新元号が発表された歴史に残る今日という日に、わたしからも大事なお知らせがあります。
このたび、立ち上げから7年続けてきたMMA Blogを卒業することにしました。エイプリルフールのジョークではありません。
最後に、たくさん読んでくださった方々にメッセージを残したいと思います。
********
ひとりで仕事をしていると、「キリ」を付けるのはすごくむずかしく、どうやらわたしはそれが苦手なよう。本当にフリーランスに向いているんだろうかと悶々とすることも多い。性格なんだろうな。周りに「優柔不断なんです」なんて言うものなら目を丸くしてどの口が言ってんだという顔をされるんだけど、自分から終えることが苦手だし、去り際はいつだってさみしい。
はじめの一歩はいつ踏み出してもいい
きっかけというのはだいたい突然で、MMA Blogも例に漏れずまったく予期せぬタイミングで初期メンバーとなった。
トレイルランニングを始めたのは、2012年末。ゆるいランニングコミュニティの中にトライアスリートとトレイルランナーがいて、ちょうど何か新しいことを始めたいなと思っていた時に両方から誘われて、バイクを買うお金がないからという理由でトレイルランニングを選んだ。その時わたしを誘ってくれたのが(紹介されたのが)、MMAスーパーバイザーのエディさんで、エディさんの入っていたトレランチームが心折れ部。心折れ部のメンバーにMMAディレクターの渋井さんやMMAのカタログのスタイリングもしているスタイリストの満美さん、わたしが尊敬してやまない女性ランナー“女王”もいた。当時は毎年やっていた年末合宿に誘われて、箱根でトレランデビューしたその後に「MMAを立ち上げる時にサイト内でブログを書いてくれる人を集めるんだけど、エマちゃんどう?」と声を掛けてもらった。その頃、20代の初心者女性は少なかった。わたしはトレイルランニングをはじめたその時にトレイルランニングブログを始めた。
2012年12月に記念すべき初めての投稿をして、それから気付けば7年経っていた。
あっという間の7年。この7年色んなことがあって、自分でも振り返りきれないくらい。人生ってこんなにも変わるもんなんだなと他人事のように思う。2012年はまだトレイルランナーでもライターでもなかった。30歳を前にはじめたことが、こんなにも自分の人生を変えるなんて思ってもみなかった。
保守的な方ではないけれど、でもわたしだって何かをする時に「いまさらだよなぁ」と尻込みすることはある。30歳を越えてからは尚更で、年相応なんてことを考えたりもする。だけどあの時、「いつやるの?いまでしょ!」と背中を押された気がした。(調べてみたら、2013年流行語大賞だった) トレイルランやMMA Blogとの出会いは、早すぎるとか遅すぎるなんて気の持ちようなんだってことを教えてくれた。それを体現している人達がコミュニティにやまほどいた。10も20も年上の彼らはいつ見ても、新しいことを一歩も二歩も三歩も進んでやっていた。それからわたしは〝思い立ったが吉日″ってことわざがすごく好きになった。いつだって自分次第で毎日が吉日になる。
わたしのはじめてが詰まったアーカイブ
初めてのトレイルレースは、第1回のスリーピークス八ヶ岳トレイル38kmだった。
トレイルランを始めたばかりの頃みんなと山に行くのが楽しくて、はるかに筋力も走力の違うみんなと練習して(三浦30km、奥多摩〜雲取など結構スパルタだった)、レース前にチョウケイを痛めるという王道パターンで初レースを迎えた。案の定途中から脚が痛くて、階段を横向きにカニ歩きで降り、座り込んで絶望してみたり、トボトボ歩いているところを励まされたりしながら、制限時間いっぱい使って涙を流して完走した。集合写真さえも撮らないドライなチームメンバーがみんな揃って迎えてくれた。フィニッシュゲートの向こうで、みんなが横一列でわたしを待っていてくれた。みんなの元に飛び込んだ瞬間は、テープを切るよりもずっとずっと嬉しかった。その数年後に友達のおしりをたたきながら泣きべそかくその子の横で笑いながら励まして走るなんてね。
初めての100km越えの記録もここに書いた。本当は2013年の信越五岳だったはずが、台風で80kmで打ち切りになり特別完走に終わった。信越はチームのみんながサポートしてくれて、「脚が痛い」という私に「みんなそうだよ」と言われたのを鮮明に覚えている。強烈なハンガーノックで動けなくなる経験したものこの時が初めてだった。
その後、STYで92kmのコースの完走を経て(当時は天子山塊全部がコースでトレイル率も高かった)、同年9月に出た第1回上州武尊スカイビュートレイル120kmを完走した。上州武尊に出た年は色々な出来事が重なって、喪失感と悲しさで心がぼろぼろになりかなり不安定だったけれど、それが逆に考える余裕を与えず黙々とやるしかないという原動力になっていたのかもしれない。7年のうちで最も山に通った年が2014年だと思う。
当時国内の100マイル以下のレースでは最も獲得標高のある“山岳系”レースとなった初回の上州武尊を完走したことで、急に意識が海外へ向いた。ライターとしての仕事を増やしていきたいという想いもあった。そのためには、ある意味経歴も必要だった。経験の浅い私が使ってもらえるとすれば、海外への挑戦だと考えた。そこで、2015年にはTDSに出場した。それでもう、わたしはロングに魅了されて、100km前後ばかり出るようになった。2015年と言えば、日本国内でロングレースが急激に増え始めた年で、初回開催のレースが多かった。初回はレースレポートの価値が高い。信越五岳の再チャレンジもしつつ、FTRや奥三河にも挑戦した。(2013~2017のレース一覧)2016年のUTMBあたりから、レースレポートは媒体に出すようになり、わたしにとって、MMA Blogは自由なことを書く場になった。
損得勘定を捨てて徳を得る
自分で「徳」だなんて使うもんじゃないかもしれないけど(笑)、社会的価値という意味でこのことに触れたい。
ライターの仕事を初めてから、原稿の締め切りがある時などはBlogを書くのはさすがに気が引けた。わたしが逆の立場なら「Blog書いてる暇があったら原稿書けよ」と思うのは当然のこと。去年からライターの仕事に本腰を入れようと兼業のPRの仕事を減らしたのだけど、それまでの間も原稿を終わらせてBlogを書く時間を作ることができるほど器用なほうではなかった。だから、だんだんのんびり更新になった。それでもMMA Blogは自分を育ててくれた場所として大切だった。大会で「ブログ読んでます!」「いつも楽しみにしてます!」「あの記事が好きです!」と声をかけてくれる人もいた。それがわたしにとってどれだけ嬉しかったか。わたしがわたしらしく居られる場所という感じだ。
わたしのブログのキラーコンテンツと化していた(笑)、信越五岳レポートだけはどの媒体にも出さずにMMA Blogで書いた。2013年、2015年、2016年の3年分あって、このシリーズは自分でも結構好きだ。
そのほかにも、女性の大事な話(それまで提案してもなかなか媒体が扱ってくれなかった)やPOLATECの話は(暗にアンバサダーブームへのアンチテーゼでもあった)、発信する(できる)立場として、できるだけ多くのランナーと業界に関わる人たちへのメッセージとしてどうにか伝えたいという想いで書いた。
原稿を書いて、その対価をもらう。
それがわたしの仕事。ルールと枠組みに則って情報を整理して、文字にする。まだライター歴が浅いこともあって、校正やアドバイスを受ける度に反省しきりで、他のライターさんや編集の方の原稿を読んでは自分の未熟さに悲しくなり空っぽな気持ちになることもある。ブロガーからライターになったという経歴は恥じずとも、仕事の時はブログやSNSとは違うんだと必要以上に強く意識してしまって筆が進まないこともある。文章を読むことも書くことも好きだから、できるならばもっともっと書く仕事をして、もっと心に残る文章を書けるように筆を磨いていきたい。
だけど、お金がもらえることがすべてでもない。
雑誌やWEBの記事じゃなくてBlogのトーンでしか伝わらないこともあるし、枠組みの中では書けないこともある。わたし個人の意見として何のフィルターも通さずに伝えたい時もある。そういう時に、「仕事にすればお金がもらえる」という損得勘定は捨てるようにしてきた。女性の話の時などは、色んなところでその話をしていたけれどなかなか形にならなくて、エイヤッとBlogに書いたら思った以上の反響になった。そして不思議なことにそこから仕事の誘いが舞い込んだり、RUN+TRAILでは2ページもらって記事を書かせてもらったりもした。わたしなんか足元にも及ばないトップランナーからも反応があって、最初の発信がBlogで良かったと感じた出来事だった。MMA Blogには、即時性や自由度だけじゃない意味がたくさんあった。
わたしを支えてくれる人達が継続するパワーをくれた
これがMMA Blogを7年続けてきた一番の感謝だと思っている。だいたいのことを3日坊主で投げ出しがちなわたしがこれほど継続できたのは、読んでくれた人からの反応だった。コメントをもらったり、シェアされたり、声をかけてもらったり。応援してます、なんて言われることは人生でほとんど経験したことがなかった。体育会系ではなかったので、先輩後輩といった応援する/される関係性の経験はないし、文科系でマイペースに生きてきたから、わりとパッとしない学生生活だった。それが、レースレポートを読んだ人から、応援してます!と言われるようになった。エマさんのブログを読んでこのレースに挑戦することにしました!なんて言われた日にはすごく驚いた。
ブログを読んで、わたしに仕事を紹介してくれる人もいた。直接仕事をくれる人もいた。「ブログで読んだけど、こういうこともできるの?」といった具合に、意外な繋がりができることもあった。個人のブログではなく、MMA Blogだから公式でシェアされたり、知り合いがシェアしてくれたりして目に触れる機会が多かったおかげだと思う。
わたしの成長?変化?をMMA Blogを通じて見守ってきてくれた人が、わたしに支援をしたいと言ってくれることもあった。失意のどん底からの決意のピレネーの投稿では、色んな人から応援のメッセージや「何かできることがあれば何でも言ってね」と連絡がたくさん来て、嬉しくてスマホを持つ手が震えて涙がこぼれた。書いてよかった、MMA Blogという場があって良かったって心底思った。
おわりははじまりの合図
じゃあ、なんで止めるのかって、それは次のスタートを切りたいからだ。新しい一歩を踏み出す時、持っているものを必ずしも捨てる必要はない。だけどわたしは残念ながら器用じゃない。
大事なものを両手にいっぱい抱えていると幸せいっぱいだけど、もう持ちきれないことだってある。あれもこれもほしい、という意味ではなくて、例えばその大事なものをひとつほかのだれかに譲って、自分は新たに大切だと思えるものを自分の手で探し出す貪欲さも大事だと思う。
キリをつけるのが得意ではないし、器用でもないし、心地良さに浸って怠けやすいし、案外誰かに背中を押されないと何かを始められないことが多い。でもそろそろ自分でスタートを切ってもいいんじゃないかと思う。そういう決断力を身に付けたいという欲求があるのかもしれない。きっかけがあったわけではないけど、なんだか今もう一歩前に踏み出したい。もっと動いてこそわたしなんじゃないか。終わりや別れはネガティブなことじゃないんじゃないか。さみしがりやなわたしは、空いたところをきっとなにかで埋めようとする(笑)。そうやって、なかば強制的に自分を動かしてみるのはポジティブなことだと思うんだ。終わりは始まりの合図になるはずだから、自分から終わらせてみよう。それは明るい一歩になると思う。
be active be higher
やるからには、高みを目指す
********
永らくお付き合いありがとうございました。
Emma Nakajima
note https://note.mu/emma_nakajima
instagram https://www.instagram.com/_emmn/
facebook page https://www.facebook.com/pg/emmanakajima71/
Twitter https://twitter.com/EmmaNakajima
2 コメント
EMMAさんの文章が好きだったので読めなくなるのはとてもさびしいです。
これまでいただいたパワーが今でも自分の源です。
新しいスタート。。。応援してます。
(ちなみにこれまでのBlogはMMAから削除されるんですかね?
時々読み返したいので残していただけると嬉しいっす。笑)
そんな風に言っていただいてありがとうございます!そしていつもコメントをいただきありがとうございます。MMA Blogをやめたらすっかり忘れられてしまわないように(笑)いろんな場所で目にしてもらえるくらいに、たくさんがんばります。ブロガーの一覧からリンクは切れてしまうみたいですが、アーカイブは残してくれるそうです!^^