古河はなもも、辛うじてPB更新

3月12日(日)、古河はなももマラソンに出てきた。

2週間前のハーフマラソンの記録から見積った目標は3時間10分切り。平均ペースはキロ4分30秒。実力よりも少しだけチャレンジングな目標を自分に課した。自分を信じて、後半粘れるだけ粘ろう。期待と不安と緊張感の入り混じった複雑な心境でスタートを待った。

 10時、Eブロックからスタート。1分後にスタートラインを跨いだ。昨年の自分のラップタイムから計算したレースペースを維持する。25kmまでは計画通りの展開。目標に対して4秒の貯金。ペース管理は上出来だった。

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25㎞を過ぎ、大きく崩れだした。30㎞通過時、目標から58秒の遅れ、35㎞通過時、1分53秒の遅れ。目標とのタイム差はさらに開いた。挽回は困難になった。この時点で3時間10分切りの当初目標を諦めた。3時間13分台に目標を下方修正。弱気を一度受け入れてしまうと、立ち直るきっかけがなければ、結果はズルズルと悪いものになってくる。どんどんペースが落ちる。やはり自分には高過ぎる目標だった。前半オーバーペースだった。弱気がまた顔を出す。弱気は身体の何処かの調子を悪くする。急に大臀筋が痛くなってきた。大臀筋を揉んだり叩いたりしていたら、走りのリズムがおかしくなってきた。キロ5分ペースを維持できない。

 残り5km、キロ5分ペースで25分と読んで、時計を睨みつつ、目標をさらに下方修正。自己ベスト更新だけは意地でも死守するんだ。必死に足を前に出すが、ペースを上げられない。足が売り切れになった。残り1㎞の表示。ラストスパートを掛ける周りのランナーに置いてかれる。自己イメージが悪いまんま、3時間14分33秒(ネット)でゴール。辛うじて、自己ベストを19秒更新した。

自己ベスト更新を果たしたけど、オーバーペースで後半失速。敗因は明らかだった。後半、弱気な自分との戦いに容易に屈してしまった。自己イメージが悪すぎて、嬉しさはなかった。昨年も出ていたから、昨年比較で11分11秒の短縮。これがこの一年間の成長と言えるかもしれない。サブ3にどれだけ近づけるかを目標にしてきただけに、満足のいくレースでなかったことが悔やまれる。マラソンは、天気、体調、メンタル、ペースや補給などのレースマネジメントなどの影響を大きく受ける。思うようにいかないから面白いし、悔しさを感じる。悔しさからまたチャレンジしようという思いが強くなるものだ。

マラソンシーズンはこれで一区切り。翌週から7月の100マイルのウルトラトレイルへの挑戦に向け、心身を鍛えなおしていきます。
RUN OR DIE!!


勝田全国でサブ315

私のマラソンシーズン第二戦目は、1月29日に茨城県ひたちなか市で行われた勝田全国マラソン。その舞台でサブ315の目標を達成できた。ネットタイムは3時間14分52秒。自己ベストを11分更新できた。
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ダイエット目的で走り始めたのが2012年。当時は30分のジョギングでもハアハアゼイゼイと喘いでいた。平均4分35秒/kmのペースでフルマラソンを走るなんて想像すらできなかった。そんな私が、サブ315だなんて。かつての自分では信じられない高みまできた。

昨年の秋、勝負レースに位置づけした100マイルレースは完走できなかった。悔しさの反動から掲げた目標がフルマラソンのサブ3。夢のままにしておきたくなかった。このレースでのサブ315を目指して、3カ月間のトレーニングに励んだ成果が発揮できた。サブ315には僅か7秒の余裕しかなかったけど、その7秒を削り出すため、最後の最後まで諦めなくて本当に良かった。

 作戦は10kmまでは4分42秒/km、25kmまでは4分36秒/km、25kmから4分30秒/kmまでペースを上げ、あとはそのままのペースで押していき、最終4分35秒/kmにまとめて、3時間13分台を目指すというものだった。30kmまではほぼ作戦通り。余裕で目標達成できるのではないかと思われたが、30km過ぎてから目標ペースを維持するのが厳しくなった。疲労、呼吸の苦しさ、股関節痛、腹痛、向かい風、暑さ、喉の渇き、コースのアップダウンなどが一気に襲い掛かってくる。ひたすら堪え忍ぶか、屈するか。まさにこれが30kmの壁。そのままズルズルとペースダウンして崩れそうだった。35km通過時には、タイムの貯金は底を尽き、グロスタイムでのサブ315は絶望的。ネットタイムでのサブ315だけは何が何でも守り切りたい。まだ間に合うと信じて、一秒でも二秒でも早く、早く走るんだ。サブ315を心から求めていた。辛い練習にも耐えてきた。最後の最後まで絶対に諦めない。これまで積み上げてきた練習には間違いはない。絶対にできると信じて、一秒でも二秒でも、タイムを縮めるんだ。残り7km強の距離、腕時計を何度も何度も確認する。残り2km強、まだ間に合う、最後まで望みがある。最後の最後まで絶対に諦めない。ここまで来て、僅か数秒目標に足りなかったということだけは絶対に嫌だ。最後の力を振り絞り、脚を前に前にと運ぶ。ぶっ倒れてもいい。周りを見る余裕なんてこれっぽっちもないまま、無我夢中でFINISH を迎えた。FINISH直後、脚が小刻みに震えだし、さらに、血の気が引いて、急に気分が悪くなってその場で倒れそうだった。その時は目標を達成した嬉しさよりも疲労困憊と気分の悪さが上回っていた。着替えを済ませ、体調の回復とともに、目標を達成した喜びがじわりじわりと大きくなった。

 自分にとって価値ある、挑戦し甲斐のある目標を掲げ、ひとつひとつ目標を乗り越えていくこと。そのことにこの上ない喜びと大きな達成感を感じている。容易に手に入れられるものになんの価値があるのだろうか。努力して手に入れたものだからこそ、価値がある。この達成感は魂に刻み込まれるほどの大きな喜びになった。

次はいよいよ、サブ3への挑戦。夢への挑戦。3月12日の古河はなももマラソンで、この夢にどこまで近づけるか。残り40日を切った。ベストを尽くし、夢にもう一秒でも二秒でも近づくのが願いだ。


いたばしリバーサイドハーフで自己ベスト

12月4日(日)、小春日和の中、いたばしリバーサイドハーフマラソンを走ってきた。

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 板橋区荒川河川敷のコースで開催されるこのレース。都営三田線西台駅から徒歩15分と都心から通いやすいこと、平坦で記録が狙いやすいなどの特徴がある。主催が板橋区陸上競技協会と聞くと、硬派なイメージを抱くが、実際、給水所は水のみというストイックさ。私には過度なおもてなしは必要なく、記録会というような大会の雰囲気が気に入って、3年連続で出場している。私にとっては、これを走らないと師走が来た感じがしないほど。トレイルランのシーズンオフからマラソンのシーズンインに切り替えた直後のレース、足試しにちょうどいい。これは私の今年の最終レース。来年3月まで続く、私のマラソンシーズンの開幕戦でもある。いやがうえにもやる気が高まる。

 結果は1時間33分49秒。自己ベストを3分49秒更新。会心の出来だった。

 天候は晴。心配していた風はほとんどない。河川敷には風を遮るものがなく、風の影響をもろに受ける。この上ないコンディションだった。スタート前のトイレ待ちの長蛇の列は相変わらず。戸田橋陸上競技場のトラックで10分程のアップ後、1時間20分以上1時間40分以内の列の後方に並んだ。練習の成果が出ることだけを願ってスタートを待った。

 午前9時45分にスタート。位置取りが悪かった。前が支えて走りにくい。コースの右側に寄るが、水たまりやらロードサイクルが前方から来るわ、走りづらい。1km通過は4’50″。2kmあたりからようやく前後にバラけてきてストレスはなくなった。1km毎に表示があって有り難い。平坦なのでペース維持しやすい。アップした効果がでていなく、呼吸は荒い。注目の入りの5kmは22分46秒、4’33”/kmのペース。目標ペースを上回っていた。後半どうなるか不安がよぎる。ペース維持に注力することにした。目標は4’30”/kmのペース。調子がいいだけに飛び出したい気持ちが湧き上がるが、我慢、我慢。折り返しまでは抑えて、折り返しからペースアップを目論んでいた。7km地点通過、そこでソフトフラスクに入れたジェルを補給。事前に水で薄めているから水無しでも飲みやすい。5-10km区間、22分19秒。4’27”/kmのペース。若干、目標を上回るペースだが呼吸は楽になっていた。

 前方にスカイツリーを見ながらの折り返し地点。勝負するか?冷静に状況を読みながらの自問自答。自己ベスト更新のチャンスだ。勿論、チャレンジでしょ。ギアをもう一段アップ。4’25″/kmのペース。一人また一人と、前から落ちてくるランナーを拾っていく。10-15km区間は22分7秒。4’25”/kmと設定ペースをキッチリ守った。15km地点で残りのジェルを補給。残り6km。4’20″/kmにさらにペースアップ。これまでの練習の成果が出ていることが何よりも嬉しかった。残り5km、4km、3km、2kmとカウントダウン。なかなか距離が減っていかない。1㎞の距離がいつもよりも長く感じる。ゼイゼイ、ゼイゼイと息が大きく乱れている。手が痺れてきた。酸欠の症状だ。15-20km区間、21分43秒、4’20“/km。この区間もキッチリとペースを守れた。残り1km、4’10″/kmまで上げてラストスパート。今、出せるスピードの限界。ゴールゲートが前方に見えている。なかなか近付いてこない。ゴール手前で2名に抜き返された。糞っ!スパートが早過ぎたか?でもこのレースは他人との競争ではない。自分との闘い、自分の目標との闘いだ。全力を振り絞る。息が切れるほどに苦しい。心拍数は今日の最高値。心臓が口から飛び出るんじゃないか?ヒー!これ以上は追い込めないほど追い込んでゴールゲートをくぐった。

 今年の最終レースで有終の美を飾ることができた。このときに得られた満足感こそ、なにものにも代え難い最高の喜びだった。次は、1月29日、茨城県で行われるフルマラソンの勝田全国マラソン。そこでサブ315の成果を確実に手に入れたい。


KOUMI100完走、未完走を分けたもの

こんにちは。

10月9日~10日と長野県小海町でOSJ KOUMI100が行われた。
 
KOUMI100は32kmのコースをグル、グル、グル、グル、グルっと36時間の制限時間内に5周する100mileレース。
累積標高差8945m。周回コースという設定、制限時間面でも国内屈指の過酷なこのレース。
今回の完走率35%(出走数206名、完走者72名)が完走の難しさを物語る。
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私の結果はDNFだった。
3周目終了地点、96kmで走ることを止めた。

周回毎の記録は、
1周目5:18:53(116位)
2周目6:11:14(106位)
3周目8:20:23(110位)
3周回して19:50:30。前年の私の記録よりも1:12:59早いペースだった。
 
DNFの理由は3周目で胃腸の調子を崩し、心が折れた。
3周目から吐き気が始まり胃薬を服用するも、ジェルなどの補給食が取れなくなった。
ボロボロの体で、周回毎のSTART/FINISH地点までたどり着いたが、すでに4周目に挑む気力が萎えていた。復活する余地もどこにも見いだせず、自らDNFすることにした。なんとも情けない結果となった。まるで悪夢を見ているようだった。
 
 振り返れば、昨年、このレースに初挑戦で初完走を遂げ、100milerとなる夢を実現した。全力を振り絞って完走を遂げ、それにより得難い充実感があった。限界を越えた先に最高に幸せと感じる時間があった。苦難の中に生きた瞬間があった。思い出のあるこのレースをもう一度走ってみたかった。それも前回のようにぺーサー付きではなく、単独で完走を目指したかった。ただただ自分の力を試したかった。 燃えるような充実感をもう一度味わいたかった。
 
そんな思いを持って臨んだレースだったのに、なんで走るのを止めてしまったんだ?
 
前回は3周目が鬼門となったが、今回も3周目に大きく体調を崩した。大多数のランナーは、初日の夕方から深夜に3周目を迎えることになる。日が落ち気温も下がり寒さを感じるようになる。ランナーもばらけ、前後に誰もいない時間が多くなる。霧がかった暗闇の中、自分と向き合う孤独な戦いが延々と続く。3周目がメンタル的に最もキツイ周回かもしれない。胃腸の調子の悪さが、メンタルにネガティブに作用し、どうしても自分一人ではそれを凌ぐことができなかった。なぜか3周目が前回以上に絶望的に辛く感じられた。絶対に完走できる、この困難を乗り越えられると最後まで自分を信じることが出来なかった。胃腸の調子を崩したことだけでなく、自分のメンタルの弱さが、完走できなかった一番の理由だった。

完走者と未完走者を分けたものはなんだったのか?
それは絶対に完走するんだという強い気持ちを持ち続けられたかどうかだったと思う。
 
畜生!今は失意のドン底にいる。ぽっかりと心に穴が空いたようだ。目標未達に終わった。これまでの努力はいったいなんだったんだ?自分はいったいなんなんだ?次はなにを目標にしていけばいいんだ?自らの存在を否定している自分がいる。自らの存在の小ささに打ちひしがれている。しばらくは、立ち直れそうにない。
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今回、チームメイトやラン仲間も数多くこの大会に参加した。わざわざ東京から応援に駆けつけてくれた仲間もいた。レース中は仲間の存在が心強く、不眠不休の献身的なサポートにどれだけ元気や勇気を与えて貰えたか、感謝してもしきれない。今回はその仲間の存在という力を完走までの原動力にすることができなかった。サポートしてくれた仲間、応援してくれた方に申し訳ないという気持ちしかない。期待に応えられず、ごめんなさい。

いつかはわからないけど。再びこのレースを走る機会が来ると思う。その時はもっともっと精進を積んで本気で臨み直したいと思う。


野辺山ウルトラ初完走も・・・

2016年5月22日(Sun)
初挑戦の野辺山ウルトラマラソン100kmは無事に完走出来た。
感想を一言で言えば、精も根も尽きた。それほどに野辺山ウルトラに打ちのめされた。

このレースの正式名は星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン。今回、100、71、42kmの部合わせて過去最高の3,357名のエントリーがあった。

 特徴は、前半に林道トレイル、後半に馬越峠という2つの難所があること。平らな所はほとんどなく、常に登っているか下っているかのどちらかで、累積標高差は2000mを超える。国内屈指の難コースであるため、野辺山を制する者はウルトラを制するとも言われている。

 また、35km地点の稲子湯、42km地点の八峰の湯、71km地点の滝見の湯と3つの温泉があり、レース中に入浴することができるが、7つの関門と14時間という制限時間はそんな余裕は全く与えてはくれない。
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 アーリーエントリー1,000名には、星空の日本三大名所である星の郷という名に相応しい星形のグロウのプリントがなされた派手なプリントTが配布された。

 野辺山ウルトラに臨むにあたって、それなりにトレーニングは積んできたつもりだった。直近100日間で計1,000kmの走り込みをしてきた。レースペースでの30km走を基本に、都内近郊の峠へ通いアップダウンの激しいコースを想定したトレーニングも積んできた。

 サブ12を目指したが、記録は13時間10分31秒。100kmの部の男性で完走1,257名中679位。上位から54%。目標より1時間10分ほど遅かった。

 午前5時、100、71、42kmの部の全員が一斉にスタートする。9km地点から林道トレイルに入る。トレイルランナーの私としては林道トレイルのある前半の42kmまでの区間が景色も良く、最も楽しめた。コース最高地点1,906mは、この林道トレイル区間にある。40km地点までは順調で、サブ12時間の目標ペース通りだった。
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中盤の42~71km地点は山間部の町村のロードを走る。気温も上がり、ロード区間は日陰も少なく、直射日光が肌を焼く。暑さのため、脱水症の症状に見舞われた。眩暈と吐き気。エイド毎での水分補給と頭から水を被り暑さを凌いだが、徐々にエイドでの休憩も長くなり、歩く時間も長くなっていた。次のエイドまで平均5kmほどの距離があるが、頭から被った水は、その間にすっかり渇いてしまう。暑さと日焼け対策が不十分だった。ハンドボトルを持ってこなかったことを後悔したが、最終的には持参した小銭のお陰で自動販売機で飲料水を購入できた。ペットボトルを手に持ったまま、ゴールまで40kmあまりを走ることになった。また、濡らしたタオルを首に巻いていたが、途中から日差しを防ぐために、二等兵帽のように首の後ろに垂らして暑さを凌いだ。

 エイド毎の水かぶり、濡らしたタオル、小銭が無かったら、暑さに耐えられず完走できなかっただろう。

 そして、後半。71kmからの最大の難所、馬越峠越え。標高1,620mまで、490mの登り。距離は5km程だが、70kmを走ってきてのこの登りがキツかった。電信柱3つ分走ったら2つ分歩くというように、走りと歩きを交えて峠の登りを凌いだ。周りのランナーのほとんどが歩いていたと思う。峠を登りきった後は下ることになるが、これがまた、登り以上に急勾配で膝の負担が大きかった。膝の痛みに耐え切れず、下った先のエイドで今回2錠目の痛み止めを投入。以降、大して投薬効果は見られず、走りと歩きの間に立ち止まって膝裏のストレッチを入れなければならなかった。

 残り10km。だらだらとした登りが続く。先が見通せるだけに、ここで気力、体力を完全に奪われ、情けないことに歩きの方が多くなった。最後の1kmはありったけの気力を振り絞り走り抜いたが、フィニッシュ後は魂が抜けたようにフラフラだった。

 100kmの部の男性の完走率は前年差マイナス9.9ポイントの59.8%。女性の完走率は同じくマイナス3.3ポイントの51.6%。気温が前年よりも高かったことで完走率が大きく下がったと思われる。

 国内屈指の難コースという表現は決して大袈裟ではなく、心身共にボロボロにされた。辛うじて完走は出来たものの、精根尽きるほどに消耗させられたということで悔しい気持ちしかない。さらに成長するには、負けを知ることも肝要だ。悔しさをバネにするということだ。今回は潔く、野辺山ウルトラへの完敗を認めざるを得ない。来年、再度、野辺山ウルトラにエントリーし、今回の雪辱を果たしたいと思いを強くした。

 


古河はなももマラソンでサブ3.5

3月13日は思い出に残る日となった。

茨城県で行われた「古河はなももマラソン」で念願のサブ3.5を達成できたから。

また一つ、夢が叶った。

ネットタイムは3時間25分44秒。
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作戦は事前に決めたペースを守ること。直近のハーフマラソンのタイムから3時間25分09秒、4分52秒/kmを目標にした。

曇天のなか、10時にスタート。事前に申告した自己申請タイム順でFブロックからのスタートとなった。スタート地点の計測板までは1分23秒。これがネットタイムとグロスタイムの差になる。計測板を踏むと同時にWATCHのスタートボタンを押した。さて、どんなレース展開になるのか?。

序盤は5分/kmペースで抑える。周りも同じようなペースなので釣られて飛び出すことはない。ペースを上げ過ぎないよう、我慢、我慢、我慢、我慢と念仏のように何度も唱える。5km毎の通過時間を自作のタイム表で確認することを課した。

5km 通過時間:24分52秒、ラップペース:4分58秒/km
10km 通過時間:49分35秒、ラップ:24分43秒、ラップペース:4分57秒/km

10kmで25秒の貯金。序盤戦はまずまずのペース。10km過ぎから設定ペースの4分50秒/kmにギアを一段階アップした。身体が暖まり、自然とペースが上がってしまうのを抑えるのに苦労した。まだまだペースを抑えるべし。事前に決めたペースを守ることに集中する。

15km 通過時間:1時間13分19秒、ラップ:23分44秒、ラップペース:4分45秒/km
20km 通過時間:1時間37分27秒、ラップ:24分08秒、ラップペース:4分50秒/km

貯金は53秒に増えてしまった。これが後半にどう響いてくるのか、不安を抱えたまま、後半戦に突入する。25kmまでは、設定ペースの4分50秒/kmを維持することに集中する。レースはトレースとどこかの本で読んだが、まさにその通り、事前に設定したペースをただただ忠実になぞることだけを考えていた。

25km 通過時間:2時間01分27秒、ラップ:24分00秒、ラップペース:4分48秒/km

ここまでいいペースできている。貯金は63秒まで拡大。ここから4分40秒/kmペースまで、さらにギアアップ。今回のレースでのトップギアだ。これまで封印していたリミッターを解除。温存していた体力を爆発させ、ランナーを何十人もブッチ切る思惑でいたが、思うようにペースを上げることができない。予想以上に、脚に疲労が溜まっていた。

30km 通過時間:2時間25分03秒、ラップ:23分36秒、ラップペース:4分43秒/km

25~30km区間で辛うじて最速ラップを記録。貯金は47秒。まだなんとか食らいついていた。残り12km強、30kmの壁という魔物との戦いに不安がよぎる。35kmまでは4分40秒/kmペースを必死に維持するが、息が苦しい割には、ペースは全く上がらない。何人ものランナーに抜かれる。私が遅いのか?周りのランナーが早いのか?必死に背中を追いかけるが、遠のくばかり。

35km 通過時間:2時間49分22秒、ラップ:24分19秒、ラップペース:4分52秒/km

 タイムの貯金を使い果たし、12秒の借金に転じた。残り7km。設定ペースは5分/km。これが維持できない。脚が重い。膝も痛くなってきた。踏ん張れ!、踏ん張れ!。この残り7kmを耐えれば、サブ3.5の目標達成が確実なものになる!これまで辛かったトレーニングやレースの場面を思い出していた。残り6km、5km、4km、3kmとカウントダウンしたが、いつもと違って1kmが絶望的に長く感じられた。

40km 通過時間:3時間14分45秒、ラップ:25分23秒、ラップペース:5分05秒/km

35秒の遅れ。5分/kmペースを辛うじて維持した。残り2km強。必死に力を振り絞った。周りのランナーも苦しそうだ。陸上競技場に入りトラック半周、持てる全てを出しきり、ゴールを迎えた。

42.195km 通過時間:3時間25分44秒、ラップ:10分59秒、ラップペース:5分00秒/km

昨年の11月からレースまでの4カ月間、自分自身と向き合い真面目にトレーニングしてきた甲斐があった。今回はこれまでのトレーニングの集大成であるから、何が何でもサブ3.5の結果が欲しかった。全力を尽くした感もあった。だから充実感にも満たされた。目標タイムから35秒遅れたが、ほぼほぼ事前に決めたペースを守ることができた。結果として納得いく記録がでて、本当に良かった。

昨年、100マイラーになる夢を叶えた。次の夢の一つは、マラソンにおいての市民ランナーの勲章、サブ3。

だからサブ3.5は通過点。自分の限界という最終的な到達点に向かうまでの単なる通過点に過ぎない。

どこまで高めていけるのか?いつまで高めていけるのか?それは自分次第だ。

マラソンはトレーニングの努力と工夫によって誰でも、いつまでも進歩する可能性があるスポーツだといわれているが、今回の挑戦を通じて、あらためてその思いを強くした。次の目標はサブ3.15。

最後に、寒空の中に関わらず、コース沿道には昨年以上のたくさんの応援者の姿に本当に励まされ、背中を押していただいたと思っています。お陰で、最後まで気持ちよく走ることができました。心から感謝しています!


ハイテクハーフで走り初め

こんにちは。
2016年の走り初めは1月10日の”ハイテクハーフマラソン”。

旧称の”谷川真理ハーフマラソン”の方が馴染みがあるのは私だけではないだろう。数年前にハイテクハーフマラソンに名称が一新されたらしい。1万人参加の日本最大級のハーフマラソンで、今年で第17回目。種目はハーフマラソン、3km、2kmペアと3つある。
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メインのハーフマラソンは多数の参加者に対応するためか、会場の新荒川大橋野球場をスタート、フィニッシュに、荒川の上流、下流コースの二手に分かれる。あらかじめどちらかのコースに振り分けられ、15分間隔の3つのウェーブスタート形式になっている。日本陸運公認大会なので、コースは平坦で、記録が狙いやすい(かもしれない)。写真の通り、天候にも恵まれ、心配された風もほとんどなく、小春日和のなか、気持ちの良いレースでした。

今年の私の本命レースは3月13日の”サンスポ古河はなももマラソン”においている。2年振りにPB更新とサブ3.5を目指している。トレイルランナーの中にはフルマラソンを敬遠する人もいるかもしれないが、ロード走は練習の基本だし、フルマラソンのタイムは走力をはかるひとつのモノサシになると私は思う。トレイルランのシーズンオフにフルやハーフマラソンに年に1、2度はエントリーするようにしている。走力を診断する定期健康診断のようなものだ。

今回はその練習レースとなる。レースを練習として使うメリットは、質の高い練習が出来ること。ひとりで走るよりも、多くのランナーと競い合って走った方が、競争心と集中力も高まり、アドレナリン全開でゼイゼイ、ハアハアと自分をとことん追い込むことができる。実戦に勝る練習はない。

練習レースだから、ただ全力を尽くして走るよりも、本命レースに向けて目標を持って臨んだ。前半は突っ込み気味で入り、後半はどこまでも耐えるというもの。これで、フルマラソンの後半の心身的な辛さを擬似的に味わうことができると考えた。案の定、後半の13km付近から、がくっとペースが落ち、何人にも抜かれる精神的にも辛い展開になった。自分で望んだ通りの展開なので、自業自得であるのだが、残り5kmが絶望的な距離に感じられ、マジで歩こうかと思ったほどだった。前半の突っ込みでつくった貯金を後半に切り崩す。折れそうな気持ちを奮い立たせて、凌ぎに凌いだ。なんとか落ち込みを最小限に留め、記録は 1時間37分31秒(4分37秒/km)。

記録更新を目指したわけではなかったが、先月出したばかりのPBを53秒更新できた。今年の走り初めのレースとしては最高のスタートが切れた。走れば走るほどに早くなっているのが実感できると、走るのがさらに楽しくなるし練習にも身が入る。
次は2月7日の”赤羽30kmマラソン”。こちらも練習レースとしてより3月の本命レースを見据えた実りあるレースとしたいと思う。


走り納め、いたばしリバーサイドハーフ

  こんにちは。

 今年の「走り納め」してきた!

 選んだレースは、2015年12月6日の第9回いたばしリバーサイドハーフマラソン。
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 エントリーは2年連続。昨年参加して、都内からのアクセスの良さと、コースの走りやすさで好印象だったので。もうひとつの理由は、会社の同僚が焼肉を賭けたガチンコ勝負を挑んできたから。

 きっかけは3ヶ月前。ある飲み会で、私が100マイルを走る理由や走ることの効用など熱弁を振るっていたら、彼の闘争心に火が着いてしまった。その場でハーフマラソンでの勝負が決まった。酒の勢いもあったから翌日には忘れていると思っていた。でも、彼は本気だった。早速、ランニングシューズを購入。その後、何km走ったとか報告をくれるようになった。彼なりにストイックにトレーニングに励んでいた。その姿に感化され、私も自己ベストの更新を目指してトレーニングに励み、レースに臨んだ。

 レースの作戦は、前半抑えて、後半にペースを上げる、ネガティブ・スプリット。常日頃のポイント練習はビルドアップ走を基本としている。いつも通りに走ることだけに専念した。

 結果は以下の通り、
 5km 23分46秒 (4分45秒/km)
10km 23分22秒 (4分41秒/km)
15km 23分32秒 (4分43秒/km) 
20km  22分53秒 (4分35秒/km)
GOAL  4分56秒 (4分25秒/km)

 10km過ぎから向かい風が強く、若干ペースダウンしてしまったが、最後は4分30秒/km前後までペースアップしてのゴール。ほぼほぼイメージ通りのレース展開だった。前回から1分12秒短縮、1時間38分26秒と自己ベスト更新!

 同僚とのガチンコ勝負の方は、レース前の彼の目標タイムを聞いて、まず抜かれることはないと高を括っていたが、なんと、55秒差まで詰められていた。辛うじて逃げ切ることができた。

 2015年最後のレースで自己ベスト更新という有終の美を飾ることができた。着実に走力はアップしているという自信を深めることができた。これで目標のフルマラソンサブ3:30の達成も見えてきた。次は、2016年1月10日ハイテクハーフマラソン(旧谷川真理ハーフマラソン)。さらなる記録更新を目指したい!


KOUMI100で夢の100マイラーに

 こんにちは。
 2015年10月10日、11日に行われたOSJ KOUMI100という100マイルレースを完走しました!100マイルレースの完走者の称号、100マイラーに、遂になることができた。夢が叶いました!
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 KOUMI100は、長野県八ヶ岳連峰の麓、小海町の松原湖~稲子湯周辺を舞台とした32kmのコースを5周回する100マイル=160kmのトレイルランのレース。36時間の制限時間。4周回後の128㎞時点に28時間の関門がある。4週目と5周目にペーサーが可能になる。今年が第2回開催。

  コースの核心部は、稲子湯~ニュウへの登山道の700mの登りとコース最高点2100mからの下り区間にある。この区間には、マーキングは十分にあるものの一部に不明瞭な箇所があり、濃霧時などロストしないように注意が必要。本沢温泉入口駐車場エイド~周回のスタート&フィニッシュ地点のスケートセンター管理棟のエイドに向けた3㎞の林道区間も下り基調でスピードが出せるが、ガレた個所もあり、足置きに慎重にならざるを得ないテクニカルな区間である。

 私の総合記録 35:36:51 総合順位47位  男子順位46位  50代男子4位。

  36時間の制限時間ギリギリだった。
  出走者151名、完走者51名と完走率33.8%と、過酷なレースだった。3週目までの展開をみれば、ドロップしていてもおかしくなかった。調子を落とした3週目と大復活を遂げた4週目。はじめての100マイルはドラマチックなレースだった。

 1週目 記録 5:26:18 区間順位113位

 2周目 記録 6:59:52 区間順位127位
 リザルトが出たあとに知ることになったが、1周目、2周目ともに周回毎の区間順位は完走者中、最下位。完走狙いのレースだったので、序盤戦としては順調だった。

 問題の3週目。稲子湯前のエイド②辺りで、軽いハンガーノックになった。原因は、30分に一回の補給が疎かになっていた上に、夜間の寒さで胃腸の消化が悪くなったからだと思う。77kmほどを走り、心身ともに追い込まれていた。あらゆることが面倒になっていた。生命線である補給が疎かになっていたツケだ。ハンガーノックの症状はフラフラするほどの酷い目眩。これでは壁のようなニュウへの登りはとても越えられない。もうこれ以上は無理と思い込んでいた。スケートセンター管理棟のエイドで待つサポーター兼ぺーサーのカトちゃんに電話でアドバイスを求める。電話する直前までは、ここでドロップすると言おうと思っていた。それほどに困窮していた。彼の声を聞いた瞬間にそれを思い止まった。サポートやぺーサーを自分からお願いしておいて、ここでドロップすることを理性が思い止まらせた。エイドで温かい飲み物を貰い、持っているカイロを胃に当てるなどして、様子を見れば良いと的確なアドバイスを受ける。稲子湯の公衆トイレの洋式トイレの便座が温かく、少ないながらも暖が取れたことが幸運だった。トイレの狭い空間で、ゆっくりと時間をかけて十分な補給を取り直し、体制を立て直した。しばらくすると目眩は収まった。前に進むことにした。

 最難関の700mの登りを凌ぐ。ニュウの最高地点に到着。ここではチーム仲間のスースーさんがボラを務めている。短い会話でもチーム仲間の顔を見るだけでも勇気が沸いてくる。しかし、心身的には限界に達していたと思い込んでいた。以降は、ネガティブな思考に支配される。ドロップする言い訳を考え始めていた。

 本沢温泉入口駐車場エイド④を通過。スケートセンター管理棟までの最後の林道区間。前を行くチーム仲間のTさんに追いついた。お互いに声を掛け合う。「3週目まできたから、4週目にも入りたい!」との彼女の力強い言葉に勇気付けられた。残り2kmのロード区間に入り、4週目に入ったトレイル鳥羽の木戸・黒川さんのペアとすれ違う。黒川さんから、「みんな待っているぞ!」の言葉で、完全にポジティブな気持ちに切り替わる。応援してくれる仲間がいるから、結果はどうであれ、絶対にいけるところまで行こう!これまで、ドロップしようとネガティブな気持ちになっていた自分を恥じた。Tさんと並んで、3周目のフィニッシュを迎えた。

 3周目 記録 8:37:19 区間順位106位(完走者中、最下位)

 4週目から待望のぺーサーが可能となる。ぺーサーは、ペース配分、補給、体調管理など、高難度なマルチなタスクを淡々とこなす完走請負人である。ぺーサーのカトちゃんは、会社同僚であり、アウトドアアクティビティの友でもあり、同じRUN OR DIE!!に属するライバルでもある。長年、一緒に時を過してきた気心の知れた、信頼の置ける男でもある。自分は時計を一切見ないことにした。必死にぺーサーの背中を追いかけることに集中する。彼について行けば、必ず完走出来る。いや、ついて行けなければ、絶対に完走は出来ない。3周目の反省から、弱音は一切吐かないと心に固く誓う。自分から弱音を吐いた瞬間に、完走という大きな夢をこの手から逃すような気がしていた。気持ちは戦闘モードに切り替わっていた。疲労を感じないほどにアドレナリンが出ていた。しかし、4週目の関門の28時間までの時間の余裕は一切無かった。2週目も上回るペースで走らなければ、関門突破できない。4週目は時間との厳しい戦いだった。

 スケートセンター管理棟まで、残り5km。下り基調の林道、ガレた岩が多くテクニカルな区間。日曜日の午前ゼロ時過ぎから降り出した雨で林道は川と化していた。足置きに慎重にならざるを得ない。「神山さん!ここで走らなくていつ走るんですか!最後ですよ!」と大声で激が飛ぶ。その言葉でスイッチが入った。完全に戦闘モードに突入。キロ5分を超えるペースで走っていたかもしれない。今、思い出しても、なぜ、あんなスピードで駆けることができたのか、自分でも理解できない。いわゆるゾーンに入っていたのかもしれない。120km以上も駆けてきて、ここまで来たからには絶対に関門突破して、5週目に入りたい。完走したいという気持ちだけだった。28時間の関門をクリアできれば、脚なんか折れたって構わない。全速力で林道を駆け下りる。何かが取り憑いたように、無我夢中だった。残り2kmのロード区間も必死に走り抜いた。関門閉鎖の10分前に4週目を通過。最終ランナーだった。4周目のフィニッシュはスケートセンター管理棟で待っていた仲間に大きな歓声で迎えられる。困難を乗り越えて、帰還した奇跡のヒーローにでもなったようだった。

  残り8時間10分。エイドでの休憩の設定時間は15分。慌ただしく着替えや補給、装備の入れ替えや補充を行う。ここでもランブラーさんをはじめ、サポーターがテキパキと献身的に動いてくれる。自分は座ったまま、目の前に提供される物事の判断をするだけで、あらゆる事がサポートされる。本当にありがたい事だ。すでにスタートから28時間が経過していたが、眠気は全くなかった。

 4周目 記録 6:47:23 区間順位13位

 
 いよいよ、最後の5週目に突入。
 エイドは午前9時5分に出発。残り32kmを7時間55分でゴールすればいい。最終ランナーの宿命として、スイーパー2名がピッタリと私たちの後ろにつく。先ほどの激走の反動で、脚の疲労は限界に達していた。ちょっとした登りも走れなくなった。パワーウォークで進むしかない。行けども、行けども先行するランナーの姿が見えない。出来るだけ早くスイーパーのプレッシャーから開放されたかった。本沢温泉入口前のエイド①の手前で、ようやく先行者を発見し追い抜く。エイド①で休憩していた2、3名のランナーも追い抜き、先に進む。

 鬼門はニュウへの登りと下り。ここを無事に大きな遅延なく通過できれば、ゴールが見えてくる。脚の筋肉痛は耐え難いものになっていた。痛み止めも効かず、飲んでも気休めにしかならない。疲労が蓄積し、4週目のようには走れない。必死にペーサーについていく。関門のことは気にしなかった。目の前のぺーサーに必死についていくことだけを考えていた。ここまで来たからには絶対に完走するんだという気持だけは保ち続けた。必死だった。

 30時間以上も睡眠を取らないと人はどうなるのか?幻聴や幻覚を見ると聞いていた。後ろから追いかけてくるような鈴の音がずっと聞こえていて耳から離れない。何度も後ろを振り返ってしまう。もちろん誰もいない。林の中では、女性グループがワイワイ、ガヤガヤと楽しく談笑している声が聞こえてくる。こんなところに何で人が立っているのかなと思ったら、木や岩だったなんでことも何度もあった。

 鬼門のニュウの登りと下りを無事に突破し、ロード区間へ。ここで係員に「完走おめでとう!」と言われる。まだ、12kmほどを残していたが、時間的には完走が確実なものとなったようだった。最後まで油断はしてはならない。最後のテクニカルな林道区間でどうなるかは分らなかった。足を挫くとか転んで怪我をしないよう慎重に足置きをしながら、林道をこなした。

 最後の2kmのロード区間は少し歩いたが、最後は振り絞るように走った。カトちゃんとともに遂に、ゴールを迎えた。制限時間23分前、記録は35時間36分51秒。長かった自分との戦いに負けずに、走り切ることができた。チームのメンバーからの温かい歓迎を受け、完走の大きな歓喜に包まれた。

 5周目 記録 7:45:59  区間順位21位
 総合記録 35:36:51 総合順位47位 男子順位46位 50代男子4位


 中盤で調子を崩しながらも、それを乗り越えられたのは、サポートしてくれている仲間の存在と懸命に完走を目指す他のランナーに刺激を受けたことが大きかった。レース中に一人で苦しんでいたが、レースは決して一人で走っているわけではなく、仲間の気持ちも背負って走っている。だから限界だと思っても、簡単に諦めてはいけない。自分が限界だと思ったまだまだ先に本当の限界があることも、今回のレースで分ったことだ。自分の夢の実現のためにサポートしてくれている人たちの気持ちに自分の走りで応えなければいけない。最初は自分のために完走するつもりでいた。最後は仲間のためにも絶対に完走するんだという気持ちに変化していた。それが、完走への気持ちが折れることなく持続できた肝だった。
 また、4週目、5週目にカトちゃんが同走してくれたが、的確なサポート、リードがなければ、完走は叶わなかったとも言える。苛酷なレースを完走できたのは、サポーターをはじめ、皆様のお陰です。心から感謝しています。
 
 KOUMI100は、UTMFのような華やかさはないが、それを補って余りあるアットホームな雰囲気のある魅力的な大会だった。今年は167名がエントリー、昨年の倍。来年はさらに人気が出そうな大会になることでしょう。

 最後に、私は2012年からトレイルランをはじめた。その頃は、100マイルのトレイルラン・レースの完走が漠然とした夢だった。100マイルへの挑戦を本気で意識するようになったのは、70km程のロングレースの経験を積んできた2014年から。足掛け3年掛けて、夢を目標に変えてきたことになる。2015年は秋のUTMFかKOUMI100のどちらかに照準を当て、4月のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100kmを前哨戦としていた。50歳という人生の節目に、100kmのウルトラマラソン完走と100マイルのウルトラトレイル完走という今年の2大目標を達成出来て本当に嬉しい。嬉しさで一杯、感無量です!


チャレンジ富士五湖、100km初完走

4月19日のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100kmを2回目の挑戦で初完走できた。

昨年は膝の故障のため、85km地点でリタイア。敗因は走り込みが足りず、長距離を走り切れる心身が備わってなかったから。今回はそのリベンジに燃えてレースに臨んだ。

結果は、ほぼ目標通りの展開で、12時間32分09秒で完走を遂げ、雪辱を果たした。
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何を成し遂げるにせよ、自分はできると思うことが大切であると思っている。それは自分の可能性を信じることでもある。ポジティブに自分自身を捉えることと言い換えてもいい。それは自信過剰になることでも、無謀なことに取り組むことでもなく、綿密な計画や準備、そして努力の積み重ねがあって、成り立つものでなければならない。

私は運動が得意でない子供だった。走ることは好きな運動だった。でもクラスで特に早く走れた方でもなかった。人に語れるような華々しいスポーツ歴もない。運動能力は極々、普通。いや、普通以下だった。走り始めたのもほんの3年前、46歳の時だった。でもこんな私でも100kmのウルトラマラソンを完走できた。やろうと思って、努力すれば、必ず実現できる。それを自らの身体をもって証明できたことが何よりも自信に繋がった。自分にはまだまだ成長できる可能性があること、自分はどんな試練も乗り越える強さがあること、自分を最後まで信じることができたこと。それらをこのレースの完走で証明できたことで大きな達成感に満たされた。

100㎞を走るなか、自問していたことがある。何故、私は走るのか?今回の完走を通じて、その問いに、自分なりの答えをようやく見出すことができた。自分にはどんな試練も乗り越える強さがあるということを信じたいがために走っている。だから、どんなに辛く、苦しい思いをしても、また挑戦したくなってしまうのだろう。40代最後のレースに位置づけしていた、このレースで完走できたことは本当に嬉しかった。また、来年もチャレンジ富士五湖を走るんだろうな、私はきっと。