山では何が起きるかわからない。
「山のリスク」
それを、この夏の様々な山で、この武尊の大会で、とても感じていました。MMAブロガーの釘島さんが、なんだかすべてを代弁してくれるようなブログを書いていらっしゃいます。
山で死んではいかんずら。
https://mountain-ma.com/kugishima/2014/09/17/donotdie/
山を愛する人にはぜひ、読んでほしい。
きっと心に沁みるものがあると思います。
トレイルランニングという“競技”をする人にもぜひ読んでほしい。
きっとハッとさせられるものがあると思います。
自分を過信してはいけない。だけど自分の限界を決めつけても成長できない。
“リスク” という言葉と共に、そのバランスにどうにも違和感があってずっと悶々としていました。私のような経験の浅い?トレイルランナーが挑戦してもいい大会なのかどうか。今の私の状態は、果たして充分だろうか。充分に練習して、充分に準備をして、あの山にもう一度挑む資格があるんだろうか。すこし前にあの山に登った時、私は身体の疲れや練習不足はさほど気にせずに、あまりにも気軽に“なんとかなるだろう”と思っていました。それを思い出す度、心が締め付けられる思いで、ずっとずっと迷いがありました。
きっと、みんなちょっと「無謀」だと思っているかもしれない。確かにそうだ。無謀なチャレンジかもしれない。だからこそ、自分なりの練習と自分なりの準備をしたけれど、そんなのはやってもやっても満足できるわけじゃない。トレイルランニングの大会ではもはや100kmなど良く耳にする距離で、怪我をしても、吐いても、朦朧としても、完走する強靭な人達がたくさんいて、「自分の判断」を見失いがちである恐怖がありました。
今まで、自分の実力を試したくて、やるからにはちょっと高い目標にチャレンジしてきたけど、本当にそれでいいのかな―。
山は逃げない、いつだってそこに在る
だけど人生いつ何があるかもわからない
本当に、今、チャレンジすべきなのか
そのモヤモヤした気持ちの答えがあの山を越えることにあるんじゃないかと思い、このチャレンジは無謀なんかじゃないと言ってほしくて、確かめるように登ったけれど、結局山はなにも答えてくれないのです。結局、何かがひとつでも間違っていたら、完走できなかった。それだけ、ギリギリのチャレンジだったということだと思います。リタイアする理由なんていくらでもありました。
“ 山のリスクは全ての者に平等に存在する ”
“ 判断力は最大の装備 ”
あの山の記憶―YNMC120k vol.3の記事の最後にも書いたように、自分の足で、自分の判断で、奇跡的にも、ゴールできた。しかしやはり、メンタルとかフィジカルとかをその時々にちゃんと判断できるかということももちろん、それ以上に、どうにもならない予測も出来ない山にあるリスクも感じました。結果的には最後まで挑むことを選んで、無事完走し、大きな怪我などもなかったけれど、果たしてその選択が全部正しかったのかどうかなんてわかりません。だから、ただ単に完走した喜びだけを伝えるのではなく、その過程を伝えたいと思いました。
大会にうんぬん言う人もいる。高いお金を払っているんだから、というのもわかる。でも、良くも悪くも、本当に「山」を感じる大会だったと思います。経験が少ないなりに、あれは、“山に入る”個々の意識が大事な大会だと感じました。どんなに練習を重ねても、どんなに大会の経験が増えても、どんなに距離を積めるようになっても、トレイルランニングは、山に入る、山に向き合うことなのだと、忘れてはならないと改めて心に刻みました。
完走したすべての選手に。関門に向かって諦めずに走ったすべての選手に。リタイアという英断をしたすべての選手に。あの山に挑んだすべての方に、その健闘を讃えたいと思います。
武尊山にて
静かに揺れる笹の音を聞きながら
背の高い樹々の間に青い空を見上げて
命を落とした方へ手を合わせ
静かに目を閉じました
悲しみが込み上げて涙が止まらなくなったけれど
完走よりもなによりも無事に帰ることを約束し
強い気持ちで進みました
今年、幾人ものトレイルランナーの訃報を耳にしました。その方々を偲ぶ声を聞くたび、どれだけその方々が山を愛していたのか、どれだけ素敵な方々だったのかということがはっきりと、伝わってきます。多くの仲間を愛し愛されたその方々へ、そして、同じく山を愛した御嶽山の多くの犠牲者の方々へ、心よりご冥福をお祈りいたします。
あの山の記憶を心に深く深く刻み、これからもそれをしっかりと握りしめて、山に向きあっていきたいと思います。