>>はじめての信越五(四)岳トレイルランニングレース(前半)
【4A~5A】
黒姫。
関係ないけど、幼い頃毎年黒姫山の「もぐさん」というペンションに、家族で泊まりに来てた。夏山を走り回ったりしていたけど、このあたりだったのかなぁ。
3A~4Aまでの走りに的確なアドバイスと喝をくれたサポートのかーむさんが何か紙が挟まれたボードを見ながら次のアドバイスをくれた。「これからの登りは走れないから。登りがあって、下って、登る。登りは基本走らなくていいけど、必ず早歩きで、だらだら走らずテンポ良くね!」「はい…」「だらだら歩くと間に合わないから。絶対テンポよくね!」
間に合わない。
それが1番の原動力だったかも。1番響く。
黒姫の山は長い長い長い林道。個人的には関川の次に地獄だった気がする。緩やかなようで、これまで走ってきた足にはかなり堪えた。男性もみんなトボトボとうつむき加減で歩いていた。それに引きずられないように、リズムよく、と言われたことを唱えながらサクサクと歩く。前を歩く女性が、走ってないのにかなり早い。足取りも軽い。よし、あの人に着いていこうと決めて、その人の足のリズムにぴったり合わせる。まもなく追いついて、かなりの距離をその人の後ろにくっ付いて歩いた。(うざかったかも…ごめんなさい)足だけを見て合わせるのはずいぶん楽だった。
例の二回目の登りは一体どんなもんだろうと恐怖を覚えながら進むと、太い配管?みたいなものが見えて、その横に蛇行する登りがあった。ヴーヴー言いながら登っていると後ろから来た選手が声を掛けてくれた。「ここ、確か上に発電所みたいなのがあるんですよ。そんなに長くないよ!ほら、あの建物、あれが最後だから!これを超えたら牧場で、そしたらエイド!頑張って!」トレランの大会の魅力のひとつに、選手同志が話をするところにあると思う。みんなで励まし合って、辛いけど頑張りましょうと言ってゴールを目指す。
やっと登り終えて、トレイルに入る。やったー!牧場・・・牧場なのかなこの森・・・ふかふかトレイルだけど・・・動物いないけど・・・あれ・・・おかしいな・・・。普通に樹林帯の走れるトレイルがしばらく続く。こういう牧場もあるのかな、長いなとか思いながら走っていたら、その先に牧場が見えた。おじさん、ちょっと簡略化しすぎじゃーないでしょうか(笑)牧場♪エイド♪などウキウキ走ったおかげで、本物の牧場に着いた時には、走ったり歩いたり、の「歩いたり」頻度が増えてきて、ヨロヨロしながら5Aに到着。なんとかペーサー合流地点まで来たことにちょっと感動して泣きそうになっていた。やはり身体に手が触れると痺れた感覚があった。
5Aでは同じチームのハルさんがちょうど出発するところだった。ゆうこさんもいた。やった、なんとか追いついた。椅子にぐったり座ると、テキパキと食べ物を色々出してもらえて、靴ひもまでほどいてもらって、いたれり尽くせりのサポートで本当に有難かった・・・!ドロップバックに預けたものとザックの中身を入れ替えるのだけど、雨も降っていないし、寒くもないし、むしろほとんどドロップバックへいらないものを入れる作業だった。靴を脱いで針で水ぶくれの水を抜き、靴と靴下を履き替えて、Tシャツを着替えて気分もリニューアル。パスタとマドレーヌを食べて、ヘッドライトを着けて早々に出発。ジェルなどの食料はマエダさんのザックに入れてくれた。
【5A~6A】
この区間が、本当に本当に辛かった。
ペーサーのマエダさんが先を走り、その後を着いていく。「もうほとんど足が残っていなくて、結構ぎりぎりで、あんまり走れないかもしれません・・・。」 なんであんなしょっぱなから弱音ばっかり言ったのか信じがたいけど、その時はそういう気分で、とりあえず走れない、と弱音ばかり繰り返していると、私のザックを丸ごと持ってくれて(!)、手ぶらで走った。マエダさんは私のそんなしょーもない弱音をうんうんと聞きつつも、重いザックを揺らしながら何度もガーミンを見て、「ここは頑張って走ろう。このあと登りだから。走れるところは走って、だいたい登りも全部合わせて平均キロ10分でいけたら上出来だよ」と教えてくれる。キロ何分とかいう感覚がもはや全然わからなくなっていたけど、走らないとどんどん見えなくなっていくマエダさんの背中を追いかけた。ペーサーってすごいな。登り手前のウォーターポイントで、「ここは休まず行くよ」と言われたけど座り込んでしまった。ジェルを飲むように言われたけど、4A以降胃が気持ち悪くて、『今ちょっと、気持ち悪くて食べられません・・・』と断ってしまった。ペーサーを付けるからには、ペーサーの言うことをどんな時もほとんど素直に聞くべきなんだと、後々心底痛感した。
登りはたまに話をしつつ、どろんこまみれの登りを進み、『30歩走って30歩歩こう』それでも疲れてきたら『じゃあ今度は10歩走って10歩歩こう』という優しいマエダさんの提案に必死で前に進んだ。「いち~に~さん~し~」一歩一歩数えてくれた。思っていたよりも早く登りきったところで、下りに突入。
だけど、下りはじめてすぐ、膝が自然にかくんと折れた。
力が入らないと思ったら後ろに倒れそうになった。頭が支えられなくて、眠い時のように首の根本からグラグラする。異常なほどまでに息があがってきて、心臓がバクバク。朦朧として千鳥足になり、手足が痺れてきた。手を握り締める力もほとんどない。息が苦しい。
「ちょっと・・・・手がしびれて・・・ふらふらして・・・歩いていいですか」
手が痺れるという私の言葉にすぐマエダさんがハッとした表情がわかった。「それ、ハンガーノックだね。ごめん、気付かなかったね。座って何か食べよう。」 すぐに道の端に腰を下ろすように言われて座り込み、俯いて頭を抱える。あ~、そうか、これがハンガーノックってやつなのか。ハンガーノックすら初体験。マエダさんに言われるがままに、SOYJOYやらハニースティンガーやら、ゼリーやら、とにかく詰め込んで、水を飲んで流し込んだ。深呼吸をして。冷静になる。
生まれて初めてのハンガーノック。トレランではよくあるいたって普通のことかもしれないけど、そもそも関川で補給しなかったことやずっと手が痺れていたのがエネルギー切れの信号だということに気付けなかったこと、そのせいで今ぐったり座りこんでいることに何故かすごくショッキングで、もしかしたらその状態でも走れたのだと思うけど、かなり心が折れてしまった。トボトボ歩いて、本当にトボトボゆっくりゆっくり歩いて、どんどん抜かれていく。しばらく歩いてもう一度座って補給をして、また歩き出した。脚が痛いわけではなかったのだから、下り基調で走れたはずなのだけど、マエダさんに「ハンガーノックは食べればすぐ治るから。大丈夫!」と励まされながらも、手足の痺れやめまいや折れた心が治らなくて、6Aまで全部トボトボ歩いてしまった。。。
【6A】
なんとか辿り着いた6A。
下りをかなりゆっくり歩き通したので、当たり前ながらすっかり目標のタイムを過ぎていて、ゴールの制限時間はかなりギリギリ(アウト?)だったと思う。トイレに籠って、戻ってきたらマエダさんから一言。
『エマちゃん、ちょっと、残念なお知らせがあるよ』
それが、台風で8A終了の報せだった。
8Aまでは進めるということ。8Aで完走扱いになるらしいこと。もっと早くに8Aを越えられた人はゴールゲートをくぐれること。もう瑪瑙山は登らないこと。8Aを関門時間までに到着できれば良いということ。8Aまでなら、今の6Aはもうすこし休んでハンガーノックから回復する余裕ができたこと。
あぁ・・・。
悔しかったけど、ものすごく複雑な気分。
台風に関係なく、そもそも完走が怪しいタイムで、そこから巻き返してなんとか完走することにチャレンジしようと思ったばかりだったし、一方で身体は感じたことのないほどの疲労感で不安も抱えてた。エイドスタッフが「ここでリタイアする方はバスが到着しております」とアナウンスして、8Aまでという報せを聞いた人達が続々とバスに乗り込んでいっていた。誰も6Aを出発しない中で、暗闇に出発した。
【6A~8A】
この2区間は、ほとんど歩いた。たまに走って、マエダさんがガーミンを見ながら、大半を歩いた。なんとなく取り留めのないことを話しながらだったと思うけど、あまり内容は覚えてない。ただひたすらゆっくり歩きながら、真っ暗で静かな中、8Aを目指した。ハンガーノックから回復したこともあって、気分は楽になって、初めての暗闇のトレイルを(気分だけは)楽しめた気がする。
だけど、なんで「走れるので走ります」って言わなかったんだろう。それが何よりもレースが終わって後悔したことだった。8Aが近づいて最後は走ろうかと提案されたけど、ちょっと走るだけで息が上がってしまって、最後の最後だけ走って8Aにゴールした。
サポートの皆さんが寒い中最後の私を待っていてくれた。
結局関門15分前というぎりぎりの時間だった。
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結果は、110キロには足りないながら、92.3kmを制限時間15分前で完走ということになった。台風の影響でゴール手前の最後のエイド8Aで中止、一番辛いと言われてきた瑪瑙山を超えることなく、五岳は四岳のまま、110kmは92.3kmに縮まったわけです。8Aを9:15までに越えた人だけがゴールゲートをくぐることができる。最後まで走り切った女子はわずか33名。
とにかく、110キロ走れなかったということの悔しさよりも、むしろ自分自身のレース内容にものすごくショックで、あまりへこまない私が大打撃。翌日、私と3年以上の経験差がある先輩方が皆足を引きずってロボットのように歩いているのに、初心者のはずの私だけスタスタと歩くことができたし、2日後には筋肉痛は残るものの軽いジョギングができた。それが結局「自分の限界を超えてがんばれなかった」証拠であり、本当にショックだった。結局、体力的にがんばれなかったのではなく、精神的にがんばれなかったのだと思う。もっともっとすごいレースがたくさんあるけれど、距離の方ではなく、ロング=長時間という意味と捉えたら、なんとなくその厳しさの洗礼を受けた。
私が信越にチャレンジしたのは、「挑戦」することで学び得るため。
だとすれば、不甲斐ない結果に悔しさを抱えることにはなったけど、それこそが本当は「もっとがんばれる」ということを身をもって体験したという本来の目的は達成したのかもしれない。幸いにも特別完走扱いにまでして貰えて。
サポートの方々にアドバイスを受け支えられ、応援に元気をもらって、ペーサーのマエダさんにハンガーノックを救ってもらい、完走まで引っ張ってもらって。その支えのおかげで、自分だけでは辿り着けなかっただろう8A(92.3km)まで行けたことにもっと感謝して、もっと喜ぼう。
もっともっとたくさん山を走りたいと思える、
本当に大事な経験になりました。
来年、絶対にもう一度挑戦します。
3 コメント
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[…] 今思えば仲間が最後まで奮闘する中で、わたしは甘えに甘えて歩きまくり、8Aに着いたのは特別完走に “してもらえる” 関門0時ギリギリで、台風じゃなかったらその先の瑪瑙を越えて完走などできていなかった。特別完走など本当にラッキーとしか言い様がない状況でした。6Aで聞いた8A中断に、悔しさよりも正直ホッとしたんじゃないか、それに甘えてしまったんじゃないか、そんな自分の弱さがずっと情けなくてわたしの痼りでした。 【はじめての信越五(四)岳トレイルランニングレース(前半)】 【はじめての信越五(四)岳トレイルランニングレース(後半)】 […]
[…] ■信越五岳2013 はじめての信越五(四)岳トレイルランニングレース(前半) https://mountain-ma.com/emma/2013/10/03/sfmt2013_1/ はじめての信越五(四)岳トレイルランニングレース(後半) https://mountain-ma.com/emma/2013/10/03/sfmt2013_2/ […]