先日。
本当に不注意で、左足首の靭帯を切った。
何気ないトレイルの、何気ない下り坂。
下りが大好きな私は
ヘイヘイヘイと、いつも通りトレイルを走っていた。
あら?
っと思ったときには足首をひねり、
ひねった時には、ブチっと音がし、痛くてその場に転がり、
明らかにいつもと違うその状況に戸惑いつつも
これはひどい捻挫だ・・・そう思い、歩いて下山した。
思い込みとはすごいもので、
そのまましばらく捻挫だと思い込み、
あまりに痛いので病院へ行ったら、
受付の段階ですでに松葉杖を渡される。
あれ?そんな状況ですか?
そう看護士さんに尋ねると、黙って頷かれる。
診察室に着いたら、先生半笑い。
「次のレースはいつなの?」
と、先生が言うもんだから
4月ですと答えると
看護士さんと声を揃えて
「あーーーーーー残念」と。
先生と、看護士さんの予想通り
検査の結果、とっても綺麗に、プチんって靭帯が切れていて
ついでに、靭帯が支えていた骨までヒビが。
全治3ヶ月。
ちょびちょびしちょ。
これ、甲州弁です。
標準語に直すなら、「調子に乗るんじゃない」そんな感じでしょうか。
これで目標にしていたレースに
サヨナラを告げることとなりました。
サヨナラから始まることが
たくさんあるんだよ
そんな歌がありましたね。
「サヨナラCOLOR」ですね。
良い歌です。
これまで練習嫌いを豪語してきた私ですが
いざ走れなくなると
なぜこんなに走りたくなるのか
そして、なぜ今まで走らなかったことを後悔するのか
そして、体を動かせないことがこんなに不便とは・・・
私、主婦なもんで。
こう見えても主婦なもんで。
ギブス生活の何が困るって、
洗濯物を干すのが非常に困る・・・
食事を作るのに、非常に不便・・・
車の運転がしずらい・・・
買い物しても重たい物が運べない・・・
そんな時に限って、ミソも醤油も無くなる・・・
プリーズヘルプミー。
ほんのちょっとした油断。
油断大敵。
油断アカン。
怪我して、動けなくなって、
何が嫌って、
ネガティブシンキングがノンストップなところ。
こう見えて、基本、ネガティブでウジウジしてるので
その度合いが加速。
右肩上がりにネガティブ。
もう、物事がすべて悪いようにしか考えられない。
ハッピーオーラ満載の人なんて、
バックドロップかましてやろうかと思うぐらいドンヨリ。
こんな心が狭い人じゃいけないって
どんなに思っていても
どうにもこうにも
ネガティブ。
明らかに心がガサガサしてる。
こんな夜は、日常考えを保留していることについて深く考えてみる。
先日、重力波をとらえることに成功したというニュースがあり、
私が短大生の時、デカルトの「方法序説」に、のめりこんだ事を思い出した。
私は幼少期から、テレビや物語でよくある
「タイムスリップしてやってきました」
というシーンが不思議で不思議でならなかった。
『タイムマシーンで行きかう人がいるならば、今いる私はいったい何なのだろう?』
と。
そして、この疑問に対し、少なくとも、小学生の時には1つの結論に達していた。
私の結論は、
私は今、死の淵に立っていて
人生を思い出している。
生まれてから、死ぬまでの出来事を思い出している中の
1コマに私は存在している。
小学生の時、こんなこと考えてたんだから、ちょっと怖い。
認めたくないが、あのころから少し変わってた。
「方法序説」は、そんな考えの私に
「私はいったい誰だろう?と思っているそのもの自身があなたである」
という、1つの考え方を教えてくれた本だった。
「光の速度は重力波の影響を受ける。」
では、気持ちの伝達は何の影響を受けるのだろう。
人によって、気持ちの伝わり方に差が出るのはなぜだろう。
気持ちは物質として存在していないから、そもそも対比のしようがない。
うむ・・・
左足首の靭帯を切った。
たったそれだけのことなのに、
眠れない・・・
結局、ポジティブになれず。
運動してれば、心は前向きなると
なんか誰かが言っていた気がする。
今ならなんか納得できる。
健全な精神は健全な肉体から。
うむ・・・。
早く治りますように。