西郷隆盛、最期のトレイルを行く1

ゲストランナーとして出場してきた「SAIGŌ Trail 1877」についてでごわす。もろもろたまっているわけでごわすが、フレッシュなものから書いてしまわねばなのでごわす。□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

空を仰ぎ見るようにして峠の終わりを探す。そばにいた一人が進んではアゴを上げ、まだ道半ばということを確認して視線と肩を落とす。

トレイルランニングレースのさなかである。周囲を走るランナーの誰もが先を急いでいる。ところが、急傾斜の長い登りがそれを許してはくれない。

落ち葉の上に、慎重に置いた足がずるずると滑り落ちてくる。腐葉土がボロボロと崩れ落ちていた。人の往来が絶えて久しいことを物語っていた。

落ちてきた足を再び踏み出す。先ほどとは違う場所に足を運ぶ。そっと、そしてぐっと体重をかけて。崩れないことを確認して、両手で木の幹や岩をつかんで全身を持ち上げ、ようやく一歩前進する。

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難所を越えようともがいていると、一人またひとりとランナーが増え、いつの間にか集団が形成されていた。同じようなペースで進み、同じように足を止め、ダラダラと流れ落ちてくる汗を拭う。肩に食い込むザックが痛いのか、肩のストラップの位置をずらして調整するランナーもいた。息を整えながら、4人がまた先を見据えた。

「まだ続くのか」「エグい」「キツいなあ」

それぞれの吐く息とともに弱音が漏れた。たどっているのは、140年前に西郷隆盛が追っ手をかわすために選んだ道。鹿児島への敗走を可能にした、厳しいトレイルだった。

 「SAIGO」が意味するもの

西郷にゆかりのある大会は「SAIGŌ Trail 1877」。西郷の名前をそのまま名称としている。いったい西郷は何に敗れ、逃げ延びねばならなかったのか。日本における最後の内戦「西南戦争」にさかのぼる。1877年に起きた士族の武力反乱である。明治という新時代に不満を抱く士族とともに、西郷が盟主となって蜂起した。

人員、物量で圧倒する明治政府を相手に、西郷の率いる軍勢は戦いが長引くにつれて追いつめられていく。延岡では、10倍以上の官軍に包囲されて窮するものの、西郷らは精鋭のみを集め、包囲網を突破して山に逃げのびた。そして故郷である鹿児島を目指し、あすの見えない山行を続けていく。

前半はみんな元気。

前半はみんな元気。

険しい山々と道なき道は少数精鋭の西郷たちに味方し、数で勝る官軍の襲撃をかわしながらの逃走を可能にした。西郷のたどった敗走路の一部が、この大会のコースである。初回の区間は延岡市から高千穂町までだ。

2日間にまたがるSAIGŌ Trailは、九州で初めてのステージレースでもある。両日の合計タイムで順位を競い、初日は距離38km、累積標高が2,900m、2日目は24kmと2,000m。初日のコースを歩いてたどろうとすると、日の出とともにスタートしても、深夜にようやくゴールできるかどうかといったところか。なかなかにハードな道のりだ。

敵に追われ、休むこともままならない西郷が立ち寄り、宿をとった民家がスタート地点。現在、その民家は西郷隆盛宿陣跡資料館として整備されている。

ザックの重さがあるので、登りは走れそうでなかなか走れない。

ザックの重さがあるので、登りは走れそうでなかなか走れない。

走り始めてすぐに細いトレイルへ。前半は登り基調が続く。選手が黙々と登っていく。可愛岳に向かう登山ルートから右にそれて、大きな石の転がる下りに突入。紅葉も終わろうかという季節とあって、朝は冷える。身体が温まるまでは着込んでいるランナーが多い。中には西郷隆盛にならって着流し姿で参加した選手も。上野の銅像と同じような格好だ。着物が足元まで伸びていて動きにくい上に、足袋なので滑りやすそうだった。

着流しスタイルは裾が邪魔で足を開きにくい。倒木や大きな岩などの障害物がツラそう。

着流しスタイルは裾が邪魔で足を開きにくい。倒木や大きな岩などの障害物がツラそう。

中盤で舗装路をはさみ、再びトレイル。鹿川峠につながる急登だ。峠を越えて下れば、残りはキレイなアスファルトだけなのだが、険しい登りを前にして上位の選手にも疲労の色が見える。「ザックが重くなってきました」と口にする選手もいた。

大会では2日間の行動食や寝袋、防寒具などの携行が決められているため、5〜10kgほどのザックを担いで走る。背負うだけなら大した重さではないが、動きの重心や負荷のかかる筋肉が変わり、普段トレイルを走るよりも消耗度合いが激しいのだ。

ザックの重さはスタートからほとんど変わっていない。重量が気になるのは、それだけ消耗してしまっているからだ。重くなっているのは足取りなのである。

徐々に口数が減っていく。

徐々に口数が減っていく。

ピークを踏みたい。まだ見ぬ景色のために。あるいはゴールへ。目標のために人は頑張れる。追いつめられていく西郷が、それでも敗走を続けられたのはなぜか。故郷に帰ろう。そんな純粋な一念が西郷を支えていたのだろうか。真実は誰にも分からない。山だけが知っている。

膝や腰に手を当て、あえぐように呼吸を繰り返すランナーたち。後ろを振り返ることなく、静かに登り続ける。真っ直ぐに前だけを見て。

足元は落ち葉でふかふか。

足元は落ち葉でふかふか。


分水嶺はいずこに

分水嶺 1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目 のたとえ。(デジタル大辞泉参照)

分水嶺トレイルに行ってきました。チームで出場したものの、関門への到着予定の時刻を大幅に勘違いしていることにメンバー3人が気付かないゆるさで、制限時間内に通過できずに結果はリタイアでした。

スタート直後の長い行列

スタート直後の長い行列

東京、山梨、長野にまたがる「秩父多摩甲斐国立公園の百名山4つと源流4つを踏破する大縦走の旅」です。僕たちが出場したのは短い方の鴨沢コースで、距離84km、累積標高8,200m。誘ってくれた友人いわく、「選考基準が厳しいので出るだけでも大変」とのこと。長い方は120kmです。短い、長いという基準が最近はよく分からなくなりつつあります。

選考の結果発表が遅かったので、僕たちは当落線ギリギリのチームだった模様。そんなギリギリのメンバーはというと、不必要なまでに大きい12kgのザックを背負った京都の修行僧、大会に誘ってくれたブラジルから帰国したての晴れ女、直前までジェンガの携行に悩んでいた僕の3人です。

僕をのぞく2人は登山経験が豊富ですが、今回の山行では「走りたくない」と2人が主張したことで、制限時間53時間を目一杯つかって全行程を歩き倒すことに。どうせなら長く楽しんだ方がいいですもんね。

リタイアの流れは「3人が寝不足→初日の夜を迎える→眠い→現在地を間違える→眠い→あれ、現在地どこだっけ→地図で確認→気付いたときには関門に間に合わず」。とても静かなリタイアでした。

左端が晴れ女氏、3人目が修行僧氏。

左端が晴れ女氏、3人目が修行僧氏。

30kmほど歩いただけですので、道中は静かなものでしたが、実は大会前に大きな「分水嶺」がありました。

大会前日の夕方に出張先のブラジルから帰国した晴れ女氏。行く先々で曇天を晴れに変えてしまうという異能の持ち主です。

持っているのか、引きが強いのか、地球の真裏から日本に向かうフライトでも、その引きの強さを発揮しました。

消灯時間に入っていた機内に異変が起きます。晴れ女の座る座席から通路を挟んで隣に座っていた乗客が苦しそうにうずくまっていました。呼吸すら満足にできていない尋常ならざる様子に気づいた彼女はCAに知らせるために、暗い通路を急ぎました。

その間にも急病人の容態は悪化していき、呼吸困難に陥り、一刻を争う状態に。駆けつけたCAが状況を察して、冷静に呼び掛けます。

「どなたかお医者さんはいませんか」

映画かドラマのような緊迫した展開。通路を歩きながら医師を探すCA、目をさます乗客、意識を失う急病人。そして、立ち上がる乗客。医師が見つかった瞬間でした。

適切な治療ができたそうで急病人は回復。晴れ女氏の迅速な対応により、生死の狭間という大きな分かれ道で1人の乗客を光ある方角に導くことができました。

 

大会前にハイライトを迎えていたのですから、まあリタイアもやむなしです!


ハワイレース記4

ハワイシリーズも終盤戦。6日目から書き出してから、スタートから時系列に時間を追っています。そうこうしているうちに本日から台湾に出発して山で遊んでくることになりました。

4日目にしてようやくハワイに来たことを実感できる青空が広がった

4日目にしてようやくハワイに来たことを実感できる青空が広がった

窮屈な姿勢で車が動き始めるのを待つ。力強いエンジン音が響き、ゆっくりと車はキャンプ地から遠ざかっていく。溶岩に覆われた大地が車窓から後方に流れていく。4日目のロングステージは、スタート前のドライブから始まった。決してカーレースに変わったわけでも、リタイアしたわけでも、ましてや世界の車窓からという記事になったわけでもない。

ステージレースの一般的なスタイルは、キャンプ地がスタート地点となり、次のゴールを目指す。そしてゴール地点がキャンプ地となり一夜を過ごすというサイクルを繰り返していく。

この大会「Mauna to Mauna」もそのはずだったのだが、3年がかりで準備してきたというコースは大会直前になって大幅な変更を余儀なくされた。その煽りを受けてマウナロアとマウナケアという、ふたつの高峰を結ぶはずだったトレイルが使えなくなった。土地の通過を許可していた土地所有者が、大会直前になって心変わりしたのだという。

結果として、コースは分断されてしまい、3日目のコースはスタートとゴールが同じ周回コースになり、長いロードの区間が挟み込まれた。2日間にまたがるロングステージはマウナケアの一部を登って標高2,900mで折り返し、来た道を引き返してステート地点まで戻ることになった。加えて3日目まで異常気象に見舞われ、雨が断続的に降り続いた影響で、ロングステージ後のキャンプ地が水浸し。テントを張ることができないため、ゴール後は次のキャンプ地に移動すると事前に告げられた。

その土地所有者の話を聞いたわけでもないので、真相は分からない。ひとつだけ分かっているのは、ロングステージの前に、スタート地点までのショートドライブが追加されたということ。

大会直前のコース変更には正直なところ少しむっとした。ものの、何が起こるか分からないのがステージレースの醍醐味だと思うと、むしろ過酷だったり、イレギュラーな方が盛り上がるのだ。翌年からの第2回目以降のレースがどう運営されるにせよ、今回のような経験はできないだろう。そう考えると、なんだか気分が乗ってくるのが分かった。

スタート前もリラックス。中央は、唐揚げ定食を食べた直後でも走れる鉄の胃袋を持つ登さん。

スタート前もリラックス。中央は、唐揚げ定食を食べた直後でも走れる鉄の胃袋を持つ登さん

登山道の入口がスタート地点だった。車から降りてきた10人が体を動かして走り出す瞬間を待っていた。ランナーの数が少ないのは、下位のランナーが走り出してから2時間後に、上位の10名がスタートすることになっているからだ。

「5分前」

合図に従って、全員がスタートゲートの後方に集合したところでサプライズが待っていた。ここまで総合1位のビセンテが誕生日ということで、みんなで祝福。嬉しそうな笑みを見せるその目は潤んでいた。

レース前にも関わらず、アットホームなのもステージレースの良さだろう。同じ道をたどり、同じテントで眠り、誰もが空腹や疲労に悩まされる。レース中は競い合っていても、ひとりひとりが濃密な時間を共有する仲間である。

この日も、延々と続く砂利道の往復をともにするのだった。その道中では、地上を一望できるビューポイントも共有。折り返し地点付近で遭遇した虹は標高3,000mよりも遥かに高く、見たことがないほどの巨大さだった。

写真奥に折り返し付近で見えた虹が見える(佐藤佳幸さん撮影)

写真奥に折り返し付近で見えた虹が見える(佐藤佳幸さん撮影)

折り返し付近は標高が高くて前日同様、酸素が薄くて走るのが若干苦しい。無理して倒れない程度のペースで走る。トップを争う2人もキツい登りは歩いているとスタッフから聞き、少し安心した。超人的な2人もやはり人間なのだ。

折り返し地点からの下りは急傾斜でまばたきが極端に少なくなる。ここで4位から3位に浮上。長い長い下り坂の地面には無造作に転がる砂利と小さな岩。思考するよりも早く反射的に岩をかわす。

スピードを殺さないように駆け下りていく。踏んでもぐらつかない岩、その次の一歩を安全に落とせる場所を求めて、その瞬間ごとに最善のコース取りをする。目に飛び込んでくる膨大な情報量から判断をくだす。路面の凹凸から斜度、カーブ、目の前を遮る木の枝、もちろん別のランナーの姿も、すべてが判断材料だ。

夕暮れ時には、もやがかかり、水滴のついた草木が照らされ、輝いていた。もやで乱反射して一面が金色に染まったその瞬間は足を止めそうになるほど美しかった。

日没後は淡々と下っていく。痛めていた右足をかばっていたせいか、左足も疼くようになっていたが、まだ走りには支障がない。この日のうちにゴールできれば翌日は休養に当てることができる。痛みに関してはその時考えればいい。いまは少しでも早く、無事にゴールにたどり着こう。その一点に集中していたせいか、長いはずのロングステージは、あっけなく終わりを迎える。3位だった。僅差ながら総合成績も3位に浮上した。4位とのタイム差は17秒しかない。200kmを走って100mに満たない時間差。これもまたひとつの得難い経験である。


発見!ぐるっとキリマンジャロ

備忘録ついでに偶然見つけたイベント「KILIMANJARO STAGE RUN」(http://kilimanjarostagerun.com/)をご紹介です。

ホームページの地図を引用:   http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

ホームページの地図を引用: http://kilimanjarostagerun.com/itinerary/

キリマンジャロの外縁を8日間かけて走って1周するというイベント。ステージレース的な要素がたっぷりしそうなのですが、「アドベンチャーラン」をうたっていてホームページでもしっかりと「NOT A RACE」と明記されています。宿泊はコテージやキャンプなので安心して眠れそう。野生動物がいると思うと、走り疲れていても寝付きが悪いです。

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レースではない、純粋に走って旅をするというパッケージは国内ではまだまだ少ないように思いますが、海外のステージレースに出場していて聞いてみると、海の向こうでは盛んに行われているそうです。

毎日キリマンジャロを眺めながら走るというのはなかなか楽しそうが、最終的には登りたくなってイベント後に、山頂を目指すという流れになりそうです。あえて登らないのは戦略に違いありません。


ハワイレース記2

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

スタート前の様子。ハワイ感がゼロすぎる。

これだけは断言しよう、ハワイは常夏の島などではない。

小さなしずくが顔をたたいては流れ落ちていく。たれてきた水滴が目に入る。雨に汗がブレンドされていて、しみる。閉じた目の中でコンタクトレンズがズレてきた。

雨だれを吸い込んだTシャツはすでに飽和状態に達していて、袖と裾からダラダラと水がたれていた。エサを目の前にしてよだれをたらす犬のようだ。濡れた短パンが太ももに張りつく。あまり気持ちのいいものではないが、そのままにしている。満員電車でとなり合った人に触れないようにするものだ。離れようとしても密着してしまう。ムダな抵抗なのである。

夜に降りだした雨は強弱をつけながらも止む気配をみせず、大会2日目は雨中のスタートとなった。あちこちに水が浮き、前日にはなかった小さな水路があちこちにできていた。

晴天に恵まれた初日は大会直前のコース変更の影響で、アスファルトの上を延々と走ることになり、信号機の前では借りてきた猫のようにおとなしくたたずみ、お行儀よく横断歩道を渡るという、この種のレースでは得難い経験ができた。舗装路の照り返しでかなりの高温になるため、時折降るスコールはありがたかった。火照った体を冷やしてくれる恵みの雨に、もっと降れと願いはしたものの、さすがに降りすぎである。

レインウェアのフードをかぶったランナーたちがうつむき加減でスタートの瞬間を待っていた。厚い雲に覆われた空模様と同じように元気がない。みんなの気持ちはよく分かる。肌寒くて、早く走り出したいのだ。この日は誰もが勢いよく駆け出しいた。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

走り出してもリゾート要素はなし。じめじめして日本の梅雨のようだった。

それにしてもよく降る。トレイルの窪地はすべて水たまりになり、膝上まで浸かってしまう。むかし走ったブラジルのジャングルマラソンを思い出して懐かしくなった。ズブズブと沈む沼地で泥水を跳ね上げながら進んだときのことだ。

細かいアップダウンのたびに現れるこの日の水たまりはジャングル的だが、いやちょっと待て、ここは南国リゾートだ。ハワイというのは、目の覚めるような青空、開放的なビーチでアロハシャツにビーチサンダル姿で、降り注ぐ太陽を浴びながらのんびり。そんな楽園ではないのか。

リゾート地としてのイメージが頭の片隅にあり、正直なところギャップに戸惑った。眠くてまぶたの重たそうな曇天に、じめじめと雨の降る山の中でレインウェアと濡れたシューズ姿で、降り注ぐ雨に打たれて震える。なんとも非ハワイ的である。

2日目にして、ハワイ的なイメージは清々しいほどに裏切られた。自然に身を投じることで現地を知る。それがステージレースの醍醐味のひとつであり、これがハワイなのかと新鮮な気持ちになるが、肌寒く、張り付くウェアが不快であることに変わりはない。毛根という毛根から爪の隙間まで雨がしみこんでいた。


17秒の思い出2

ハワイでのレース終了から3日目で、ようやく足首の腫れが引いてきました。大事をとって足を休めているのですが、早く走りたいなあ。続ハワイの話です。

固く尖った溶岩を踏んで走るので、みんな足はボロボロ

固く尖った溶岩を踏んで走るので、みんな足はボロボロ

足を草むらに叩き付ける。そして繰り返す。ドラムを打つように、慎重に、精確に一歩ずつ時間を刻む。ほとんど音のないドラムンベースに、背の高い草を切り裂く音が時折ノイズのように耳に入ってくる。

わずかな時間差をめぐって、スタートからずっとイタリアの大男と競り合っている。ロングステージ後につかの間の休息を味わい、6日目のコースは47kmだ。スタートから20kmにわたり草地のダウンヒルが続く。

地形によってリズムは気まぐれに変わっていく。傾斜が緩やかになれば必然的にテンポも遅くなる。目の前の地面が一瞬消えた。急傾斜に切り替わり、ビートが早まる。そして、背後でも同じようにリズムが刻まれていた。変化に欠けるコースレイアウトは、長い距離を双子のように同じタイムで走ってきた僕たちのペースを狂わせる決定打にはならなかった。

その間も足には着々とダメージが蓄積されていく。宙を浮いた体を一本の足で支え、また蹴り出す。その着地の瞬間に、地面と接した足は大きな衝撃を絶えず受けている。このレースでは荷物の重さが加算されるので、もちろん普段よりも大きなダメージを被ることになる。

ロングステージでのダメージもあり、ルイージについていくのが苦しくなる。両足首とふくらはぎが痛み、距離とともに痛みが増していく。足首の動きは柔らかさがなくなり、地面からのインパクトを吸収しきれていない。可動域が狭まり、きしむ音が聞こえてきそうだ。ふくらはぎもれんが造りの壁がボロボロと崩落するかのように力強さを失っていく。

にも関わらず、時計に目を落とすと、まだ2時間もたっていない。先の見えない作業を延々と繰り返しているうちに、時間の進み具合が特別遅くなったと勘ぐりたくなるほどだった。

足首でも膝やスネでも構わない。早く壊れてしまえばいいのに。そうすれば楽にペースを落とすことができる。あわよくばリタイアも。ひどい誘惑が脳裏をかすめる。しかし、自分の意志で止まりたくはない。そこに理由があれば、話は別だ。言い訳を探しながら、その都度、ろくでもない誘惑を後方に置き去りにして一歩先に進み続ける。

同じ脚の痛みであれば、長い距離を走っているうちにコントロールできるようになる。コントロールというと語弊があるのかもしれない。ドーパミンやアドレナリンが脳内に放出され、脱水症状で頭がゆだってくると、気にならなくなるだけで、痛みの原因となる筋肉の損傷は悪化していく。一時的に痛みが麻痺していても、どこかで揺り戻しがくる。

それが標高差1700mのダウンヒル終盤だった。痛みと筋肉の強ばりでスピードを保ちきれなくなり、ルイージから50mほど遅れてしまう。追いすがろうとするもじわじわと差が開いていく。頭ではペースを上げたいのに体がついてこない。疲労とダメージが体の反応を重く鈍くする。肉体的な変調は心までも弱気に変えてくる。

ダメかもしれない。前年にアフリカで感じていた諦めが頭をよぎる。そして、悔しさも。転がり落ちそうな走る意志を支えてくれたのが、苦い思い出だった。また同じことを繰り返すのか。限界を超えられないまま、終わってしまうのか。

違う、情けない気持ちを再び抱くために、ハワイに来たわけじゃない。結果を変えるために来たんだ。そのためなら、後のことは考えなくてもいい。足が折れるまで、筋肉が断裂するまで走ればいい。なにかが変わった。

痛みが和らいだわけでも、体力が回復したわけでもない。なのに差が縮まっていく。強烈な意志が肉体を突き動かす。変わったのは自分なのかもしれない。ダウンヒルからフラットな市街地を通り、牧場に続くゲートを駆け抜けた。


17秒の思い出

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハワイから帰国したての若岡です。初開催のステージレース「Mauna to Mauna」は3位入賞でした。

大会前々日に大幅なコース変更が伝えられたり、スマホをなくしたり、異常気象で大雨、低体温、流血、キャンプ地も変更などアクシデント続出でした。スマホはただの忘れ物ですが。
そんな盛りだくさんなハワイ遠征を振り返り、余韻に浸っていたら、いつの間にか長文ができあがっていました(中国の回想がまだ終わっていないのに、うぅ)。僕個人としては、1週間もあるのに最終日まで17秒という僅差で3位を争ったことがハイライトです。というわけで以下が本文です↓

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17秒あれば何ができるだろうか。

とりとめなく考えている間に時間が過ぎていく。考え事のできる時間ではない。ドリップコーヒーを入れることも、通話で用件を伝えることすらできやしない。できることといえば、せいぜいが100m走くらいだ。

そんなわずかな時間に朝からずっととらわれている。正確を期すならば、前々日の深夜からだ。

そのとき、僕は1週間にわたるランニングレース「Mauna to Mauna」の勝負所となるロングステージで79kmを走り終えたばかりだった。食料や寝袋などの荷物を背負って毎日スタート、ゴールを繰り返し、この日を終えて走行距離は200km近くに積み重なっていた。

時間は深夜11時。照明に照らされているもののゴールとはいえ、賑わいはない。この日の順位は3位、合計タイムによる総合成績も暫定で3位に浮上した。残すは50kmちょっとと、決して短い距離ではないが、そう長くもない。大会前から目標としていた表彰台が近づいてきた。

前年出場したレースは23秒差で4位に終わり、表彰台を逃してしまった。全力を尽くしたつもりだったが、日を追うごとにもっとやれていたんじゃないかと思い直すようになった。何かが足りなかったのだ。そのときの自分の限界なのだから、悔しくないつもりだった。受け入れないといけない。狙ってもとれなかったのだから仕方ないと。

1年越しで再びチャンスをつかみ、強く自覚した。あの時のわずかな差を悔やんでいたのだ。惜しかったでは何も残らない。限界まで走るのではなく、限界を超えなくてはいけなかった。そんな強さが欠けていた。結果を分かつのは、意志の強さだ。

走りながら考えていたことを反芻していると、夜の暗闇が切り裂かれた。強いヘッドライトがゴールに駆け込んできた。イタリアのルイージだった。僕と3位を争う長身のランナーである。道中で大きく引き離していたはずが、2分ほどの差に詰め寄られていた。

僕はなんとか総合成績で3位を保ったものの、ルイージとの差は17秒。残すは47kmと8kmの2ステージ。大きなタイムアドバンテージを奪うべく体を酷使しただけに、両脚に深いダメージが残るのは避けられない。苦しい状態で争っていくことになる。表彰台への道のりは今年も険しい。


中国のトレイルをめぐるエトセトラ3

中国の話を書き上げられないまま、ハワイ遠征に来てしまい、焦っております。あわわー。早く書かねば。。。ということで下記が中国でのエトセトラです。

下見で城壁を走る関羽雲長ではなく、碓井さん。もはやひとり三国志!

下見で城壁を走る関羽雲長ではなく、碓井さん。もはやひとり三国志!

幼いころからどこにあるのだろうかと疑問に思っていた、お菓子でおなじみタケノコの里が、中国にあった。

中国滞在2日目はコースの下見へ。まずはスタート地点の旧市街を訪れ、城壁の見学と現地メディアによる撮影。歴史的な建造物の上を走り、テンションが上がったところで、いよいよ山に向かう。

下見と撮影をしながら城壁を巡る。倭冦の侵入に備えて建造されたという。

下見と撮影をしながら城壁を巡る。倭冦の侵入に備えて建造されたという。

ゴールのモニュメントは1人で手作り!

ゴールのモニュメントは1人で手作り!

太極拳おじさん。体幹がすさまじく強く、スローな動きでもまったく揺れない。

太極拳おじさん。体幹がすさまじく強く、スローな動きでもまったく揺れない。

旧市街を離れ、車で10分ほど走ると竹林に分け入ることに。徐々に高度を上げつつ、行けども行けどもあたりは竹、竹、竹。そして時折、おじさん。タケノコを掘っているようで、ところどころでタケノコハンターを見かける。かなりの数が掘られていたが、それでもタケノコは至るところから突き出ていた。

後々知ることになるが、コースとなったトレイルにもタケノコが生えていた。そこかしこでニョキニョキと顔を出していて、道を塞ぐトラップのよう。それが中国っぽさを醸していて、避けるのが楽しかったのです。

さらに山道を進み、曲がりくねった隘路をひた走る。その間にもタケノコの皮が散らばっていたり、道ばたに剥き立てのタケノコが並んでいたり。そして、エイドステーションのある山奥の集落に到着。ここにはタケノコハンターたちが住んでいた。

タケノコの里の石造りの家。趣深し。

タケノコの里の石造りの家。趣深し。

タケノコはこの時期の主な収穫物のようで、ちょっとしたスペースに所狭しと干されている。というか、タケノコしかない。徒歩1〜2時間はかかりそうな竹林まで収穫しに行って、重いタケノコを抱えて帰ってくる。重量+アップダウンが日々の生活なのだから、トレイルを走れば相当な速さなのでは。石川さん、碓井さんたちとそんな会話を繰り広げる。

タケノコ干し場の一角。

タケノコ干し場の一角。

タケノコの里はトレイルランナーの里なのかもしれない。収穫してバックパックに詰めて運べば、ステージレースのトレーニングにいいなあ、などと妙なことを考えつつ帰路に就いた。


中国のトレイルをめぐるエトセトラ2

窓ガラスに頭をぶつけ、夢見心地で旅が始まった。突然の衝撃に驚くが、痛みはない。明るい光にとまどいながら、うっすらと目を開けた。周りからはにぎやかな話し声が聞こえてくる。

目が慣れてくるころには、通路に長い列ができていた。東京を飛び立った飛行機が上海に降り立ったことに気付く。やけに頭が重く感じられた。寝不足の頭を働かせて理由を思い出す。

出国前に終わらせようとしていた仕事の量を読み違え、出発前夜になってもメドがつかず。そこでようやく危機感を抱き、残った仕事を片付けようと夜を明かし、そのままフライトの時間を迎えた。すでに疲れきった頭で、ターミナルを間違えつつも搭乗。なんとか仕事を終えた安堵感から、席に着くなり眠り込んでしまっていた。

ぼーっとしたまま、同じフライトでやって来たウスイさんと到着ロビーに向かう。碓井さんの風貌はとてもインパクトが強い。15cmオーバーのヒゲが顔に沿って密集しているのだ。にもかかわらず「ウスイ」。立派なヒゲは、砂漠の民を思わせる。前年にサハラ砂漠マラソンを完走しているので、あながち間違いでもない。現地では日本人だと気付かれなかったに違いないと僕は推測している。

ウェルカムボードを持った人たちの間に、見知った爽やかな笑顔を見つけた。アスリート向けのサプリメントを手がける「スタミナ・スポーツ」の王さんだ。今回出場するUTGKのスポンサーあり、僕とウスイさんを含む6人のランナーを招待してくれた企業である。

王さんに案内されて、この日合流予定だった2人と合流する。名前と顔は事前に見知っていたので、すぐに一致した。石川弘樹さん、丹羽薫さんだ。もう1人は台湾のチンくん。チームサロモンに所属する台湾のエリートランナーだ。そんな3人と対面して、途端になんだか場違いなところに来てしまった気がしてきた。

車で上海から5時間ほど移動。中国は広い。途中で何度かサービスエリアに立ち寄った

車で上海から5時間ほど移動。中国は広い。途中で何度かサービスエリアに立ち寄った

僕とウスイさんは、昨夏のステージレース「白山ジオトレイル」で知り合ったスタミナ・スポーツの社長コンさんに招待され、ノコノコとやって来た、いわばその辺の野良ランナーなのだ。

自己紹介がてら、石川さんと雑談。

「いま中国はアツいんですよ」

「25℃まで上がるらしいですね」と僕。

「気温もですけど、トレイルシーンが熱いんです」

情報に疎い野良ランナーぶりを発揮してしまう。そういう熱さですね。ここ3年で中国のトレイルレースは300を数えるようになったそうだ。日本が10年かけて歩んできた道のりに、数の上ですぐに追いついたことになる。人口規模が違うとはいえ、トレイルランニングへの注目度はかなり高いようだ。

などなど親切に教えてもらい、ふと気付く。いくつものスポンサーのロゴが入っている石川さんのウェアに対して、僕はといえば、上下ともにキレイな無地。

同じように招待という土俵に乗っていいのだろうか、同行していていいのだろうか。などと一瞬考えるものの、徹夜明けで疲弊した脳はあまり考え事に向かない。ほどなくして思考を放棄した。

まあ、いいのだ。

来てしまったのだから仕方ない。走るしかないのだ。雑に結論づけて空港から大会の開催される臨海市に移動するべく車に乗り込んだ。


中国のトレイルをめぐるエトセトラ

延々と続いていく竹林がとても中国的だ

延々と続いていく竹林がとても中国的だ

市街地を抜けて山に入ると、どこまでも続きそうな竹林が広がっている。いかにも中国という雰囲気たっぷりで、藪からパンダがひょいっと出てきそう。

おっと危ない、そんなことを想像していると、細いトレイルの足元にはタケノコがにょきっ。行く先々で土から顔を出していて、気を抜いていると足を引っかけそうになる。

竹の葉を揺らしていた風が弱まり、しっとりとした空気がさらに重みを増す。空に向かって勢い良く伸びた竹林に霧が漂い始めた。やがて、白いもやが広がり、鮮やかな竹の緑を覆い隠すように景色をモノトーンに変えていく。水墨画の世界である。

夢と現実の狭間とも思える幻想的な森を走る。

風が止み、周囲が静けさに包まれた。足元の落ち葉を踏む音がやけに響く。湿った空気を吸い込むと、かすかに土の匂いがした。

はかなげな線描に満ちた水墨画の中で、自分の感覚だけが、ここが現実だということを示している。日本を離れて中国へ行ってきた。向かった先は上海から車で5時間ほど南に下った浙江省臨海市。UTGK(Ultimate TsaiGu Trail Kuocang)という100kmレースの出場が目的だ。普段の生活から遠く隔たった桃源郷のような日々が、そこにあった。

古城の城壁もコースの一部。写真は下見の様子、中央には石川弘樹さん。

古城の城壁もコースの一部。写真は下見の様子、中央には石川弘樹さん。

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というわけで、22日に中国で行われたUTGKをご紹介しつつ、短期集中で中国の旅を振り返ります。