7月1日、午前2時30分。
34回目の誕生日だった。
34歳と2時間30分、標高1400mのテントの中でたまたま目が覚めて、なんとなく手にしたiPhoneには、衝撃的な報せが届いていた。数秒間、固まって、そこからはもう、思考停止だった。自分の意志に反して涙が頬をぽろぽろとつたい、心臓がばくばくいって治まらない。それを袖でぬぐって、頬の裏を噛みながら寝袋にもぐった。そこから目覚ましが鳴るまでの1時間とすこし、震える瞼を閉じていただけで、一睡もできなかった。
“Transpyrenea Annulée”
この日、わたしに届いた報せ。
それは、わずか30日後に迫った866kmの壮大なレースの突然の中止だった。
それから今日で約1週間。最初は生きた心地がしなかった。大袈裟かもしれないけど、わたしってこんなに凹む人間なんだって自分でびっくりするくらい、この一文が受け入れられなくて、できるだけ考えないように考えないようにした。できるだけ笑って笑って仕事した。幸いにも報せが来た日は山行だったし、翌日もその翌日もバタバタと仕事だった。一週間もやもやしながら過ごしながらもやっと落ち着いて、ちょっと冷静になってきたタイミングで、アンドラウルトラレースで知り合いが笑顔で写る写真や動画を見て、またじんわり涙がでた。わたしも30日後には、こんな風に写真を撮っているはずだったのに。ねぇ、こんな誕生日プレゼントってある?
わたしが今年チャレンジしようとしていたのは、Transpyreneaという大会で、トレイルランニングというよりも縦走大会だ。スペインとフランスの国境であるピレネー山脈を地中海から北大西洋まで縦走しようというもの。国境大横断の期間は約16日、ステージレースではない。ぶっ通しで2週間半。866kmが公称だけど、まぁ、900kmはあるだろう。豪華なエイドやサポートはない。衣食住をすべて背負い、866kmに対して、わずか3回のドロップバッグで踏破しなければならない。荷物は10kg超(わたしの想定で30L,約13kg)、雨嵐、残雪もある。毎日50~60km、毎日睡眠時間4時間くらいで2週間半走り(歩き)続けることができれば、完走できる。かもしれない。
2年に1度の開催で、今年は2回目だった。第1回目には日本人が3人参加していたが、いずれも半分くらいの距離でリタイアしている。今年は日本人がさらに増え、トルデジアンで知り合った知人もエントリーしていた。もちろん日本人女性の参加は初で、これまでの人生のバックパッカーの経験と山の経験とトレランの経験と根性と明るさと山への愛をフル活用してなんとか完走しようと考えていた。
エントリー費約15万円を年始には全て支払い終え、飛行機や宿や陸路のチケットを取り、日本では使わないような様々な必携装備を買い揃え、お世話になっているところに報告とご挨拶をしたりしていたところだった。友達が壮行会を開くよと言って人を集めて色々と準備をしてくれていた。協力するよ、応援するよと言ってくれる人達がわたしを支えてくれていた。一段ギアを入れて動き出す、そんな矢先だった。7月1日、自分の誕生日にこの挑戦を周りに知らせようと思っていた。
トランスピレネー866kmに出ます!
というBlogの下書きを、とりあえず削除した。
そこに書かれていたワクワクやドキドキ、高揚感に満ち溢れた言葉なんて、二度と読みたくなかった。主催者は「みんなのエントリー費は銀行口座に入っているから大丈夫」と言っているけど、その銀行口座が凍結してるとかしていないとかでエントリー費15万円が返ってくるのか正直怪しい。あんまり生活に余裕がある方ではないなかで、親にも話して、仕事も調整して、けっこうギリギリの状態で準備していたから、もちろん金銭的なこともダメージは大きいけれど、参加者たちはお金に換えられない時間を準備に費やしていたはずだ。何よりもすごく楽しみにしていた壮大なチャレンジがこんな風にして幕を閉じるなんて思っていなかった。海外のローカルレースの洗礼を浴びた。でも、さすがに、866km16日間を中止にするのは酷でしょう。さすがに、スタート30日前は酷でしょう。主催者と参加者が登録しているfacebookグループは1週間もたっているのにまだ荒れに荒れているし、この人達と一緒に冒険していたのかもしれないと思うと悲しかった。
中止になったんです、と言うとみんな口を揃えてみんな「そんなことってあるの!?」と言う。まったくその通りだ。ことの顛末の詳しい話はまたどこかに書くとして、簡単に説明すると『前回(2016年)に参加した選手数名が、エイドの食事が全然ないとか、チェックポイントでのテントサイトがいっぱいで雨の中寝るところがなかったとか、メディカルスタッフが医師じゃなかったとかでレースに不信感を抱いて途中棄権、その上で主催者にエントリー費返せと言ったけど拒否されたから訴えて、主催者が開催直前で敗訴してしまった』らしい。それによって、開催許可が下りなかったというのが、機械翻訳を駆使してわたしなりに読み取れた内容だ。(あくまでわたしの認識なのでちょっと違うかもしれない)
このレースは携行食のカロリー数が必携装備で決まっていて、そもそも訴えを起こした1人はそれを誤魔化していたとか、荷物が少なすぎるからたぶん装備不十分だったとか、あるいはメディカルスタッフが何度も止めたのにそれでも強行した人だったなどと主催者は反論している。テントを持つことはできるし、避難小屋を探して仮眠を取ることもできる。スーパーで買い物だってできる。(現金も必携装備) 医療チェックは主催者による選手の安全確保とリスク回避で、これに逆らうならば(あるいは誤魔化すなら)それは自己責任といわれてもやむを得ない気もするけど・・・・・・簡単に語れる問題ではない。こういったクレイジーな山岳の超エンデュランスレースで、主催者にどこまで求めるのか。エントリー費15万円はたしかに高額だけれど、国境を超える規模のレースで、選手が想像できないような準備と費用が必要なはずだ。集めた参加費が何にどう使われているかの細かい説明でも出せば納得してくれたのか。背筋が凍る。食事や睡眠が十分に取れなかったらもちろん命の危険がある距離と日数だけど、それは理解した上の参加だったのではないのだろうか。ローカルレース故に厳密な規約が記載された事前の署名などがないのがまた悲しい。サハラなどのレースを主催するオーガナイザーの彼らは、“スポーツマンシップ”的な精神で互いが繋がっていると信じていたのかもしれない。矢面に立たされた主催者の1人は団体の代表を退任したようなことが書いてあった。
これはどの国のどんなレースでも起こりうることだと思う。
それが、866kmという壮大なレースで起きたインパクトは大きい。かろうじて無名なレースだったからあまり騒がれていないけれど、例えばUTMBで起きたことだったら大変な騒動だ。(あの規模になれば訴訟になるまでに解決する組織力があるのだろうけれど) そのことに、山岳レースを愛する参加者達は“なんてことだ”と嘆いている。
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ともかく、そんなこんなで、わたしの夏の夢は、消えた。
いろいろ考えた。
ほかのレースに出ようかとか、モンブランなどのヨーロッパアルプスの“ピーク”を目指そうかとか、時期を改めてヒマラヤに行こうかとか。でも、この壮大なチャレンジをなにかに摩り替えることがどうしてもできない。100マイルを6回走れば気が済むかって言ったらそういうことではない。世界中にものすごくたくさんの面白いレースがあるけれど、それが替わりになるわけではない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
同じ夢を抱き、世界中から集まるはずだった仲間達が皆、同じ心境なんだろう。「もう自分達で行こうぜ!」と別のfacebookグループが立ち上がり、盛り上がっている。フランスや近隣国の人達はもともと予定していた仲間のサポートがあるらしい。途中で止めても帰りやすい。でもこちらは日本から行くわけで、しかもサポートなんてないし。荷物はどうすれば?PCTのように途中で自分が送った荷物を受け取れる仕組みはないし、トレイルエンジェルもいない。山小屋や避難小屋はあるけれど、TMBのように多くはない。Santiago de Compostelaのようにハイカーを受け入れる停泊地もない。どのくらい成熟したトレイルなのか、行ってみなければわからない。でも、だからといって日本で “普通の8月” を過ごすんだろうかわたしは。やっぱり自分で行ってみようか。だいたい、もとからこのレースはポイントとか全く関係ないし、完走したって何か特別なものが貰えるわけでもないし。そういえば、仲間が80kmくらいのレースに出ている日に自分で河原を100km走ったことがあった。レースじゃなくてもいい、その距離を走りたいなら、そこに行きたいなら、自分でいけばいいか。
だんだん、 「とりあえず行こうか」 に気持ちが傾いてきた。もちろん、スタートやゴールの華やかさはないし、だれかがGPSで位置確認をしてくれるわけでもないし、エイドもないし、テントサイトもなければ、何よりドロップバッグがない。仲間もいないし、助けも来ない。メディカルもないし、何かあっても誰も止めてはくれない。そのぶん、お金も時間もうんとかかるし、荷物も多いし、何度か街に下りては登り返して距離も増える。フライトや宿は取り直しだし、これから調べなきゃならないことも多いし、装備も変えなきゃならない。細かく地図を見直し(もともとマーキングはない)、どこで泊まるか(1人で夜間歩くのはさすがにどうか)、食料購入ポイントも考えなければならない。途中で同じフィニッシュを目指す仲間に会って励まし合うこともできないし、先へ進む元気と勇気をくれるスタッフもいない。
だけど、一度失いかけた目標をやっぱり達成したい。
やると決めたらやりたい。ちょっとコンセプトは変わってしまうけれど、やっぱり、挑戦したい。へこんでくすぶっていたくない。どんな局面でもその状況を楽しめる自分でいたい。自分の食べたいものを持っていくとか途中で着替えたいとかぜいたくなことはもう捨てて(笑)、必要最小限の荷物を自分でぜんぶ担いで、通常かかる時間の半分くらいで進めれば、大西洋へ到達できるかもしれない。
レースを走ることと自分で歩くのはどちらも好きだけど、わたしにとってはチャレンジの性質が全く違うし、準備も構え方もモチベーションも違う。アップダウンの激しいピレネー山脈866kmを16日間で走破するという制限時間はものすごく厳しく、それにチャレンジすることに意味があった。未だ知らない自分を見たいと思っていた。
正直なところ、まだうまく気持ちの整理がつかないけれど、ここに、こうやって書いて宣言して、これを気持ちの切り替えスイッチにしようと思う。だって、見るはずだった景色を見ずに終えたくないという気持ちだけは確かにあるから。縁のない土地、話せない言葉。GR10という900kmあるトレイル。通常ぶっ通しで歩こうとすると50以上のセクションに分かれていて、8週間かかる。限りある時間とお金。その限界まで、地中海から北大西洋を目指そう。これからわずか2週間でやらなければならないことが山積みだけど、全力で間に合わせよう。もう恥を捨てて、全力で周りの人達に助けを求めて、可能な限りの力を借りて、実現したい。
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こんな風に事態が急変することなど全く想像もしていなかった数日前、故郷で父親に会いに行ったら、こんな風なことを言っていた。
自分がどうしてもやりたいことは、周りに甘えてでも、親を利用してでも、全力で叶えればいい。もし、そうすることに戸惑うくらいなら、それが本当にやりたいことなのかどうか考えなさい。
尊敬するわたしの親は、常にチャレンジを続けていて、人生に貪欲で、いつだってわたしのお手本だ。それにしても一連の出来事を予知したかのような言葉。なんだか、さすがとしか言いようがない。この言葉が、混乱した状況のなかで、わたしの背中を押してくれた。こんなことがなければ、まさか、1ヶ月も休みを取って、日本では踏破者がおそらくいないような情報の少ないトレイルにぶっつけで行こうなんていう人生最大のわがままを考えもしなかったはずだ。しかし、ほんと、人生何があるかわからない。
きっとこれはなにか、面白いことのはじまりなんだ。
だいたい、振り返ってみれば、わたしの人生はいつだってぜんぶ冒険なんだし。
supported by:POLARTEC/moutain king/ogawand/GO PROjp
Source of photo:TransPyrenea 866 km official facebook
4 コメント
はじめまして。
是非生きて帰って来てどんな道行きだったか
ここで読ませてくださいね。
父さんの言葉 素敵ですね。
気をつけて行ってらっしゃい。
良い旅を‼︎
ありがとうございます!良い景色をみなさんにお届けできるよう、たくさん写真を撮ってきます!
その気持ちの切替に脱帽です。応援します!!
ありがとうございます!猛スピードで準備中です!