スタートから28時間が経ちレース4周目の関門時間が過ぎた。
本来ならスタート会場の松原スケート場にいなければいけなかった。
その時間ボクはずっとずっと手前の稲子湯エイドにいた。そして2017年のKOUMI100が終わった。
完全に力不足と準備不足だった。
悔しさはもちろんあったけど、悔しさを持つほどお前ちゃんとやって来てないじゃん。そんな気持ちにもなった。
ただハッキリしてたことは2018年のKOUMI100にもう一度チャレンジするということだった。
これを機に100mileを走る為の準備の仕方、ギアや補給を見直しました。走る日記にする為にインスタも本格的に始めたのもこの頃。
今年のKOUMI100を走るまで1年間に6本の100mileを走った。いろんな事を試すのは勿論、自分にとっての100mileとは?という部分も少しだけ見えて来た気がした。
2018年 KOUMI100。
18本目の100mileとしてスタートラインに立った。
ペーサーはなし。サポート松井さんと臨む。3週間前の信越終了後に松井さんに言われた事がありました。
「あなたは凄く楽しそうに走ってた。本当にいいと思う。けど、上手く言えないけどレースにはなってなかったね。」
「レースになってなかった。」
とても深い言葉だった。彼女はボクの走りを否定したことはなくこの表現も否定ではない思った。
ただ何となく言ってる意味はわかった。
昨年の4周目の稲子湯エイドの先を見るために、KOUMI100というレースを走りきる為にスタートした。
台風24号の影響でコースが変更され距離が伸びた。伸びる分には何でもいい、160kを下回ったら困る。
KOUMI100は周回レース。距離が伸びた約37kを5周する。4周目に28時間という関門が設けられ、全体の制限時間は36時間。
OSJ滝川さんは口癖のように言う。
「1周7時間で走っても35時間でゴールできるからねーー。」
これは休む時間も入れての話。だから平均6時間台で走ることが最低条件となる。
最初のポイントは1周目のタイムだった。ボクは5時間から5時間半の目標を立てた。
速すぎても遅すぎても後に響くから。
出走は約300人ぐらい。いつものレース同様いろんな人と挨拶を交わしながら走る。
ロードから登り基調の林道を経て最初の本沢温泉エイドに到着。ここはスルー、次の稲子湯エイドまでのロード区間に入った。往復するこのロードは行きは下り、帰りは登りとなりある程度押してかないと完走が厳しくなってくる。
1周目はとにかく全体的にイーブンペースを心掛けた。
焦りもまったくなく自分のペースで走れた。
稲子湯エイド到着。
水をボトルに足しすぐ出発。
この後短いロードを上がり本来ならニュウを目指す登山道に入る。三角形を思い浮かべると分かりやすいと思います。左から登り右に降り底辺がロードで帰ってくる。これが本来のコース。この左の登りのコースが崩落してしまった為、底辺のロードを走り右の下りのコースを登りコースの最高点でチェックして同じコースを下りロードで戻って行くというコースに変更された。
唯一の登山道はテクニカル。これはボクにとってはアドバンテージになった。
凄く好きな感じだった。登りは遅いのでとにかく下りは飛ばした。
傾斜が落ち着くとまたイーブンペースに。
順調に戻って行く。
稲子湯エイドを過ぎロード区間を経て本沢温泉エイドに到着。
エイドを出ると下りの林道が始まる。行きと帰りは別の林道になります。
走り始めてすぐ感じた事はこの林道だけは走り切らないと後に響くということ。
ガレた足元はやはり嫌いじゃなかった。
だからどの周回も走り切らなければダメだ。そんなことを思いながら1周目の林道を走り切る。
林道が終わりロード区間を走りスタート&ゴールの松原スケート場に帰ってきた。
1周目終了。
周回コースのメリットは1周走るとある程度計算が出来るところ。
デメリットはその計算が崩れた時に精神的に立て直しが効かなくなるところかもしれない。
やっぱりこれは貝になるしかないと思った。
貝のように何も考えず、でもそれは貝に失礼かもしれない。
貝もいろんなことを考えてるかもしれない。
じゃあ何にしよう。
うん、後で考えよう。
1周目のエイドは水ボトルとジェルボトルの交換ぐらいですぐに出発した。
松井さんとも2周目以降のプランを軽く話しながら走り出す。
魔の2周目。
何が「魔」なのか。
それは昨年、2周目の始まりから厳密に言うと初めの林道でまったく走れなくなってしまったから。
走れなくなったことへの直結した理由、そしてそれに対しての改善はされてるけど正直不安はあった。
2周目の1歩を踏み出す。
2.5kぐらいのロード区間が終わると例の林道が始まる。
林道に入ってすぐ感じた。いや、林道に入る前からか。
「まずい。」
ものの見事に体が動かなくなってきた。
呼吸が浅く体が着いてこない。昨年の自分を色濃く思い出し始めてた。
瞬間的にはマジか、、と思ったけど積み重ねてきた経験だったり100mileの壁を乗り越えてきたことは
自分にとって心の支えとなった。
落ち着け。何か対処があるはずだ。
それに時間が経てば調子が戻る。
心で思いながら進む。
もしかしたら脱水気味なのかもと思い松井さんがくれた乾燥梅をナトリウム代わりと口に入れ
水を含む。
なんとかかんとか本沢温泉エイドに到着。
補給と補充を済ましロード区間へ。
少し調子が戻ってきたような気がした。
ここのロードでリズムを戻し始めた。
トータル6回目の稲子湯エイド。
そして登山道入り口までのロードを進む。
完全に林道でのヤバい状況は脱したよう。
登山道に入りひたすら登る。下ってくる知り合いが調子悪そうだと心配してくれた。
本当に申し訳なかった。
だって登りが苦手なだけだから(笑)けど救いは登りが嫌いではないところ(笑)
2度目の最高地点到着。すぐ折り返す。
とにかくここの下りは楽しかった。
テクニカルであり傾斜もまあまあで若干滑る。
最高に楽しい。
傾斜が落ち着くとフィジカルが必要となってくるのでこのまま急傾斜ならいいなとさえ思った。
この周回はなんとか後半立て直したので時間的にもそれほど響かなかった。
3周目はいよいよナイトセクションに突入する。
最初の林道は2周目の不調が嘘のように楽しく進めた。
やっぱり100mileは調子の浮き沈みがある。これはボクもよく分かってる。
ただ2周目のあの状況は復活しないんじゃないかと思うほどどん底だった。
今年はまだ数ヶ月ありますがどん底オブザイヤー決定です。
あの状況でここまで復活出来たことは今後はもちろん、今このレースを完走するというより大きな自身と強い気持ちを持てた。
3回目の最高地点を折り返しお馴染みの下りを下る。
3回もくればもうお馴染みという表現になる。
ただ3回目もこの下りは楽しかった。
夜になると気になるのは松井さんの状況。
いろんな人や物事に気を遣う人なのでなかなか寝ないのでエイドを出る時なんかは「寝てね。」と一言いう。
待ってる間は寝てて欲しい。
会場の様子はと、、、
あらいやだ、死人のように寝てる。
良かった。
いや、見間違いかもしれない。
あらいやだ、お腹いっぱい食べて幸せそうに寝てます。
良かった。良かった。
トータル6回目の稲子湯エイドと本沢温泉エイドを通過する。
そして下りの林道。
これも走り切る。ロードに出て松原スケート場に到着。
松井さんは起きていた。そしてリゾットを作ってくれた。
気温が下がり内蔵を温めたいような感覚。
有難かった。
さほど休憩にも時間を掛けず出発する。
いよいよ4周目。ある意味ここが一番ダレるというか疲労が来そうな予感。
けど4周目が終わればあと1周はウイニングランだ。
なんとしても戻ってきたかった。
ロードからの林道。集中出来てた。嫌だと思う気持ちは一切なくゴールすることしか考えてなかった。
夜のセクションから各エイドで味噌汁や野菜スープなど積極的に温かいものを摂った。
昨年、僕は4周目の途中、復路の稲子湯エイドで終わった。
その時すでに5周目の復路の選手がいた。最後のエイドということで「本当にありがとうございました!」と明るくやり切った姿がとても眩しかった。なんとも言えない気持ちになった。
来年はオレもエイドの皆さんにお礼が言いたい。
あの気持ちを感じたい。
そんな思いがありました。
しかしながら4周目は落ちた。落ちたけど気持ちで押すしかないと思った。
稲子湯エイドからニュウの登山道の間のロード。
霧が少し出る中道路の左側を走っていると右側から視線を感じた。
豆電球のように明るい2つの光が暗闇に浮かぶ。ヘッドライトTrailMasterは普段MAXにしないが
とっさに明るさMAXでそちらを照らした。
正体はニホンカモシカ。
なんだーニホンカモシカかーーーという気持ちになったのは1瞬で暗闇に対峙するのは
ちょっと怖かった。前後の選手はまったくいない。ニホンカモシカはずっとこっちを見てる。
鹿と違いニホンカモシカはのっそりしていて性格もフワッとしてるから何を考えてるか分からない。
けどニホンカモシカからしたら「貴様もな」と思ってるかも、貴様っ!?
20秒ぐらい見つめ合う。ニホンカモシカが先に動き出した。
振り返り谷側にヨイショと下りて行った。
とにかく下りてく時のニホンカモシカのお尻が可愛かった。
もうお前は今日からニホンカモシリだ。
元気でなニホンカモシリ。
「貴様もな」貴様っ!?
ニュウの登山道手前に3周目ぐらいからOSJのコーヒー&カレーエイドが出現した。
カレーはいかなかったけどコーヒーは頂いた。本当に美味しかった。
4回目の最高地点を目指す。
登りは元々遅いのでキツいけど落ちているとかの感覚はなかった。
他の選手も大変そうだった。
4回目の最高地点到着。スタッフの方も場所が場所だけに本当に大変だ。
ボクはすぐ下り始めた。
すれ違う選手もだいぶ少なくなってきたなと分かるくらいスカスカになっていた。
下りは気持ちが落ち着く。
落ち着いたところで松井さんは大丈夫かと気になった。
まったく問題ないようだ。
登山道を下りロードに出るとうっすら明るくなってきた。稲子湯エイドに着くと後ろから凄い勢いの選手がエイドに飛び込む。ゼッケンを見るとペーサーゼッケンだった。ボトルに水を補充するようだ。するとまたいい勢いで走ってくる選手がいた。「テーシュさんスルーでOKです!」ペーサーの彼が言い、その選手はそのままスルーをして先を進んだ。
トップの選手だった。
驚きの速さ。
彼はRBRGアスリートの木幡帝珠くん、そしてペーサーのこれまたRBRGアスリートの村田諒くん」だった。
2人とも1級品のアスリート。
この後少しいっしょになり話しながら進んでたのですが彼は5周目、ボクは4周目。
うっかり一緒にゴールしそうになりました。
そして4周目が終了。
この時点で約26時間。よっぽどのことが無い限りは完走できる。
ただいつもながらに最後だからこそしっかり走りたいという気持ちがある。
松井さんとも握手を交わし5周目へ。
やはり日が出ると元気になる。
すべてが最後。最後のロードを走り、2周目に苦戦した林道も最後。
死んでたなーと一人で笑いながら進む。
途中A&Fの河野カツ君に会う。話しながらしばらく進んだ。
往路の本沢温泉エイドを過ぎ稲子湯エイド。そして最後のニュウに登り始めた。
この登りももう無い。本当に最後。
周りの選手も最後の力を振絞ってるようだ。
ボクもまったく余裕はないけど最後ということもあってこのトレイルに愛しさと切なさと心強さを感じていた。
そして5回目の最高地点に到着。
キーーーーーターーーーーーー
フゥ。。
本当にこんな感じだった。
最後まで「レース」をする為にスタッフの方に挨拶をしすぐ下り始めた。
すると姿は見えないけどなんか声が聞こえる。
もちろん選手なのは間違いない。だけど様子がおかしい。
「、、、くそーーー!!んだよたくよーーー!!!、、」
なんか怒ってる??喧嘩?そんな感じでした。だんだん近づく、、、
「ヒッッ、もーーーーー!!!なんだ、、ヒッッよもーーーーヒッッもーーー」
姿が見えた。河野のカツ君でした。しかも一人。
カツ、、くん?恐る恐る声を掛けた。
すると「ヒッッヒッッ、、もーーーーなんやねヒッッんもーーーヒッッ」
なるほど、しゃっくりが止まらなくて自分に怒ってる(笑)
止まることを祈った。
ここまでくれば体はおかしくなって当たり前だ。
最後のニュウの下りも楽しかった。
体は痛かったけど充実感に満ち溢れていた。
ボクがこのレースを走ることに興味や関心を持つ人はいないと思うし
完走しようがしまいが人にとってはどうでもいいことだろう。
このレースの前は自分が作り上げた不安と勝手なプレッシャーがあった。
自分がやってきた事に自信がなく自分の力を信じることが出来なかった。
このKOUMIというレースに凄く高い壁を感じていた。
すべては昨年のDNFが原因でこのDNFというものが本当につまらなかった。
何も残らない。以前のブログで確かに学んだことはあったけど本当につまらなかった。
どんな理由であれ途中で終わってしまう事の全身からすべての物が流れ出てしまうような感覚はもう味わいたくない。
最後のこの周回でこの思いは完全に消えた。
自分自身との闘いに勝った。
そして稲子湯エイドと本沢温泉エイドの皆さんへ言いたかった言葉が言えた。
「長い時間本当にありがとうございました。」
言えたことに眼頭が熱くなった。
そして4周とも走り切った最後の林道を下る。
まだ終わってないという気持を持ち続けガレた林道を走り続けた。
足が壊れそうだったけど止まるのが嫌だった走り続けたい気持ちが強かった。
そして最後のロードに出た。
この100mileの終わりもいつもと同じ複雑な気持ちになった。
ゴールはもうすぐ。松井さんが見えた。今回の100mileも彼女のおかげだった。
前日の受付に向かう最中にスマホを家に忘れたことが発覚。まあまあな所まで来てたが松井さんの家へ戻った。
受付終了1分前に着くという恐ろしい状況だったけど、うん、このことは水に流そう。
気管支炎の吸引器を忘れたことを思い出し変な奇声を上げたことも、うん、これも水に流そう。
豚の背油が体質に合わないことが分かっているのに、お腹が確実に痛くなることが分かっているのに
レース前日のお昼に背油のラーメンを食べてやっぱりお腹が痛くなってしまったこと、なぜ食べた?。うん、そうだねこれも水に流そう。
そしてゴールが見えた。
OSJ滝川さんのMCと共にゴール。
とにかくやり切った。
そして完走できたという安心感で松井さんにも「本当に良かった。とにかく良かった。」を連呼した。
18本目の100mileのゴールは19本目へのスタートでもあります。
ボクは一生チャレンジャー。
自分に挑戦し続けたい。