Tomoさんのレースから感じることは、速いヤツより強いヤツが、強いヤツより諦めの悪いヤツが「強い」ってこと。
でも、ロングトレイルをレースすることは何でこんなに楽しいのかな。キツい一面もあるのに。
子どものころを振り返ると、毎日、無限にも思える楽しいが連続していて、他愛もないことにいちいち夢中になれた気がします。日常のいろんなことが新鮮でした。
大人になると、知識や経験が増えるけれど、反面、感動は薄れていくもの。そのこと自体はネガティブなことじゃないし、それが大人になるってことでしょう。
でも、トレイルランニングはいい大人を没頭させてしまう何かがあります。ちんちくりんだった頃の自分に返れます。いや、違うな。子どものころの遊びには、トレランみたいな味わい深さはなかった。
いい大人がむきになって、一分一秒でも早くを目指し、年甲斐もなく熱血する。しかも、ウルトラトレイルのレースってやつは何度走っても想像だにしなかったことが起きてしまいます。
だいたい、この年になってから何かに「熱血」することを味わえなんて、ちょっとした奇跡のようなものかもしれません。
つけ加えるとすれば、長い時間山を走って、肉体的に消耗してくると、鋭敏に、感じやすくなるような気がします。非日常なほど肉体的に消耗した状態が、「楽しい」を感じやすくさせるんじゃないのかな。
レースも中盤に入ると脚はおろか衣類もよごれ、転倒しようが雨に打たれようが、もう、どうでもよくなっちゃう。地べたに腰おろしたり寝転んだりすることもいとわなくなります。体裁がとっぱらわれる感じ。
子どものころは、遊んで泥まみれになることなんてちっとも気にしてなかったでしょ?
ある著名な小説家がこんなエッセイを書いてました。悲しいかな大人は子どもと違う。全身全霊で、真剣に執筆するのは、そうしないと「楽しい」を感じられないからなんだって。子どものころのような楽しいを取り戻すため、執筆してるんだって。
大いに納得。
学生時代インドア派だった僕にって、トレランは、体育の授業とは違い、自分自身でやってみようと決めて足をつっこんだもの。大人になって本当によかったと思えてしまう。子どものままなんかじゃなくて。トレランはじめてよかったな~。
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