父に捧ぐ大田原マラソン

11月23日(木)マラソンシーズン初戦に選んだ大田原マラソンを走ってきた。

 これは栃木県北の大田原市で開催される制限時間4時間という競技性の高いフルマラソンレース。那須野が原という緩やかな傾斜地に設定されたコースは前半が緩やかな下り基調、後半が緩やかな登り基調となる。この時期特有の北風、那須おろしが強ければ後半は向かい風となり、レースはさらに苦しいものになる。
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私の出身高校がある地元のレースであるが、これまで走る機会はなく、今回が初めての参加だった。レースのついでに隣町にある実家に寄って両親の顔でも見ていこうと、軽い気持ちでエントリーした。

しかし、直前に親父が急逝。あまりに突然の出来事。受け止めがたい事実。訃報を聞いた直後は茫然自失の状態だった。通夜、葬儀など不慣れなことが続いたことや将来に対する不安など心的ストレスが大きく、精神的に疲れ切っていた。真面にレースに向き合えるメンタリティではなかった。

 ただ、逃げずにレースに向き合うことが自分にとって大切なことだと感じていた。結果はどうであれ完走だけはしよう。人生を生き抜いた亡き父親のためにも俺も走り抜かねばならない。そんな思いを持って臨んだレースだった。

 前半は抑え気味で脚を温存して、後半は粘って、3時間20分台前半を狙うというレース展開のイメージを抱きながら、陸上競技場のスタート位置に立った。

 午前10時のスタート時は小雨が降っていた。いつしか雨は上がり、レース後半にかけて予報通り天候は回復した。前半は走りに集中力があった。ハーフ通過は1時間37分台。ほぼイメージ通り。下り基調だからオーバーペースとならないようペースを意識した。25kmから集中力が途切れた。全く粘れず崩れ出した。どんどん抜かれていった。キロ7分までペースが落ち込んだ。

 苦しい終盤、心の中で亡き父親と対話を始めていた。親父よ、俺はいつまでたっても愚図愚図したままだよ。何度も厳しく言ってくれたのに素直に言う事を聞けずに御免な。素直になれなくて、いつまで経っても子供のままだったよ。毎晩のように酒を飲む親父の姿を見るのが嫌だったけど、俺も社会に出てから酒を飲みたくなる気持ちがよく分かるようになったよ。なんでもっと一緒に酒を飲んでやれなかったのかな。寂しい思いをさせて御免な。もっと親孝行してやれなくて御免な。本当、御免な親父。

 心の内面に意識が向いていたから、沿道の温かい声援を最後の踏ん張りに変えることも出来なかった。最後まで走りは復活することなくゴールを迎えた。

 結果は3時間41分台。失敗レースだった。過去3年間のワースト記録。

 心技体のバランスが崩れた状態では望むような結果は出せない。精神的な疲労の蓄積が後半の走りに影響したことは明らかだった。次回があるならばもっとマシな走りを親父に見せてやりたい。親父はすでにこの世には存在しない。しかし、親父は自分の心の中に思い出と共に生き続けることだろう。いつまでも。


黒部川源流域ファストパッキング

2017年8月某日、ファストパッキング・スタイルで立山の室堂~薬師岳~黒部五郎岳~三俣蓮華岳~新穂高温泉までの50㎞のコースを2泊3日で縦走してきた。これは北アルプス最深部の黒部川源流域を辿る旅であり、日本一過酷な山岳レース、「トランスジャパンアルプスレース」のコースの一部を体験する旅でもあった。 
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今回は男性3名、女性1名のグループ山行。グループには縦走経験が浅い者もいるが、全員が70〜100km超のトレイルレースの完走者。脚力には多少の自信はあったが、連日の睡眠不足のなか10時間を超える縦走と慣れない荷物の重さが響き、予定していたコースを辿れず仕舞い。調子が良ければ三俣蓮華岳から槍ヶ岳の山頂を踏んで新穂高温泉に降りるプランを目論んでいたが、短縮コースになった。
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IMG_2996コースは短くなったけど、山行の魅力はてんこ盛りで、刻一刻と変わる神々しい山岳景観にただただ驚嘆の声しか出なかった。今回初めて北アルプスを縦走した同行者が発した「一生忘れることはない」という言葉に尽きる。私自身、縦走は実に久しぶりだった。終始テンションは上がりっぱなしで、純粋に山が好きだったんだと再認識した。ストイックにレースに打ち込んできたことは、それはそれで充実した日々を過していたが、レースから少しだけ距離を置いて、また山に向き合ってみたいという気持が強くなった。それくらい刺激的な体験だった。
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備忘録として
Day0  22:30 竹橋発。毎日あるぺん号に乗車、車中泊
Day1  7:00 室堂着。7:30 室堂発~獅子岳~ザラ峠~五色ヶ原~鳶山~越中沢岳~スゴ乗越~17:30 夕方からの雨のためスゴ乗越小屋泊(素泊まり)
Day2  3:00 スゴ乗越小屋発~間山~北薬師岳~薬師岳~薬師峠~太郎兵衛平~太郎山~北ノ俣岳~黒部五郎岳~黒部五郎カール~16:00 黒部五郎小舎泊(テン泊)、夜間雨
Day3  0:00 小雨の中、黒部五郎小舎発~三俣蓮華岳~巻道ルート~双六小屋~鏡平~わさび平小屋〜9:30 新穂高温泉着~奥飛騨の湯~平湯温泉~(バス)~松本駅~(JR)~新宿駅
総距離49.94㎞、累積標高差3,453m、活動時間33時間35分、ほぼコースタイム通り。


ONTAKE100マイルはDNF

畜生!初挑戦の2017 ONTAKE100マイルはDNFだった。103km地点の第3関門を突破できず。15時間の関門時間を約1時間超過。完敗だった。

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24時間制限の100マイルの部は午後8時スタート。ゴールまでの関門は4つ。第1関門は52km地点、8時間後。第2関門は72km地点、11時間後。第3関門は103km地点、15時間後。最後の第4関門は118km地点、18時間後。第1関門の時間設定が辛いコース設定となっている。

第1、第2関門ともに関門時間に対して15〜30分程度の余裕しかなかった。夜間走の時間が長く、調子が掴めなかった。第2関門から先は酷い足底筋膜炎に見舞われ、30km近くをひたすら歩き通した。このままでは第3関門に間に合わないと分かっている。走らなければいけない。でも痛みで走れない。日差しは辛く、干からびてしまいそうだった。いつか来るであろう回収車が先か、第3関門に自力で辿り着くのが先か。回収車を待っていても仕方なく前へ向かう。唐突に回収車が前方から向かって来た。あっけないレースの終了だった。ガレた林道を軽トラの荷台に乗せられて、残り5kmの距離を第3関門に向かった。その時は関門を突破できなかった悔しさよりもレースを続けなくていいという安堵感の方が優っていた。

ONTAKE100マイル:エントリー者159名、完走者は僅かに59名、完走率37.1%。

完走を夢見ていた。2年越しの夢を叶えたいと願って臨んだレースだった。しかし後悔残る結果だった。100マイルもの超長距離は心技体の全てが揃わないと完走は困難なんだと痛感させられた。そんなことは分かっていたつもりだった。油断や慢心もあった。心技体の一つでも欠けると完走は程遠いものになる。自分自身に対する憤りしかない。畜生め!

言い伝えによると、御嶽は古くは「おのたけ」と呼ばれ、「王の御嶽」(オウノミタケ)と尊称されていたそうだ。それが、いつの頃からか、「オンタケ」と呼ばれるようになった。「御嶽」と称する山はみな、修験道に関係の深い山である。ガレた林道を黙々と修行僧のように昼夜走り続けるONTAKEは、古来から御嶽が修験道の山であったことにも本質的には合致している。このレースへの向き合い方は人それぞれであって、自分の主張を押し付けるつもりはない。御嶽山が古来から修験道の山なら、ONTAKEへのチャレンジも修行と捉えて、何度でも自分が納得のいくまでチャレンジし続けることが正しい姿だと私は思う。

100マイルレースは、参加人数が少なく、前後に誰もいない時間が長い。孤独と向き合う時間が長いということだ。なんのために走っているのか自問しながら走っていた。自分なりに出した答え。それは弱い自分を認めながら、もっと強い人間になりたくて走っているんだということ。強さを求め、また来年ONTAKEにチャレンジする。そう、誓いを新たにした。山は富士山、嶽は御嶽。ならばウルトラはONTAKE。ONTAKEを必ず乗り越えてみせる。


野辺山ウルトラ、脱水症状でDNF

5月21日(日)、星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンに挑んできた。この日、野辺山高原は晴れ渡り、最高気温25.3度の夏日を記録。これが国内屈指といわれる難コースの攻略をさらに困難なものにした。100km男子の完走率は僅か50.5%。23回の大会史上最低らしい。今回は前回の自分の記録を超えたいと臨んだが、記録更新どころか完走さえできなかった。

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敗因は脱水症。序盤からなんかおかしいなあと思ったが後の祭り。20㎞のエイド辺りから手足が震え始めた。さらに血の気が引く感じがしてフラつき始めた。急いで水分補給と電解質を採取。エイドで休憩すると震えは軽くなったが、ペースを上げると呼吸が苦しくなる。これも典型的な脱水症状。血液中の水分が足りず、血液の流れが悪くなり、身体を動かす酸素を行き届かせるために呼吸が荒くなる。おまけにこの暑さ。喉の渇きが半端ない。

10km毎の通過タイムは全て昨年を下回るペース。昨年の自己記録更新はすでに諦めた。完走だけはなんとしても遂げたいが、呼吸が苦しい。歩きの時間が多くなっている。畜生!、もう駄目か?復活はないのか?なにかのキッカケを探したが何も見出すことはできない。暑い、暑い、暑い。街中にあった気温を表した掲示板は31度を示していた。もう駄目だ。これ以上無理を重ねて身体を壊すことはない。呼吸の苦しさから開放されたい。遂に気力、体力ともに潰えた。暑さでぐったりとなった全身を引きずるように、71㎞地点の第四関門でレースを止めた。70㎞通過の記録は9時間38分05秒。

今回は暑さに対する弱さが露呈された。気温が高いことは事前に分かっていたんだから、対策はしたのか?日焼け止め、二等兵帽、アームカバーなど、できるだけのことは行ったつもりではあるが、肝心の水分と電解質の補給が甘かった。気力、体力、準備、補給のマネジメントのどれかが欠けただけでも、ウルトラは弱い所を突いてくる。前回同様、鬼門は第二関門の42kmから第四関門の71㎞の区間。日差しをさえぎるものが少なく、直射日光に容赦なく肌を焼かれる。気温が上がり、灼熱地獄と化し、体力、気力を削がれてしまった。ここを淡々と進める気力、体力、走力が欲しい。

2回目の野辺山ウルトラは完敗。昨年完走できたのが信じられないくらいの不甲斐ない結果。完膚なきまでに叩きのめされてしまった。完走が難しければ難しいほどに、完走の喜びも大きいものになる。完走できなかったから、また来年挑戦しようという気持ちが昂るものだと思う。来年こそは、完走したいと思います!


チャレ富士ウルトラ71km、サブ7ならず

フルマラソンの大会がひと段落する4月からウルトラマラソンにチャレンジするランナーも少なくないと思う。私もそんなランナーのひとり。

4月23日(日)、第27回チャレンジ富士五湖 ウルトラマラソンを走ってきた。

この大会にはFUJI 5 LAKES 118km、4 LAKES 100km、3 LAKES 71kmと3つのカテゴリーがある。私が選択したのは3 LAKES。富士山北麓の景勝地 富士五湖のうちの河口湖、西湖、精進湖の3湖を巡る。距離71km、制限時間11時間、ほぼ5km間隔にある19のエイドを繋ぎ、5つの関門を突破していく。
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ウルトラマラソンを走る行為は常人には理解しがたいのかもしれない。周りに話せば、引かれて変態呼ばわりされる。それはウルトラランナーにとって最高の褒め言葉ではあるが・・。今回、3つのカテゴリーに総勢4459名もの応募があった。日本一の規模らしい。

レース展開を振り返っておこう。午前7時、富士北麓公園をスタート。最初の5kmで150m下って、次の5kmで175m上り返す。10km過ぎから河口湖までの10kmで225m下る。富士山の裾野の広大さを感じさせる長い下り坂。この下り坂で胃が揺らされたからだろうか、20km辺りから急に胃が痛み出した。ペースを上げると鈍い痛み。脇腹を押さえながら、仕方なくペースダウン。30km過ぎた辺りから痛みが酷くなったため、胃腸薬を服用。薬が効き始めた50kmまでは胃痛との戦いが続いた。しまいにはお腹PPになって、トイレを見つけては駆け込むこと計7回。目標からはすでに20分以上の遅れ。後半は更に膝、股関節など色んな所が痛み出した。河口湖の市街地からゴールまでは約7kmの上り坂。ここが辛かった。胃をやられた坂を上り返して、富士北麓公園でフィニッシュを迎えた。

 記録7時間36分32秒。

 サブ7を狙っていたが未達に終わった。胃腸トラブルと7回のトイレ休憩がなかったとしてもその達成は難しかったのかもしれない。ウルトラは身体の一番弱いところを逃さず突いてくる。例えば、古傷だったり、直前に痛めた箇所だったりするが、私の場合は胃腸。今回も胃腸トラブルに見舞われた。会心といえるような走りはいつになったらできるのであろうか。

 ウルトラは長距離なので、長時間、自己と向き合うことを求められる。雲のように色々なことが心に浮かんでは消えていく。心を空っぽにして走りたいが、それが出来ない。胃が痛い、膝が痛いなどと内側に思考を向け過ぎると、もう駄目だ、走れないとネガティヴな思考に支配される。パッと気持ちが切り替えられる人もいるのだろうが、自分はあまりそういったことが得意ではない。ネガティヴな思考の状態が続くと暗黒面に落ちそうになる。抵抗する気力が徐々に削がれ、最後には心が折られてしまう。

 なにものにも捉われずに、ただひたすら前へ前へと進むこと。一歩一歩の積み重ねがゴールに向かうただ一つの方法であること。生きるための原理原則に身体をもって気付かされる。長時間、自分と向き合うウルトラマラソンには自己との対話による気付きがある。これが、ウルトラマラソンが精神性の高いスポーツといわれる所以なのであろう。目標は未達であったが、気付きが得られたレースでした!


古河はなもも、辛うじてPB更新

3月12日(日)、古河はなももマラソンに出てきた。

2週間前のハーフマラソンの記録から見積った目標は3時間10分切り。平均ペースはキロ4分30秒。実力よりも少しだけチャレンジングな目標を自分に課した。自分を信じて、後半粘れるだけ粘ろう。期待と不安と緊張感の入り混じった複雑な心境でスタートを待った。

 10時、Eブロックからスタート。1分後にスタートラインを跨いだ。昨年の自分のラップタイムから計算したレースペースを維持する。25kmまでは計画通りの展開。目標に対して4秒の貯金。ペース管理は上出来だった。

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25㎞を過ぎ、大きく崩れだした。30㎞通過時、目標から58秒の遅れ、35㎞通過時、1分53秒の遅れ。目標とのタイム差はさらに開いた。挽回は困難になった。この時点で3時間10分切りの当初目標を諦めた。3時間13分台に目標を下方修正。弱気を一度受け入れてしまうと、立ち直るきっかけがなければ、結果はズルズルと悪いものになってくる。どんどんペースが落ちる。やはり自分には高過ぎる目標だった。前半オーバーペースだった。弱気がまた顔を出す。弱気は身体の何処かの調子を悪くする。急に大臀筋が痛くなってきた。大臀筋を揉んだり叩いたりしていたら、走りのリズムがおかしくなってきた。キロ5分ペースを維持できない。

 残り5km、キロ5分ペースで25分と読んで、時計を睨みつつ、目標をさらに下方修正。自己ベスト更新だけは意地でも死守するんだ。必死に足を前に出すが、ペースを上げられない。足が売り切れになった。残り1㎞の表示。ラストスパートを掛ける周りのランナーに置いてかれる。自己イメージが悪いまんま、3時間14分33秒(ネット)でゴール。辛うじて、自己ベストを19秒更新した。

自己ベスト更新を果たしたけど、オーバーペースで後半失速。敗因は明らかだった。後半、弱気な自分との戦いに容易に屈してしまった。自己イメージが悪すぎて、嬉しさはなかった。昨年も出ていたから、昨年比較で11分11秒の短縮。これがこの一年間の成長と言えるかもしれない。サブ3にどれだけ近づけるかを目標にしてきただけに、満足のいくレースでなかったことが悔やまれる。マラソンは、天気、体調、メンタル、ペースや補給などのレースマネジメントなどの影響を大きく受ける。思うようにいかないから面白いし、悔しさを感じる。悔しさからまたチャレンジしようという思いが強くなるものだ。

マラソンシーズンはこれで一区切り。翌週から7月の100マイルのウルトラトレイルへの挑戦に向け、心身を鍛えなおしていきます。
RUN OR DIE!!


ONTAKE100マイルのエントリー決定

2017年夏、最も楽しみにしていたレース、OSJ ONTAKE100マイルの部への挑戦が決まった。

2月3日正午、ランネットを通じてエントリーしたが、アクセスが集中したため、なかなかエントリー画面が表示されない。心臓は激しく鼓動するわ、緊張で入力する手は震えるわで、ようやくエントリーできた時には、年甲斐もなく思わず歓声を上げてしまった。ランネットは20分余りでエントリー締切となったらしい。早い者勝ちという公平なシステムではあるが、過熱する一方のクリック合戦には毎回ウンザリさせられる。

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OSJ ONTAKE100は、旧大会名OSJおんたけウルトラトレイル100K。今年から改称された。長野県木曽郡王滝村、御嶽山山麓に広がる国有林の林道を活用したトレイルランニングレースで、100㎞と100マイルの部がある。100マイルの部は過去のこのレースの100㎞の部で14時間以内の完走者だけがエントリー資格を得ることができる。

このレースの100マイルの部を目標にしたのはいつからだろう?初めて100マイルを完走して、夢の100マイラーとなったのが、2015年10月。舞台はKOUMI 100、ONTAKE 100と同じOSJがオーガナイズする100マイルレースだった。その後、次第に、日本国内の100マイルレースを全て完走してみたい、生涯かけて100マイル・グランドスラムを達成してみたいと夢を抱き、発展させてきた。昨年の100㎞の部で、無事にサブ14を達成し、100マイルの部への権利を獲得した。そして、今年、ようやくチャンレジできる。2年かけて、100マイルの部を目標にしてきただけに、エントリーが決まっただけでも、嬉しくて涙が出そうだった。この夏、もう一つの夢を叶えるため、しっかりと準備して臨もうと誓いを新たにした。

 


勝田全国でサブ315

私のマラソンシーズン第二戦目は、1月29日に茨城県ひたちなか市で行われた勝田全国マラソン。その舞台でサブ315の目標を達成できた。ネットタイムは3時間14分52秒。自己ベストを11分更新できた。
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ダイエット目的で走り始めたのが2012年。当時は30分のジョギングでもハアハアゼイゼイと喘いでいた。平均4分35秒/kmのペースでフルマラソンを走るなんて想像すらできなかった。そんな私が、サブ315だなんて。かつての自分では信じられない高みまできた。

昨年の秋、勝負レースに位置づけした100マイルレースは完走できなかった。悔しさの反動から掲げた目標がフルマラソンのサブ3。夢のままにしておきたくなかった。このレースでのサブ315を目指して、3カ月間のトレーニングに励んだ成果が発揮できた。サブ315には僅か7秒の余裕しかなかったけど、その7秒を削り出すため、最後の最後まで諦めなくて本当に良かった。

 作戦は10kmまでは4分42秒/km、25kmまでは4分36秒/km、25kmから4分30秒/kmまでペースを上げ、あとはそのままのペースで押していき、最終4分35秒/kmにまとめて、3時間13分台を目指すというものだった。30kmまではほぼ作戦通り。余裕で目標達成できるのではないかと思われたが、30km過ぎてから目標ペースを維持するのが厳しくなった。疲労、呼吸の苦しさ、股関節痛、腹痛、向かい風、暑さ、喉の渇き、コースのアップダウンなどが一気に襲い掛かってくる。ひたすら堪え忍ぶか、屈するか。まさにこれが30kmの壁。そのままズルズルとペースダウンして崩れそうだった。35km通過時には、タイムの貯金は底を尽き、グロスタイムでのサブ315は絶望的。ネットタイムでのサブ315だけは何が何でも守り切りたい。まだ間に合うと信じて、一秒でも二秒でも早く、早く走るんだ。サブ315を心から求めていた。辛い練習にも耐えてきた。最後の最後まで絶対に諦めない。これまで積み上げてきた練習には間違いはない。絶対にできると信じて、一秒でも二秒でも、タイムを縮めるんだ。残り7km強の距離、腕時計を何度も何度も確認する。残り2km強、まだ間に合う、最後まで望みがある。最後の最後まで絶対に諦めない。ここまで来て、僅か数秒目標に足りなかったということだけは絶対に嫌だ。最後の力を振り絞り、脚を前に前にと運ぶ。ぶっ倒れてもいい。周りを見る余裕なんてこれっぽっちもないまま、無我夢中でFINISH を迎えた。FINISH直後、脚が小刻みに震えだし、さらに、血の気が引いて、急に気分が悪くなってその場で倒れそうだった。その時は目標を達成した嬉しさよりも疲労困憊と気分の悪さが上回っていた。着替えを済ませ、体調の回復とともに、目標を達成した喜びがじわりじわりと大きくなった。

 自分にとって価値ある、挑戦し甲斐のある目標を掲げ、ひとつひとつ目標を乗り越えていくこと。そのことにこの上ない喜びと大きな達成感を感じている。容易に手に入れられるものになんの価値があるのだろうか。努力して手に入れたものだからこそ、価値がある。この達成感は魂に刻み込まれるほどの大きな喜びになった。

次はいよいよ、サブ3への挑戦。夢への挑戦。3月12日の古河はなももマラソンで、この夢にどこまで近づけるか。残り40日を切った。ベストを尽くし、夢にもう一秒でも二秒でも近づくのが願いだ。


いたばしリバーサイドハーフで自己ベスト

12月4日(日)、小春日和の中、いたばしリバーサイドハーフマラソンを走ってきた。

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 板橋区荒川河川敷のコースで開催されるこのレース。都営三田線西台駅から徒歩15分と都心から通いやすいこと、平坦で記録が狙いやすいなどの特徴がある。主催が板橋区陸上競技協会と聞くと、硬派なイメージを抱くが、実際、給水所は水のみというストイックさ。私には過度なおもてなしは必要なく、記録会というような大会の雰囲気が気に入って、3年連続で出場している。私にとっては、これを走らないと師走が来た感じがしないほど。トレイルランのシーズンオフからマラソンのシーズンインに切り替えた直後のレース、足試しにちょうどいい。これは私の今年の最終レース。来年3月まで続く、私のマラソンシーズンの開幕戦でもある。いやがうえにもやる気が高まる。

 結果は1時間33分49秒。自己ベストを3分49秒更新。会心の出来だった。

 天候は晴。心配していた風はほとんどない。河川敷には風を遮るものがなく、風の影響をもろに受ける。この上ないコンディションだった。スタート前のトイレ待ちの長蛇の列は相変わらず。戸田橋陸上競技場のトラックで10分程のアップ後、1時間20分以上1時間40分以内の列の後方に並んだ。練習の成果が出ることだけを願ってスタートを待った。

 午前9時45分にスタート。位置取りが悪かった。前が支えて走りにくい。コースの右側に寄るが、水たまりやらロードサイクルが前方から来るわ、走りづらい。1km通過は4’50″。2kmあたりからようやく前後にバラけてきてストレスはなくなった。1km毎に表示があって有り難い。平坦なのでペース維持しやすい。アップした効果がでていなく、呼吸は荒い。注目の入りの5kmは22分46秒、4’33”/kmのペース。目標ペースを上回っていた。後半どうなるか不安がよぎる。ペース維持に注力することにした。目標は4’30”/kmのペース。調子がいいだけに飛び出したい気持ちが湧き上がるが、我慢、我慢。折り返しまでは抑えて、折り返しからペースアップを目論んでいた。7km地点通過、そこでソフトフラスクに入れたジェルを補給。事前に水で薄めているから水無しでも飲みやすい。5-10km区間、22分19秒。4’27”/kmのペース。若干、目標を上回るペースだが呼吸は楽になっていた。

 前方にスカイツリーを見ながらの折り返し地点。勝負するか?冷静に状況を読みながらの自問自答。自己ベスト更新のチャンスだ。勿論、チャレンジでしょ。ギアをもう一段アップ。4’25″/kmのペース。一人また一人と、前から落ちてくるランナーを拾っていく。10-15km区間は22分7秒。4’25”/kmと設定ペースをキッチリ守った。15km地点で残りのジェルを補給。残り6km。4’20″/kmにさらにペースアップ。これまでの練習の成果が出ていることが何よりも嬉しかった。残り5km、4km、3km、2kmとカウントダウン。なかなか距離が減っていかない。1㎞の距離がいつもよりも長く感じる。ゼイゼイ、ゼイゼイと息が大きく乱れている。手が痺れてきた。酸欠の症状だ。15-20km区間、21分43秒、4’20“/km。この区間もキッチリとペースを守れた。残り1km、4’10″/kmまで上げてラストスパート。今、出せるスピードの限界。ゴールゲートが前方に見えている。なかなか近付いてこない。ゴール手前で2名に抜き返された。糞っ!スパートが早過ぎたか?でもこのレースは他人との競争ではない。自分との闘い、自分の目標との闘いだ。全力を振り絞る。息が切れるほどに苦しい。心拍数は今日の最高値。心臓が口から飛び出るんじゃないか?ヒー!これ以上は追い込めないほど追い込んでゴールゲートをくぐった。

 今年の最終レースで有終の美を飾ることができた。このときに得られた満足感こそ、なにものにも代え難い最高の喜びだった。次は、1月29日、茨城県で行われるフルマラソンの勝田全国マラソン。そこでサブ315の成果を確実に手に入れたい。


期限付きの夢サブ3

ランニングを始めたころに抱いた2つの夢がある。

それは100マイルのウルトラトレイル完走とフルマラソンでサブ3を遂げることだ。
前者は2015年に夢を果たした。残るは後者のみ。

 夢を夢のままにしておくか、それとも、夢を期限付きの目標にして実現させるかどうかは自分次第。何かをいつかはやりたいと思っていても実際に実現させる人は限られているんではないだろうか。いつかやろう、いつかやろうと期限も決めずにどんどんと先延しにはしたくない。いま行動を起こさなければ、加齢により達成の難易度は日に日に高くなっていく。50代中老の私にはそんなに時間は残されていない。夢や希望に溢れた20代、30代とは違って、40代、50代ともなると持つべきものは夢ではなく目標。そして、目標を達成するために必要なものは明確で綿密な計画。

 私のフルマラソンのPBは3時間25分台。2016年3月の記録。サブ3には25分の開きがある。一度にこの差を詰めるのは容易ではないだろう。来年3月の“古河はなももマラソン”を本命レースに定めた。まずは、頑張れば手が届きそうな水準に目標を設定した。

目標はサブ315。

PBから約10分の短縮。あまりにも高い目標を設定してしまうと目標と現実の差に怖気づいてしまって、目標にチャレンジする気持ちが失せてしまう。これを避けるための現実的な目標設定。高過ぎず、低過ぎず、適切なラインに目標を設定するのがポイント。着実に一歩一歩、期限付きの夢に近づきたい。