何かが起きる 白山ジオトレイル・レポート1

 

ロードもわりと多い(撮影:田上雅之さん)

ロードもわりと多い(撮影:田上雅之さん

ずいぶんブランクがありますが、気にせずに白山ジオトレイルについて書きましょう。

毎年、台風直撃や病院搬送、クマ出没のほかにも、選手ばかりかスタッフも低体温症に見舞われたり、滑落しかけたりと、1週間の間に何かが起こる。それがこのステージレース。真夏の山々の緑よりも色彩の濃い、鮮やかな日々が過ごせる。

荷物が重くなるのを覚悟で無線機を持ち込む御仁や、あえてバーナー持参で調理する剛の者、尾てい骨にヒビが入ったまま完走する女人、完走させるために激をとばすスイーパーなど、極めてコク味の強いメンバーが今年も集まってきた。コクが強すぎて、人によっては苦いかもしれない。

そんな濃厚さは持ち合わせていなので、僕は初日から淡々と走ることに。スタートから先頭に立って進んでいく。ところが、スタートして10分とたたずに町中でコースロスト。なんと最初のチェックポイント(CP)をショートカットしてしまう。

今年は、市街地にはマーキングをせずに地図を読んで走ることになっていて、コース上には目印となるテープがない。なら地図を見ればいいのだが、走り始めて楽しくなっていたのか、地図を見ずに去年のコースを走ってしまい、あえなくショートカットしていた。ふたつ目のCPまで走り、スタッフからその事実を告げられた。

思いがけないミスで精神的なダメージを負いかけた。過去2回出場しているうえに、地元石川県で土地勘があるのにコースを間違えたのだから無理もない。

そして、それ以上に第1CPを完全に忘却していたことがショックだった。何も考えないにもほどがある。

ちなみにスタート直後にCPがあるのは、大会名にもなっている「白山」にゆかりのある神社7カ所を巡りながら走っていくから。その白山七社を訪ねて参拝するのも大会の醍醐味なのだ。山を走りつつ、地域の歴史と文化に触れられるので、この神社巡りを楽しみにしていたにも関わらずの失態である。

戻って神社を通過しなおそうとしたところ、タイムペナルティー+ゴール後にロストした地点まで戻って神社で参拝すればよいとスタッフに伝えられた。

越前裁きなみの寛大さである。

地元出身で3度目の出場とくれば、コースの大半は分かっているのだから、むしろ僕なんかは有利すぎたのだ。そう考えると、タイムペナルティーというよりも補正のようなものだ。

逆境を都合よく捉えて、CP2からトレイルへ。

この日は高所でも標高600〜700mくらい。細かくアップダウンを繰り返していくコースレイアウトだ。走れるトレイルなので身軽なら楽しいが、初日は食料のつまった荷物が重くて、そうも言っていられない。加えて低山ばかりなので気温が下がらず、夏の蒸し暑さがこたえる。

白山の積雪がない時期で登山客と台風が少ないとなると、開催時期が8月の下旬になるのは仕方ない。仕方ないにしても暑い。

暑さでモチベーションが下がりそうになると「タイムペナルティーがあるから後続を引き離すべし」とセルフ喝を入れる。タイムペナルティーは発奮材料にもなり、意外と使い勝手がいい。

汗でドロドロになりながらゴール。初日早々のコースロストという誰も予想していなかった出来事はスタッフの間にも伝わっており、失笑を買う。

ゴール後のキャンプ地では、バプニングがもうひと山待っていた。序盤2位を走っていた選手が上位ながらも順位を下げて到着。なにやらフラフラしていて挙動が怪しい。

水もろくに飲まずに、横になって休みだした。熱中症っぽい。

去年の大会で自分が熱中症にやられ、ひどい目に遭っていたので、すぐにドクターやスタッフを呼んで介護。大量の氷で体を冷やして事なきを得たものの、やはり何かが起こる大会を印象づけられた初日であった。と結んでみたものの、ロストはただのケアレスミスなので締まらない……。


おとなの林間学校(白山を行く)

夏の甲子園が終わるころ、ひっそりと始まるステージレース「白山ジオトレイル」に出場してきました。

サハラ砂漠などのレースで、ステージレースをご存知の方も多いかと思います。 食料や寝袋など生活に必要なものを背負い、1週間にわたってレースを繰り返し、250kmを走り抜くという移動式おとなの林間学校です。

おとなの林間学校に行ってきました(撮影・田上雅之さん)

おとなの林間学校に行ってきました(撮影・田上雅之さん)

毎日、寝泊まりするので、大会という名の旅でもあります。 白山ジオトレイルはそんなスタイルを踏襲した、国内で唯一の本格的なステージレースです。

ほかの砂漠レースなどと同様に、水とテントは大会側に用意してもらえます。 白山ジオトレイルにも、砂漠レースの練習として出場するランナーや砂漠を走った選手もいます。そして、同じ言葉を口にします。

「こんなにキツいと思わなかった」

まるでなにかに騙されたかのようなコメントです。 仮入部のときは和気あいあいとした部活だったのに、いざ入部したら、怒声の飛び交うスパルタ式体育会系だった的な。

なんでこんなところに来ちゃったんだろう、トホホと心が折れかける方も。そんな気配を察するとスタッフが「もう少しだから」「もう1日だけがんばろう」となだめすかしてくれます。なかなかリタイアさせてもらえません。

このへんも部活的です。

乗り越えるべきハードルはいろいろあります(撮影・田上雅之さん)

乗り越えるべきハードルはいろいろあります(撮影・田上雅之さん)

なにがキツいのか。それは白山という大会名からも分かる通り、山麓がコースとなっています。最高点は御前峰の標高2,702m。毎日の累積標高は1,000〜3,000mほどで、レース全体では15,000mとなります。

アップダウンの激しいコースを10kg近い(選手によっては10kg超の)荷物を背負って走るため、普段よりも消耗度は大きくなります。さらには、季節はまだ晩夏。山とはいえ低山の気温は30℃超ということもたびたびあります。

白山ジオトレイルに初出場した2年前は、僕も砂漠のトレーニングになればという軽い気持ちでした。走り始めて初日に後悔しました。というのは、砂漠ではあり得ないくらいにアップダウンが厳しく、水中にいるかのごとく湿度が高いのです。

真夏日もあれば、横殴りの雨風が打ち付けてくる日もあり、空模様も一筋縄ではいきません。 ときには風速30m近い稜線を登り、豪雨で川になったトレイルに足を浸し、運動が原則中止という暑さにも関わらず走ります。

しかも、荷物が絶えず肩に食い込みます。また、クマやサルの大群、イノシシなど愉快な仲間たちとも出くわすことがあり、体力だけでなく、精神力も削られます。走るにはわりと過酷です。

コース以上にキツいのが、出場するための時間の確保。大会前日の受付を含めて少なくとも8日は休みがいります。獅子奮迅の仕事ぶり、愛する家族の理解、職場や家庭での巧みなネゴシエーションがなくては出場すらままなりません。

出場した方の話を聞いていると、家族の理解を得るというのが最も難しいハードルのようです。参加費をこっそり振り込んでいる方も。越えなくてはならない大きな山は、一番身近にあるのかもしれません。

長くなりそうなので、本日はこれにて終了です。

 

P.S. 九州で初のステージレースのエントリーが始まりました。1泊2日で夕食、朝食がつくので白山ジオトレイルよりも出やすいかもです。→ http://universal-field.com/event/saigotrail1877/

 


分水嶺はいずこに

分水嶺 1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目 のたとえ。(デジタル大辞泉参照)

分水嶺トレイルに行ってきました。チームで出場したものの、関門への到着予定の時刻を大幅に勘違いしていることにメンバー3人が気付かないゆるさで、制限時間内に通過できずに結果はリタイアでした。

スタート直後の長い行列

スタート直後の長い行列

東京、山梨、長野にまたがる「秩父多摩甲斐国立公園の百名山4つと源流4つを踏破する大縦走の旅」です。僕たちが出場したのは短い方の鴨沢コースで、距離84km、累積標高8,200m。誘ってくれた友人いわく、「選考基準が厳しいので出るだけでも大変」とのこと。長い方は120kmです。短い、長いという基準が最近はよく分からなくなりつつあります。

選考の結果発表が遅かったので、僕たちは当落線ギリギリのチームだった模様。そんなギリギリのメンバーはというと、不必要なまでに大きい12kgのザックを背負った京都の修行僧、大会に誘ってくれたブラジルから帰国したての晴れ女、直前までジェンガの携行に悩んでいた僕の3人です。

僕をのぞく2人は登山経験が豊富ですが、今回の山行では「走りたくない」と2人が主張したことで、制限時間53時間を目一杯つかって全行程を歩き倒すことに。どうせなら長く楽しんだ方がいいですもんね。

リタイアの流れは「3人が寝不足→初日の夜を迎える→眠い→現在地を間違える→眠い→あれ、現在地どこだっけ→地図で確認→気付いたときには関門に間に合わず」。とても静かなリタイアでした。

左端が晴れ女氏、3人目が修行僧氏。

左端が晴れ女氏、3人目が修行僧氏。

30kmほど歩いただけですので、道中は静かなものでしたが、実は大会前に大きな「分水嶺」がありました。

大会前日の夕方に出張先のブラジルから帰国した晴れ女氏。行く先々で曇天を晴れに変えてしまうという異能の持ち主です。

持っているのか、引きが強いのか、地球の真裏から日本に向かうフライトでも、その引きの強さを発揮しました。

消灯時間に入っていた機内に異変が起きます。晴れ女の座る座席から通路を挟んで隣に座っていた乗客が苦しそうにうずくまっていました。呼吸すら満足にできていない尋常ならざる様子に気づいた彼女はCAに知らせるために、暗い通路を急ぎました。

その間にも急病人の容態は悪化していき、呼吸困難に陥り、一刻を争う状態に。駆けつけたCAが状況を察して、冷静に呼び掛けます。

「どなたかお医者さんはいませんか」

映画かドラマのような緊迫した展開。通路を歩きながら医師を探すCA、目をさます乗客、意識を失う急病人。そして、立ち上がる乗客。医師が見つかった瞬間でした。

適切な治療ができたそうで急病人は回復。晴れ女氏の迅速な対応により、生死の狭間という大きな分かれ道で1人の乗客を光ある方角に導くことができました。

 

大会前にハイライトを迎えていたのですから、まあリタイアもやむなしです!


ハワイレース記4

ハワイシリーズも終盤戦。6日目から書き出してから、スタートから時系列に時間を追っています。そうこうしているうちに本日から台湾に出発して山で遊んでくることになりました。

4日目にしてようやくハワイに来たことを実感できる青空が広がった

4日目にしてようやくハワイに来たことを実感できる青空が広がった

窮屈な姿勢で車が動き始めるのを待つ。力強いエンジン音が響き、ゆっくりと車はキャンプ地から遠ざかっていく。溶岩に覆われた大地が車窓から後方に流れていく。4日目のロングステージは、スタート前のドライブから始まった。決してカーレースに変わったわけでも、リタイアしたわけでも、ましてや世界の車窓からという記事になったわけでもない。

ステージレースの一般的なスタイルは、キャンプ地がスタート地点となり、次のゴールを目指す。そしてゴール地点がキャンプ地となり一夜を過ごすというサイクルを繰り返していく。

この大会「Mauna to Mauna」もそのはずだったのだが、3年がかりで準備してきたというコースは大会直前になって大幅な変更を余儀なくされた。その煽りを受けてマウナロアとマウナケアという、ふたつの高峰を結ぶはずだったトレイルが使えなくなった。土地の通過を許可していた土地所有者が、大会直前になって心変わりしたのだという。

結果として、コースは分断されてしまい、3日目のコースはスタートとゴールが同じ周回コースになり、長いロードの区間が挟み込まれた。2日間にまたがるロングステージはマウナケアの一部を登って標高2,900mで折り返し、来た道を引き返してステート地点まで戻ることになった。加えて3日目まで異常気象に見舞われ、雨が断続的に降り続いた影響で、ロングステージ後のキャンプ地が水浸し。テントを張ることができないため、ゴール後は次のキャンプ地に移動すると事前に告げられた。

その土地所有者の話を聞いたわけでもないので、真相は分からない。ひとつだけ分かっているのは、ロングステージの前に、スタート地点までのショートドライブが追加されたということ。

大会直前のコース変更には正直なところ少しむっとした。ものの、何が起こるか分からないのがステージレースの醍醐味だと思うと、むしろ過酷だったり、イレギュラーな方が盛り上がるのだ。翌年からの第2回目以降のレースがどう運営されるにせよ、今回のような経験はできないだろう。そう考えると、なんだか気分が乗ってくるのが分かった。

スタート前もリラックス。中央は、唐揚げ定食を食べた直後でも走れる鉄の胃袋を持つ登さん。

スタート前もリラックス。中央は、唐揚げ定食を食べた直後でも走れる鉄の胃袋を持つ登さん

登山道の入口がスタート地点だった。車から降りてきた10人が体を動かして走り出す瞬間を待っていた。ランナーの数が少ないのは、下位のランナーが走り出してから2時間後に、上位の10名がスタートすることになっているからだ。

「5分前」

合図に従って、全員がスタートゲートの後方に集合したところでサプライズが待っていた。ここまで総合1位のビセンテが誕生日ということで、みんなで祝福。嬉しそうな笑みを見せるその目は潤んでいた。

レース前にも関わらず、アットホームなのもステージレースの良さだろう。同じ道をたどり、同じテントで眠り、誰もが空腹や疲労に悩まされる。レース中は競い合っていても、ひとりひとりが濃密な時間を共有する仲間である。

この日も、延々と続く砂利道の往復をともにするのだった。その道中では、地上を一望できるビューポイントも共有。折り返し地点付近で遭遇した虹は標高3,000mよりも遥かに高く、見たことがないほどの巨大さだった。

写真奥に折り返し付近で見えた虹が見える(佐藤佳幸さん撮影)

写真奥に折り返し付近で見えた虹が見える(佐藤佳幸さん撮影)

折り返し付近は標高が高くて前日同様、酸素が薄くて走るのが若干苦しい。無理して倒れない程度のペースで走る。トップを争う2人もキツい登りは歩いているとスタッフから聞き、少し安心した。超人的な2人もやはり人間なのだ。

折り返し地点からの下りは急傾斜でまばたきが極端に少なくなる。ここで4位から3位に浮上。長い長い下り坂の地面には無造作に転がる砂利と小さな岩。思考するよりも早く反射的に岩をかわす。

スピードを殺さないように駆け下りていく。踏んでもぐらつかない岩、その次の一歩を安全に落とせる場所を求めて、その瞬間ごとに最善のコース取りをする。目に飛び込んでくる膨大な情報量から判断をくだす。路面の凹凸から斜度、カーブ、目の前を遮る木の枝、もちろん別のランナーの姿も、すべてが判断材料だ。

夕暮れ時には、もやがかかり、水滴のついた草木が照らされ、輝いていた。もやで乱反射して一面が金色に染まったその瞬間は足を止めそうになるほど美しかった。

日没後は淡々と下っていく。痛めていた右足をかばっていたせいか、左足も疼くようになっていたが、まだ走りには支障がない。この日のうちにゴールできれば翌日は休養に当てることができる。痛みに関してはその時考えればいい。いまは少しでも早く、無事にゴールにたどり着こう。その一点に集中していたせいか、長いはずのロングステージは、あっけなく終わりを迎える。3位だった。僅差ながら総合成績も3位に浮上した。4位とのタイム差は17秒しかない。200kmを走って100mに満たない時間差。これもまたひとつの得難い経験である。


ハワイレース記3

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しびれる展開が待っていた。

泥だらけだったトレイルは3日目にして、ようやく溶岩大地へと変化を見せた。火山をめぐるレースがようやく、らしくなってきた。尖った岩の連続する荒れ地を進みながら標高を上げ、4,000m級の高峰マウナ・ロアの周囲を巡る。

ステージ2まではウォーミングアップのようなもので、走りながら気候やコースに体を慣らすランナーが多い。いきなりトップギアで走ってリタイヤしないための定石である。

重い荷物を担いで見知らぬコースを連日走り続けるのは心身への負担が大きいうえに、筋肉疲労や内臓のダメージを翌日に持ち越して再びスタートすることになる。初日で120%を出し切ってしまうと、その日はゴールに辿り着けても、6ステージのトータルでは完走すら危うくなるので、序盤の2日間でコンディションを見極める。そして3日目からステージレースは本格化する。自分の前後を走るランナーの顔ぶれが固まり、各々が自分の走っているポジションを意識し始める。

ガレた赤い岩に苦戦しつつも、僕は3番手を走っていた。トップグループの顔ぶれは前日と同じ。トップ2はグランドキャニオンを舞台に行われるステージレース「Grand to Grand」の歴代優勝者の2人だ。「Mauna to Mauna」と同じ主催者が開催していて、今回は2人とも招待選手として出場している。

2日続けてトップをひた走るのはスペインのビセンテ。かつて砂漠のステージレースで年間優勝したことのあるランナーだ。力強い走りで序盤からレースを引っ張っていく。僕も出場したことのある砂漠レースのチャンピオンなので、憧れるよと伝えたところ、はにかんでいた。パワフルな走りに似合わず、ちょっとシャイなのかもしれない。

その後ろには、スイスのフロリアンがつけている。ビセンテとは対照的にテクニカルな走りを見せ、荒れたトレイルを軽やかに駆け抜けていく。それだけでも十分なのだが、悔しいことにイケメンだと認めざるを得ない。こればかりはどう頑張っても勝ち目がない。

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せめてレースだけでも一矢報いたい。気持ちは先行する2人を捉えているものの、体がついていかない。標高はこの日の最高点である2,500m近くまで上昇していた。呼吸のリズムは変わっていないのに息苦しく、酸素がうまく取り込めない。20kmほどしか走っていないので、体力にはまだ余力がある。にも関わらず、呼吸が乱れるのは高山病の兆候なのかもしれない。

普段ならあまり影響のない標高だ。ステージ2までの疲労と背中の荷物の重さが影響しているのかもしれない。

気のせいだと思い込み、後を追う。呼吸は荒くなったまま。おさまる気配はなく、指先がしびれてきた。なにやら頭もぼんやりする。無理をすれば、追えるかもしれないと思うものの、このままペースを保つのは危険とも思える。思考がまとまらない。高山病で倒れては完走すら危うい。

意識がまだはっきりしているうちに、ペースを落とす。歩くような走りでなんとか2,500mの最高点を越えた。下り基調に転じて、舗装された道路をひた走る。標高が徐々に下がるにつれて症状はおさまってきた。トップの2人はヘビのように曲がりくねった道の遥か彼方にいた。

かなり距離を開けられていたが、姿が見えるだけでもましだ。前半で抑えていた分、ペースを上げて差を縮める。アスファルトに単調さを感じて、道路からそれて岩場を走る。こっちのほうが変化に富んでいて楽しい。何度も転びそうになるのも眠気覚ましにちょうどいい。足へのダメージは大きいものの、気分を上げる方が先決だ。

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最後の10kmはほとんどが平坦な砂利道。山と山を隔てる境界線のような谷間である。谷を抜ける風が前方から吹いてくる。ポツポツと水滴が顔をたたく。水滴の粒が大きくなり、全身が濡れる。逆風にさらされてペースが上がらず、雨脚が強まるに従って体温が奪われて体が冷えていく。

寒さで指先の感覚がなくなりつつあった。またしびれることになるとは夢にも思わなかった。足が止まると、低体温で一気にリタイヤもありえるかもしれない。上位争いを考えるよりも、まずは生き残ることに集中だ。つくづくしびれるレースである。


発見!ぐるっとキリマンジャロ

備忘録ついでに偶然見つけたイベント「KILIMANJARO STAGE RUN」(http://kilimanjarostagerun.com/)をご紹介です。

ホームページの地図を引用:   http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

ホームページの地図を引用: http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

キリマンジャロの外縁を8日間かけて走って1周するというイベント。ステージレース的な要素がたっぷりしそうなのですが、「アドベンチャーラン」をうたっていてホームページでもしっかりと「NOT A RACE」と明記されています。宿泊はコテージやキャンプなので安心して眠れそう。野生動物がいると思うと、走り疲れていても寝付きが悪いです。

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レースではない、純粋に走って旅をするというパッケージは国内ではまだまだ少ないように思いますが、海外のステージレースに出場していて聞いてみると、海の向こうでは盛んに行われているそうです。

毎日キリマンジャロを眺めながら走るというのはなかなか楽しそうが、最終的には登りたくなってイベント後に、山頂を目指すという流れになりそうです。あえて登らないのは戦略に違いありません。


ハワイレース記2

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

これだけは断言しよう、ハワイは常夏の島などではない。

小さなしずくが顔をたたいては流れ落ちていく。たれてきた水滴が目に入る。雨に汗がブレンドされていて、しみる。閉じた目の中でコンタクトレンズがズレてきた。

雨だれを吸い込んだTシャツはすでに飽和状態に達していて、袖と裾からダラダラと水がたれていた。エサを目の前にしてよだれをたらす犬のようだ。濡れた短パンが太ももに張りつく。あまり気持ちのいいものではないが、そのままにしている。満員電車でとなり合った人に触れないようにするものだ。離れようとしても密着してしまう。ムダな抵抗なのである。

夜に降りだした雨は強弱をつけながらも止む気配をみせず、大会2日目は雨中のスタートとなった。あちこちに水が浮き、前日にはなかった小さな水路があちこちにできていた。

晴天に恵まれた初日は大会直前のコース変更の影響で、アスファルトの上を延々と走ることになり、信号機の前では借りてきた猫のようにおとなしくたたずみ、お行儀よく横断歩道を渡るという、この種のレースでは得難い経験ができた。舗装路の照り返しでかなりの高温になるため、時折降るスコールはありがたかった。火照った体を冷やしてくれる恵みの雨に、もっと降れと願いはしたものの、さすがに降りすぎである。

レインウェアのフードをかぶったランナーたちがうつむき加減でスタートの瞬間を待っていた。厚い雲に覆われた空模様と同じように元気がない。みんなの気持ちはよく分かる。肌寒くて、早く走り出したいのだ。この日は誰もが勢いよく駆け出しいた。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

それにしてもよく降る。トレイルの窪地はすべて水たまりになり、膝上まで浸かってしまう。むかし走ったブラジルのジャングルマラソンを思い出して懐かしくなった。ズブズブと沈む沼地で泥水を跳ね上げながら進んだときのことだ。

細かいアップダウンのたびに現れるこの日の水たまりはジャングル的だが、いやちょっと待て、ここは南国リゾートだ。ハワイというのは、目の覚めるような青空、開放的なビーチでアロハシャツにビーチサンダル姿で、降り注ぐ太陽を浴びながらのんびり。そんな楽園ではないのか。

リゾート地としてのイメージが頭の片隅にあり、正直なところギャップに戸惑った。眠くてまぶたの重たそうな曇天に、じめじめと雨の降る山の中でレインウェアと濡れたシューズ姿で、降り注ぐ雨に打たれて震える。なんとも非ハワイ的である。

2日目にして、ハワイ的なイメージは清々しいほどに裏切られた。自然に身を投じることで現地を知る。それがステージレースの醍醐味のひとつであり、これがハワイなのかと新鮮な気持ちになるが、肌寒く、張り付くウェアが不快であることに変わりはない。毛根という毛根から爪の隙間まで雨がしみこんでいた。


ハワイレース記

ハイライトから書いてしまったものの、時空を巻き戻って大会紹介です。

溶岩でできた大地は転ぶと流血必至。

溶岩でできた大地は転ぶと流血必至。

初開催となったMauna to Mauna(M2M)は7日間で6ステージが繰り広げられるステージレース。大会中に必要とされる食料、寝袋などの物資はすべて背負って運ばなくてはならない。水と宿泊するテントは大会側が用意してくれる。僕の装備は、水をのぞいた乾燥重量で7kgと、わりと軽めだった。10kgを超えるランナーもちらほらいるが、重さはスピード、疲労と密接に関わるので、できるだけ軽量化を図っておきたいところである。

コースはというと、大会名となっているふたつのMauna=山が舞台になる。マウナケアとマウナロアである。火山活動によって誕生したハワイ島は溶岩でできたゴツゴツとした大地があちこちで見られる。一歩踏み間違えて転倒すると流血は避けられない。テクニカルな路面なのだ。

装備チェックの行われた大会前々日に、想定外のアナウンスが告げられ、コースレイアウトが当初予定から大きく変わった。レース4日目には、もっとも高い地点で標高3,000m近くまで上昇して、コース終盤まで2,000m台で推移していく。元々は1,000m台だったことを考えると大幅な変更である。そして全体的にアスファルトの上を走る区間が増えるらしい。

コース変更にいたったのは、土地所有者からの合意が得られなかったからだという。3年前から用意していたコースが直前になって覆るというのは主催者としては残念に違いないが、出場する側としても戸惑うばかりである。初開催ということで不備が出るのは仕方ないと思っていたものの、予想を上回る展開である。

ドタバタぶりに拍車をかけたのが天候である。常夏の島をイメージしていたにも関わらず、連日の雨という想定外ぶり。特に大会前半は一時的なスコールではなく、朝から晩まで降りつづけるという異常気象に見舞われることになる。地元から出場している選手ですら、天気の予測が困難で、首をかしげるほどだった。

どうでもいいことではあるが、ハワイ到着時にスマホとポケットWi-Fiを入れたシャツを飛行機に置き忘れてしまったことも、僕にとっては誤算であった。


17秒の思い出3

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火山活動がいまも続くハワイ島は地表にその特徴を示している。ゴツゴツとした溶岩大地は荒々しく、走ることを拒もうとしているかのようだ。牧場内はさらに、膝下まで草が茂り、岩の凹凸をカモフラージュしている。足を置くまでどんな接地になるのかが分からないのである。瞬間的に地面の状態を判断して転ばないようにバランスを取るのだが、スピードを維持しようとする上位ランナーほど転倒のリスクが高くなる。

もっとも僕はスピードもペースも関係なかった。再び追いついたルイージの前に出て抜かれない、それだけを考えて走っていたからだ。彼が前に行こうとすれば僕はさらに先に出る。そこからリードを広げる余力はなく、転びそうなフットワークでフラフラと走り、一定の間隔を維持するので精一杯。もう抜けない、突き放せないと思わせるまで、同じことを繰り返すしかない。

2人でいつ終わるとも分からない我慢比べを続けるうちに、不思議な感覚が芽生えてきた。順位を争うライバルではあるが、230kmもほとんど同じタイムで走り、同じ過酷さを味わってきたのだ。目印となるコーステープを見失い、協力して探したことも1度や2度ではない。自分ひとりでこんなに強い意志を持って走って来られただろうか。彼の存在なしには、こうして辿り着くことはできなかったかもしれない。苦しい展開なのに決着がついてしまうことが少し惜しかった。

だからといってレースを終わらせないわけにはいけない。最後まで全力を尽くして自分たちの最後を見届けるのだ。40kmをすぎ、ゴルフコースへ。カートの走るアスファルトがコースだ。

ルイージが上り坂でラストスパートを仕掛けてきた。彼もまた、17秒差を守ろうとする僕と同様に、逆転するためにすべてを注いできたのだ。大きなストライドでリードを奪っていく。

これが最後の攻防になる。確信があった。慌てることなく、上りで出遅れた分をダウンヒルで取り戻す。下るのではなく、落ちていくイメージ。重力に任せてスピードに乗り、横に並ぶ。

疲労と痛みを無視して歩幅を広げ、小さなアップダウンを乗り越えていく。筋肉の強ばる終盤は意識していないと動きが小さくなりがちだ。一歩だけでは、わずかな違いだが、積み重ねていけば勝負を分ける違いとなる。巻き返してリードを奪い、ゴルフコースから公道に出るところで、痛恨のコースロスト。下り坂の途中で曲がるはずが、そのまま駆け下りてしまった。

再び先行を許し、ゴールまでは2kmを切ったが、不思議と焦りはない。ゴールゲートをくぐるまでに追いつけばいいのだ。少しずつ背中に近づく。そして、並走できるまでに巻き返したところで、ルイージが観念したように終戦を告げた。「ここからは一緒に行かないか」

もちろん、そのつもりだった。

17秒差をめぐって戦い抜いてきたからこそ、相手に対する敬意が止まらなかった。自分が苦しんできたことを相手も耐え続けてきたのだ。それに、彼がいなければ、自分ひとりではここまで追い込めなかった。影よりも近い距離を走り、僕の力を引き出してくれた。

走ることは本質的に孤独だと思っていた。進むにしても、止まるにしても最後の最後に頼ることができるのは自分だけだ。独りであるとしても、同じ目的に向かって走り続ける限り、分かち合うこと、認め合うことはできる。すべてのランナーは競い合う相手であり、仲間でもある。誰かに合わせるのではなく、全力を出し切って初めて互いの距離が縮まるのだ。相手から遠ざかろうとして走ることで、近づくことができる。走る、ただそれだけのシンプルな行為が人と人をつなぐ。そんなことに気付かされたデッドヒートだった。

結局、この日は2人で同時にゴール。時間差は17秒のまま変わらず、決着は最終日に持ち越し、ほかの選手やスタッフに「最終日の8kmもやり合うんだろ」とゴシップにも似た話題を提供することになった。17秒は何かをやるには短すぎるが、17秒は2日間にわたり、大きなトピックとして娯楽のひとつになっていた。


17秒の思い出2

ハワイでのレース終了から3日目で、ようやく足首の腫れが引いてきました。大事をとって足を休めているのですが、早く走りたいなあ。続ハワイの話です。

固く尖った溶岩を踏んで走るので、みんな足はボロボロ

固く尖った溶岩を踏んで走るので、みんな足はボロボロ

足を草むらに叩き付ける。そして繰り返す。ドラムを打つように、慎重に、精確に一歩ずつ時間を刻む。ほとんど音のないドラムンベースに、背の高い草を切り裂く音が時折ノイズのように耳に入ってくる。

わずかな時間差をめぐって、スタートからずっとイタリアの大男と競り合っている。ロングステージ後につかの間の休息を味わい、6日目のコースは47kmだ。スタートから20kmにわたり草地のダウンヒルが続く。

地形によってリズムは気まぐれに変わっていく。傾斜が緩やかになれば必然的にテンポも遅くなる。目の前の地面が一瞬消えた。急傾斜に切り替わり、ビートが早まる。そして、背後でも同じようにリズムが刻まれていた。変化に欠けるコースレイアウトは、長い距離を双子のように同じタイムで走ってきた僕たちのペースを狂わせる決定打にはならなかった。

その間も足には着々とダメージが蓄積されていく。宙を浮いた体を一本の足で支え、また蹴り出す。その着地の瞬間に、地面と接した足は大きな衝撃を絶えず受けている。このレースでは荷物の重さが加算されるので、もちろん普段よりも大きなダメージを被ることになる。

ロングステージでのダメージもあり、ルイージについていくのが苦しくなる。両足首とふくらはぎが痛み、距離とともに痛みが増していく。足首の動きは柔らかさがなくなり、地面からのインパクトを吸収しきれていない。可動域が狭まり、きしむ音が聞こえてきそうだ。ふくらはぎもれんが造りの壁がボロボロと崩落するかのように力強さを失っていく。

にも関わらず、時計に目を落とすと、まだ2時間もたっていない。先の見えない作業を延々と繰り返しているうちに、時間の進み具合が特別遅くなったと勘ぐりたくなるほどだった。

足首でも膝やスネでも構わない。早く壊れてしまえばいいのに。そうすれば楽にペースを落とすことができる。あわよくばリタイアも。ひどい誘惑が脳裏をかすめる。しかし、自分の意志で止まりたくはない。そこに理由があれば、話は別だ。言い訳を探しながら、その都度、ろくでもない誘惑を後方に置き去りにして一歩先に進み続ける。

同じ脚の痛みであれば、長い距離を走っているうちにコントロールできるようになる。コントロールというと語弊があるのかもしれない。ドーパミンやアドレナリンが脳内に放出され、脱水症状で頭がゆだってくると、気にならなくなるだけで、痛みの原因となる筋肉の損傷は悪化していく。一時的に痛みが麻痺していても、どこかで揺り戻しがくる。

それが標高差1700mのダウンヒル終盤だった。痛みと筋肉の強ばりでスピードを保ちきれなくなり、ルイージから50mほど遅れてしまう。追いすがろうとするもじわじわと差が開いていく。頭ではペースを上げたいのに体がついてこない。疲労とダメージが体の反応を重く鈍くする。肉体的な変調は心までも弱気に変えてくる。

ダメかもしれない。前年にアフリカで感じていた諦めが頭をよぎる。そして、悔しさも。転がり落ちそうな走る意志を支えてくれたのが、苦い思い出だった。また同じことを繰り返すのか。限界を超えられないまま、終わってしまうのか。

違う、情けない気持ちを再び抱くために、ハワイに来たわけじゃない。結果を変えるために来たんだ。そのためなら、後のことは考えなくてもいい。足が折れるまで、筋肉が断裂するまで走ればいい。なにかが変わった。

痛みが和らいだわけでも、体力が回復したわけでもない。なのに差が縮まっていく。強烈な意志が肉体を突き動かす。変わったのは自分なのかもしれない。ダウンヒルからフラットな市街地を通り、牧場に続くゲートを駆け抜けた。