砂漠でこんにちは、超持久系なアレ

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今回の写真シリーズはナミブ砂漠。今年4月のレース開催地からです。恒例のクラウドファンディングです→  https://camp-fire.jp/projects/view/54267

くたくたになった植物は枯れたようにみえますが、生きているとこのこと。ウェルウィッチアと呼ばれる植物で、この一帯にしか分布していない固有種です。

和名は「奇想天外」、その名のとおり、奇想天外なところに生えています。レース中になにもない砂漠にひょこっと現れます。どんな植物かを知らないと、なんだかよく分からない枯れた草のかたまりにしか見えません。事前に知っていたので、見かけるたびにテンションが上がりましたが、素通りしていく人もちらほら。

まあ、この見かけなので、足を止めたくなる人はいないでしょう。。。

見てくれはともかく、厳しい乾燥と40℃近い寒暖差、照りつける強い日差しというタフな環境に適応したスーパーな植物です。さらには、とても長寿で、数百年生きているというのはざらで、個体によっては2,000年以上も生き続けるとか。

耐久力が求められる超長距離レースを走ろうとする者としては、尊敬してやまない植物なのです。厳しい環境であっても淡々と生き続ける。見習いたいものです。

息が長くて、奇想天外といえば、年末から続くクラウドファンディング→ https://camp-fire.jp/projects/view/54267

8日間を残し、これまでに130名を超える方々からご支援をいただきました。いよいよ終盤戦です!


ベアフットの申し子たち

本日もステージレースのこぼれ話です。こちらも恒例→ (https://camp-fire.jp/projects/view/54267)。クラウドファンディングは残り2週間を切って目標額の半分まで到達。長丁場が続いています。

長いといえば、ステージレースで1週間にわたり、砂漠やジャングルを走っていると、ジャッカルや巨大イノシシ、タランチュラ、小指より長いトゲの生えた木などなど、いろんな動植物に遭遇します。

毎回驚いたり、感動したりと心を動かされるのですが、一番驚かされるのは人間です。

足元にご注目ください

足元にご注目ください

とりわけ驚かされたのは、初めて出場したステージレース「ジャングルマラソン」で出会ったスタッフ。アマゾンのジャングルにも関わらず、なんと裸足!

おびただしい数の虫がいるのに防御力ゼロ。

毒を持ってるとかいう危険なのもいるのに。

けっこうな数の枝やトゲが落ちているのに。

ベアフットすぎるスタッフは涼しい顔です。

屈強なスタッフの中には、そんな人もいるだろうと思っていたら、

日本からチームで参加したまさお君。ジャングルで人気だった。

日本からチームで参加したまさお君。ジャングルで人気だった。

 

なんと、現地の子どもたちも。。。

応援しながらついてきてくれます。跳ねるように走り、表情はニコニコしたまま。慣れもあるのでしょうが、シューズを履いてなくとも、痛そうなそぶりもみせません。まさに、ベアフットの申し子たちです。

誰かの常識が自分にとっては特殊なことであったり、自分にとっては当たり前のことが他人にとってはそうでもなかったり。ああ、世界は広いんだなあと改めて感じた瞬間でした。こうして世界の広さを実感できるのも、ステージレースの魅力なのです。


言葉にならない@ハワイ

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というわけで、シリーズ写真で振り返るステージレース。「グレートレース」で紹介されたハワイ島の大会「Mauna to Mauna」です。

初日は海辺をスタートなので標高が低いのですが、2日目以降は標高があがったまま。

ひんやりしていて過ごしやすく、走るには快適な環境。のはずが、異常気象で大会前半は連日の雨。そのため、キャンプ地での日常は写真のとおり。

さ、寒いっす。

その影響を受けたのは、荷物を軽量化しようと着替えを置いてきた選手。雨でウェアが乾かないため、翌日も冷たく湿ったTシャツを着なくてはなりません。。。

僕もそのひとりでして。防寒具としてダウンジャケットはもってきているので、素肌にダウンで寒さはしのげました。問題は朝なのです。

濡れたTシャツに袖を通すと、

ひ、ひ、ひー冷やっこい。

冷たさに口を大きく開いたまま、言葉にならない声がため息とともに漏れます。「ゔゔ」

となりからも「Ohhhhh……」と、言葉にならない声。生まれた国は違えど、リアクションは似たようなものです。

お互いの声に気付き、顔を見合わせてニヤリ。なんだか通じ合えたと感じる瞬間です。レースという特殊な環境では、たわいのないことでも体験を共有すると、国も、性別も、年齢も、仕事も関係なく案外わかりあえてしまいます。

言葉にならない、言葉のいらないコミュニケーション。冷たいTシャツの温かな思い出なのでした。

 

 

こっそり、クラウドファンディングやってます→ https://camp-fire.jp/projects/view/54267

 


標高3,000mの海底を走る

シリーズ砂漠小話です

シリーズ砂漠小話です

クラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/54267)が中だるみしてきたので、記事でアピールっす!そんなわけで、写真で砂漠レースを振り返ることに。

とはいえ、何から書すべきか、、、と悩むことしばし。

サハラ砂漠に雪が降ったというニュース(https://www.cnn.co.jp/fringe/35112924.html)を見ていて、南米の砂漠を思い出しました。それだ!本日のネタはそれしかない。

サハラの雪は淡くすぐに溶けたそうですが、南米の砂漠は年中ずっと白いのです。

白い砂漠。なんでだろうと、首をかしげてお楽しみいただくと、水平になります

白い砂漠。なんでだろうと、首をかしげてお楽しみいただくと、水平になります

 

そんな摩訶不思議な地域は、チリ北部にあるアタカマ砂漠。100年以上も雨が降らない地域もあるそうです。

 

ここに来れば誰でも晴れ男。というか、ひょっとすると生涯晴れ男になる可能性も。

 

気温は40℃前後まで上昇することもあります。それでも、まったく溶けません。

ここは白さがまばら。そのせいか、あまり首を傾けなくとも水平になります。

ここは白さがまばら。そのせいか、あまり首を傾けなくとも水平になります。

なぜ溶けないのか。その秘密は雨が降らないことにあります。

 

実はこれ、雪や粉砂糖のように大地をコーティングしていますが、塩なのです。

大昔に海底だった場所がぐいぐい伸びて、なんと平均標高2,000mの砂漠ができあがりました。こんもり盛り上がっていくときに、大地に残っていた海水は蒸発して、塩の大地に。

見渡すかぎりの白。そんな絶景も砂漠レース「アタカマクロッシング」には含まれています。スタート地点は標高3,000m以上とお高いです。砂漠でありながら、高地で海の底を走るレースでもあるわけです。天然塩は食べても満足。レース中に塩分が足りなくなることはありません。くれぐれも、のどの渇きにはご注意を!

 

 

文末でもアピールです→ https://camp-fire.jp/projects/view/54267


西郷隆盛、最期のトレイルを行く3

先日、祖母が亡くなった。

95歳という年齢を考えると、仕方ないのかもしれない。そんなわけはなく、どうしようもなく悲しかった。

1カ月前に祖母の状態があまりよくないことは告げられていた。

「SAIGO Trail」を走りながら、ふとした瞬間に祖母のことが頭に浮かんできた。いつかは必ず迎える最期のとき。祖母が刻んできた物語の終わりは、納得のいくものなのだろうか。

そんなことを考えてしまったのは、西郷隆盛の敗走路という哀愁に満ちたコースであることも無関係ではない。

稀代の豪傑とはいえ、逃げ延びていく西郷とて自分の結末がどうなるのかは分かっていただろう。それでもなお歩みを止めずに進み続けた。死地を自分の意志で決めようという信念に支えられての旅路である。

望むと望まざるとに関わらず、人生のゴール、あるいは終着点にむけて進んでいく。すべてのトレイルレースと同じで、進んでいる間は長く感じ、ゴールが近づくと短く名残惜しく感じられる。僕たちにできるのは、ゴールが訪れるまで全力で走ることくらいだ。だから今日も精一杯生きる。


西郷隆盛、最期のトレイルを行く1

ゲストランナーとして出場してきた「SAIGŌ Trail 1877」についてでごわす。もろもろたまっているわけでごわすが、フレッシュなものから書いてしまわねばなのでごわす。□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

空を仰ぎ見るようにして峠の終わりを探す。そばにいた一人が進んではアゴを上げ、まだ道半ばということを確認して視線と肩を落とす。

トレイルランニングレースのさなかである。周囲を走るランナーの誰もが先を急いでいる。ところが、急傾斜の長い登りがそれを許してはくれない。

落ち葉の上に、慎重に置いた足がずるずると滑り落ちてくる。腐葉土がボロボロと崩れ落ちていた。人の往来が絶えて久しいことを物語っていた。

落ちてきた足を再び踏み出す。先ほどとは違う場所に足を運ぶ。そっと、そしてぐっと体重をかけて。崩れないことを確認して、両手で木の幹や岩をつかんで全身を持ち上げ、ようやく一歩前進する。

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難所を越えようともがいていると、一人またひとりとランナーが増え、いつの間にか集団が形成されていた。同じようなペースで進み、同じように足を止め、ダラダラと流れ落ちてくる汗を拭う。肩に食い込むザックが痛いのか、肩のストラップの位置をずらして調整するランナーもいた。息を整えながら、4人がまた先を見据えた。

「まだ続くのか」「エグい」「キツいなあ」

それぞれの吐く息とともに弱音が漏れた。たどっているのは、140年前に西郷隆盛が追っ手をかわすために選んだ道。鹿児島への敗走を可能にした、厳しいトレイルだった。

 「SAIGO」が意味するもの

西郷にゆかりのある大会は「SAIGŌ Trail 1877」。西郷の名前をそのまま名称としている。いったい西郷は何に敗れ、逃げ延びねばならなかったのか。日本における最後の内戦「西南戦争」にさかのぼる。1877年に起きた士族の武力反乱である。明治という新時代に不満を抱く士族とともに、西郷が盟主となって蜂起した。

人員、物量で圧倒する明治政府を相手に、西郷の率いる軍勢は戦いが長引くにつれて追いつめられていく。延岡では、10倍以上の官軍に包囲されて窮するものの、西郷らは精鋭のみを集め、包囲網を突破して山に逃げのびた。そして故郷である鹿児島を目指し、あすの見えない山行を続けていく。

前半はみんな元気。

前半はみんな元気。

険しい山々と道なき道は少数精鋭の西郷たちに味方し、数で勝る官軍の襲撃をかわしながらの逃走を可能にした。西郷のたどった敗走路の一部が、この大会のコースである。初回の区間は延岡市から高千穂町までだ。

2日間にまたがるSAIGŌ Trailは、九州で初めてのステージレースでもある。両日の合計タイムで順位を競い、初日は距離38km、累積標高が2,900m、2日目は24kmと2,000m。初日のコースを歩いてたどろうとすると、日の出とともにスタートしても、深夜にようやくゴールできるかどうかといったところか。なかなかにハードな道のりだ。

敵に追われ、休むこともままならない西郷が立ち寄り、宿をとった民家がスタート地点。現在、その民家は西郷隆盛宿陣跡資料館として整備されている。

ザックの重さがあるので、登りは走れそうでなかなか走れない。

ザックの重さがあるので、登りは走れそうでなかなか走れない。

走り始めてすぐに細いトレイルへ。前半は登り基調が続く。選手が黙々と登っていく。可愛岳に向かう登山ルートから右にそれて、大きな石の転がる下りに突入。紅葉も終わろうかという季節とあって、朝は冷える。身体が温まるまでは着込んでいるランナーが多い。中には西郷隆盛にならって着流し姿で参加した選手も。上野の銅像と同じような格好だ。着物が足元まで伸びていて動きにくい上に、足袋なので滑りやすそうだった。

着流しスタイルは裾が邪魔で足を開きにくい。倒木や大きな岩などの障害物がツラそう。

着流しスタイルは裾が邪魔で足を開きにくい。倒木や大きな岩などの障害物がツラそう。

中盤で舗装路をはさみ、再びトレイル。鹿川峠につながる急登だ。峠を越えて下れば、残りはキレイなアスファルトだけなのだが、険しい登りを前にして上位の選手にも疲労の色が見える。「ザックが重くなってきました」と口にする選手もいた。

大会では2日間の行動食や寝袋、防寒具などの携行が決められているため、5〜10kgほどのザックを担いで走る。背負うだけなら大した重さではないが、動きの重心や負荷のかかる筋肉が変わり、普段トレイルを走るよりも消耗度合いが激しいのだ。

ザックの重さはスタートからほとんど変わっていない。重量が気になるのは、それだけ消耗してしまっているからだ。重くなっているのは足取りなのである。

徐々に口数が減っていく。

徐々に口数が減っていく。

ピークを踏みたい。まだ見ぬ景色のために。あるいはゴールへ。目標のために人は頑張れる。追いつめられていく西郷が、それでも敗走を続けられたのはなぜか。故郷に帰ろう。そんな純粋な一念が西郷を支えていたのだろうか。真実は誰にも分からない。山だけが知っている。

膝や腰に手を当て、あえぐように呼吸を繰り返すランナーたち。後ろを振り返ることなく、静かに登り続ける。真っ直ぐに前だけを見て。

足元は落ち葉でふかふか。

足元は落ち葉でふかふか。


分水嶺はいずこに

分水嶺 1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目 のたとえ。(デジタル大辞泉参照)

分水嶺トレイルに行ってきました。チームで出場したものの、関門への到着予定の時刻を大幅に勘違いしていることにメンバー3人が気付かないゆるさで、制限時間内に通過できずに結果はリタイアでした。

スタート直後の長い行列

スタート直後の長い行列

東京、山梨、長野にまたがる「秩父多摩甲斐国立公園の百名山4つと源流4つを踏破する大縦走の旅」です。僕たちが出場したのは短い方の鴨沢コースで、距離84km、累積標高8,200m。誘ってくれた友人いわく、「選考基準が厳しいので出るだけでも大変」とのこと。長い方は120kmです。短い、長いという基準が最近はよく分からなくなりつつあります。

選考の結果発表が遅かったので、僕たちは当落線ギリギリのチームだった模様。そんなギリギリのメンバーはというと、不必要なまでに大きい12kgのザックを背負った京都の修行僧、大会に誘ってくれたブラジルから帰国したての晴れ女、直前までジェンガの携行に悩んでいた僕の3人です。

僕をのぞく2人は登山経験が豊富ですが、今回の山行では「走りたくない」と2人が主張したことで、制限時間53時間を目一杯つかって全行程を歩き倒すことに。どうせなら長く楽しんだ方がいいですもんね。

リタイアの流れは「3人が寝不足→初日の夜を迎える→眠い→現在地を間違える→眠い→あれ、現在地どこだっけ→地図で確認→気付いたときには関門に間に合わず」。とても静かなリタイアでした。

左端が晴れ女氏、3人目が修行僧氏。

左端が晴れ女氏、3人目が修行僧氏。

30kmほど歩いただけですので、道中は静かなものでしたが、実は大会前に大きな「分水嶺」がありました。

大会前日の夕方に出張先のブラジルから帰国した晴れ女氏。行く先々で曇天を晴れに変えてしまうという異能の持ち主です。

持っているのか、引きが強いのか、地球の真裏から日本に向かうフライトでも、その引きの強さを発揮しました。

消灯時間に入っていた機内に異変が起きます。晴れ女の座る座席から通路を挟んで隣に座っていた乗客が苦しそうにうずくまっていました。呼吸すら満足にできていない尋常ならざる様子に気づいた彼女はCAに知らせるために、暗い通路を急ぎました。

その間にも急病人の容態は悪化していき、呼吸困難に陥り、一刻を争う状態に。駆けつけたCAが状況を察して、冷静に呼び掛けます。

「どなたかお医者さんはいませんか」

映画かドラマのような緊迫した展開。通路を歩きながら医師を探すCA、目をさます乗客、意識を失う急病人。そして、立ち上がる乗客。医師が見つかった瞬間でした。

適切な治療ができたそうで急病人は回復。晴れ女氏の迅速な対応により、生死の狭間という大きな分かれ道で1人の乗客を光ある方角に導くことができました。

 

大会前にハイライトを迎えていたのですから、まあリタイアもやむなしです!


ハワイレース記4

ハワイシリーズも終盤戦。6日目から書き出してから、スタートから時系列に時間を追っています。そうこうしているうちに本日から台湾に出発して山で遊んでくることになりました。

4日目にしてようやくハワイに来たことを実感できる青空が広がった

4日目にしてようやくハワイに来たことを実感できる青空が広がった

窮屈な姿勢で車が動き始めるのを待つ。力強いエンジン音が響き、ゆっくりと車はキャンプ地から遠ざかっていく。溶岩に覆われた大地が車窓から後方に流れていく。4日目のロングステージは、スタート前のドライブから始まった。決してカーレースに変わったわけでも、リタイアしたわけでも、ましてや世界の車窓からという記事になったわけでもない。

ステージレースの一般的なスタイルは、キャンプ地がスタート地点となり、次のゴールを目指す。そしてゴール地点がキャンプ地となり一夜を過ごすというサイクルを繰り返していく。

この大会「Mauna to Mauna」もそのはずだったのだが、3年がかりで準備してきたというコースは大会直前になって大幅な変更を余儀なくされた。その煽りを受けてマウナロアとマウナケアという、ふたつの高峰を結ぶはずだったトレイルが使えなくなった。土地の通過を許可していた土地所有者が、大会直前になって心変わりしたのだという。

結果として、コースは分断されてしまい、3日目のコースはスタートとゴールが同じ周回コースになり、長いロードの区間が挟み込まれた。2日間にまたがるロングステージはマウナケアの一部を登って標高2,900mで折り返し、来た道を引き返してステート地点まで戻ることになった。加えて3日目まで異常気象に見舞われ、雨が断続的に降り続いた影響で、ロングステージ後のキャンプ地が水浸し。テントを張ることができないため、ゴール後は次のキャンプ地に移動すると事前に告げられた。

その土地所有者の話を聞いたわけでもないので、真相は分からない。ひとつだけ分かっているのは、ロングステージの前に、スタート地点までのショートドライブが追加されたということ。

大会直前のコース変更には正直なところ少しむっとした。ものの、何が起こるか分からないのがステージレースの醍醐味だと思うと、むしろ過酷だったり、イレギュラーな方が盛り上がるのだ。翌年からの第2回目以降のレースがどう運営されるにせよ、今回のような経験はできないだろう。そう考えると、なんだか気分が乗ってくるのが分かった。

スタート前もリラックス。中央は、唐揚げ定食を食べた直後でも走れる鉄の胃袋を持つ登さん。

スタート前もリラックス。中央は、唐揚げ定食を食べた直後でも走れる鉄の胃袋を持つ登さん

登山道の入口がスタート地点だった。車から降りてきた10人が体を動かして走り出す瞬間を待っていた。ランナーの数が少ないのは、下位のランナーが走り出してから2時間後に、上位の10名がスタートすることになっているからだ。

「5分前」

合図に従って、全員がスタートゲートの後方に集合したところでサプライズが待っていた。ここまで総合1位のビセンテが誕生日ということで、みんなで祝福。嬉しそうな笑みを見せるその目は潤んでいた。

レース前にも関わらず、アットホームなのもステージレースの良さだろう。同じ道をたどり、同じテントで眠り、誰もが空腹や疲労に悩まされる。レース中は競い合っていても、ひとりひとりが濃密な時間を共有する仲間である。

この日も、延々と続く砂利道の往復をともにするのだった。その道中では、地上を一望できるビューポイントも共有。折り返し地点付近で遭遇した虹は標高3,000mよりも遥かに高く、見たことがないほどの巨大さだった。

写真奥に折り返し付近で見えた虹が見える(佐藤佳幸さん撮影)

写真奥に折り返し付近で見えた虹が見える(佐藤佳幸さん撮影)

折り返し付近は標高が高くて前日同様、酸素が薄くて走るのが若干苦しい。無理して倒れない程度のペースで走る。トップを争う2人もキツい登りは歩いているとスタッフから聞き、少し安心した。超人的な2人もやはり人間なのだ。

折り返し地点からの下りは急傾斜でまばたきが極端に少なくなる。ここで4位から3位に浮上。長い長い下り坂の地面には無造作に転がる砂利と小さな岩。思考するよりも早く反射的に岩をかわす。

スピードを殺さないように駆け下りていく。踏んでもぐらつかない岩、その次の一歩を安全に落とせる場所を求めて、その瞬間ごとに最善のコース取りをする。目に飛び込んでくる膨大な情報量から判断をくだす。路面の凹凸から斜度、カーブ、目の前を遮る木の枝、もちろん別のランナーの姿も、すべてが判断材料だ。

夕暮れ時には、もやがかかり、水滴のついた草木が照らされ、輝いていた。もやで乱反射して一面が金色に染まったその瞬間は足を止めそうになるほど美しかった。

日没後は淡々と下っていく。痛めていた右足をかばっていたせいか、左足も疼くようになっていたが、まだ走りには支障がない。この日のうちにゴールできれば翌日は休養に当てることができる。痛みに関してはその時考えればいい。いまは少しでも早く、無事にゴールにたどり着こう。その一点に集中していたせいか、長いはずのロングステージは、あっけなく終わりを迎える。3位だった。僅差ながら総合成績も3位に浮上した。4位とのタイム差は17秒しかない。200kmを走って100mに満たない時間差。これもまたひとつの得難い経験である。


発見!ぐるっとキリマンジャロ

備忘録ついでに偶然見つけたイベント「KILIMANJARO STAGE RUN」(http://kilimanjarostagerun.com/)をご紹介です。

ホームページの地図を引用:   http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

ホームページの地図を引用: http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

キリマンジャロの外縁を8日間かけて走って1周するというイベント。ステージレース的な要素がたっぷりしそうなのですが、「アドベンチャーラン」をうたっていてホームページでもしっかりと「NOT A RACE」と明記されています。宿泊はコテージやキャンプなので安心して眠れそう。野生動物がいると思うと、走り疲れていても寝付きが悪いです。

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レースではない、純粋に走って旅をするというパッケージは国内ではまだまだ少ないように思いますが、海外のステージレースに出場していて聞いてみると、海の向こうでは盛んに行われているそうです。

毎日キリマンジャロを眺めながら走るというのはなかなか楽しそうが、最終的には登りたくなってイベント後に、山頂を目指すという流れになりそうです。あえて登らないのは戦略に違いありません。


ハワイレース記2

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

これだけは断言しよう、ハワイは常夏の島などではない。

小さなしずくが顔をたたいては流れ落ちていく。たれてきた水滴が目に入る。雨に汗がブレンドされていて、しみる。閉じた目の中でコンタクトレンズがズレてきた。

雨だれを吸い込んだTシャツはすでに飽和状態に達していて、袖と裾からダラダラと水がたれていた。エサを目の前にしてよだれをたらす犬のようだ。濡れた短パンが太ももに張りつく。あまり気持ちのいいものではないが、そのままにしている。満員電車でとなり合った人に触れないようにするものだ。離れようとしても密着してしまう。ムダな抵抗なのである。

夜に降りだした雨は強弱をつけながらも止む気配をみせず、大会2日目は雨中のスタートとなった。あちこちに水が浮き、前日にはなかった小さな水路があちこちにできていた。

晴天に恵まれた初日は大会直前のコース変更の影響で、アスファルトの上を延々と走ることになり、信号機の前では借りてきた猫のようにおとなしくたたずみ、お行儀よく横断歩道を渡るという、この種のレースでは得難い経験ができた。舗装路の照り返しでかなりの高温になるため、時折降るスコールはありがたかった。火照った体を冷やしてくれる恵みの雨に、もっと降れと願いはしたものの、さすがに降りすぎである。

レインウェアのフードをかぶったランナーたちがうつむき加減でスタートの瞬間を待っていた。厚い雲に覆われた空模様と同じように元気がない。みんなの気持ちはよく分かる。肌寒くて、早く走り出したいのだ。この日は誰もが勢いよく駆け出しいた。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

それにしてもよく降る。トレイルの窪地はすべて水たまりになり、膝上まで浸かってしまう。むかし走ったブラジルのジャングルマラソンを思い出して懐かしくなった。ズブズブと沈む沼地で泥水を跳ね上げながら進んだときのことだ。

細かいアップダウンのたびに現れるこの日の水たまりはジャングル的だが、いやちょっと待て、ここは南国リゾートだ。ハワイというのは、目の覚めるような青空、開放的なビーチでアロハシャツにビーチサンダル姿で、降り注ぐ太陽を浴びながらのんびり。そんな楽園ではないのか。

リゾート地としてのイメージが頭の片隅にあり、正直なところギャップに戸惑った。眠くてまぶたの重たそうな曇天に、じめじめと雨の降る山の中でレインウェアと濡れたシューズ姿で、降り注ぐ雨に打たれて震える。なんとも非ハワイ的である。

2日目にして、ハワイ的なイメージは清々しいほどに裏切られた。自然に身を投じることで現地を知る。それがステージレースの醍醐味のひとつであり、これがハワイなのかと新鮮な気持ちになるが、肌寒く、張り付くウェアが不快であることに変わりはない。毛根という毛根から爪の隙間まで雨がしみこんでいた。