こんにちは、くだりだけでなく、トレッドミルもこわい、さいこです。
さて、前回予告した、トルデジアンのご報告です。
わたしは、去年は約100km、今年は約300kmでリタイヤでした。
実力不足と言ってしまうとそれまでなのですが…。
今回は、わたしの走力レベルがどのくらいか、そして、去年なぜ失敗してしまったのかをお話しします。
わたしの走力は、マイナーなショートレースで何度か表彰台に上ったことがありますが、ロングだと、信越、おんたけ、UTMFなどを完走しているくらいです。
そして、登りは好きですが、ブログタイトル通り、くだりがとても苦手です。
登山は夏山のみ。南アルプス、北アルプス、富士登山、いずれもトレランスタイルのスピードハイクです。本格的なクライミング経験はありません。
海外レースは2010年CCCのみで、100マイルレースはUTMFのみです。
トルデジアンにはまだ早い?と思う方もいそうですね。
トルデジアンは、リタイアしたわたしでも、とてもとても楽しい大会です。
エイドのごはんは、素晴らしいイタリア料理の数々。チーズに生ハム、ターキーやローストビーフ、ビールにワイン、挙げたらキリがありません。
そして、人の暖かさ、おもてなしの心、助け合う絆の深さ、そういった、人の心との触れ合いは、このレースならではと言えます。
とはいえ、距離は336km、累積標高は24000mです。
わたしにとっては、やはりものすごく辛い大会でもありました。
去年、わたしが最初のライフベースに着くと、建物の中のベッドは全て埋まっていました。
外の仮設テントへ案内され、まあ、仕方がないと毛布に包まってベッドに横になりました。
すると、突然、ぶぅ〜〜〜ん!という音をたて、ストーブが壊れてしまったのです。
床はアスファルト、隙間風が吹き込みます。あまりの寒さに眠ることなどできません。周りの選手の荷造りの音や話し声も気になり、3時間ほどの滞在時間、一睡もすることができませんでした。
寒さで食欲も湧きません。
ライフベースでのせっかくの食事をしっかり取ることもなく、わたしは出発することに決めました。
そのあと、睡魔との闘いがはじまりました。
眠気は大幅なペースダウンに繋がります。一緒にライフベースを出た選手たちがあっという間に見えなくなりました。
焦りはどんどん増していき、エイドでの休憩や補給も疎かになりました。
トルデジアンでは、ビーバーク、野宿などコース上で眠ることは禁止されています。もし、そういった選手を見かけたら、大会側に報告をする義務があります。
でも、わたしは睡魔に勝てず、エマージェンシーシートを被って山肌で寝てしまい、すぐに通報されてしまいました。
また、焦るあまり、防寒着を着ること怠り、峠で低体温になりかけました。
峠のスタッフが毛布を広げて、わたしに向かって走ってきたことを今でもハッキリ覚えています。
自分では、越えてしまえばなんとかなると思っていましたが、スタッフから見て、既におかしい状態だったのでしょう。
わたしはそもそも寒暖差にすごく弱く、冷たい空気を吸い込み続けると、胃腸が止まってしまいます。
このときも、十分に補給もできていないうえに激しく冷え、胃腸の動きが止まり、結果激しい嘔吐につながってしまいました。
泣きながら嘔吐していると、わたしと同じペースで進んでいたイギリス人の選手が、一緒に次のエイドまで連れて行ってくれると言ってくれました。
ものすごい時間をかけて、彼はわたしと一緒に山小屋まで歩いてくれました。自分のフリースをわたしに着せてくれて、時間は気にしないでいいからと、わたしを助けてくれました。
そして、やっとの思いで到着した山小屋では、リタイア宣告が待っているのみでした。
「翌朝ヘリを呼ぶから、それに乗って山を下りるように。」
そう言われましたが、わたしはごねにごねました。
絶対に次のライフベースのコーニュまで自分の脚で行く!と喚き続けました。
山小屋では、行かせてやれ!いやリタイアだ!とスタッフが真っ二つに分かれて言い合いが始まりました。
その真ん中でわたしはしくしく泣くばかり。
結局、自分の脚で行ってもいい、でも、コーニュでリタイア決定だから、スタッフの指示に従うようにと言われました。
それでも、コーニュまで行けば、その先も行かせてくれるかもと思っていましたが、それは叶わぬ夢となってしまいました。
と、言う訳で、そんな体験をしたわたしが、今年はどんな準備をして行ったのか、次回はそのあたりをお話ししたいと思います。
お楽しみに〜。