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脚の重さは、思い描いていたよりもはやくやってきた。
後続に熊鈴の音が迫っている。マズい。ここはまだ100kmそこそこの地点だ。大会の難所といわれた天子山塊、その最初のピークへと登り始めたばかり。それなのに心拍数が140付近にまで落ち込んでいる。気を抜くと140すら割り込んでしまう。でも、身体がいうことをきかない。マズい。相当にマズい。
もうニレア選手はすぐ後ろだ。じきに追い抜かれて、その姿が見えなくなるんだろうな・・・。でも、まぁ、頑張ったほうだよな。20位以内、なんとかキープできるかな。
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つい数十分まえ、A8<西富士中学校>を通過したときにはじめて順位を聞いた。おそらく十数番だという。率直に言って思ってもみなかった好順位だ。密かに目標としていた20番以内は既にクリアーされていた。
でも、そのときはまだ体に力がみなぎっていた。脚が前へ前へ進みたがっていた。トレイルに入って、超スローペースのニレア選手(女子1位)をとらえる。一度舗装路を横切り、本レース最大級のロングクライムパートへと踏み入れる。入り口のスタッフに正確な順位を聞く。---15位? まさか。もしかして。10位以内の「表彰台」がほんの少し頭をよぎる。もう前に女子はいないようだ(ハワイで一緒に走ったTNFのトレイシー選手はDNSだったんだ)。つまり、男子総合で10位には入るにはそっくり5人抜かなくてはならない。そんな色気が頭をよぎる。
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と、「ここまできたら欲張って10位以内を狙ってみよう」などと気色ばんでいたのはほんの数分前。でも、今はスピードががっくり落ちてしまっている。登り進み、傾斜が増すにつれて、追い抜いたはずのニレア選手がすぐ後ろに迫りくるのがわかる。あんなに衰弱していた彼女に追いつかれるほどのペースなのか…。でもカラダが動かない。後続の男子ランナーの鈴音も近づいてくる。
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いよいよニレア選手に抜かれる。
きっかけは思い出せない。次のように自問することができた。なぜこのようにスイッチを点火できたのか、もう覚えていない。
「ここで諦めることもできる。目標の20位以内はなんとかキープできるだろう」
「でも、それでいいのか」
「少なくともTomoさんだったら絶対に諦めないよな」
「おいおい、UTMFへ賭けた気持ちってやつを見せるのは、まさに今じゃないのか?」
ニレア選手との差をすぐに詰め返して、併走を開始する。我慢していたら、心拍数、ペースともにやや回復した。苦しい、痛い、もうダメだなどと余計なことを考えないよう、ニレア選手にしゃべりかけることにする。「もうすぐ富士山が見えるよ」とかなんとか。彼女のほうからしゃべりかけるてくることは無いけど。英語で話すのはストレスなのかな。
十分ほど後ろにつかせてもらっただろうか。山頂直下のさらに急なパートにさしかかったころ、ジェスチャーで先に行くよう促される。グッドラック、シーユーゴールライン。そういえば後続の男子選手の鈴音も聞こえなくなっていた。再び前へ進む。最初のピークまであと少しというとことでN選手をパスする。14位。
天子ヶ岳から先はアップダウンの稜線を行く。H選手をパスする。13位。脚にトラブルがあるのか、辛そうだ。とはいえ、こちらのペースも文字通りハエが止まりそうなくらい。でも、登り始めのころのような弱気な気持ちではないし、幾分マシなスピードだ。遅いけど、でもこれでいいのかもしれない。熊森山で配られた500mlペットボトルの給水は死ぬほど嬉しかった。自分と同じ3桁ゼッケンのランナーをひとりパス。西富士を先に出たはずの飴本さんも、気づかなかったけど途中でパスしているようだ。11位!? そして誘導ボランティアの方々の話を総合すると、前を行くのがダンカン選手だと分かる。チーム・バスク所属のセミプロランナーだ。
問題はここで起こった。
天子山塊セクションの半分を越えたときに、手持ちのジェルを逆算してみると、あろうことか残量が不足していることがわかった。レース後半に差し掛かり、疲労し、補給のインターバルが短くなっているのだ。そういえばハワイの初100マイルでも同じ経験をしたっけ。やっちまった! ダンカン選手を追いたい、追いつきたいけど、ハンガーノックが怖いからペースをあげられない。自重せざるを得ない。
ところどころでスタッフに前との差をたずねると、一様に「5分くらい」と口をそろえる。ハンガーノックの恐怖が無ければすぐにでもキャッチアップできそうな差だ。でも、今はこの5分が詰められないのだ。もどかしい。
A9<本栖湖>以降に待ち受けるのフラットパートは、フルマラソンの持ちタイムで大きく劣る僕にとって最も大きな試練となる区間。テクニカルなトレイル区間が続くA9までに10位に上がらないと、表彰台はありえないだろう。
毛無山への一気登りの手前では、座り込んでレスキューキットを取り出し、緊急用食料としていたハニースティンガーをかじる。脚や心肺はまだ行ける。でもレースはあと40km近くも残ってるから、ハンガーノックが怖い。だから追えない。もどかしい。
どれだけ我慢の歩みを続けただろうか。でもついに、雨ヶ岳への登りの途中で、腰を降ろして休憩しているダンカン選手が見えたを。ハイキングで休憩しているかのように富士山を眺め、携行食を口にしていた。すれ違いざま、自分がHURT100マイルに出たことなどを話すけど、うまく英語が通じない。先を行かせてもらう。10位。はじめて表彰圏内にあがる。
そこから先、本栖湖までは下りパートが多かった。試走をした利もあるし、下りでは多分追いつかれることはないだろう。怖いのはハンガーノック。まずは本栖湖までガマンだ。ガマンしながら攻めるんだ。下りの途中で西城選手に会う。まさかレース中に、西城さんのような強いエリートランナーと会話を交わす機会があるなんて。
本栖湖ではDMJのバンビくんと、友人のコバくんが待っててくれた。ありがたい。事前の指示通り交換用のハイドレーションパックにスポーツドリンクを入れてもらっていた。が、今の胃の具合からしてもうそんなものは飲みたくなかった。真水に替えてもらう。でも完璧な動き、完璧なフォロー。十数分前に奥宮選手がフラフラで出発したことを聞かされる。「追いつけますよ!」。・・・なんてこった、そんなこと言われたら追わざるを得ないじゃないか。さすがランナー仲間。素晴らしく的確なエールだ。
エイドを発つとき、西城さんがエイドの入り口に差し掛かったのが見える。石川弘樹選手らしき人が走って迎えに行っていた。それから何人ものサポートクルーが出てきて、椅子を出し、食料を広げる。その人数差が正直羨ましい。
ああ、前を行く山屋さんもこんな孤独を感じていたんだろうな。
A9<本栖湖スポーツセンター>/19:54:52 総合9位↑(区間5位)
フラット区間、まずは樹海トレイル。今度はジェルを十分に持ったからもうハンガーノックの心配はないはずだ。さすがにカラダが苦しい。苦手なフラット区間。たぶん内臓も疲労しているだろう。すっぱいものがこみ上げてくる(ような気がする)。いや、一度くらいは口の中までこみ上げてきたかもしれない。でも、自分は大丈夫なはずだ、そう思い込んで走っていたから、今となっては思い出せない。
ここは「気持ちで走る」と決めていたセクションだ。この大会と、鏑木さんをはじめとする大会スタッフへの感謝の気持ちを呼び起こし、脚を止めることだけは全力で拒否する。
「つないでくれた富士山一周、サボるだなんて一歩も許されないでしょ」
「この辛さを味わうために、楽しむためにこのレースに参加したんだ」
表彰台争いができている喜びもある。この走りなら、鏑木さんへ約束した「絶対に参加しますよ」を果たせるかな。まだゴールまで4時間近く耐えなきゃいけないけど。
◇ ◇ ◇
大会本番が数日後に迫るにつれ、「絶対に参加しますよ」の約束は、自分の中ではこう変わっていた。
「UTMFに対して、運営面では、何の手助けもできないし、何の力にもなれない。だからランナー、参加者として、ウルトラトレイルの旅を遊びぬいて、大会を盛り上げる!
それが僕が大会に対してできる『何か』なんじゃないだろうか。熱い走りで応えること。できうる限りの気持ちの走りを貫くこと。そんなことで大会が盛り上がるのか、成功につながるのかなんて分からないけど、一人ひとりの熱量こそが大会に目に見えないスペシャルな何かをプラスしていくはず。
UMTBが盛り上がるのも、ハセツネが日本一の大会なのも、参加者の想いの総量がすさまじいから。だから、気持ちの走りを貫くことで、UTMFが結果的に少しでも盛り上がれば。おこがましいけど、たとえばボランティアの方々が『この大会の手伝いをしてみて、よかった』と感じてもらえれば」
ヒロイックに酔った考え方だとは自覚している。けれども、いつのまにか自分の中ではこんな考えを貫き通すこと=鏑木さんとの約束を果たすこと、になっていた。
正直それが勝手にプレッシャーにもなっていた。100マイルレースで必ず訪れるであろう弱気な局面、苦しい、キツい、痛くてツラい瞬間。それなのにゴールまではまだ○時間も残ってるという絶望。脚を止めたり休んだりしないと楽にならないし、逃れられない。果たしてその局面を迎えたときにちゃんと耐えられるのか。本当に頑張りきれるのか、約束を果たせるのか・・・
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ロードに出て、橋付近で急に後ろからの気配を感じる。西城さんがものすごいペースで走り去る。かわされ際に力強い握手を交わす。あっという間に見えなくなる。驚愕のスピード。これで10位。表彰台ギリギリ。そしてここは、最大の弱点であるロード区間。
でもそんなことはこのレースを走る前からわかってる。だから、せめて自分なりにプッシュし続ける「心の準備」だけはしてきたつもりだ。もちろんどんなに心構えしていても、実際にプッシュし続けるのが大きな苦痛をともなうことにかわりはない。よちよちペースもいいところで、手元のスントに目をやるとキロ7分台を示していた。
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よくよく考えると、UTMFのために、なんだかんだで10回近く試走に足を運んだ。もしかしたらこれってけっこう頑張ってたほうなのかもしれない。こんなの大した努力じゃない思ってたけど、じつは「かなり熱心に準備していた」部類に入るのかも。
そうそう、そんなUTMFを目指した時間のうちの半分以上は山屋さんと一緒だったっけ。山屋さんはかなり先を快調に走ってるらしい。彼の表彰台はもう間違いない。UTMFという同じ目標に向けて頑張った日々、そういえば合宿もしたよな。学生時代にスポーツから逃げていた、運動音痴の自分が憧れていた「合宿」。気恥ずかしいけど、青春を追体験した日々だったかもな。
--そのピリオドとして、ここまで来たなら、どうせなら、山屋さんと一緒の表彰台に立って締めくくりたい!
その4に続く