UTMF2014無事完走。
28:09:51(総合54位)
目標には遠く及ばなかったが、怪我も含め、すべて今の実力だと納得。
今回レースを時系列的に詳細に振り返ることはしないが、何故この結果だったのか?
忘備録的に分析はしてみようと思う。
1)レースで気を付けたこと
とにかくA8の西富士中までは前半だと思い、かなりペースを抑えた。
心拍だけを頼りに150bpmを超えたら、歩いてすぐペースを落とす。周りがどう行こうがずっとこれだけ。
特に気を付けたのは登りよりも下り。UTMBのときにクールマイユールからアルヌーバまでの区間の下りで足を使いすぎて、その後足が死亡した経験から、とにかくA6までは意識的に足を温存させた。なるべく四頭筋は使わないように小股に下り(むしろ歩きに近い)、後ろにつかれたらすぐに道を譲った。それにしても、これミドルレンジのレース?って思うほどにみんな下りを飛ばしていた。あれで最後まで持つのは、トップレベルの選手だけだと思う。
ランナーズアップデートで確認すると、順位は322,209,155,154,128,116,113,105となっている。自分としてはA7のこどもの国までに100位以内に入れればいいかなと思っていたので順位は良かった。でお、タイム的にはA7Inの時点で50分ほどビハインド。結果的にはこのタイム差が後半にも響いただけに、やはり少し抑えすぎだったのかもしれない。
※基準心拍の見直し等をしようと思う。
2)補給
20分ごとのにアラームを鳴らして取得。前半は40分に1回取得していたが、A8以降は20分に1回くらい取得。主にメダリストのジェルが中心。
このジェルは味がとてもおいしいので最後までまったく飽きなかった。
こういう補給食が発見できたことにより、今回補給関連のトラブルは一切なし。エイドではパンなど固形物を取るようにしていた。この対応で今後も大丈夫だと思った。
3)サポートについて
今回はノンサポートだったが、ノンサポートのメリットとしては、とにかくエイドで甘えることができないので、自分の気持ち次第で素早くエイドから出ることができるということかなと思った。
でも、一人ですべて運ぶので当然ジェル等装備は重い。。。
来年もしUTMFを走るのであれば、今度はサポートをつけようかなと考えている。
そこで注意する点は、サポートには1分でも早く選手を送り出すように仕向けてもらうことかなと考えている。疲労から、どんどん我がままになっていく選手を鼓舞し、如何に早くエイドから出させるか?もし、サポートと選手の歯車が噛み合えば、選手のパフォーマンスを最大限生かせるようになるかもしれないと感じた。
エイドの滞在時間については、前半は平均で4分くらいしかエイドに立ち寄らなかったが、A7~A10では平均15分ほど滞在している。UTMBの時よりは改善されたが、次回はこの点を何とか改善していきたいと考えている。
今回は、A7で小野さんとキャットさん、A10で桃瀬さん達にお会いできて、出発をお手伝いしてもらったので本当にありがたかった。こういった「待ってくれている人がいる」ということは、100mileにおいて本当に重要だなと改めて感じた。
4)練習について
残念ながら、2月から発症した腸脛靭帯炎で自分が考えていた練習は正直こなすことはできなかった。月間走行距離は300kmに満たなかったが、それでも工夫次第では、ある程度やれるということが分かった。しかし、これよりも上を目指すのであれば、距離も質もさらに改善していかないと全く歯が立たないということも同時にわかった。
今回一番の収穫は、腸脛靭帯炎になるに至った原因と根本的に向き合うことが出来たということ。実は、今まで気づいてはいたのだが逃げていた部分。つまり、筋力や心肺的ポテンシャル以外の部分について、真剣に改善しようと取り組めたことだ。実際に100km地点で左足に腸脛靭帯炎が出てくるまでの間は、その効果を実感した。むしろ、その取り組みがあったからこそ100kmまで持ったともいえるかもしれない。今後も継続して取り組んでいくことによって、さらにもう1段レベルを上げれると確信している。
5)総括
UTMBに続いて2度目の100mile。100mileは「気持ち」がものをいうエンデュランススポーツだと改めて分かったと共に、自分としては「出力」のスポーツであるとの確信に至った。
「出力」のスポーツとは、自分のアウトプット(=出力)を客観的且つ正確に把握し、それを的確にコントロールする能力が問われるスポーツということ。
まさに自分を第3者的視点で観察できる能力が問われるんだなと感じた。その点ではフルマラソンだろうが100mileレースだろうが根本は一緒だと思った。
「気持ち」については、人それぞれだとは思うが、個人的には、やはりUTMBの悔しい経験は生きた。
A7以降の鉄塔ゾーンで患っていた右側ではなく、左足の腸脛靭帯を痛めてしまい、気持ち的にはかなり落ち込み、この足では、A8以降の本学的な山岳エリアはもう無理かもしれないと本当にリタイヤ含め歩いて考えていた。だけど、その時に何度も自分に問いてみた。
「お前だけじゃない。みんな痛い部分を抱えて走っているはず。お前にとってUTMFのゴールは何を意味するのか?完走して何を得たいのか?」
このとき何としてもレースを捨てないでゴールしたいと思った。正直完走だけでは、UTMFを走る意義は見いだせなかったし、この状況でレースをすることによって、UTMBでは得られなかったものを獲得できるのではないか?と考えた。
最終的には、(意見分かれるところだと思うが)リスク覚悟上でロキソニンを投入。
天子ヶ岳以降は下りも走れるようになったので、まだギリギリ自分のレースに踏みとどまった結果となった。とはいえ、A8天子はやはりきつく、A9麓→A10本栖湖はぶり返した痛みと疲労でこのレースで一番気持ちが落ち込んでしまった。
ところが、本栖湖手前で山屋さんにお会いし、「ぜったい諦めませんから」と自分でも気持ち的に真逆なことを話をしたところからスイッチが入り始め、続くA10本栖湖~A11鳴沢までは、ずっと
「このボロボロを楽しみに来たのはおまえだろ?」
“Accept the low point and keep moving forward”
と呪文のように唱えながら進んだ。
すると不思議と足の痛みは気にならなくなり、
結果A10~A11は区間順位23位A11~フィニッシュまでは区間順位21位と自分なりに奮闘したと思っている。
言霊というか、言葉のもつ力をこんなににも感じたレースというのは今までなかったかもしれない。今回はそんな新たな発見もあった。
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最後になりますが、鏑木さんはじめ、関係者すべての方に感謝。ありがとうございました。
初めてのUTMF。
本当に素晴らしい大会でした!
1 コメント
[…] 2014年のUTMFで思い通りのレースができたとき、 100mileは”出力マネージメントのスポーツ”だと思った。 でも今は、”引き出しのスポーツ”だと思っている。 […]