最初の違和感ははや20km地点でやってきた。UTMFリタイアの間接的な原因となった箇所で、以後、しばらくお付き合いを続け、最終的になんとかお引取り願った、いやお引取りを願ったはずのポイント”A”だった。
ウルトラのセオリーに「とりあえず次のエイドを目指せ」というものがある。先のことなんて考えるな(考えるだけムダだ)、とりあえず次へ。次にたどり着いたらそのまた次へ。次の次にたどり着いたらさらにその次へ。残された道のりへの想像力をオフにして、先に進みなさいというわけだ。
このセオリー、頭でわかっていても、いざ実践するのはなかなかに苦しいもの。自分の歩幅がだんだん狭まってくるのがわかる。
違和感、増幅。大いに困る。
ペースがあがらない。ゆるい登りが走れない。周りを見渡すと、ほかのランナーはみんな元気そうだし、楽しそうだ。
そうこうしているうちに、もう一つの不安箇所”B”からも違和感が聞こえてきた。レース前の一夜漬けドカ錬にて疼きはじめた箇所だ。
今までの経験も邪魔をする。「まだ△時間しかたってないのに、◆時間もたったような身体の状態になっている・・・」経験が必ずしも助けになるとは限らず、ともすれば足を引っ張りかねないということがあるとわかった。
違和感、さらに増幅。大いにめげる。
「この違和感は故障につながる違和感だ」
「もしもこの先挽回できたとしても、いい成績なんて望めない」
「どうせ辞めるなら早いほうがいい」
「ボロボロになる前のほうがダメージも少ない」
「来年また頑張ればいいじゃないか」
もう、とりあずの次を目指すのもヤメだ。38km地点にEstanyというエイドがあったはずだ。応援してくれた人には申し訳ないけど、ここで止めよう。
辞めることを決心し、言い訳の一字一句をシミュレーションしながら、なんとか38kmのEstanyにたどり着いた。
ここで大きな誤算があった。
◆ ◆ ◆
Estanyは、なんと、山の中に仮設されたエイドだった。車道のようなものは見受けられず、搬送車はアクセスしようもない。しかも周囲にまだ雪がたっぷりと残っている。つまり、ここでドロップしても、どのみち自力で降りなきゃいけない。
やれやれ。じゃああと数キロだけ進んだ、この次のエイドでドロップしよう。確かアスファルト区間があるといっていた。搬送車もアクセスしやすいはずだ。
次のエイドに辿りついてみると、そこでは多くのランナーが腰を下ろしていた。なんとなく休みづらい。ここをすぐ発てば順位も一気にアップする。なんだ、スケベ心だけはまだ元気だな。じゃあ次まで行って、そこでドロップしよう。
不思議なもので、そうこうしているうちに、違和感AもBも薄くなっていった。Aが暴れにくい脚の運びかたも身についてきた。単に脚全体がまんべんなく疲労して、感じにくくなっただけなのかもしれない。
さらに幸いなことに、当日の悪天候の影響か、ピークがひとつ省略されたようだった。走っても走っても登り区間が現れず、大エイドのMarginedaまで長いフラットパートに変更されたようだ。スタートからおおよそ10時間が経過していた。普段はとても好きとはいえないフラットな舗装区間だけど、ここで足がふっと軽くなる。
確かに山は走りこまなかった。でも、フラットなパートであれば、この冬、気が遠くなるほど走ってきた。
◆ ◆ ◆
65km地点のMarginedaを発ち、大きな山をひとつ越え、日が沈み、夜が更ける。前にも後ろにも誰もいなくなり、聞こえるのは自分の息づかいだけ。たまに光が見えるとそこは簡易エイドで、水と食料を流し込んで、また、規則的な息づかいの中に戻る。日が昇る。24時間が経過。キンと澄んだ空気の中を下る。登る。走れるところは走ってみる。下る。上り下りパートの走り込み不足が手に取るようにようにわかる。でも、悪くは無い。レース中は不思議と身体感覚が感覚が冴えてくる。そうして130km地点の大エイド、Pas de la Casaに到着した。
130km。普段なら完走が間違いないと思える地点。でも今回は、ここからゴールまでの10時間が僕にとってのアンドラウルトラトレイルだった。