あのウルトラトレイルマウントフジ(UTMF)という狂騒から1週間が過ぎ、クールダウンしたところで今回のUTMF2013での自分の体験を今一度振り返りたい。
■(0km) START 河口湖八木崎公園
特に狙いは無かったがほぼ最後方からスタートとなった。スタートを焦っても意味がないということをわかっていたし、渋滞は無いだろうと思っていたからだ。しかし、最初のトレイルに入って何度も渋滞に巻き込まれてしまった。焦る必要もないが気持ち良く走るにはある程度中盤くらいからスタートすべきだった。
■(11.4km) A1 鳴沢氷穴 に到着
八ヶ岳スーパー100マイル時と同じく、周囲にまどわされず心拍計をみながら自分のペースで淡々と進んでいた。しかし、本栖湖までのロード区間でOSJ代表のタッキーを抜かしてしまう。彼より速いのはあり得ないので、これはハイペースなんだと思いさらにペースダウン。青木ヶ原樹海のトレイルは走りやすく気持ち良く進むことが出来てA2本栖湖に到着。
■(23.8km) A2 本栖湖スポーツセンター に到着。
サポートのモッシーより、予想より早く到着していると伝えられたので、エイドのおかゆをゆっくり味わって完食。そして出発しようとした時に信じられない光景を見てしまう。DMJのISOさんがダウンしていた。今回誰よりも調子が良いはずなのにまさかの事態。しかし、自分はどうする事もできない。ショックを隠せないまま、気持ちを切り替えて竜ヶ岳にアタック。頂上に到達する頃に日が暮れて来てライトをON。低い熊笹尾根に夕闇と富士山のコントラストが美しく思わず声を上げてしまった。そして、その勢いで竜ヶ岳の下りも気持ち良く下れるはず、、、がまさかの下り渋滞発生。前半に無理に飛ばして失速している人が続出で、各所で団子詰まりをひきおこしていた。スタート位置の悪さがここまで影響してきているのか?次回出る時はもっと前に並ぼうと思った。
ATCストアの芦川さんが中心になって作っているウォーターステーション。大きな屋根があり、所々にストーブが置かれている。ウォーターステーションと言いながらも地元の支援により食べるものを用意してくれていた。ここにきて、既にダウンしてマッサージを受けている人等が目立っていた。まだ35km。高速ペースでやられてしまったのだろうか?ここからはガッツリと雪見尾根の登りになるので、ガッツリとラーメンを食べてゆっくり登りながら消化を促す作戦。これは成功して、天子山までマイペースで進む事が出来た。また、この日はラッキーで無風で稜線で風に吹かれることなく暖かかった。
水ヶ塚にはRODのメンバーがボランティアでいるはず。そこまでは行こう。せっかくの素晴らしいトレイルの区間はフル歩き。途中崖に寄りかかって何度か休んだ。トボトボ歩いていると、前方にカメラクルーを発見。近づくとEAST WINDの田中正人さんだった。日本で最も過酷なレースを潜り抜けて来た第一人者が、この最悪の状態の時に目の前にいる。
これは何か幸運めいた偶然だろうか?思いきって訊いてみた。
俺「胃がやられてしまって復活する良い方法は無いでしょうか?」
田中さんの表情が一瞬曇った。
田「胃はねぇ・・・(対策が)無い」
俺「そうですか・・・」
田「あるとすれば・・・横になるしかないね」
藁をも掴む思いで質問したが、死刑宣告を自分から訊いてしまったようなものだった。
絶望的になりながら、水ヶ塚までふらふらとした足取りでフルで歩いた。
■(88.8km) A5 水ヶ塚公園 に到着。
そして後方からモッシーがクラクションを鳴らして車で追いついてきた。
医務室に行くか?仮眠テントに行くか?
もし医務室に行ったらリタイアは確実になるだろう。もう少し粘って決めよう。田中さんのアドバイスに従って先ずは仮眠室で休む事を選択した。
しかし、水ヶ塚の仮眠室はおそらくたくさんあるエイドの中で最悪と言っていい。テントの下には隙間があり、富士の冷たい風がビュービュー入り込み、シュラフも薄い夏用。毛布は顔から風が入らないようにかける。寝ていてもどんどん寒くなる一方で、起きてエイドの中で休んでいた方がマシだとわかり、通常のエイドのテント内に移動した。モッシーの勧めでうどんを胃にむりやり流し込む。しばらくして体温が徐々に復活してきた。距離半分。100m進むのさえまともに出来ないのに残り80kmしかもトレイルだ。全く行ける気がしなかった。もう恐怖で先に進む気力が無くなってしまった。
俺「モッシー、ごめん。俺、やめるわ。」
モ「ダメです。」
俺「風邪の咳が出てるし・・・」
モ「ダメです。行けます。」
お互い譲り合わず真剣だった。
しかし、モッシーがなぜ頑なに拒否するか良く分かっていた。3月の伊豆トレイルジャーニーで彼はリタイアをして、その悔しさを味わっていたからだ。そこに、同チームのコバさんが水ヶ塚に向かっているという情報が入った。彼は脚のダメージを押しての出走で、痛みは既に限界を超えているはずだが、家族が待つA8きららエイドまでなんとか進もうとしていた。
モ「とりあえず6km先の太郎坊まで行きましょう」
俺「わかった。コバさんと太郎坊まで一緒に行く」
2人で行けば途中で倒れても何とかなる。さらにこの太郎坊までは走行禁止区間。歩くしか出来ないので、走力の差が出ない。また、陽も上がってきて歩きながら体温の上昇が期待できた。再びスタートするのに都合が良い条件が揃っていた。
コバさんが水ヶ塚に到着。コバさんの準備を待って一緒にスタートした。3月のITJでは3秒差で競い合っていたコバさんと、今度はトレインを組んで太郎坊を目指した。この区間は今回のトレイルでもっとも美しい森の中を進めるトレイルだと言ってもいいだろう。北米の国定公園のような美しい森とトレイルだった。しかし、走行禁止区間なので走る事ができないが、その分美しい景色を堪能しながらゆっくりトレイルを味わうことができた。
眠る事なく2度目の夜が来て、冷え込みが強くなってきた。ゴールまであと40km。日中は良かったが、冷たいコーラと衰弱しきった身体で後半の最難所である杓子山を越えられる気がしない。リタイアしようか・・・そんな心中を察してか、モッシーが
「次のエイドまで6kmです。なんとかなります。」
もう自分で判断するという気力も無く、あと6kmか。なんとかなるかもと言葉に乗せられたまま出発しようか、という時に大会実行委員であり、チーム100マイルの監督である鏑木さんがふらりとエイドに出現した。チームラビットとしては本来ならここに居てはいけない遅い時間帯だったのでそそくさと逃げたかったが、出ようとした時に目が思いっきり合ってしまった。
俺「胃がやられてしまって・・・」
鏑「大丈夫!必ず回復するからそれまで堪えて」
鏑「(ゴールではなく)次のエイドに行く事だけに集中して!」
大会実行委員として本来なら公平な立場でいなければならないのだが、顔色の悪いチームメンバーを見て、いてもたってもいられなくなった感じで堰を切ってのアドバイスであった。
この言葉を受けて、頭の中からリタイアの文字は完全に吹き飛んだ。
「制限時間を全部使ってもゴールする!」
何かが吹っ切れた。
エイドを出て山中湖に夕闇に映える富士山が反射していて綺麗だった。
ラッキーな事に、このきららから次の二十曲峠は2回試走していたのでどれくらいで到着できるかイメージできていた。とにかく二十曲まで集中しようと淡々と進んだ。
■(142.8km) A10 富士小学校 に到着。
ここでボランティアのタケさんに会って、3名のRODのUTMF公式ボランティアメンバー全員と会う事を達成。そして、応援に駆けつけてくれたRODメンバー3人が加わりこれまでに無い賑やかなエイド滞在となった。そして、胃がようやく回復していて食事を摂ることができるようになっていた。
「かならず回復するから!」
師匠の発言は嘘ではなかった。
温かい体育館のエイドでしばしチームメンバーと団らんの後、ゴール目指して出発。スタートからゴールまでサポートしてくれたモッシーとはここで最後となる。そして新たに駆けつけたメンバーと記念撮影をしてエイドを発った。
エイドから出ると人の家の庭先ではないか?と思えるような場所をいくつか通過しつつ、最後のトレイルへ向かう。しかし、先ほどのエイドで10数時間ぶりに食事を摂ったことで今度は猛烈な眠気が到来。ストックを突きながら脚が空回りしてなかなか前に進まない。身体は正直であり、そして100マイルレースは様々な試練を吹っかけてくる。さらに幻覚も酷くなり、今度はライトで出来た木々の陰が人影に見えてきた。
「次のエイドに集中して!」
再びあの台詞を思い出して自分に激を入れる。
次のエイド=ゴールだ。
そう、もうゴールしかないのだ!
眠気をしばらくやり過ごし、ロードに出る。もう幻覚を作るトレイルや木々は無い。ロードを歩いたり走ったりしていると、ライトの向こうに見覚えのあるニットキャップが見えた。水ヶ塚で心配をかかけたボランティア参加のハムちゃんが激寒中をコース誘導をしていた。心配をかけたが、最後に元気な姿を見せられて良かった。そして、ゴールまであと9kmと伝えられた。もう2桁無い距離をチームメンバーの口から直接聞いて元気が出る。下り基調になり、河口湖大橋のオレンジ色の光が自分と同じ目線の高さで見えて来た。ようやく来た。キャンドルでライトアップされた浅間神社を抜けると、これまで背負ってきた何かが全て清められるようだった。信越五岳でも奥社を通る時に同じような感じがした。敢えてこのコースを組み込んだのだろう。最後にしてニクい演出だ。
■(161.0km) FINISH 河口湖八木崎公園
大橋を抜けて最後の湖畔の遊歩道となる。ゴールまでジョグで進む。中盤からスローペースだった事もあり脚は残っていて普通に走れる状態だった。湖畔の遊歩道でA10から合流したメンバーに迎えられ並走。あれだけ早く到着したいと思っていたのに、もう少しメンバー達とこのまま走っていたい。そう思いながらもあっという間にゴールゲートに到着し、36時間37分ぶりにスタート/フィニッシュラインを踏んだ。
<まとめ>
『コース vs 自分』
距離161km。累積標高差9000mというのは本当に長かった。本栖湖を過ぎてから麓までの区間での満月に照らされた影富士の幻想的な風景、そして富士山の山頂がまるですぐそこにあるように錯覚するほどまで接近する太郎坊付近のダイナミックな砂走りコースがあると思いきや、トレイルレースと忘れてしまう程の退屈で長いロード区間や洗濯ものが並ぶ住宅の軒先を通るような場所もあったり、杓子山ではクライミングの能力が試させる両手両足を使ったコースがあったり、日常と非日常風景の振り幅が激しいバラエティ溢れるコースだった。人によって評価が分かれるだろうが、マイナス面とプラス面を比較すればプラス面が多いコースだと思う。テクニカルな部分は少なく、比較的走れる場所が多いので上位層の高速レース化は今後も進むだろうが、中位から下位のランナー的にはエイドも適度な位置に配置され、速度は出なくてもマイペースで淡々と進める力があれば、参加資格を持っている者なら誰もが完走できる厳しいながら優しさも持ち合わせた100マイルコースだと思う。完走や快走のポイントは走力よりメンタルと自己管理にあると言っていいだろう。
自分が一番キツかったのは杓子山と、すばしり~きららまでの三国山を越える区間。どちらも共通しているのがピークを越えても越えても現れる偽ピークの多さが精神的に堪えた。天子山塊は体力があるうちに通過する事と、終わりが想像できるわかりやすいコースなので辛く無かった。ただ、この日は無風だったので快適だったが、風がある日はかなり寒いのでその点は注意が必要だ。それからA3~A4区間の送電線下のルートは同じ景色の連続で単調だったり、腐って異臭を放つ杉林を通過したりと暗い気持ちになってメンタル的に厳しかった。許可の問題で仕方なく通らなければならないルートなのだろうが、今後あのルートが別のルートになればより完全体のUTMFに近づくこととなるだろう。それには参加者が大会に協力し、マナーある行動の積み重ねを見せ続けて理解をしてもらうしかないだろう。
そして何といってもボランティアの皆さんが最高。どのエイドでも明るく受け入れてくれて、気持ち良く明るく送りだしてくれる。選手はもう先に進みたくないと思ってエイドに命からがら駆けこんで来るのだが、これだけ応援されると次に進もうという気にさせてくれた。ボランティアの方々がは元々はこのレースに出たかった人、何らかのトレイルラン経験がある方が担当していることもあり、ボトルの水入れや食事の配り方なども選手が飲みやすかったり、とりやすかったりしてくれてツボを抑えた対応が素晴らしかった。世界から来る選手も多いこともあり、運営体制は他の国内レースでは味わえない程しっかりとしたものだった。
『装備 vs 自分』
今回は昨年11月の極寒の八ヶ岳スーパー100マイル時の装備とほぼ同じだっただので寒さ対策という意味では万全であったが、ウインドブレーカーを着ると暑く、脱ぐと若干寒いという中途半端な気温の時のウェアリングを完全に失敗してしまって、結果的に身体を冷やして胃腸の不調を発生させてしまった。腹巻きやホカロンも用意はしていたのだが、それはデポにあるドロップバッグの中にあり、必要だった西富士中~こどもの国間で使えなかった事も作戦ミスと言っていいだろう。1つの判断の過ちが結果を左右する。自分の実力を冷静に認識し、この時にこの場所で気温はどれくらいで、雨だったらどうか?調子が悪くなった場合はどうか?など良い時と悪い時を考えながら10km毎に装備がどうあるべきだったか?もっとシビアに準備しておく必要があった。なんとか完走は出来たがこれが今回の一番の反省点だった。今度のUTMBでは同じ轍を踏まぬよう装備と体調管理をしっかりして乗り込みたい。
『己 vs 自分』
今回は装備や補給のミスがあり、中盤からリタイアをしかけるなど苦戦を強いられた。これまで内臓のトラブルは無かった方なので、内臓へのダメージは人の心をいとも簡単に折るということがわかった。 走りたくなくなる程の具合悪さもあるが、このまま何も食べずに走り続ける事への恐怖心に己が負けてしまうのだ。しかし、そのリタイアに最も近づいた危機を幸運にもサポートメンバーのモッシーの熱意により回避すことができた。しかし、残りの80kmはハンガーノックと胃の不調に何度も負けそうになる自分との戦いの連続だった。
そんな時、どう思いながら進んでいたかというと、
「UTMF完走なくして、UTMB完走なし」
の一言に尽きる。
これは出走前にある方に言われた刺さった一言だった。リタイアしてしまうのは簡単だが、8月までリタイアした思いを引きずったままシャモニーに行くのは何としても避けたかった。折れかかった自分を繋ぐ唯一の言葉だった。こういった「マジックワード」が自分の中にあったので粘ってゴールをする事が出来たのだと思う。
今回の完走はチームメンバーのサポートが無ければあり得なかったが、さらにいつも仲良くしてもらっている様々な仲間の励ましがあったからこそ。トレイルランは自分との戦いと言われているしそうだと思う。しかし、今回は一度は自分に負けたが、仲間の力で復活して最終的には自分に勝つことができた。自分に負けそうになった時、力をもらえるのはやはり友の存在は大きい。本当に感謝してもしきれない程の力をもらった。
『そして、1週間が過ぎ・・・』
1週間前は地獄の苦しみを味わいながら富士の山中で彷徨い、ただの普通の日常に戻る事だけを思ってゴールしたのに、日常生活に戻ると街で見えるもの全てが虚像のように見えて来て、再びあの地獄を渇望している自分がいる。きっと誰もがそんな思いに駆られて再びエントリーボタンを押してしまうのだろう。
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