<A4~A5>
ドロップバッグに預けていたシューズに履き替え(BajadaからBajadaへ)、最強の相棒BDウルトラディスタンス(ストック)を握りしめて意気揚々とA4を出発。知り合いに会えることと、食べ物を食べることのパワーというのは本当に恐ろしく元気が出るものです。その復活っぷりに自分でも驚くほどでした。
次のA5までは8km。
ロードと林道の組み合わせ。思ったよりもロードが長く、時折街灯のある道ではヘッドライトを消したりしつつ、とにかくロードを走る。走りながら思う。ボリュームゾーンよりも随分後ろにいるのに、こんなに走るのか―。4キロほど下って、3キロ登り。ストックがあることがあまりにも快適で、ここでも余裕を持って到着。この夏、ストックに慣れておいてよかった。
A5エイドは建物ではなくテントエイドだったけれど、おそらくボランティアだろう学生がとても明るく爽やかに対応してくれて、本当に元気が出ました。「たくさん食べてくださいね~!」「温かいものもありますよ~!」「毛布もあるので仮眠もできます~!」「元気出して行ってくださいね~!」もうすぐ日付が変わる時間だというのに、ハツラツとしていてなんて気持ちいいんだろう。菓子パンをおかわりしていいかと聞くと、満面の笑みで「もちろん!食欲あってまだまだ元気ですね!」と返してくれた。地面に座ってウトウトしている人に駆け寄ってそっと毛布をかけてあげていた。名前を聞けなかったけれど、このレースで一番最高な対応でした。
<A5~CP4>
エイドスタッフに「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えて、次のパートへ。
エイドまで来た道を少し戻る。
ここからは120kmの選手だけが体験する場所。ここが本当に本当に本当に辛かった。脚が痛かったわけじゃないし、怪我もしていないし、この頃にはもう胃も復活して補給も取れていたし、眠くもない。ただ、とにかくコースがキツかった。
鏑木さんの表現は、こうだ。
「とにかく、おそらく、ここが一番大変です」
「フカフカなトレイルです。フカフカと言うと良いように聞こえるけどそうではありません」
「雪の道、そう、雪の上を歩いてるかのよう」
「登っても登っても滑る、足がはまる、前に進まない」
「そんな感じです」
雪のような道。
聞いた時はその表現にまったく想像がつかなかったけど、なるほど、本当そうだった。茶色くて土の匂いがする雪の道。土がやわらかくて登っても登っても、ずり落ちて、前に進まない。高低図を見る限り、“多少”のアップダウンを繰り返しながらどーんと登って下りるのだと思っていたけれど、そんなのは幻想。ズルズルの急登を真っ直ぐ登って、登って、いや、まだもっと上の方にかすかにヘッドライトがみえる。え?あそこまで?
登りきってフラット、ガーッと下り基調になったと思ったら、また登る。そんなことを数回繰り返していたら巻き道のようなところに出た。あれ?道が、ない。いや、もう少しあったのだろうけど、やわらかい土が小削げ落ちている。あまりに急すぎる斜面をどうやってトラバースすればいいのかさっぱりわからない。掴む岩や枝もない。登ろうとすると、一歩足を置いたそこからサラサラ雪のような土がキレた崖の下へ落ちてトレイルが減っていく。
150cmくらい先に木があるけれど手を伸ばしても届かない。そこで、その斜面に寝そべってうーんっと手を伸ばして、やっとのことで木に手が届いた。腕の力で身体を引き上げて、なんとかそこを攻略できた。いま思い出しても笑える。そんなコースってあり?(足が残っている人ならその斜面もうまく飛び越えたのかもしれない)
ピークのようなところで男性が一人休んでる。「疲れましたね」と声をかけると、地図を見ながら「おそらくこのままあとは下りだと思うよ」と教えてくれる。が、その後、心折れるようなアップダウンが10回くらい続きました(笑)後々そのお兄さんに会ったら、バツ悪そうに謝ってくれたけど、わたしは何の気にもしていません。だって、120kmの高低図は縮尺がいつも出るレースとは全く違っていて、たいしてアップダウンなどないように見えるのです。
これが10kmや30kmくらいまでのレースだったらきっと、「こんなあほみたいに続くアップダウン登れるか!」と突っ込みたくなるでしょうに。しまいには足があがらなくて、斜面に半分倒れこむような形で、動物のように四足歩行をしたりもしました。俯いて歩いていると、小さい小さい数センチ角のシールでできたコースマーキングを見落としてロストししそうになる。
たった6kmだったけど、地獄の6kmでした。
<CP4~A6>
なんとか這って這って、CP4へ。仮眠所のあるA6まで3kmロード上り。いつもならうげ~っと思いがちの舗装路も、それまでのトレイルのアップダウンにあまりに飽きてしまっていて、ロードが嬉しくて仕方ないという意味の分からない心境に(笑) だって四足歩行しなくたって、早歩きでスタスタ登れる!気分は復活。こうやってアメとムチみたいなコースに翻弄されながら85km、A6へ。すこし終わりが見えてきた。
A6に着くと、小さな小屋にはたくさん布団がひいてあり、ギューギューの状態で選手が寝ている。でも、仮眠が取れるのはしっかり走っている速い人達。2つのストーブには毛布にくるまった人たちが暖をとっていて、座るスペースがないほど。幸いにもこの日の冷え込みは大したことがなく、凍えているような人はいない様子でした。
温かいものが食べたいけれど、このあたりからエイドの固形物が少しずつ足りなくなっていて、おにぎりがない。バナナと手持ちのバーなどを食べ、エイドのめんつゆ(中身なし。笑)を飲んで、お湯を入れたら早々に出発。小さなボトルにお湯を入れて携行する作戦は、STY前のランボー大学 UTMF/UTY学科でランブラーさんから聞いたもの。これに何度も救われて、おかげで吐いたことは一度もありません。危ないな、と思ったらすぐお湯を飲んで、ホッカイロをお腹に貼って、とにかく胃を温める。だんだんと固形物が苦しくなったけれど、これで乗り切りました。
<A6~CP5~A7>
もうこのあたりになると記憶が曖昧です(笑)A6からすこし上りがあるのだけれどいまいち覚えていない。毎度のようにエイドに出た直後は元気になるルールで登りきれたのかも。そのまま5kmのロードを下ってCP5へ。
途中で会った男性が「いやもうこれ間に合わないね、ゴールできるかな、できないかもな、無理だよねぇ」と話しかけてきて、それには珍しくカッとなってしまい、「いや、余裕でしょ。何言ってるんですか。この時間なら全然余裕ですよ!わたしはゴールしますよ!」なんて怒ってしまいました。だって、絶対完走するんだもん、その気持ちがないとゴールなんてできないよ。
イライラした気持ちを振りほどくように一生懸命走りました。下り基調のロードが5km、変に頑張ったせいで途中で電池切れしつつ(苦笑)、その人にだけは抜かされまいと一生懸命走りました。
CP5を出ると、まだ薄暗い林道の登りからスタート。次は鉱石山。もうずいぶん疲労困憊だったのか、意味のわからない写真と「孤独なのでひとりごと〜。いま93km。心折れながらとりあえずぼーっと歩いてる…」という友人に送ったメッセージがiphoneに残っていました(笑)だいぶ心折れていたらしい。
すこしパンを頬張ると元気が出て、シャキシャキ登る。何度かすれ違ってきた方に「登りが得意なんだね」なんて言われつつ。少しずつ夜が明ける、明るくなっていく、その瞬間が結構好き。太陽のパワーを感じて、長い暗闇の時間から抜け出す感じがいい。A5~CP4のようにしつこいアップダウンはなく、あっという間にピークへ。
そして、この下りから急に足にズキッと痛みが走った。腸脛でもなく鵞足でもなく、なんとなく、脛(すね)が痛い。おかしいなぁ、と思いながら長い九十九折れの下り、そして急な下りを慎重に慎重に下りていたら、それまでに巻き返していた貯金をすっかり使い果たし、朝7時に太郎大日堂に到着。
想定タイムに逆戻り。つまり、制限時間ぎりぎりの33時間半ペース。(制限時間は34時間)痛み出した足を揉みながら、また再び、関門に追われることになったのです。トイレに行きたいけれど、8人くらい並んでいて、15分は待たされそう。それって制限時間15分前ゴールになるってこと?やや冷静さを失って、トイレはもういいや、と我慢してA7を出発しました。
<A7~CP6>
「とにかく、ちょっとでも貯金を作らないと」
A7からCP6の浅松山までの道をスタッフに聞くと、『9kmの林道登りです。ずーっと林道ですね。』 という答え。。うわ~。標高600mから標高1300mまでの、700mUPを林道で登るのです想定時間は3時間。早歩きでの林道登りは得意。よし、2時間半で、30分の貯金を作ろう!と決心して、どんどん抜いた。10数人くらいは抜いた気がする。
途中、100kmの表示。
小さな表示だったけれど、はじめての100km越え。ちょっと感慨深かった。でもそんなこと言っている場合じゃない、急がなきゃ、急がなきゃ。102kmくらいのところで男性2人に会い、声をかけたのをきっかけになんだか話が弾んだ。
「足がもう痛くて走れないんです」
「みんな痛いよ」
「もう下りも走れないと思うんですけどゴールできますかねぇ」
「俺なんて登りの足も下りの足もどっか置いてきちゃったよ。マイナス思考だねぇ、絶対この時間だったらゴールできるよ。」
「いやでも計算したら結構厳しくって」
「計算するのが好きなの?大丈夫だよ。歩いてもゴールできるよ」
ついさっき知らない男性に強く言い返したのが恥ずかしいほどに自分が弱気になっていて、愚痴を聞いてもらったけれど、そのお二人はすごく明るく返してくれました。100km越えが初めてだということや、女の子でこんなレースに出ようと思ったのは何故かとか、MMAのバフがお揃いだね、とか、デニムランパンの話とか。この時には脛だけでなく、その付け根の足首が激痛だったけど、楽しい会話と共に、ギリギリついていけるスピードで引っ張ってもらいました。CP6に着いた時間はA7から1時間半後。予定の半分くらいで到着し、驚くほどの貯金ができた。標高700mUPの林道9kmを1時間半だから、かなりのスピードで上がってきたらしい。ここでそのお二人には別れてしまったけど、この持ち直しが心の余裕に繋がりました。
<CP6~CP7>
浅松山がCP6。次に目指すはCP7、雨乞山。
ここまで、標高1200~1300mの峰を5つ、標高2000mの峰を2つ、合計7つのピークを越えてきた107km地点。CP7までが7km、そこからゴールまでが下りのみの5km。ここまで来れたこと、ここにきて意外と貯金ができたことが嬉しい。
え~っと、だいたいギザギザ・・・アップダウンが5つくらい、そこからガッと下ってアップダウンが3つね、よしよし。ゴールがもうすぐだと思うと涙が出そうになりながら、噛みしめるように数を数えながら登り降りを繰り返す。もう100kmも越えてきたんだもん、このくらいの登りなら全然平気!今で4つ越えたからあと2つくらい。その後、ズドーンと下って、あ~もうCP7か!これが最後の登りだ!と写真を撮りました。
が、これ、ただの途中の登りでした(笑)これよりも急な登りがまだ10も20も続くとは露知らず、「最後の登りかぁ、これで終わるのかぁ」なんてしんみり写真を撮っていたと思うとかなり笑えます。高低図がギュッとなりすぎててほとんどアテにならないのだと、あれだけなんども思い知らされてここまで来ているのに、なぜにこんなところでそう思ったのか。疲労で脳がおかしくなっていたのでしょう。(おそらく108km地点、そこからまだ7kmもあった)
まだ?
まだ?
まだ?
まだ?
まだ?
え、ここにきて沢?
下るの?
上るの?
まだなの?
次のチェックポイント114km地点を目指して、そんな状況を乗り越えて・・・
あれ?114kmなんだけど。チェックポイントがないんだけど。
明らかにへんな藪から出てきた人が「あれ?ここ、コースですかね?チェックポイントってどこでしょうね?」とウロウロしてる。最後の5km地点でロストするようなコースって・・・(笑) 鏑木さんのメッセージも嬉しいし、パワーをもらったのだけど、チェックポイントがどこなのかも記しておいてほしかった・・・。そこから1km弱進んだところが最後のチェックポイント、CP7でした。
雨乞山。
11時40分。想定タイムでは13時半着予定だったので、2時間近く貯金を取り戻せたことになる。
遠くに見える武尊山。あそこから来たのか・・・。不自然にしか歩けない足を手で抱えて椅子に腰かけて遠くを眺める。約3時間で5kmの下りなんだからゆっくり歩いても完走できる。歩いたって完走できるけど、やっぱり走りたい。痛くてたまらないけれど、だけどそれでも走りたい。ここまで痛み止めのロキソニンも飲まずに来たからには、痛みと戦いながら、走りたい。
ザックからファーストエイドや予備のテーピングを全部取り出し、少し動かすだけでも激痛の左足首をとにかくぐるぐる巻きにして固定。うん、多少はマシかも。雨乞山ピークでのんびりする人達を見つつ、ギュッと靴ひもを締めて出発。これで本当に、最後。
<CP7~GOAL>
雨乞山からはすべりやすい急坂下りが何度か。変な足置きになる度に「あ”あ”、、、」と声にならない声で悶える。たいして走れていなかったかもしれないけれど、気持ちは走ってる。急坂が終わると沢沿いの静かな樹林帯へ。まっすぐの道。遠くまで続いていて出口はみえないけれど、確かにあと数kmもすれば最後のロードに出る。長い長い120kmの旅の様々な出来事を思い返しながら走る。
振り返れば、ずいぶん盛りだくさんなコースだった。長いロード登り、荒れた沢道、沢登り、深い渡渉、鎖場、梯子、岩陵、牧場の上り下り、笹が刺さりまくるトレイル、雪のような土、林道、樹林帯。合間合間にロードを挟む。なんだかんだでその多様さが、ここまで飽きずに走ってこれた理由かもしれない。なんだ、可愛げはないけど、おもしろいやつだな。楽しかったな。あ、イテテ。
いやむしろ、この大会を走れたことに感謝したい。このチャレンジができたことに感謝したい。あの人にも感謝したい、この人にも感謝したい。恵まれているな、ありがたいな。残りのロードは、これまでのトレランライフについて考え、楽しくて最高な仲間のことが頭に浮かびました。この2年弱、一緒に走ってくれた仲間のことを考えながら走りました。
ゴール前、最後の橋。この大きな橋を渡って、ゴール。手前のところで歩いていた方に、「先に行ってください。ちょっと間を空けてゴールします。ゴールは、かっこよく行きたいですよね」と声をかけられ、その冷静さにびっくり。たしかにね(笑)
あれ?かすかに知人らしき人が見える。IBUKIのナベさんだ!誰もいないと思っていたのに、「えまちゃん来た~!」という声。
「すごいよ!すごいよ!やったね、えまちゃん!」
「やばい!めっちゃうれしい!ゴールできちゃう!どうしよう!」
うれしい、どうしよう、ものすごくうれしい。喜びがあふれて身体が震えるのを感じつつ、ゆっくりと、しっかりと、ハイタッチまでして、ゲートをくぐりました。
かくんと力が抜けて、座り込み、マイクで何か聞かれたけれど、覚えていない。とにかく、ただただ嬉しくて、本当にゴールしたんだと、なんだか信じられなくて、とにかく嬉しくて、迎えてくれた仲間の温かさと優しい笑顔に触れた時、やっと緊張がとけて涙があふれました。
はぁ、長いレポートだった(笑)
こんなに事細かく書いて、本当に読み返すのかな。だけど、長い道のりの中での、その時々のトラブルや自分の心境や行動、すべてをこれからの糧にしたい。これからもっと多くの経験をして、もしかしたら大したことじゃなくなるのかもしれないけれど、この、「はじめての100km越え」の記憶を忘れずにいたい。これを岐路に、さらに一歩先へ進みたい。そんな思いで、いつでもあの情景と感情と感動が戻ってくるように、自分のために書きました。
*
自分の足で、自分の判断で、自分の力で、奇跡的にも、ゴールできた。
何かがひとつ間違っていたらたぶんゴールできていなかったと思う。
なるようになるよ、と言うけれど、ハッキリ言って、なるようにならない。
それは、メンタルとかフィジカルとかそういうことだけではない気がした。
そんなことを思わせるような、容赦ない、山らしい山。
なるようにならない、を成すことができた。
自然と向き合い、自分と向き合った32時間。
贅沢な時間でした。
*
上州武尊スカイビューウルトラトレイル
第1回川場村 山田昇メモリアルカップ
31:54:16 女子18位 完走
(男女総合完走者: 385人/女子完走者:20人)
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