ハワイレース記3

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しびれる展開が待っていた。

泥だらけだったトレイルは3日目にして、ようやく溶岩大地へと変化を見せた。火山をめぐるレースがようやく、らしくなってきた。尖った岩の連続する荒れ地を進みながら標高を上げ、4,000m級の高峰マウナ・ロアの周囲を巡る。

ステージ2まではウォーミングアップのようなもので、走りながら気候やコースに体を慣らすランナーが多い。いきなりトップギアで走ってリタイヤしないための定石である。

重い荷物を担いで見知らぬコースを連日走り続けるのは心身への負担が大きいうえに、筋肉疲労や内臓のダメージを翌日に持ち越して再びスタートすることになる。初日で120%を出し切ってしまうと、その日はゴールに辿り着けても、6ステージのトータルでは完走すら危うくなるので、序盤の2日間でコンディションを見極める。そして3日目からステージレースは本格化する。自分の前後を走るランナーの顔ぶれが固まり、各々が自分の走っているポジションを意識し始める。

ガレた赤い岩に苦戦しつつも、僕は3番手を走っていた。トップグループの顔ぶれは前日と同じ。トップ2はグランドキャニオンを舞台に行われるステージレース「Grand to Grand」の歴代優勝者の2人だ。「Mauna to Mauna」と同じ主催者が開催していて、今回は2人とも招待選手として出場している。

2日続けてトップをひた走るのはスペインのビセンテ。かつて砂漠のステージレースで年間優勝したことのあるランナーだ。力強い走りで序盤からレースを引っ張っていく。僕も出場したことのある砂漠レースのチャンピオンなので、憧れるよと伝えたところ、はにかんでいた。パワフルな走りに似合わず、ちょっとシャイなのかもしれない。

その後ろには、スイスのフロリアンがつけている。ビセンテとは対照的にテクニカルな走りを見せ、荒れたトレイルを軽やかに駆け抜けていく。それだけでも十分なのだが、悔しいことにイケメンだと認めざるを得ない。こればかりはどう頑張っても勝ち目がない。

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せめてレースだけでも一矢報いたい。気持ちは先行する2人を捉えているものの、体がついていかない。標高はこの日の最高点である2,500m近くまで上昇していた。呼吸のリズムは変わっていないのに息苦しく、酸素がうまく取り込めない。20kmほどしか走っていないので、体力にはまだ余力がある。にも関わらず、呼吸が乱れるのは高山病の兆候なのかもしれない。

普段ならあまり影響のない標高だ。ステージ2までの疲労と背中の荷物の重さが影響しているのかもしれない。

気のせいだと思い込み、後を追う。呼吸は荒くなったまま。おさまる気配はなく、指先がしびれてきた。なにやら頭もぼんやりする。無理をすれば、追えるかもしれないと思うものの、このままペースを保つのは危険とも思える。思考がまとまらない。高山病で倒れては完走すら危うい。

意識がまだはっきりしているうちに、ペースを落とす。歩くような走りでなんとか2,500mの最高点を越えた。下り基調に転じて、舗装された道路をひた走る。標高が徐々に下がるにつれて症状はおさまってきた。トップの2人はヘビのように曲がりくねった道の遥か彼方にいた。

かなり距離を開けられていたが、姿が見えるだけでもましだ。前半で抑えていた分、ペースを上げて差を縮める。アスファルトに単調さを感じて、道路からそれて岩場を走る。こっちのほうが変化に富んでいて楽しい。何度も転びそうになるのも眠気覚ましにちょうどいい。足へのダメージは大きいものの、気分を上げる方が先決だ。

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最後の10kmはほとんどが平坦な砂利道。山と山を隔てる境界線のような谷間である。谷を抜ける風が前方から吹いてくる。ポツポツと水滴が顔をたたく。水滴の粒が大きくなり、全身が濡れる。逆風にさらされてペースが上がらず、雨脚が強まるに従って体温が奪われて体が冷えていく。

寒さで指先の感覚がなくなりつつあった。またしびれることになるとは夢にも思わなかった。足が止まると、低体温で一気にリタイヤもありえるかもしれない。上位争いを考えるよりも、まずは生き残ることに集中だ。つくづくしびれるレースである。


発見!ぐるっとキリマンジャロ

備忘録ついでに偶然見つけたイベント「KILIMANJARO STAGE RUN」(http://kilimanjarostagerun.com/)をご紹介です。

ホームページの地図を引用:   http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

ホームページの地図を引用: http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

キリマンジャロの外縁を8日間かけて走って1周するというイベント。ステージレース的な要素がたっぷりしそうなのですが、「アドベンチャーラン」をうたっていてホームページでもしっかりと「NOT A RACE」と明記されています。宿泊はコテージやキャンプなので安心して眠れそう。野生動物がいると思うと、走り疲れていても寝付きが悪いです。

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レースではない、純粋に走って旅をするというパッケージは国内ではまだまだ少ないように思いますが、海外のステージレースに出場していて聞いてみると、海の向こうでは盛んに行われているそうです。

毎日キリマンジャロを眺めながら走るというのはなかなか楽しそうが、最終的には登りたくなってイベント後に、山頂を目指すという流れになりそうです。あえて登らないのは戦略に違いありません。


ハワイレース記2

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

これだけは断言しよう、ハワイは常夏の島などではない。

小さなしずくが顔をたたいては流れ落ちていく。たれてきた水滴が目に入る。雨に汗がブレンドされていて、しみる。閉じた目の中でコンタクトレンズがズレてきた。

雨だれを吸い込んだTシャツはすでに飽和状態に達していて、袖と裾からダラダラと水がたれていた。エサを目の前にしてよだれをたらす犬のようだ。濡れた短パンが太ももに張りつく。あまり気持ちのいいものではないが、そのままにしている。満員電車でとなり合った人に触れないようにするものだ。離れようとしても密着してしまう。ムダな抵抗なのである。

夜に降りだした雨は強弱をつけながらも止む気配をみせず、大会2日目は雨中のスタートとなった。あちこちに水が浮き、前日にはなかった小さな水路があちこちにできていた。

晴天に恵まれた初日は大会直前のコース変更の影響で、アスファルトの上を延々と走ることになり、信号機の前では借りてきた猫のようにおとなしくたたずみ、お行儀よく横断歩道を渡るという、この種のレースでは得難い経験ができた。舗装路の照り返しでかなりの高温になるため、時折降るスコールはありがたかった。火照った体を冷やしてくれる恵みの雨に、もっと降れと願いはしたものの、さすがに降りすぎである。

レインウェアのフードをかぶったランナーたちがうつむき加減でスタートの瞬間を待っていた。厚い雲に覆われた空模様と同じように元気がない。みんなの気持ちはよく分かる。肌寒くて、早く走り出したいのだ。この日は誰もが勢いよく駆け出しいた。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

それにしてもよく降る。トレイルの窪地はすべて水たまりになり、膝上まで浸かってしまう。むかし走ったブラジルのジャングルマラソンを思い出して懐かしくなった。ズブズブと沈む沼地で泥水を跳ね上げながら進んだときのことだ。

細かいアップダウンのたびに現れるこの日の水たまりはジャングル的だが、いやちょっと待て、ここは南国リゾートだ。ハワイというのは、目の覚めるような青空、開放的なビーチでアロハシャツにビーチサンダル姿で、降り注ぐ太陽を浴びながらのんびり。そんな楽園ではないのか。

リゾート地としてのイメージが頭の片隅にあり、正直なところギャップに戸惑った。眠くてまぶたの重たそうな曇天に、じめじめと雨の降る山の中でレインウェアと濡れたシューズ姿で、降り注ぐ雨に打たれて震える。なんとも非ハワイ的である。

2日目にして、ハワイ的なイメージは清々しいほどに裏切られた。自然に身を投じることで現地を知る。それがステージレースの醍醐味のひとつであり、これがハワイなのかと新鮮な気持ちになるが、肌寒く、張り付くウェアが不快であることに変わりはない。毛根という毛根から爪の隙間まで雨がしみこんでいた。


ハワイレース記

ハイライトから書いてしまったものの、時空を巻き戻って大会紹介です。

溶岩でできた大地は転ぶと流血必至。

溶岩でできた大地は転ぶと流血必至。

初開催となったMauna to Mauna(M2M)は7日間で6ステージが繰り広げられるステージレース。大会中に必要とされる食料、寝袋などの物資はすべて背負って運ばなくてはならない。水と宿泊するテントは大会側が用意してくれる。僕の装備は、水をのぞいた乾燥重量で7kgと、わりと軽めだった。10kgを超えるランナーもちらほらいるが、重さはスピード、疲労と密接に関わるので、できるだけ軽量化を図っておきたいところである。

コースはというと、大会名となっているふたつのMauna=山が舞台になる。マウナケアとマウナロアである。火山活動によって誕生したハワイ島は溶岩でできたゴツゴツとした大地があちこちで見られる。一歩踏み間違えて転倒すると流血は避けられない。テクニカルな路面なのだ。

装備チェックの行われた大会前々日に、想定外のアナウンスが告げられ、コースレイアウトが当初予定から大きく変わった。レース4日目には、もっとも高い地点で標高3,000m近くまで上昇して、コース終盤まで2,000m台で推移していく。元々は1,000m台だったことを考えると大幅な変更である。そして全体的にアスファルトの上を走る区間が増えるらしい。

コース変更にいたったのは、土地所有者からの合意が得られなかったからだという。3年前から用意していたコースが直前になって覆るというのは主催者としては残念に違いないが、出場する側としても戸惑うばかりである。初開催ということで不備が出るのは仕方ないと思っていたものの、予想を上回る展開である。

ドタバタぶりに拍車をかけたのが天候である。常夏の島をイメージしていたにも関わらず、連日の雨という想定外ぶり。特に大会前半は一時的なスコールではなく、朝から晩まで降りつづけるという異常気象に見舞われることになる。地元から出場している選手ですら、天気の予測が困難で、首をかしげるほどだった。

どうでもいいことではあるが、ハワイ到着時にスマホとポケットWi-Fiを入れたシャツを飛行機に置き忘れてしまったことも、僕にとっては誤算であった。


17秒の思い出3

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火山活動がいまも続くハワイ島は地表にその特徴を示している。ゴツゴツとした溶岩大地は荒々しく、走ることを拒もうとしているかのようだ。牧場内はさらに、膝下まで草が茂り、岩の凹凸をカモフラージュしている。足を置くまでどんな接地になるのかが分からないのである。瞬間的に地面の状態を判断して転ばないようにバランスを取るのだが、スピードを維持しようとする上位ランナーほど転倒のリスクが高くなる。

もっとも僕はスピードもペースも関係なかった。再び追いついたルイージの前に出て抜かれない、それだけを考えて走っていたからだ。彼が前に行こうとすれば僕はさらに先に出る。そこからリードを広げる余力はなく、転びそうなフットワークでフラフラと走り、一定の間隔を維持するので精一杯。もう抜けない、突き放せないと思わせるまで、同じことを繰り返すしかない。

2人でいつ終わるとも分からない我慢比べを続けるうちに、不思議な感覚が芽生えてきた。順位を争うライバルではあるが、230kmもほとんど同じタイムで走り、同じ過酷さを味わってきたのだ。目印となるコーステープを見失い、協力して探したことも1度や2度ではない。自分ひとりでこんなに強い意志を持って走って来られただろうか。彼の存在なしには、こうして辿り着くことはできなかったかもしれない。苦しい展開なのに決着がついてしまうことが少し惜しかった。

だからといってレースを終わらせないわけにはいけない。最後まで全力を尽くして自分たちの最後を見届けるのだ。40kmをすぎ、ゴルフコースへ。カートの走るアスファルトがコースだ。

ルイージが上り坂でラストスパートを仕掛けてきた。彼もまた、17秒差を守ろうとする僕と同様に、逆転するためにすべてを注いできたのだ。大きなストライドでリードを奪っていく。

これが最後の攻防になる。確信があった。慌てることなく、上りで出遅れた分をダウンヒルで取り戻す。下るのではなく、落ちていくイメージ。重力に任せてスピードに乗り、横に並ぶ。

疲労と痛みを無視して歩幅を広げ、小さなアップダウンを乗り越えていく。筋肉の強ばる終盤は意識していないと動きが小さくなりがちだ。一歩だけでは、わずかな違いだが、積み重ねていけば勝負を分ける違いとなる。巻き返してリードを奪い、ゴルフコースから公道に出るところで、痛恨のコースロスト。下り坂の途中で曲がるはずが、そのまま駆け下りてしまった。

再び先行を許し、ゴールまでは2kmを切ったが、不思議と焦りはない。ゴールゲートをくぐるまでに追いつけばいいのだ。少しずつ背中に近づく。そして、並走できるまでに巻き返したところで、ルイージが観念したように終戦を告げた。「ここからは一緒に行かないか」

もちろん、そのつもりだった。

17秒差をめぐって戦い抜いてきたからこそ、相手に対する敬意が止まらなかった。自分が苦しんできたことを相手も耐え続けてきたのだ。それに、彼がいなければ、自分ひとりではここまで追い込めなかった。影よりも近い距離を走り、僕の力を引き出してくれた。

走ることは本質的に孤独だと思っていた。進むにしても、止まるにしても最後の最後に頼ることができるのは自分だけだ。独りであるとしても、同じ目的に向かって走り続ける限り、分かち合うこと、認め合うことはできる。すべてのランナーは競い合う相手であり、仲間でもある。誰かに合わせるのではなく、全力を出し切って初めて互いの距離が縮まるのだ。相手から遠ざかろうとして走ることで、近づくことができる。走る、ただそれだけのシンプルな行為が人と人をつなぐ。そんなことに気付かされたデッドヒートだった。

結局、この日は2人で同時にゴール。時間差は17秒のまま変わらず、決着は最終日に持ち越し、ほかの選手やスタッフに「最終日の8kmもやり合うんだろ」とゴシップにも似た話題を提供することになった。17秒は何かをやるには短すぎるが、17秒は2日間にわたり、大きなトピックとして娯楽のひとつになっていた。


17秒の思い出2

ハワイでのレース終了から3日目で、ようやく足首の腫れが引いてきました。大事をとって足を休めているのですが、早く走りたいなあ。続ハワイの話です。

固く尖った溶岩を踏んで走るので、みんな足はボロボロ

固く尖った溶岩を踏んで走るので、みんな足はボロボロ

足を草むらに叩き付ける。そして繰り返す。ドラムを打つように、慎重に、精確に一歩ずつ時間を刻む。ほとんど音のないドラムンベースに、背の高い草を切り裂く音が時折ノイズのように耳に入ってくる。

わずかな時間差をめぐって、スタートからずっとイタリアの大男と競り合っている。ロングステージ後につかの間の休息を味わい、6日目のコースは47kmだ。スタートから20kmにわたり草地のダウンヒルが続く。

地形によってリズムは気まぐれに変わっていく。傾斜が緩やかになれば必然的にテンポも遅くなる。目の前の地面が一瞬消えた。急傾斜に切り替わり、ビートが早まる。そして、背後でも同じようにリズムが刻まれていた。変化に欠けるコースレイアウトは、長い距離を双子のように同じタイムで走ってきた僕たちのペースを狂わせる決定打にはならなかった。

その間も足には着々とダメージが蓄積されていく。宙を浮いた体を一本の足で支え、また蹴り出す。その着地の瞬間に、地面と接した足は大きな衝撃を絶えず受けている。このレースでは荷物の重さが加算されるので、もちろん普段よりも大きなダメージを被ることになる。

ロングステージでのダメージもあり、ルイージについていくのが苦しくなる。両足首とふくらはぎが痛み、距離とともに痛みが増していく。足首の動きは柔らかさがなくなり、地面からのインパクトを吸収しきれていない。可動域が狭まり、きしむ音が聞こえてきそうだ。ふくらはぎもれんが造りの壁がボロボロと崩落するかのように力強さを失っていく。

にも関わらず、時計に目を落とすと、まだ2時間もたっていない。先の見えない作業を延々と繰り返しているうちに、時間の進み具合が特別遅くなったと勘ぐりたくなるほどだった。

足首でも膝やスネでも構わない。早く壊れてしまえばいいのに。そうすれば楽にペースを落とすことができる。あわよくばリタイアも。ひどい誘惑が脳裏をかすめる。しかし、自分の意志で止まりたくはない。そこに理由があれば、話は別だ。言い訳を探しながら、その都度、ろくでもない誘惑を後方に置き去りにして一歩先に進み続ける。

同じ脚の痛みであれば、長い距離を走っているうちにコントロールできるようになる。コントロールというと語弊があるのかもしれない。ドーパミンやアドレナリンが脳内に放出され、脱水症状で頭がゆだってくると、気にならなくなるだけで、痛みの原因となる筋肉の損傷は悪化していく。一時的に痛みが麻痺していても、どこかで揺り戻しがくる。

それが標高差1700mのダウンヒル終盤だった。痛みと筋肉の強ばりでスピードを保ちきれなくなり、ルイージから50mほど遅れてしまう。追いすがろうとするもじわじわと差が開いていく。頭ではペースを上げたいのに体がついてこない。疲労とダメージが体の反応を重く鈍くする。肉体的な変調は心までも弱気に変えてくる。

ダメかもしれない。前年にアフリカで感じていた諦めが頭をよぎる。そして、悔しさも。転がり落ちそうな走る意志を支えてくれたのが、苦い思い出だった。また同じことを繰り返すのか。限界を超えられないまま、終わってしまうのか。

違う、情けない気持ちを再び抱くために、ハワイに来たわけじゃない。結果を変えるために来たんだ。そのためなら、後のことは考えなくてもいい。足が折れるまで、筋肉が断裂するまで走ればいい。なにかが変わった。

痛みが和らいだわけでも、体力が回復したわけでもない。なのに差が縮まっていく。強烈な意志が肉体を突き動かす。変わったのは自分なのかもしれない。ダウンヒルからフラットな市街地を通り、牧場に続くゲートを駆け抜けた。


17秒の思い出

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハワイから帰国したての若岡です。初開催のステージレース「Mauna to Mauna」は3位入賞でした。

大会前々日に大幅なコース変更が伝えられたり、スマホをなくしたり、異常気象で大雨、低体温、流血、キャンプ地も変更などアクシデント続出でした。スマホはただの忘れ物ですが。
そんな盛りだくさんなハワイ遠征を振り返り、余韻に浸っていたら、いつの間にか長文ができあがっていました(中国の回想がまだ終わっていないのに、うぅ)。僕個人としては、1週間もあるのに最終日まで17秒という僅差で3位を争ったことがハイライトです。というわけで以下が本文です↓

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17秒あれば何ができるだろうか。

とりとめなく考えている間に時間が過ぎていく。考え事のできる時間ではない。ドリップコーヒーを入れることも、通話で用件を伝えることすらできやしない。できることといえば、せいぜいが100m走くらいだ。

そんなわずかな時間に朝からずっととらわれている。正確を期すならば、前々日の深夜からだ。

そのとき、僕は1週間にわたるランニングレース「Mauna to Mauna」の勝負所となるロングステージで79kmを走り終えたばかりだった。食料や寝袋などの荷物を背負って毎日スタート、ゴールを繰り返し、この日を終えて走行距離は200km近くに積み重なっていた。

時間は深夜11時。照明に照らされているもののゴールとはいえ、賑わいはない。この日の順位は3位、合計タイムによる総合成績も暫定で3位に浮上した。残すは50kmちょっとと、決して短い距離ではないが、そう長くもない。大会前から目標としていた表彰台が近づいてきた。

前年出場したレースは23秒差で4位に終わり、表彰台を逃してしまった。全力を尽くしたつもりだったが、日を追うごとにもっとやれていたんじゃないかと思い直すようになった。何かが足りなかったのだ。そのときの自分の限界なのだから、悔しくないつもりだった。受け入れないといけない。狙ってもとれなかったのだから仕方ないと。

1年越しで再びチャンスをつかみ、強く自覚した。あの時のわずかな差を悔やんでいたのだ。惜しかったでは何も残らない。限界まで走るのではなく、限界を超えなくてはいけなかった。そんな強さが欠けていた。結果を分かつのは、意志の強さだ。

走りながら考えていたことを反芻していると、夜の暗闇が切り裂かれた。強いヘッドライトがゴールに駆け込んできた。イタリアのルイージだった。僕と3位を争う長身のランナーである。道中で大きく引き離していたはずが、2分ほどの差に詰め寄られていた。

僕はなんとか総合成績で3位を保ったものの、ルイージとの差は17秒。残すは47kmと8kmの2ステージ。大きなタイムアドバンテージを奪うべく体を酷使しただけに、両脚に深いダメージが残るのは避けられない。苦しい状態で争っていくことになる。表彰台への道のりは今年も険しい。


中国のトレイルをめぐるエトセトラ3

中国の話を書き上げられないまま、ハワイ遠征に来てしまい、焦っております。あわわー。早く書かねば。。。ということで下記が中国でのエトセトラです。

下見で城壁を走る関羽雲長ではなく、碓井さん。もはやひとり三国志!

下見で城壁を走る関羽雲長ではなく、碓井さん。もはやひとり三国志!

幼いころからどこにあるのだろうかと疑問に思っていた、お菓子でおなじみタケノコの里が、中国にあった。

中国滞在2日目はコースの下見へ。まずはスタート地点の旧市街を訪れ、城壁の見学と現地メディアによる撮影。歴史的な建造物の上を走り、テンションが上がったところで、いよいよ山に向かう。

下見と撮影をしながら城壁を巡る。倭冦の侵入に備えて建造されたという。

下見と撮影をしながら城壁を巡る。倭冦の侵入に備えて建造されたという。

ゴールのモニュメントは1人で手作り!

ゴールのモニュメントは1人で手作り!

太極拳おじさん。体幹がすさまじく強く、スローな動きでもまったく揺れない。

太極拳おじさん。体幹がすさまじく強く、スローな動きでもまったく揺れない。

旧市街を離れ、車で10分ほど走ると竹林に分け入ることに。徐々に高度を上げつつ、行けども行けどもあたりは竹、竹、竹。そして時折、おじさん。タケノコを掘っているようで、ところどころでタケノコハンターを見かける。かなりの数が掘られていたが、それでもタケノコは至るところから突き出ていた。

後々知ることになるが、コースとなったトレイルにもタケノコが生えていた。そこかしこでニョキニョキと顔を出していて、道を塞ぐトラップのよう。それが中国っぽさを醸していて、避けるのが楽しかったのです。

さらに山道を進み、曲がりくねった隘路をひた走る。その間にもタケノコの皮が散らばっていたり、道ばたに剥き立てのタケノコが並んでいたり。そして、エイドステーションのある山奥の集落に到着。ここにはタケノコハンターたちが住んでいた。

タケノコの里の石造りの家。趣深し。

タケノコの里の石造りの家。趣深し。

タケノコはこの時期の主な収穫物のようで、ちょっとしたスペースに所狭しと干されている。というか、タケノコしかない。徒歩1〜2時間はかかりそうな竹林まで収穫しに行って、重いタケノコを抱えて帰ってくる。重量+アップダウンが日々の生活なのだから、トレイルを走れば相当な速さなのでは。石川さん、碓井さんたちとそんな会話を繰り広げる。

タケノコ干し場の一角。

タケノコ干し場の一角。

タケノコの里はトレイルランナーの里なのかもしれない。収穫してバックパックに詰めて運べば、ステージレースのトレーニングにいいなあ、などと妙なことを考えつつ帰路に就いた。


中国のトレイルをめぐるエトセトラ2

窓ガラスに頭をぶつけ、夢見心地で旅が始まった。突然の衝撃に驚くが、痛みはない。明るい光にとまどいながら、うっすらと目を開けた。周りからはにぎやかな話し声が聞こえてくる。

目が慣れてくるころには、通路に長い列ができていた。東京を飛び立った飛行機が上海に降り立ったことに気付く。やけに頭が重く感じられた。寝不足の頭を働かせて理由を思い出す。

出国前に終わらせようとしていた仕事の量を読み違え、出発前夜になってもメドがつかず。そこでようやく危機感を抱き、残った仕事を片付けようと夜を明かし、そのままフライトの時間を迎えた。すでに疲れきった頭で、ターミナルを間違えつつも搭乗。なんとか仕事を終えた安堵感から、席に着くなり眠り込んでしまっていた。

ぼーっとしたまま、同じフライトでやって来たウスイさんと到着ロビーに向かう。碓井さんの風貌はとてもインパクトが強い。15cmオーバーのヒゲが顔に沿って密集しているのだ。にもかかわらず「ウスイ」。立派なヒゲは、砂漠の民を思わせる。前年にサハラ砂漠マラソンを完走しているので、あながち間違いでもない。現地では日本人だと気付かれなかったに違いないと僕は推測している。

ウェルカムボードを持った人たちの間に、見知った爽やかな笑顔を見つけた。アスリート向けのサプリメントを手がける「スタミナ・スポーツ」の王さんだ。今回出場するUTGKのスポンサーあり、僕とウスイさんを含む6人のランナーを招待してくれた企業である。

王さんに案内されて、この日合流予定だった2人と合流する。名前と顔は事前に見知っていたので、すぐに一致した。石川弘樹さん、丹羽薫さんだ。もう1人は台湾のチンくん。チームサロモンに所属する台湾のエリートランナーだ。そんな3人と対面して、途端になんだか場違いなところに来てしまった気がしてきた。

車で上海から5時間ほど移動。中国は広い。途中で何度かサービスエリアに立ち寄った

車で上海から5時間ほど移動。中国は広い。途中で何度かサービスエリアに立ち寄った

僕とウスイさんは、昨夏のステージレース「白山ジオトレイル」で知り合ったスタミナ・スポーツの社長コンさんに招待され、ノコノコとやって来た、いわばその辺の野良ランナーなのだ。

自己紹介がてら、石川さんと雑談。

「いま中国はアツいんですよ」

「25℃まで上がるらしいですね」と僕。

「気温もですけど、トレイルシーンが熱いんです」

情報に疎い野良ランナーぶりを発揮してしまう。そういう熱さですね。ここ3年で中国のトレイルレースは300を数えるようになったそうだ。日本が10年かけて歩んできた道のりに、数の上ですぐに追いついたことになる。人口規模が違うとはいえ、トレイルランニングへの注目度はかなり高いようだ。

などなど親切に教えてもらい、ふと気付く。いくつものスポンサーのロゴが入っている石川さんのウェアに対して、僕はといえば、上下ともにキレイな無地。

同じように招待という土俵に乗っていいのだろうか、同行していていいのだろうか。などと一瞬考えるものの、徹夜明けで疲弊した脳はあまり考え事に向かない。ほどなくして思考を放棄した。

まあ、いいのだ。

来てしまったのだから仕方ない。走るしかないのだ。雑に結論づけて空港から大会の開催される臨海市に移動するべく車に乗り込んだ。


中国のトレイルをめぐるエトセトラ

延々と続いていく竹林がとても中国的だ

延々と続いていく竹林がとても中国的だ

市街地を抜けて山に入ると、どこまでも続きそうな竹林が広がっている。いかにも中国という雰囲気たっぷりで、藪からパンダがひょいっと出てきそう。

おっと危ない、そんなことを想像していると、細いトレイルの足元にはタケノコがにょきっ。行く先々で土から顔を出していて、気を抜いていると足を引っかけそうになる。

竹の葉を揺らしていた風が弱まり、しっとりとした空気がさらに重みを増す。空に向かって勢い良く伸びた竹林に霧が漂い始めた。やがて、白いもやが広がり、鮮やかな竹の緑を覆い隠すように景色をモノトーンに変えていく。水墨画の世界である。

夢と現実の狭間とも思える幻想的な森を走る。

風が止み、周囲が静けさに包まれた。足元の落ち葉を踏む音がやけに響く。湿った空気を吸い込むと、かすかに土の匂いがした。

はかなげな線描に満ちた水墨画の中で、自分の感覚だけが、ここが現実だということを示している。日本を離れて中国へ行ってきた。向かった先は上海から車で5時間ほど南に下った浙江省臨海市。UTGK(Ultimate TsaiGu Trail Kuocang)という100kmレースの出場が目的だ。普段の生活から遠く隔たった桃源郷のような日々が、そこにあった。

古城の城壁もコースの一部。写真は下見の様子、中央には石川弘樹さん。

古城の城壁もコースの一部。写真は下見の様子、中央には石川弘樹さん。

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というわけで、22日に中国で行われたUTGKをご紹介しつつ、短期集中で中国の旅を振り返ります。