トレイルランニングのレースを開催したいと思った人間というのは、
①トップランナーであり、依頼されてレースを開催した
②トレイルランニングをしているないし、好きだから開催した
③トレイルランニングレース開催地域で商売や政治活動をしており、
地域活性化を目的として開催した
④レースやイベントを開催する会社を運営していた
⑤トレイルランニングのギアを製作・販売している会社に所属していた
上記が主な理由・原因だと思います。
でも、約3年前に私が
「トレイルランニングレースを開催したい!」
と思った頃、私は上記理由が一つも当てはまらない人物でした。
じゃあ、なぜトレイルランニングのレースを開催したいと思ったのか・・・
きっかけの出来事と人物がいたからです。
まずは、きっかけの出来事からお話します。
私は7年前に出産しまして、それからしばらくベビーマッサージの講師をしていました。
ベビーマッサージとは、子供の心身の発育、親子の深い絆づくり、お母さんの育児ストレスの解消を目的とした、スキンシップ方法のことです。
7年前の山梨で、ベビーマッサージ教室を開催している人は少なく、
お陰様で、テレビやラジオ、新聞に取り上げていただきました。
山梨は狭いのでそうやった活動をしていると、いろんな業種の方々からお声がかかるようになります。
その方々は口をそろえて
「山梨を盛り上げる、なにかいい案はないですか?」
と、私に質問をしてくるのですが、当時の私には何一つ良いアイデアは浮かばず、むしろ
「どうせ山梨なんて盛り上がらない」
と思って、提案をしようという気持ちにもならない状況でした。
そう思って、子育て支援活動や生活をしていくうえで、ふと自分の子供のことを考えました。
私は山梨を愛してるのか?自分が愛していない地で子供は生きていくのか?
山梨という場所は本当に中途半端な位置にありまして、
東京に2時間で行けるのです。
東京以外の主要都市に行こうとすると、ものすごい不便なのですが、東京へのアクセスは意外と便利。
なので、山梨に無いもの、山梨で出来ないことは、東京に行けばすぐに解決するので
地元をなんとかしよう!という気持ちがなかなか芽生えないのです。
(あくまでも私個人の意見ですのであしからず)
私が生まれた山梨県北杜市は今は都会からの移住者が多く、元々の住民と都会から引っ越してきた住民が半々ぐらいですが、私の幼少期は元々の住民が多く、地元の公立小学校、公立中学校、県立高校に進むのがセオリーでした。私の場合、私立の女子中学校へ進んでしまったので、「地元」という絆からはみ出してしまった感もあり、それが余計「地元愛」を失ってしまった原因かもしれません。
果たして、自分の子供は山梨に生まれ、山梨で育っていくのに、
このままどんどん人口が減ってしまって、どんどん寂しい県になってしまったらどうなってしまうのだろう?
寂しい田舎にしてしまうのも、楽しい田舎にするのも、他人ではなく自分なのではないか?
でも、都会のマネをしたイベントでは、一時的な盛り上がりで、継続性は無いだろう。
山梨の特色を生かした、山梨で無ければ出来ないことってなんだろうか?
その答えが出ないまま、いつもどおり様々な育児イベントを開催していく中で、子供が喜ぶイベントに確かに人は集まるけど、子供だけでなく親自身が楽しくなるイベントでなければ継続性が無いことがわかりました。
『子供の為に』という思いだけのイベントは、子供が巣立てば興味が失せ、親も楽しいイベントなら子供が大きくなってもずっと通い続けてくれる。
『大人が楽しむことに子供が共感し、子供が喜ぶ』
このキーワードで何かできることがないか?と思っていたとき、私はトレイルランニングに出会います。
正確に言うと、すでに出会っていたトレイルランニングに、ようやく可能性を見出したというか、興味を持ったというか・・・
現状を打破するのは、トレイルランニングの存在かもしれないということに、気が付いたのです。
ということで、次回はきっかけを与えてくれた、私にトレイルランニングを教えてくれた人物についてお話ししたいと思います。