すっかり虜になった。
ここのところ、なにかにつけてこの3日間のことを思い出しては、また会いたい、はやくまた行きたいとそんなことばかり考えている。それは、7月末に行ってきた南アルプスの話。
これまで南アルプスは、鳳凰三山に始まり、甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳ともっとも人の多い北部の山々を登ってきた。北アルプスも雄大だけれど、南アルプスの雰囲気もスキ、そんな風に想っていたけれど、いまやそれは南アルプスの魅力のほんの一部にしか過ぎなかったような気さえしている。
南アルプスの南部はとにかくアクセスがわるい。塩見岳への登山口『鳥倉』に行くには、伊那大島駅からバスに乗る。登山の時はもっぱら深夜バスのお世話になるけれど、伊那大島に着くのは深夜3時30分。当然真っ暗。伊那大島駅発鳥倉方面へのバス始発は6時45分。3時間外で寒さの中寝て待つのは結構つらい。
北部に比べて人もまばら、行程も長くエスケープの少ない南部。体力のことを考えて、前夜はバスで飯田駅まで、飯田駅の近くのこじんまりとした旅館に泊まってお風呂&熟睡。翌朝に鈍行で伊那大島へ向かった。
鳥倉登山口をスタート
鳥倉からは静かな樹林帯をいく。日本一標高の高い峠「三伏峠」までは4kmで標高790m上昇、コースタイムは約3時間弱。最初の取り付きで標高を上げるのが意外と大変で、塩見小屋が改装中の今年は三伏峠で宿泊の人ばかりだった。
鳥倉から南下して荒川岳に向かうなどという「コースタイムが長く」「エスケープルートがほとんどない」「静岡側に下りるしかない」ルートを選ぶモノ好きは少なく、殆どが塩見岳目的。三伏峠小屋の人は『今日はすごい混雑だよ、夕食は4回転だね』と言っていた。そりゃ大変だ。
あら、なんだかぽつぽつと・・・晴れ予報なんだけどおかしいな? 「ところによって夕方から不安定」の“ところによった”みたいです。小屋の方も驚く、たま~にあるんだよねぇ、という天気の崩れ。もちろん夕立や雷を考えて15時には小屋に着く予定にしていたけど、まだ午前中。
15時~15時半には小屋/テント場に着くというのは山のルール。ましてや天気の悪い時になんて登らず潔く中止にしているけど、うーん、ひさびさに想定外の天気。さて、どうするか。とりあえず最寄の小河内岳避難小屋で雨風の様子をみて、これ以上良くならないのであれば小河内泊にしようと30分ほど待機。小河内岳避難小屋(有人)は小さな小屋だけれどとってもきれいで優しく迎えてくれた。雨が弱まったところで再出発。様子をみて高山裏避難小屋まで行くと伝えると、『じゃあ、無線を入れておいてあげるよ。あなたなら2時間くらいで行けるかもね』と言っていただいて出発。
意外ときつい、大日影山から板屋岳の登りを越えるとガレの縁を通る。視界が悪いとすこし注意が必要な場所。樹林帯と開けた場所をいったりきたり。雨風は良くなったもののガスは晴れない。注意しながら進む。景観はなかったけれど足元には花がたくさん咲いていて、とっても素敵な場所。
14時半には高山裏避難小屋へ到着。 農鳥小屋のおやじさんとおなじく有名な“おやじさん”がいる。もう80近いという。すいませ~ん、と覗く。
「おう。小河内から聞いてるよ」
「次の中岳避難小屋まで行こうか迷っています」
「どのくらいで来た?」
登山口とコースタイムを聞かれて答えると「いいペースだな」と真顔で言われる。しとしと降る雨と、少しの間。
「まぁ行くのはおまえさんの勝手だから、行きたいなら無線はいれてやる。だけどココまでなんてそりゃ体力ありゃ来れるやつはいるけど、本番はこっからなんだから、まぁ甘くみちゃいかんね、それでも行くんかっていう話だ」
そう言われてすぐに高山裏避難小屋泊に決めた。
真顔だし、ちょっとぶっきらぼうで見た目も怖いと思う人もいるのかもしれない。でもおやじさんの言葉と表情は優しさと気遣いにあふれていて、なんだかとても安心できた。こういう時には、本当にここを知り尽くしている人の言うことを聞いておいて間違いはない。わたしが小屋に着いたときにはまだ誰もおらず、おやじさんと色んな話をした。
「ほらよこせ、はやく」
わたしの濡れたレインジャケットやら靴下やらをテキパキと干して乾かしてくれたり、私の持っている飲み物やごはんを興味深そうに覗いては、便利だよなぁ最近はなんて話をしたり。おやじさんのこと、山のこと、TJARのこと(あいつら桃缶とラーメンを飲み物みたいに飲んでいくんだと言っていた。笑)、小屋番をあとどのくらい続けようかとか、とにかく色んな話をした。母方も父方もおじいちゃんを両方亡くして何年もたつ。ちょうどおじいちゃんくらいの年齢のおやじさんとのゆっくりとした時間がすごく楽しかった。たくさん笑って話した気がする。
その後、にぎやかな団体さんがきて、それはもうかなりにぎやかだったけれど(笑)、わたしに気を遣ってかおやじさんの雷も落ちず、少しだけ注意をしていて、そんなところにも優しさが垣間見えた。ノートの端を千切っておやじさんにありがとうの手紙を書き、翌朝3時には小屋を出た。
その後、ほかの小屋に寄る度に定番となったやりとりが笑えた。
「どこに泊まったの?」
「高山裏です」
「・・・おやじさんと話した?」
「ええ、すごく優しくしていただいて、とっても素敵で。」
「そりゃあ、すごいね。キミ、気に入られたんだね。ワハハ。」
高山裏から中岳避難小屋までのルートは、この縦走の中でも最も危険と感じた場所で、風も強く、標高差600mの大斜面の登りもきつかった。やっぱりおやじさんに相談して、高山裏で体力温存してしっかり休んでおいてよかったと、より一層感謝した。おやじさんと一緒に写真でも撮ってこればよかった。また会いに行くしかないな。
(後編につづく)
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