話はトレランとは離れるけど、仕事柄か「デザインは誰のためにあるのだろう」なんて思うことがある。
これまで広告やカタログなどをデザインさせていただくことはあったのだが、それを見たエンドユーザーのみなさまがどういう気持ちなのかを知る機会はなかなかなかったりする。
それに対して、自分で運営しているWAGAMAMA Tなどのウェア類は、クライアント様(お客様)の喜びがダイレクトに伝わる機会が多い。例えばTシャツを制作させていただいたチームのみなさまが、お揃いで着用した写真をFBにアップしてくれたり、レース中にTシャツを着た方とお会いしたり、予想以上に多くのご注文をいただいたり。
そうした機会に接してお客様の笑顔やダイレクトな反応を見て、ぼくは実感する。デザインは最終的にエンドユーザーさんのためにあるべきなのだ。
そこでトレランの話に戻る。ぼくは速くなることだけがトレランの喜びではないと思っている。トレランはそんな単純な競技ではない奥深さがある。(ぼくみたいな遅いランナーが言うのも恐縮ですが。。。)
練習を重ねて自分が望む以上の結果を出す。
自然を走る爽快感と開放感。
友達や仲間と経験を共有する。
そして、お気に入りのウェアを着て走る喜び。
よりよい結果を望むというスポーツとしての喜びは大前提として、それ以外にも多面的な楽しさをトレランは持っている。その中で、特にスポーツとしては幅広いウェアやギアが用意されているトレランであるが、今は機能性が大きくフューチャーされている印象がある。
もちろんは機能性は重要である。トレランは特殊なスポーツなので、”機能がない”という選択はありえない。でも、そこにもっと遊び心を加えてもいいのではないだろうか。
上記のように、これまでの経験でチームTシャツを作らせていただくと、レースなどで走る際にメンバーはお揃いのTシャツを着ていただくことが多い。それは”機能”という肉体的な負担を減らす目的だけではなく、気持ちの充実感や満足感を増す、つまり心の喜びの部分が大きいのだと思う。
それはもしかしたら、デザインというフィールドでお客様と接してきたぼくにも貢献できる可能性があるかも。
ぼくにとってトレランウェアやギアは、普段できない格好をする非日常の喜びがある。逆にいえば、普段着の範囲内でトレランという素晴らしいスポーツを好きであることを伝えることの出来るカジュアルウェアがあったら、それもまたうれしい。サーフ系のカジュアルウェアはあるけど、トレラン系カジュアルウェアなんて存在しないし。
好きなカテゴリーだからこそ、自分の力で何か出来ることがあればと考える。ぼくにとって、出来ることはデザインなのだ。
(続く)