たいへん!ずいぶん久しぶりになりました(笑)
ゴールデンウィークに2週間も山に行っていたツケで、5月6月はまるで遅れてきた、いや、早すぎる「師走」。駆け抜けるように過ぎていきました。あの山のことのこの山のことも書きたいのですが、とりあえず今わたしの頭のなかを占領しているのは・・・
一か月後に迫った、富士登山競走。
昨年5合目コースを2時間17分くらいで完走し、山頂エントリー権を得ることができました。そして今年、エントリー合戦という0関門をクリアして、いざ日本一の頂、富士山3776mを目指します。調べれば調べるほど完走が厳しく、サブスリーランナーでも制限時間ギリギリなのだとか、尊敬する俊足ランナーの方々がギリギリでなんとか完走したほどだとか、信じがたい情報ばかり耳にします。何度も挑んでやっと完走する、そんなこのレースをなんとか一発クリアしたい。と、言いつつも、まだ今年に入って融雪後、富士山には一度も足を運べていません。本番までにせめて2~3回は行きたいけれど・・・。
そういえば昨年、山開きの日のご来光を見に、富士登山競走の練習も兼ねて夜から富士山に登りました。0合目の馬返しから山頂、スバルライン5合目まで。ええ、ひとりで。いくら普段山に登っていると説明しても、世間はそれを弾丸登山と呼ぶのかもしれない。もちろんそれなりの山の装備を背負っていきました。
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仕事終わり、最終で富士山口の駅へ。
駅からタクシーで馬返しまで。不思議そうな運転手さん。色々話をして、山に登っていることも説明して。「なにかあったら電話してくれればいい」、とても親切にしてくれました。
23時00分。
0合目。馬返しを出発。馬返しから五合目佐藤小屋までの樹林帯は真っ暗。もちろん夜にこんなところから登ろうなんて人はひとりもいない。ヘッドライトとハンドライトを着けて、熊対策で鈴とラジオを流しながら、廃墟のオバケ的なものにビビりつつ、トレイルランニング。足早に約1時間弱で駆け上がる。
23時50分。
五合目到着。佐藤小屋前で持ってきた食べ物と飲み物で補給。
0時。
その瞬間にヘッドライトを消すと、真っ暗な夜空に、プラネタリウムよりもずっとずっと凄い数の星。山の向こうまでドーム状に星空が広がってる。感動か寒さかで鳥肌が立つ。ちょうどこの瞬間に30歳の誕生日を迎えました。30という区切りの年。ふつうの迎え方だとなんだかおもしろくないな、何か一生語れるような日にしよう。そう思って富士山に来たのです。
五合目からは、六合目、七合目と進むごとに1人会うか会わないかくらいの人の数。もちろん山小屋など空いていないしトイレも使えないけれど(一部は山開き取材のメディア向けに開けていた)、静かな富士山を登ることのできる贅沢さ。呼吸を乱さない範囲で、じっくりと登る。夜景が見えていたはずが次第に雲が厚くなり、山頂手前では真っ白に。
4時30分
23時にスタートして、5時間半。山頂到着。
山開き当日のご来光を撮ろうとマスコミだらけ。それでも真っ白な空。もうだめかと思っていたら次第に雲が切れてとてつもなく明るく大きく神々しい太陽が現れて、その場にいた大勢がどよめき、拍手が1人、2人、最後には山頂にいるほぼ全員で拍手をして感動的なご来光に沸いた。手を合わせて拝む人、静かに涙する人。
想像以上の人の多さと悲しくなるようなゴミの数にはがっくりしたけれど、「ご来光」というものは、やっぱり、感動的なものでした。
と、まぁ、そんな富士登山を思い出し、それまであまり興味のなかった富士山という存在にすごく興味を持つようになりました。色んなルートがあって、色んな楽しみ方がある富士山だけど、今年はとにかくもかくにもまずは富士登山競走。完走目指して、できるだけ足を運ぼうと思います。うーん、完走したい!
※馬返しから佐藤小屋五合目までの間は熊が出ると言われています。
もし行かれる場合には必ず対策を!
【ちなみに】
この時、山開き前だからきっとそんなにゴミはないだろう、と想像していたのですが、思った以上に「タバコの吸い殻」が多いのが印象的でした。山開き前に登る人はある程度普段から山を登っている人なのでは?=ゴミが少ない、なんていう思いがありました。たとえば飴の袋が、仕舞ったつもりのポケットから落ちてしまったというようなゴミなら(よくはないけれど)可能性としてはあるかもしれない。だけど、岩の間にねじ込むように捨てられていたり、木段の間に明らかに意図的にさしてあったり。ひどいものだと、5本くらいまとまって岩陰に落ちていました。誰かが捨てたあと、次々とマネをしたのでしょうか。それだけではありません。ペットボトル、おにぎりの袋、お菓子のくず、ホッカイロの袋など様々でした。拾って歩いたけれどパンパンのザックにさらに持つことのできる量がそこそこで、特にペットボトルなど全部拾いきれずにもどかしい気持ちでした。ゴミの問題は富士山に限った話ではないですが、けれどやはり外国人も多いシンボリックな山。美しい絵画として描かれる山。憧れの山であるはずのそこがゴミだらけだなんて、本当に悲しく恥ずかしいことです。山開き前で、この状況なのかと、テレビのなかだけではない、目の前の現実になんとも言えない気持ちになりました。小さな力かもしれないですが、行く時にはできる限りゴミを拾って、少しでも綺麗になるように願いたいと思っています。1人のハイカー、1人のトレイルランナー、1人の日本人として。