12月の第三週は2人の友人を訪ねて東北、三陸へ行ってきました。
東日本大震災で甚大な被害を受けた、岩手の大槌町と宮城の気仙沼にそれぞれ2日間ずつ。震災からもうすぐ3年。語りたいことは自分の中にたくさんあるけれど、いまでもまだ言葉をどういうふうに選んで良いのか、そもそもその感情をあらわす言葉が見つからない気持ちもあります。そんな中でもやはり日本全国へ行くたびにできるだけ時間を作ってその地域の「山」へ足を運ぶことにしているので、今回も山へ行ってきたそのことを書こうと思います。
大槌町で働く友人が仕事を休んで、山好きな私を近くの山に連れていってくれました。山田町・大槌町に位置する三陸の海岸すぐそばの【鯨山】(標高610.2m)。
くじらのように見える山体で、
山田町船越湾と大槌町吉里吉里湾からよく見える山で、その特徴的な山容から、古くから、三陸沖を行き交う船が「羅針盤」として位置を確かめるために使用していた
のだそう。
滞在先の大槌町からは車ですぐ。岩手県立陸中海岸青少年の家のキャンプ場の横に登山口があります。ここには、仮設住宅が並んでいて、青少年の家も震災以降は施設の半分が臨時の小学校となっています。「こんにちはー!」というこどもたちの元気な声と笑顔に包まれながら、入山届けの紙に名前と時間を書くと、青少年の家の館長さんが親切に登山口まで案内してくださいました。
「最初だけちょっと登ってねぇ、そこからはほとんど平坦で気持ちいい道で、最後にちょっとだけ急だから気をつけてね。道に迷うような山じゃないからね。」
丁寧な説明を受けて出発。
山頂までは約3キロのスローハイク。ゆっくりと植物や切り株の模様の向きを見たりなんかしつつ、松ぼっくりがころがる道をゆるやかに登ります。最初のかわいいマップの看板には鹿や熊らしきイラストが書いてあったけど、鳥すらほとんどいない静かな森。木々の間から遠くに見える鯨山。
そこから鯨山への主稜線は気持ちいいなだらかなアップダウン。足元は足首の上まで潜るくらいのふっかふっかの落ち葉じゅうたん。もふもふしながらのんびり進みます。冬だからかあまり景色に変化はないけれど、トレランの軽い練習には確実に気持ちのいい道。空気が澄んでいて、静かで、気持ちいい。この日は人が踏み入った形跡なし。
鯨山手前で突然の急坂をガガッと下って、大沢分岐からいよいよ鯨山へ。「岩場が意外とすごい」ことにわくわくしながら進むけれど、一向に頂上に着かず(笑)結構登ったよね?次あれが頂上かな?もうすぐかな?なんて言いつつ冬の東北なのにすっかり汗ばみながら、時折現れる岩場を手やロープを使って登ります。落ち葉が岩の上にたっぷり乗っていて、まったく足場がわからない!うわさ通りの結構な急登ですっかり夢中になって、だいじな岩場の写真を撮り忘れました(笑)急な感じが一切伝わらない・・・。左右に雪を見つけた頃に、なんとかやっと頂上に到着!
すごい、景色!海も山も一望できる。リアス式海岸の様子がよくわかります。360度の展望は本当に美しいのひとこと。だけれど、この一体は震災の被害がとても大きくて、山頂からも、そのつめあとが感じられます。
ちいさな山頂には、鯨山神社と鳥居があります。お参りをして、頂上で、手作りおにぎり休憩。
友人が、「このあたりはなんだか日が暮れるのが早い感じがするんだよね」と言っていたけど確かにまだお昼過ぎなのにすっかり夕陽に照らされているような光の色に。天気が良いとは言えやっぱり冬。身体が冷えてきたので、大沢分岐から沢沿いに下るコースで下山。岩場でなんどか落ち葉に足を滑らせて尻もちをついたけど、それ以外は思わず走り出したくなるような道で(というか登山靴なのに思わず走ってしまった。笑)、最後は大量のマツタケ栽培?の間を抜けて青年の家に戻ってゴール。
変化があって、山頂の展望もよくて、どっしりと在るこの山がすごく好きになりました。後から調べてみたら、鯨山はツツジがすごく美しい山なんだとか。またその季節に来よう。連れていってくれた友人に感謝。
ちなみに友人は今年、同じく岩手の内陸側にある八幡平というところで開催された大会に出てきたのだそう。来年、スケジュールが合えば行ってみたい!
八幡平・七時雨マウンテントレイルフェス(6月開催)
————
実は鯨山に登った2日後に気仙沼リアスアーク美術館で見た、「東北画は可能か?」という作品展のなかのひとつにまさにこの山を表すような作品がありました。その作品に添えられていた言葉を紹介させてください。
「山の神さま~みちしるべ~」/渡辺 綾
海に暮らす人々は、海に出ると山を目印に港に帰るそうだ。 だから、海の人々と山の神とのつながりは深い。 私の住む土地にも「みちしるべ」の山がある。山たちは、あの日、 押し寄せる波をどんな思いで見ていたのだろう。
山の神さまは動くことはできない。 海の人々をその手で救うことはできない。 けれどまた「みちしるべ」になれるよう、ここで静かに春を待っている。