こんにちは。
実は、くだりがあまりこわくなくなってきた(驚)、さいこです。
さて、希望を胸にオヤセを出発したわたし、実はスィーパー集団にずっと後をつけられていました。
わたしの通過した後のコースマーカーが、どんどん回収されていきます。
そう、わたしは最終ランナーなのです。
あまりのプレッシャーに最後の下りをマジ走り。そして、またしても転倒…。スィーパーの陽気な話し声が、わたしをバカにしているように聞こえてなりません(そんな訳ないのに…)。
痛いけど、走らないと間に合わない。無我夢中で進み、這々の体で最終ライフベースのオロモントに飛び込みました。
するとそこでは、途中でレースをやめざるを得なかった日本人選手のみんなが待っていてくれたのです。
ワーワーと泣き出してしまったわたしに、テーピングをしてくれたり、荷物の整理をしてくれたり、ごはんを運んできてくれたり。
本当にありがたかったです。
一足先に到着していた松田さんともお互いを讃えあい、いよいよ最終ステージへと出発!
日が暮れる頃、わたしたちはそれぞれのペースで進もうと、行動を別にすることにしました。
暗くなると、途端に睡魔が襲ってきました。まっすぐ進むことができません。
あっちにふらふら、こっちにふらふら、なかなか高度が上がりません。
そして振り返ると、下から数名のヘッドライトが…。
そうです。スィーパーと最終ランナーたちです。
神様、お願いです、この先進ませてください!叫びながら進んだのですが、とうとうスィーパー集団に追いつかれてしまいました。
もはやこれまでか。
絶望的な気持ちになったところで、彼らはわたしに言いました。
「僕たちはスィーパーだけど、今から君のフィニッシュペーサーになるよ。さあ、一緒に行こう!」
もう、彼らのペースについていけば、最終関門は越えられます!
わたしは彼らに、関門がサンレミになったと聞いてきたと伝えました。
彼らは、え?聞いてないけど?そうなの?と半信半疑。
どちらにしても間に合うよ、と彼らはあまりそこの点は気にしていないようでした。
道中どうしても睡魔に勝てず、彼らにお願いして仮眠を2回取りました。
彼らは時間を気にしていましたが、わたしの計算では関門の2時間前には到着するはずでした。
彼らと進んだ夜は、本当に楽しかった。たくさん話し、歌を唄い、彼らの持っていたアプリコットやナッツをたくさんいただいて、温かい紅茶をいれてもらったり…。
夢のような時間を過ごし、とうとうサンレミに到着。
でも、関門はやっぱりこの先のメルドゥだったのです。
まだ関門まで2時間程ありました。
絶対に間に合わない、ここで終了だと宣告されましたが、絶対嫌だ!ゴールまで行く!と、わたしは泣きながら走り出しました。
新しいスィーパーもついてくれました、走って走って走りました。
ところが、日が昇り、後ろから強烈な朝日に照らされたとき、ふっと力が入らなくなってしまったのです。
スィーパーの彼は、メルドゥでみんなが待っているよ、何時間かかっても構わないから一緒にクールマイヨールまで行こう!と言ってくれました。
それなのに、もうわたしの実力はこれまでなんだ、これ以上人に頼るのはやめよう、やはり1人ではここにさえ来ることはできなかったのだ、という思いでいっぱいになってしまいました。
怪我をしたのだから仕方ない、関門の場所を間違ったのだから仕方ない。そんな風にも思ってしまいました。
ゴールしたい気持ちより、諦めの気持ちが勝ってしまったのです。
でも、同じ状況だった松田さんは、無事にゴールすることができましたし、常にわたしと同じくらいの位置を進んでいた、年配の女性もゴールすることができました。
睡魔に打ち勝ち、予期せぬ出来事を跳ね除け、絶対にゴールするのだという強い気持ちさえ持っていれば、わたしにもゴールは待っていたはずなのです。
転ばなくても、同じようなペースだったかもしれません。
みんな、脚の裏がベロベロに剥けていたり、それなりにダメージを負っているのですから、辛さは、みんな一緒です。
自分だけが不遇な状況にいるわけではないのです。
完走に足りなかったもの、
それは、強い心。
弱い心に負けた瞬間、ここまで来るために準備してきたこと、努力してきたこと、そしてレース中の楽しかった出来事、すべてが無くなってしまいました。
こんな気持ちには、二度となりたくないものです。
この後の1年、わたしには変化が起きました。
弱い心に強い心が勝てるようにもなってきました。
そんなお話しは、また今度…。