイドステーションでさえ、車ではアクセス出来ず、ボランティアが馬やハイキングで荷物を運ばなければいけない場所がいくつかあります。

小さな町のため受け入れることができる人数にも限りがあり、かつサン・ファンの山々は簡単に人を寄せ付けないとなると、自ずとイベントの規模を大きくするのにも限界があります。出場枠を152人に限らないといけないのには、こうした地理的要因とそれに起因する安全確保などの問題が多分にあります。

一方で、イベントの主催者が積極的に規模を追っていないことも事実です。

レース開始の10日ほど前の7月4日はアメリカの独立記念日。アメリカの他の町と同様、シルバートンでも日中はパレード、夜には花火大会が行われました。パレードにはハードロックチームとして既に現地しているランナーも是非参加してね、と声がかかっていたので、私も妻と集合場所に顔を出してみると、初めてシルバートンに来た私達を「ハードロックへようこそ!」と迎えてくれたのがディレクターのデイル(Dale Garland)。我々もグループの輪に加わって、一緒にパレードを楽しみました。

独立記念日のパレード

独立記念日のパレード


デイルは、優勝ランナーから最後尾のランナーまで、さらには制限時間を過ぎて公式には完走扱いにならなかった二人のランナー(うち一人は日本の及川さん)までをゴールで迎えました。また翌日の表彰式では、完走者一人ひとりにパーソナライズされた記念品を渡したりと、どんなレベルのランナーであれ、出場したすべてのランナーが特別に扱われ、体験が最大化されるよう気配りをしています。

Dale

Dale Garland


小さな規模で行われるがゆえ、現地にいると個々の人の顔がよく見えてきます。

前週から開催されたコースマーキングには、連日10人から20人の参加者がありました。毎日参加する人もいれば、数日だけ参加する人もおり、また初めてハードロックに参加する人もいれば、ベテランのランナーも、ペーサーをする人も、単にハードロックのコースを見たいだけの人もいました。かなりの時間を一緒に過ごすので、自然と打ち解けてきます。

ある日には、コースマーキングが終わったあとにみんなで温泉に入り、一緒に夜ご飯を食べたり。

Ourayの温泉

Ourayの温泉

ハードロックの裏舞台も垣間見えてきます。これまでコースマーキングの責任者であったチャーリー(Charlie)が年齢を重ねて足が以前ほど言うことをきかなくなってきたため、今年はジェームス(James)に引き継ぎを行っていました。ジェームスは私もお気に入りのレインシャドウ・ランニングのレースディレクターで現在シアトル在住ですが、かつてはコロラドに住んでおり、またハードロックにも何度も出ているので、ハードロックのコミュニティでも良く知られた存在です。

Charlie(赤い服)とJames(真ん中の青い服)。

Charlie(赤い服)とJames(真ん中の青い服)。


キャシー(Kathie)も連日愛犬コーディとコースマーキングに参加していました。チャーリーと同じくらいコースに詳しい彼女は、ジェームスとどこがコースなのかをめぐって意見が食い違い、結局彼女が正しかったときには「だから私はこっちだって言ったじゃないの」と愚痴をこぼしチャーリーになだめられていました。

KatieとCody

KathieとCody


コースマーキングに参加する我々の送り迎えをしてくれた冗談好きのジム(Jim)は、コース上に倒れた木を切ったり、足場の悪い場所に石を並べ直したりと、裏方仕事もこなしていました。

Jim

Jim


ハードロック100について話していて、あるいはハードロックの現地ににいて頻繁に耳にするのが「ファミリー」という言葉です。規模が小さいことによって、人と人との距離が近くなり、親密感と一体感、そして家族的な雰囲気が生まれます。それが多くの人を惹きつけ、ランナーだけでなく、ボランティアや観戦する人が集まるイベントを作り出しているのだと強く感じました。


Hardrock 100 未出走記

昨年末の抽選で出場権は得られなかったもののウェイトリスト7番目に入ったHardrock 100。過去のキャンセル率を見る限りかなりの確率で出走できそうなので、今年の最重要レースと位置づけ、2週間前から現地入りして準備していました。

ところが今回は出場を辞退するランナーの数が史上最低で、レース開始直前まで待ったものの結局ウェイトリストの2番目からぬけ出すことが出来ませんでした。

準備万端で体調もよいのに走れなかったのは残念ですが、まあしょうがない。今回はちょっと運がたりませんでした。

もっともハードな100マイルラン

最もハードな山岳100マイルのひとつにも挙げられるHardrock 100。レースの前の週に行われたコースマーキングに連日参加し、コースの大部分を下見しましたが、上り下りの程度はUTMBとそれほど変わらない印象でした。実際にUTMBは距離170kmで累積標高10000メートルなのに対して、Hardrock 100は160km、10060メートルなので、その点では大差はありません。
私が感じたUTMBと大きな違いは以下の3つです。

  • まず標高。UTMBではもっとも高いところで2500メートルを少し超える程度なのに対して、Hardrockはコースの大部分が標高3000メートルを超え、最高地点のHandies Peakの標高は4285メートルにのぼります。私も最初の数日は頭痛に悩まされました。
    Handies Peakからは4000メートル級の山々を見下ろせます。

    Handies Peakからは4000メートル級の山々を見下ろせます。

  • コースの追従のしやすさにも差があります。UTMBや他の多くのトレイルランニングレースと比べるとコースマーキングが少なく、また場所によってはトレイルから外れた場所を進むため、コースがわかりにくい印象です。特に昼間はコースマークが風景に埋もれて見落としやすそうでした。
    これはHardrock 100ではランナーが事前にコースを十分に理解していることを前提としており、ランナーにナビゲーションスキルを要求しているためです。事前に地図を読み、コースを下見するとともに、コースマーキングがどのような規則でつけられているかを理解しておくことが問われます。
    踏み跡のないセクションもかなりあります。この写真の中にマーキングが二つは写っているはずですが、ご覧のとおり風景に埋もれてしまっています。

    踏み跡のないセクションもかなりあります。この写真の中にマーキングが二つは写っているはずですが、ご覧のとおり風景に埋もれてしまっています。

  • もう一つの違いがコースのワイルドさ。Hardrockが行われるサン・ファン(San Juan)の山々は大きな町から離れた大自然です。「足が乾いているようじゃハードロックじゃない」といわれるほど、コースのいたるところで水場を渡り、雪渓を横切ります。距離は短いものの「ここを行くの?」というような激登り激下りもあります。
    Virginius Pass。雪渓を激下り。

    Virginius Pass。雪渓を激下り。

このようにコースはかなりのキツさですが、完走の制限時間は48時間と比較的ゆるくなっています。(因みにUTMBの制限時間は46時間。)季節的にしばしば夕方には雷を伴う激しい雨が降ることも多いのですが、落雷に打たれる危険を避けるためにコース上で安全のために停まっても、経験と十分なハイキング能力があれば走力はそこそこでも十分に完走できる時間設定になっています。

出走することはコース以上に難しい

コース以上に難しいのが152人の出走枠に入ることです。

出走枠は、5回以上完走した人(Veteran枠)に35人、一度も完走したことがない人(Never枠)に47人、それ以外の人(Else枠)に70人が割り当てられており、前年の男女の優勝者以外はすべて*抽選によって決まります。(*ただしレースディレクターが自由裁量で決められる枠が若干あるようです。)

とりわけ「Never」の枠の人が出走するのは至難の業です。初めて抽選に申し込んで一発で当たる確率は1%未満。毎年申し込みを繰り返すことで当選確率は増える仕組みになっていますが、それでも当選するのに何年もかかるという話はざら。今年キリアン・ジョルネ(Kirian Jornet)と同着で優勝したジェイソン・シュラーブ(Jason Schlarb)は4回めの抽選でやっと当選。私が直接話をした中では7回目の抽選でやっと当選したという方もいました。何度も抽選に申し込んでいるアントン・クルピチカ(Anton Krupicka)も未だにHardrockは走ったことはありません。走力にかかわらず平等に抽選で出走者が選ばれるため、エリートでも出走が難しいイベントです。

Hardrock 100の魅力

今回のHardrock 100はエリートランナーのレベルが高く、特に、共にUTMBを複数回制したキリアンとグザビエ・テブナール(Xavier Thévenard)の対決は注目を集めましたが、他の大きなレースと比べるとHardrock 100はエリートランナーの数が少なく、トップランナーたちのハイレベルの戦いが毎年行われているというわけではありません。

(Grant Swampを下るJason、Kilian、Xavier。妻撮影。)

私が感じたHardrock 100の本当の魅力は、こうしたトップランナーの走りとは別のところにありました。

ちょっと話が長くなってきましたので、その魅力については次回のエントリーで書いてみたいと思います。

Kendall Mountainからスタート・ゴール地点となるSilvertonを見下ろす。

Kendall Mountainからスタート・ゴール地点となるSilvertonを見下ろす。


激走ザイオン 〜 Zion 100

こんにちは、藤岡です。

私が住んでいるワシントン州をちょっと離れてユタ州に遠征し、4月8日に行われた100マイルレース「Zion 100」を走ってきました。

ザイオン国立公園の直ぐそばで開催されたこのレース。私の結果はというと、なんと17時間36分50秒のタイムで総合優勝しました!

以下、レースレポートです。

場所と気候
ラスベガスから車で2時間半ほどの場所にあるザイオン国立公園(Zion National Park)は、グランド・サークルと呼ばれる、グランド・キャニオンやブライス・キャニオンなどを含む大自然の密集地帯にあります。

川の流れによって侵食されてできた渓谷がザイオンの独特な景観を生み出しています。

気候は乾燥していて、朝晩と昼ではかなりの寒暖差があります。レースが行われる4月は、30度を超える暑さになったり雨だったりと、日によって天候が変わるとのことです。一方、夏は夕立はあるものの概ね晴れた日が多く、日中の最高気温が40度を超えることも珍しくありません。

私達の拠点
はじめて訪れるザイオン。せっかくならレースだけでなくレース前後にも自然を満喫しようということで、私とサポート担当の妻はシアトルから空路ラスベガス入りしたあと、キャンプ用バンを借りてザイオンへ移動し、ザイオン国立公園内のキャンプ場に滞在しました。

バンの後部座席はベッドになる仕様で、私達二人が寝るのには十分なスペースが確保されています。また冷蔵庫、食器、洗面台、コンロなど必要最低限のものは備え付けられていますし、(私たちは寝袋を持参しましたが)布団や枕もあるので、機動力を保ちつつ快適に過ごすことができました。

レースについて
レース会場は国立公園の外。とは言え、周辺一帯も大自然です。「メサ」(スペイン語でテーブル・机という意味)と呼ばれる、侵食によって出来たテーブル状の台地を繋いで走る100マイルレースのコースは累積標高3230メートルほど。幾つかの急な上り下りを除くと比較的走れるコースですが、細かな起伏も多く楽なコースではありません。

レースを主催するウルトラ・アドベンチャーズ(ULTRA ADVENTURES)は、グランド・サークル内で多くのレースを主催しています。いずれのレースも観光地のすぐそばで開催されるということもあって人気があります。

今回のザイオンでは、100マイルのほか、100キロ、55キロ、ハーフのレースも開催されました。距離の選択肢に幅があるので、観光がてらにちょっとトレランという人にも参加しやすく、実際にアメリカ国内だけでなく海外、とくに中南米から参加された方々が少なからずいたようです。

私にとってのレースの位置づけ
年初に計画したとおり、夏にある今年最大の目標レースに向けて、春先に一本長いレースをきっちり走りきることが一つの目標でした。加えて、2月のOrcas Island 50kと3月のChuckanut 50kを経て、体も出来てくる頃なので、ある程度結果も求めたいなと思っていました。

レースの振り返り
100マイルは100キロと一緒に朝6時にスタート。35.5マイル(約57キロ)地点まではコースも一緒です。走る距離によってゼッケンの色に違いはあるものの、後ろから各ランナーのゼッケンを確認することは出来ないので、前の人がどちらの距離を走っているのかわかりません。

途中、折り返しで先行ランナーとすれ違うときにゼッケンを観察したり、エイドステーションでボランティアの方々に質問した結果、私の前にいる3〜4人のランナーのうち100マイルを走っているのは一人だけの模様。先行するランナー数人は視界に入る位置にいます。

直近の二つの50キロレースに比べると、長丁場ということもあって当然ながらだいぶ楽なペース。あまり無理せず最初のメサをこなした頃には夜も明けていました。

ふたつ目のメサでは台地の縁(ふち)を走りました。コースのすぐ脇は数百メートルの落差で落ち窪んでいます。高所恐怖症の方には結構厳しいでしょうが、眺めは絶景です。

約26.5マイル地点、ふたつ目のメサを下りはじめるあたりで追いついた100マイルのリーダーに、「パタゴニアのジェフ・ブラウニング(Jeff Browning)が2014年に作ったコースレコードを上回るペースだよ」と声を掛けられて、ちょっとペースが早過ぎるのかなぁとも思いましたが、自分としてはさほど無理なペースという感覚はありませんでした。

まだまだ余裕で、下りですれ違う後続の選手に「グッジョブ!」と声をかけあいつつ、楽しんで坂を駆け下りました。

30マイル付近で私が先頭に立ってからは、後ろを振り返らずに淡々と走りました。しばらく平坦なジープ道が続いた後、32〜33マイルあたりで登場する3つめのメサは、垂れ下がった紐を使って登らないといけないほど急な区間もあります。平坦な場所ではちょっと差があった100キロの部の先頭を走るランナーに、この上り坂で追いついてしまいました。

メサの上は波打った岩場が続きコースが不明瞭なため、コースマーキングはかなりしっかりしているものの、注意しないとルートを見失いかねません。慎重にコースマークを探しながら進みました。

辛かったのは中盤。45マイルくらいのところで100キロの部のランナーについていくのをやめて単独走になり、自分でペースを維持して走り続ける必要がありました。平坦なセクションが多いため走らざるをえず、休める区間があまりありません。サボテンの棘が足に刺さったり、バックパックの肩紐で鎖骨あたりが擦れて痛い思いをしながら、75マイルまでペースを落とさないよう我慢の走りを続けました。

75マイル地点のエイドステーションに到着すると、そこから4マイル、6マイル、7マイルの異なる3つのループを、一周回っては同じエイドステーションに戻る、また次のループを回っては戻ってくる、というのを繰り返します。

一周目のループの途中で、短いとはいえ急な雨があり、粘土質の路面は一瞬にして粘着質のドロドロのぬかるみに。シューズの底に重い泥がまとわりつき、グリップも全くなくなってしまいました。

40分かけてエイドステーションに戻ると、後続のランナーはまだ誰も着ていないとのこと。つまりこの時点で最低でも一回目のループの分(4マイル、40分)は差がついていることになります。この辺りでかなり優勝を意識しました。ここまでエイドステーションでは立ったまま、必要な補給だけしてすぐに出発してきましたが、ここで初めて椅子に座って落ち着いてシューズを交換し、濡れたシャツを交換しました。

ふたつ目のループの途中で日がくれました。コースロストや不注意な転倒など大きなミスがないよう、確実な走りを心がけました。

最後のループも無難にこなして、ゴールまであと8マイルほど残した地点で二位との差は1時間以上。ほぼ確実に勝てると思ってゴールへと向かう最後のセクションを進むと、途中から全くコースマーキングが見当たりません。どう考えても今走っている道以外には道がないはずなのですが。既に夜の闇の中なので万が一コースを見落としていたらマズイ!かなり焦りました。いま来た道を引き返し、同じコースを進む100キロのランナー数人を待ち、コースを確認し合いました。他に道はなかったし、やはりどう考えてもこのコース以外にないということでとりあえず前へと進み、しばらくしてやっとマークを見つけた時には本当に安堵しました。少なくとも10分は失ったと思いますが、まだまだ十分な差があります。

ゴール前の数マイルは流石に思ったようにペースが上がらず長く感じましたが、無事ゴール。100マイルレース初優勝です!

2位にはAltraからのスポンサーを受けるSam Reedがペーサーと一緒にゴールに入ってきました。私が最後のセクションで手こずる間に20〜30分ほど詰めてきていたようです。

私がゴールした後、夜半すぎからふたたび雨脚が強くなったためにコースが短縮され、多くのランナーが影響を受けたようです。(影響を受けた方の映像がこちら。)オリジナルの100マイルを完走したのは62人。77人は短縮されたコースでのゴールとなりました。大会の結果はこちら

レースを終えて
メサからの景色が素晴らしく、楽しいレースでした。滞在期間が短く、レース後もザイオン公園以外はどこも回ることが出来なかったので、こんどはグランド・キャニオンやブライス・キャニオンを訪れに、ぜひまた来たいと思います。

80マイルくらいまではコースレコードペース、最終的には歴代3位のタイムと、速いペースでのレースになりましたが、最後までなんとか我慢できました。補給もしっかり摂り、天候の変化や日の出・日没にあわせてギアの交換もでき、また毎度のことですが妻のサポートもあり、上手くレースマネージメントが出来たと思います。

50キロや50マイルのレース比べて苦手意識があった100マイルでしたが、今回結果が出て自信になりました。

反省点は、細かい話ですが、足の爪を切り忘れたままレースをした結果、5枚爪を剥がしてしまいました。それからバックパックで鎖骨が擦れるというのも、以前のレースで既に経験済み。レース中に不快な部分を出来るだけ減らすためにもこのあたりの対策はしっかり取っておかないといけません。

一旦リカバリーをとって、夏の大目標へ向けてまた仕上げていきたいと思います。


コミュニティって素晴らしい 〜 Orcas Island 100

Photo © Glenn Tachiyama


Orcas Island 100の週末の体験は、一週間経った今でもじんわりと心地よく心に残っています。

オルカス島で開催された「Orcas Island 100」は、主催者であるレインシャドウ・ランニングにとって初めての100マイルレースで、今年が第一回でした。

オルカス島はレインシャドウが11年前に初めて50キロのレースを開催した場所。レースディレクターのジェームス・バーナーにとっても思い入れのある地で、彼曰く「今では色々な場所でレースを行うようになっているけれど、100マイルのレースは本当に大丈夫と思える今になってやっと開催できるようになった」とのこと。満を持しての開催です。

一周約40キロのコースを4周するループコースで、私が先日走ったOrcas Island 50kと同様、パワーラインという激坂が最大の難所です。

私は今回はランナーとしてではなく、エイドステーションでのボランティアや日本から来た西城さんのサポート、そして地元やその他各地からやってきたランナーの応援にやって来ました。

普段、自分のレースで感動することはあまりありません。レース前にちゃんと計画・準備し、レース当日には集中して冷静に走ってきっちりゴールに辿り着くことは、言ってみれば自分に課したミッションのようなもので、上手くいけばホッとするし、上手く行かなければ問題点を反省する、といった感じです。

一方、ランナーではない今回は、ランナーの様々な場面での様々な体験を共有し、感情の起伏を勝手に追体験させてもらいました。スタートラインでリラックスする人、集中する人、レースの場面場面で力を温存する人、スピードを上げて追い込む人、エイドステーションで低体温症気味で震える人、痛みを訴える人、リタイアを決断する人、ゴールして厳しいレースから開放される人など。他のランナーを見ている方が心が揺さぶられます。

さて、私の週末を簡単に振り返ると、金曜の朝にレースが始まってからしばらくはトレイルのあちこちに先回りして、先頭集団を走る西城さんや井原さん、その他のランナーの応援をしていました。

夜9時からはレースの最高地点となるコンスティチューション山のエイドステーションでボランティア。

今回のレースでは、全てのエイドステーションがシアトル近辺のトレイルランニングコミュニティによって運営されていました。私がスポンサーを受けるセブンヒルズ・ランニングショップのチームが担当したのは、長い上りのあとにある、ループの中で一番最後のエイドステーション。夜はかなり冷え、ランナーにとっては厳しい区間です。焚き火やハロゲンヒーターのぬくもりと、歌って踊るボランティアがランナーをお迎えしていました。ループコースでは同じランナーに何度か会えるのが良いですね。

私がエイドにいた頃、西城さんは3周目を終えたところで脚の不調でリタイア。良いポジションにつけていたので残念でしたが、来年また是非チャレンジするとのこと。来年は必ず木製のバックルを貰いましょう!

最初のボランティアのシフトが終わったら、スタート・ゴール地点に戻ってランナーをお出迎え。結構きついコースだと思うのですが、トップの二人は20時間を切るタイム。三位に入ったのは井原さんで、これで26回目の100マイル完走。流石の走りです。夜が明けるとチームメイトのジョーダンが女子一位でゴール。まだ一周残すランナーもいて、最後のループへ向けてスタートしていく後ろ姿に声援を送ります。

寝る暇もないくらい色々なことがあって、本当に充実しています。

土曜の昼から再びエイドステーションでボランティア。レース開始時間に遅刻して、30分以上も遅れてスタートしたシアトル在住の近内さんも無事、関門時間内に通過。

最後にやってきたのは地元の友だちビビアン。完走を目指す彼女をみんなで送った後、エイドステーションを撤収してゴールへと向かいました。

日曜日の表彰式は島の映画館で行われました。そこにいる誰もが笑顔だったことが、このレースが大成功に終わったことを物語っていました。

地元のランナーのみならず、アメリカ各地や国外からのランナーも参加したOrcas Island 100は、地域のトレイルランニング・コミュニティと合わさって、走ってない私にとっても本当に素晴らしい体験になりました。


レユニオンで”バカ”ンス(後編)

前編中編の続きです。)

難所だった圏谷セクションをなんとか終えて、ゴールまで残すところ50キロほど。まだ先は長いとはいえ、すこし先が見えてきました。

長い下り

標高2030メートルにあるマイド(Maïdo)から標高350メートルにある124.7キロ地点のサン・スシ(Sans Souci)までの14キロは、序盤に緩やかな上り下りがあった後は一本調子の走りやすい下りが続きます。

暖かい服装でマイドをスタートしたものの、何キロも走らないうちにすぐに体が温まって暑くなり、一度立ち止まってさっき着たばかりの上着を脱いで、ふたたび走り始めました。

ここまで来ると十キロ以上続く走りやすい下りも「走らされる」感じで堪えますが、我慢して脚を回し続けます。眼下には闇の中に海岸線沿いのサン・ポール(Saint-Paul)の街明かりが浮かんでみえますが、景色を楽しむよりも早く下り終えたい一心です。

マイドを下るAntoine Guillon。総合優勝した彼は私の一歳年上。

マイドを下るAntoine Guillon。総合優勝した彼は私の一歳年上。


疲労のピーク

長く感じた下りを終え、サン・スシに到着したのは金曜午後10時30分。脚を使わされる区間で疲れましたが、止まっていてもゴールには近づきません。コーラやスープをゆっくり摂った後、先へと進みます。

歩きにくい短い下りと平坦な砂利道を過ぎ、飛び石伝いに川を渡ると、登りが始まります。

眠気はないものの、スタートから24時間を超えて疲労はピーク。ペース云々より、とにかくゴールまでの距離を埋めるために前へと進むことしか頭にありません。標高600メートルほどの山をただ淡々と上り続けるものの、ペースは上がらず、途中で寝ていた人にも抜かれてしまいました。

山を登り終えたあとに迎えたセクションは歩くのも大変な藪の中。手を使って木や石につかまりながら進みました。

それでも143.2キロ地点のポセッション(Possession)では、待っていた妻に元気な返事をするくらいの余裕は残っていました。念のために妻からジェルなどの携行食を受け取り、「ゴールで待ってるよ」と見送られました。

膝を破壊する石畳

ポセッションを過ぎてまもなく、シュマン・デ・ザングレ(Chemin des Anglais)が始まります。かつてイギリスがレユニオンを占領していた頃に作られた、火山岩が敷き詰められた石畳の道です。

この石畳の区間は大変そうだという情報は、いちおう事前に頭の中には入れていました。でも実際に来てみると、今まで体験したことのない類の、想像以上にタフなセクションでした。綺麗に並べられた石畳ならまだしも、不揃いに置かれた石の上を数キロにわたって渡り続ける道は、変に踏み外そうものなら簡単に捻挫します。

こんなガタガタな石では足を着地したときに膝の位置が定まらず、しばらくするとちょっと膝が痛くなってきました。石畳は150キロ地点にあるエイドステーションをまたいで続き、さすがに心が萎えました。

やっとゴール

全くペースが上がらなかった石畳をなんとか終えたころに、レースが始まって二度目の朝を迎えました。

そこからは、なんとか気力を振り絞って走りはじめるも、しばらくしてくたびれて歩きだし、また気力を出して走っては歩くの繰り返し。

次第に気温が上がっていく中、ただゴールを目指して進むと、やっと最後の山の頂上となる159.3キロ地点のコロラド(Colorado)に到着。ここからゴールのサン・ドニのラ・ルドゥト・スタジアム(Stade de la Redoute)までは、テクニカルながらもなんとか走れる下りを残すのみです。

トレイルを下りきり橋の下をくぐると、まもなくスタジアムが左手に見えてきました。

スタジアムの入り口で待っていた妻に軽く合図を送り、まだ朝早く観客も少ないスタジアムのトラックを走りぬけ、やっとのことでゴール。これまで経験した100マイルのレースでは、ゴールの瞬間はいつもとにかくレースが終わったことにほっとするだけだったのですが、今回は安堵感に加えて達成感か充実感か、ちょっといつもと違う気持ちが去来しました。

振り返り

今まで経験した中では最もテクニカルなコースで、こうしたコースが不得意な私には当然きついレースでした。とりわけマファト圏谷の最後の上りは「常軌を逸している」としか思えないキツさ。でも、バラエティに富んだトレイルと圏谷の眺望は素晴らしく、またエイドステーションのボランティアの方々も心からサポートしてくれて、終わってみると本当に楽しいレースでした。島を上げてのお祭りは、多少常軌を逸しているくらいのほうが楽しいのかもしれません。

アメリカからだとフライトだけでも20時間以上、乗り継ぎも入れると24時間を超えるほどの遠方で、なかなか簡単に訪れることができる場所ではありませんが、是非また機会を見つけて参加したいと思います。

自分の走りに関しては、33時間44分07秒で総合59位と、スタート前に予定していた32時間〜34時間の範囲になんとか収めることができました。

序盤の転倒は大事には至らず、終盤にややペースを落としたものの大きく崩れることもなく、妻の協力もあって無難にレースマネージメントができました。未知のコース、得意ではないテクニカルなトレイルであることを考えると、ベストとまでは言えないまでも、悪くない結果でした。

上り下りの多い時間がかかるコースで、また歩いている時間も多かったこともあってか、レース後は肉刺もほとんどなく、脚へのダメージも案外少なかったように感じます。レースの二日後には山の中を長い距離歩いていました。

最後に

最後に、この大会に参加しようという方へ。レースに参加するだけでなく、少し時間をとってレユニオンのいろいろな面に触れることを心からお勧めします。

山だけでなく海も文句なく美しいですし、見たことのない鳥や魚などにも遭遇できます。時間はゆったりと流れ、人は優しく、治安も良い。加えて胃が強い私はまだしも、普段旅行先ですぐに日本食に走る妻でさえ毎日食べても飽きない現地の料理は、インドや中国などアジアの影響を受けていてとても美味しいですよ。

走る”バカ”のお祭りを満喫して、本当に楽しいバカンスでした!

(おわり)