前回も書いたけど、何故か遭難系の本にはまってしまった。
いまのところ
・ドキュメント道迷い遭難
・ドキュメント滑落遭難
(共に羽根田治氏著)
を読了。さくっと読めます。
実際にあった遭難事件を丁寧なインタビューや取材で構成したノンフィクションで、生還された方もいれば、亡くなってしまった遭難もある。そして、そのシチュエーションも初心者から慎重派、ベテラン、高山、低山と様々だ。
文章を読めば遭難してしまった理由は明確なのだが、自分がその状況に陥った時に冷静に正しい判断を下せるのかというのは、正直なところ自信を持って「YES」とは言い切れない。それが遭難というものなのだろう。
以前、トレイルランを始めて間もない頃、某レースコースをチームメンバーと試走した。ぼくは遅いので大きく遅れてしまい、分岐で進むべき方向がわからなくなってしまった。チームメンバーと一緒という気持ちがあり、地図を持っていなかったのだ。
今年の春に南高尾に行った際、地図は持っていたのだが、とある分岐でどちらに進むのか確信が持てなかった。下る方向を選んだが、なんとなく違和感があり戻った。下っていたら、大きくコースを外れてしまうところだった。
両方とも幸いにもことなきを得たが、誰でもそうした経験は多かれ少なかれあるのではないだろうか。
持つべき物を持たなかった。
守るべきルールを守らなかった。
戻るべき時に戻らなかった。
無理な計画だった。
行くべきではないという判断を下せなかった。
経験が足りなかった。
ふと、気を抜いた瞬間。
例え小さなほころびでも、大きな災いにつながることがある。いや、つながらなかったのは、ただ幸運(ラッキー)だったのだ。
そしてこれは、登山だけではなく、人生や仕事にもあてはまる。
経験がないから、入念な準備をする。
経験を積みながら、身の丈にあった挑戦をする。
経験が増しても、慢心しない。
リスクは常に存在し、リスクヘッジするのは自分自身なのだ。