今年もスリーピークス八ヶ岳トレイルが、何とか終わりました。
何年たっても、どーんと構えて、ゆっくり大会を迎える事も、終えることもできず、
毎年、まさかの出来事が大会直前に起こり、どんなに準備しても慌ただしい。。。
たぶん、開催している限り、ずっとこうなんだろうな・・・と思います(笑)
ご参加、ご協力いただいた皆様へ
感謝の気持ちと、私自身の反省の意味も込めて、ブログ更新いたします。
まず、ご協力いただいた皆様
本当にありがとうございました。
そして、ご参加いただいた皆様
本当にありがとうございました
感謝の言葉しかありません。
そして、このブログ最初に言いますけど、いつと変わらぬ長文になっておりますので、
ごゆっくりお楽しみください(笑)
スミマセン。
例年、大会の準備は前年の10月にはスタートします。
9月ごろから準備を進め、10月には実行委員会を発足。
12月までに大会協賛スポンサーを確定し、
同じく12月までには、開催地、入山許可および国定公園管理者、その他関係者との協議を終え大会開催の発表を行い、
1月にはポスター、フライヤー完成、同じくエントリー開始というのが、おおよその流れ。
ところが、10月。
第6回スリーピークス八ヶ岳トレイルを開催するための実行委員会を発足するタイミングで事件は起こります。
忘れもしない。
10月2日。
夫が癌だと宣告され、緊急入院。
翌日緊急手術。
これまで会社の健康診断もオールAだったし、癌だと分かった前週に健康診断を済ませたばかり。
勿論その健康診断でも、問題は何も見つからなかったのに、翌週には癌と言われ、手術をする。
夫にとって、そして家族にとって、本当に衝撃的な事件でした。
夫の癌は、超希少種と言われる部類の癌で、
日本人であれば10万人に1人というレベルの癌でした。
痛みや目立った症状が全くなく、進行してしまう病気でしたが、幸いな事ながら
「特効薬」が見つかっており、副作用は強いものの、ほぼ完治可能なものでした。
それまで私は、夫がいるおかげで、かなり自由なことをさせてもらっていた為、
夫の病気により、生活が一変することは目に見えていました。
夫の病状、今後の生活、考えると正直どうしたらいいのか・・・と落ち込み・・・
なんて事はなく(本当になかった)
勿論心配だったし、不安だったけど、何とかしなきゃなぁという思いで日々を過ごしておりました。
ただ、現実を見たときに、大会や仕事や、自分が企画しているイベントなど出来なくなるだろうな・・・と覚悟し、
スリーピークスの主要メンバーに夫が癌になったことを伝え、しばらく動くことはできないと伝えました。
すると、みんな
「大丈夫、できることはやっておくから。なにしたらいいか指示ちょうだい」
「落ち着いてからで大丈夫、これまでのやってきたんだから、なんとかなるよ」
という、暖かい言葉ばかり。待ってるよって言ってくれたことが嬉しかったです。
夫からも
「裕美が心配する気持ちもわかるけど、大丈夫だから、俺のそばに居なくていいよ。
普段通りに、今まで通りに、慌ただしくしていてくれた方が俺は安心するから、いつも通りに過ごして欲しい」
と言われ、夫の病気もあまり公にしていない状況だったので、極力普段通りに過ごしていました。
それでも年内は思い通りに動けず、結局大会準備は普段より2か月近く遅れてスタートすることになります。
夫の抗がん剤治療も順調に進み、年明けには長い入院生活からも解放され、自宅療養生活となりました。
抗がん剤の影響で生えていた髪の毛は全部抜けてしまったけど、家に夫がいるだけで、本当に幸せな気持ちになりました。
スリーピークスの準備や、その他諸々の仕事をしている中で、
これまで、自分のしたいと思ったことは「努力すれば何とかなる」の精神で全部やってきたけど、今は欲張る時期ではなく、自分の目指したい道、生きていたい場所、やりたいこと、やらなきゃならないこと、そのすべてを整理しないと、すべてが崩れて終わると感じ、2月末で「SUNDAY」「道がまっすぐ」を退職しました。
これも今まで特に公にしていないので
「えーーー知らなかったーーー言ってよーーー」という方が多いかと思います。
退職の挨拶もきちんとせず、不義理で本当に申し訳ありません。
理由はどうであれ、一生働こうと思っていたし、好きな仕事だったし、そんな職場を退職するというのは、言葉に出すのも切ないものなのです。
ようやく今この時期になって「辞めたんだよ」と言えるようになりましたが。
退職から4カ月間。
そのぐらい時間が必要なぐらい、色んな思いがあって、言うことができなかったんです。
そのぐらい、退職は大きな出来事でした。
ちゃんと挨拶せずに辞めてしまってすみません、本当に。
職場を退職し、これで次のステップに・・・とはならず、
3月、4月は色んな精神的な疲れがどっと出たのか、何も手につかない、何もできない、外にも出られない、ただ寝るだけ。そんな日々が続きます。
やらなきゃならないことはあるのに、できない。
したいことがあるのに、起き上がれない。
眠りたいのに眠れない。
とにかく人に会いたくない。
ただ、本当に幸いな事ながら、定期的に外に出なければならない、用事や予定や仕事が入るので、その中で徐々に自分自身の体調も回復・・・というよりもむしろ、寝込んでる暇もないっていうのは幸せなことだとだね!という状況になり、結果的に元気になりました(笑)
そんなこんなで私のスリーピークスの準備はどんどん遅れ、
第6回スリーピークス八ヶ岳トレイルの準備は様々な締切を本気のデッドライン、もうこれ以上無理のデッドラインでクリアし(笑)
ドキドキ、ハラハラ、ヒヤヒヤ状態で必死に準備をすすめていきます。
(今年プリントミスが多かったのはそのせいです(笑))
ただ、これまで大会を開催していく中で、コースや運営に関するチームが出来上がり、
そのコアスタッフの方々が独自で動いてくれたり、手伝ってくれたり、いつも以上に支えてくれる人たちが多かった為
大会当日を迎えることができました。
今年もお手伝いしてくれたゲストスタッフの方は大会準備、撤収までの4日間で、約350名。
事前のコース整備や草刈りなどを手伝ってくれたボランティアスタッフの方を集めたら、約400名の方がスリーピークス八ヶ岳トレイル開催の為に力を貸してくれました。
そして、その中には、私の11歳になる娘と、抗がん剤治療から無事復活した夫の姿もありました。
夫は毎年、スタッフの搬送と、A14という場所で分岐誘導を担当しています。
抗がん剤治療を始めたとき「A14の分岐誘導しなきゃいけないから、そこまでにはなんとかしなきゃ」なんて話をしていたので、現実となって、夫が大会を手伝えるまで元気になってくれたことは、本当に嬉しい出来事でした。
さて、、、
私の長文ブログ、、、
まだ終わりませんよ(笑)
いや、何度かに分けて書けばいいんですけど、そうすると続きを書かずに途中で辞めちゃう傾向が高いので(笑)
今回はこのまま、長文を突き進みます。
第6回大会で最もつらかったこと。
それは・・・
「雨天迂回コースの設定と雨天中止基準についての見直し」
でしょうか?
これまで大会当日に雨マークがついていたとしても
「大丈夫、晴れる、いや、晴らす」
ぐらいの感じで過ごしてきましたが、トレイルランニングを取り巻く環境は毎年変化しており、
雨天時の大会開催については、とっても厳しいのが現状です。
地域性もあるので、一概には言えませんが、スリーピークスでは38kmのコースに限り、雨天開催基準が設けれていました。
「警報レベルの雨が、大会開催日に降ったら中止にするように。それだけでなく、その付近(3日間)降り続いた場合は、通常のコースではなく、雨天時専用のコース(迂回コース)にて実施するように」
これは、事前の関係各所との協議で決まった内容です。この内容があるから、大会コースの使用の許可が下りている部分もあるのです。
なので、
「晴らすから大丈夫」
というわけにもいかず「もしも降ったら」の場合の雨天迂回コースを設定。
事前にコース担当の小山田さんが、調査の為実際に走って確認。
雨天迂回コースになると、エイドの状況も変わるので、事前の会議では色んな可能性を考えて
みんなで悩んで、通常のレースコースだけでなく、雨天迂回コースの準備もしながら、大会準備を進めてきました。
大会が近くなるにつれ、
雨どころか「季節外れの台風の影響で大雨に注意です」というニュースがあちこちで流れるような状況に・・・
梅雨はわかるけど、台風ってなんだよ・・・
今来るなよ・・・状態。
6月6日から毎日雨量を確認し、現状では当日とんでもない豪雨でも降らなければ、雨天迂回コースは使わない可能性が高くはなってきたけれど、まだ何とも言えない・・・。
9日早朝から小山田さんがコースの最終チェックに向かうので、雨天迂回コースの実施決断は9日11時まで。
という結論が出たのは8日の夜20時。
最終の実行委員会議の場でした。
この最終会議時点でも、天気予報はあてにならず、雨の状況が全く読めないことから、
「正規コースでの開催」と「雨天迂回コースでの開催」以外に「普通に開催したけど、途中で危ないパターン」という3つ目の大会開催方法を検討すべきなのでは?という話が持ち上がり、重苦しくも、3つ目の中止基準を新たに設ける方向で会議は終了。
中止基準の内容と、実施のタイミング、その場合のスタッフの動きなどを、急いでまとめ、私は指示書を作成。
無線本部担当の松山さんと、お互いの認識にずれが無いか、何度も確認する。
小山田さんと確認しても、途中意見が割れて何度も最初からの話に戻る。
時間もないし、お互い疲れてるし、雨とかほんと勘弁してほしいし、いろんな気持ちで話をするから、喧嘩っぽくなる。
それでも決めなきゃならない。
そして、大会主催者の義務として、そのことを参加者に事前に告知しなければならない。
どう説明すればいいのか?
深夜で頭が鈍くなり始めた状況で必死に考える。
大会開催を翌日に控えている中で、まさかこんなにも複雑な問題が発生するとは・・・
なんですんなり大会開催日にならないんだろう・・・。
結局、告知文が仕上がらないまま、いったん手を止め
大会会場から宿に戻ろうと、会場を後にしたのが9日の午前3時。
9日朝の集合時間は7時・・・
やっぱり今年も寝れずに大会を迎えるのね・・・なんて思いながら、会場を出る。
その時点では、本当に弱い雨がぽつぽつと降っている状況。
少しお腹すいたから、コンビニに行こう。
そう言って、私の車でコンビニに向かう。
時刻は午前3時。
回り真っ暗。
小雨。
ウィーン、ウーィン、ウィーン
バフ!!!
動いていたワイパーが、突如バフっという音と共に停止・・・
周りは林。
街灯も無し。
時刻は午前3時。
もう、間違いなく心霊現象だと思った。
ほら、こういうパターンあるじゃん。
ワイパー動かないねって外出たら、後ろから血だらけの人が、ワ――ってくるやつ。
もしくは、死体が転がってて、きゃーーーってやつ。
もう怖すぎて外出られない・・・けど、出ないわけにもいかないから、出てみる。
お化けはいなかったけど、死体も転がってなかったけど
この瞬間、購入から約10年、一度も壊れたことが無かったワイパーが壊れ、ご臨終・・・
もう、ホラーですよ。
心霊現象より怖いホラーがやってきましたよ。
時刻は午前3時だけど、すぐさま家で寝ている夫にテレフォン。
なんでかって、我が家の車は大会期間中、搬送車両になり、人や荷物を載せる予定がたくさん決まっているから・・・
助けて・・・マツポン。朝イチにこの車修理工場へ運んで・・・とお願い。
もうこの時点で、夫が病開けとか、完全にスルー。
とにかく助けてほしい一心。
結論から言いますが・・・
原因不明のワイパートラブルは、修理工場でワイパーを変えればすぐに終了♬なんてものではないことが判明。
搬送車両として、なんとかミニバンを借りたいと、〇ヨタに頼むも、代車でミニバンは無いですよ。。。と。
でもミニバンがどうしても必要なのよ・・・この2日間は・・・・と、レンタカーを系列の〇ヨタレンタカーから急いで借りる・・・。
レンタカーを借りたときには、修理期間は1日ちょっとってはずだったから、ちょっと高いなって思ったけど、ここは背に腹は代えられないわ!って借りてみたら、結果車が戻ってきたのは4日後・・・。
修理代とレンタカー代で約10万円。
チーーーン。
もう、ホラーでしかない。
あ、話、脱線しました。
そのワイパー停止事件が起きたことにより、小山田さんは
「こんなタイミングでワイパー壊れるって、これ雨降らないってことだよ!」と。
ポジティブ。
ほんと、そうかもしれない。
じゃなきゃ、こんな奇跡(ホラー)起きるはずない。
そうだよね・・・って思いつつも、だからって、準備しないってわけにもいかず、
発表しないってわけにもいかず、宿にもどってきてから、
PCに向かって、雨天中止の発表をHPやFBに掲載するタイミングを考える。
はぁ・・・
気が重い。
楽しみにしてる人たちの顔も浮かぶし、
もしも雨天中止なんてことになったら、あんなことやこんなことも起きるかもしれない。
でも、早く決めて発表しないと、大会当日に動く選手の方にもゲストスタッフの方にも迷惑がかかるから、発表しなきゃならない。
頭の中のシュミレーションは出来てるし、
もしそうなった際の指示書もできてる。
もし何かあっても、完璧に対応してくれる、コース担当者が山岳エリアには揃ってる。
大丈夫、大丈夫。
時刻は午前4時。
前文に書いたように、この時点ではまだ、雨天迂回コースを使うという可能性もまだ残っていた。
9日の朝イチから小山田さんがコースを走り、ゲストスタッフ説明会の1回目、午前11時までに
「最初から雨天迂回コースで行く」か、「途中中止もあるが通常通りのコースでスタートするか」のどちらかを
小山田さんが決めることになっていた。
正直、最初から雨天迂回コースで開催した方が、私にとってはやりやすい。
なぜなら、こっちの方が、ずっとシュミレーションもマニュアルもできてる。
一部の山岳パートのスタッフと医療関係のスタッフには雨天迂回コースの説明もしてある。
でも、コースディレクターの想いとしては、安全第一が大前提で、
その上で、正規コースを走れるのであれば、途中中止になる選手が出るかもしれないけど、
正規のコースで行きたい。
と、思っているだろうな・・・と、気持ちが伝わっていたし、
もしも私がここで、不安な顔をしたら、冷静な判断ができなくなるだろうな・・・と思っていたら、
ふと、涙が出てしまって、
わーーーもーーーどうしよう状態になってしまい、
ほぼ寝てた小山田さんも
「え?泣いてる?え?大丈夫?」
って、跳び起き、結局、そこから朝4時過ぎまで、もう1回、雨天迂回と雨天中止の内容を確認し合い。
それでようやく、HPとfbにお知らせを投稿。
もうお知らせを載せたからには、本当に覚悟するしかない。
9日。午前11時。
小山田さんはやっぱり雨天迂回コースは選ばなかった。
だから「正規コースで開催するけど、何かあった場合中止にする方法」で開催するしかないことが決まった。
何かあったら中止にする方法とは、簡単に説明すると、
大会が無事スタートしたとしても、山頂に配置されたスタッフからの情報を受けて、雨量、風速が強かった場合は、その時点で山頂分岐に達していなかった選手は中止、分岐を通過していた選手のみレース続行
というものです。
山頂には、大会開催前からずっとコースをチェック、整備してくれている朽見君がいます。
朽見君は前日は編笠山の青年小屋に泊まり、雨量や風速を監視し続けてくれました。
開会式で途中で中止になった場合の説明をする時、
表現しようのない、不安がまた襲ってきて、その不安に押しつぶされそうになりました。
ダメだ、泣いちゃだめだ。
この不安な気持ちが、おかしな興奮スイッチを押してしまい、
気がつけば涙があふれている状況。
しっかりしなきゃと思えば思うほど、それは収まらず、本部テントの中で右往左往していると
親友の上宮逸子が「裕美、大丈夫?」と駆け寄って、肩を抱いてくれたのです。
逸子はいつも、ほんと天然で、天然って逸子の為にあるのね!ってぐらい天然だけど、
私がひっそりとおびえている姿に気が付いて、駆け付けてくれて、背中を撫でてくれた時、本当にほっとして、
ようやく落ち着くことができました。
スタートしてからは、とにかく必死。
今年は特に、24kも38kもトップ選手が接戦で最後までもつれ込んだから、男子も女子も気が抜けない展開。
私は大会当日は、レース進行状況を知る為の本部無線を左耳に、会場の様子を知る為の無線を右耳に入れてます。
どちらも把握していないと、会場の準備ができないし、いざというときには無線本部に行かねばならないので、
この体制をとってます。
ケガをした人がいないか、具合が悪い人がいないか、登山者の状況はどうか、
会場の準備はできているか、色んな事を普段心配するのですが、今年は何よりも
最終ランナーがC5という三ツ頭分岐を通過したかどうか?をずっと心配してました。
そう、雨量、風速が高まる前に、最終ランナーがC5を通過すれば、中止にならず、参加したすべての選手のレースが成立したことになるからです。
きっと、参加者の方もそれがわかっていて、いつもよりすこし早いペースで、C5を全選手が通過。
待ち望んでいたその瞬間、本当にうれしくて、ほっとして、また泣いてしまいました。
結局雨は、降ったけど長雨になることはなく、ちょっと降っては止みを3度繰り返しただけ。
念のために表彰台にテントを設置したけど、結局は雨にほぼ降られず、大会全体を終了することができました。
本当は第6回スリーピークスについて話したいことはたくさんあって、
渋井さんが何でもやりますって言うからって、本当に無茶ぶりを毎年してることとか
突然、世界の大瀬が手伝いに来てくれたこととか、
私が自腹で大会オリジナルグッズを作ったこととか、
24kも38kも最終ランナーが感動的だとか
大会のラジオ体操面白すぎるとか
毎年手伝ってくれてる中学生チームの頑張りにウルウルしちゃうとか
今年初めて作った小野石材店&ANSWER4のビブスがかっこよすぎるとか
コアラマップ復活の為に入ってくれたピーク・ワンチームがすごいとか
岩本町ランニングクラブの今年の気合いはいつも以上だったとか
ようやく大会の地図作ったんだよとか
もう、話したいことは山のようなんだけど、
もうすでに長文すぎて誰も読んでくれないと思うので、その話はまたどこかで・・・
毎年、大会が終わると、気が抜けて(燃え尽きて)
しばらくはスリーピークスのことは考えたくない・・・という状況になるのですが、
今年は実行委員それぞれが、来年は・・・と準備をどんどん初めています。
また来年。
第7回スリーピークス八ヶ岳トレイルを楽しみにしていてください。
お待ちしております。