A8<西冨士中学校>/13:39:07 総合18位↑(区間4位)
A7<こどもの国>のエイドは、エイドに向かってピストンしていくコースレイアウトだ。つまりエイド前後の数キロがすれ違いになる区間となる。
だから<こどもの国>を発つとき、十数分先まで先行ランナーがいないということがわかった。一人旅だ。でも、それも悪くない。
林道ではキロ5分台半ばのペースだった。旅の友はiPod。自分としては快調な巡航スピードを守る。「2011年末の清掃ボランティアでゴミ拾いしたな、そのときはこんな走れるなんて思わなかったな」。快調なペースの反面、途中、トイレだったり、胃薬を落としたりで何度か立ち止まり、そのロスがあるせいか、しばらくはまったく前を行くランナーが見えないナイトランとなった。樹林帯のなか、闇夜に溶けていくかのような感覚。長い長い一人旅。
◇ ◇ ◇
ここでちょっと寄り道の話をさせて欲しい。
僕にとってUTMFがトクベツなものになったのは、震災の影響で2011年大会の中止が決まった直後のことだった。大会実行委員長、鏑木毅さんのブログを読み返すと、それは3月31日のことだったらしい。少し長いけど、全文を引用します。
「今日思ったこと」
今日のOSJ上級セミナーは平日にも関わらず
16名の方にご参加して頂きました。
この状況下、ましてやUTMFが延期となったこの時期に
これほど多くの皆さんにご参加いただけたこと正直びっくりしました。
世の中、見聞きすることは心を暗くすることばかり・・・。
こんな今だからこそ、集いたい、そして発散したい
僕にはそんなふうに感じました。UTMFが延期となり、正直今まで、このセミナーを通して
情熱を燃やし続けてきた参加者の皆さんの気持ちを裏切ったような後ろめたさがあります。
そんな中、セミナー中に上級セミナー常連のIさんから
「鏑木さん。何年かかってもいいですよ。僕は絶対にUTMFに出ますよ!」
本当に心の支えになる一言を頂きました。
思えば、UTMFに向けては苦難の連続でした。
心無い意見に心を痛めることも多々ありました。
そしてこれからも多くの壁が待ち受けているのだと思います。
でも、こんなUTMFに対する強い思いがある方がいる限り、
何としても実現したいという思いを自らに誓いました。
恥ずかしながら、ここで登場する常連のIさんというのが僕のことだ。
この日は平日だったけど、DMJの仲間と申し合わせて鏑木セミナーに参加することにしていた。そして事前にこう企んでいた。「UTMFが延期になってしまい、僕ら以上に、鏑木さんは肩を落としているに違いない。だからなんとか鏑木さんを元気づけよう!」おこがましいけど、そんな風に考えていた。そしてセミナー中、鏑木さんと併走するチャンスが訪れたので、思い切って前述のセリフを口にしてみたのだ。
--じつはそのときは鏑木さんの反応がとても鈍かったので(と感じた)、しまった、大きいなる空振りに終わった!と思っていた。でも、翌朝に鏑木さんのブログが更新されていて、必ずしも空振りにはなっていなかったことがわかったのだった。こそばゆかった。
それから1年の延期を経て、2012年5月にUTMFの初開催が決まったとき、なんとしてもあの日の約束を果たさないと、と一人強く感じることになる。
鏑木さんは忘れてるだろうけど、これは自分にとって果たすべき誓いのようなものだ。「UTMFに絶対に出る」というのは、単にエントリーして出走する、というつもりの言葉じゃない。熱い気持ちで準備して、当日は持てるものを出し尽くす。できる限り最高の走りで応える。それが自分が宣言した約束だと(勝手に)思っていた。
じつはある意味、ちょっとしたプレッシャーでもあった。
◇ ◇ ◇
いわゆる「送電線トレイル」はかなり走りやすかった。登り返しがなんどかあるものの、基本的にはゆるい下り。「ここが最もキツイ区間だった」という人もいたけど、日中走ったとしたらかなり飛ばせる区間だったように思う。幸運にも何人かのランナーをパスすることができた。大会側が有力選手としてリストアップした、20番以下の若いゼッケンばっかりだった。
夜明けが近い。そしてA8<西富士中学校>も近い。レースで、皆で、夜のトレイルを走るのはたまらなく楽しい。視界を横切る木々のスピード感が速い。明かりが届く範囲までしか見通せないからだろう。目が、身体が疲労しているからだろう。だから過ぎさる木々がスピーディなビートを刻んでいる。いやがおうにもハイになる。夜を走るのは、だから、やっぱり、とても楽しい。
夜が明けて、舗装路をしばらく進むと、A8<西富士中学校>の気配が近づいてきた。結局A7から2時間ではこられなかったけど、相対的にみればおおむね快調なペースで駆けることができた。さあ、ここからが100km以降、ここからが100マイルレースのスタートだ。
その3へ続く