2009年のCCCを完走後にUTMB選手たちのゴールを見ていて、
「いつか自分もUTMBを走り切ってこのゲートをくぐりたい!」
と思ってから丸4年。その後、諸々都合等あってエントリーすることすら叶わなかった空白の3年間があり、そして今年2013年8月30日金曜日。遂に念願のUTMBのスタートラインに立つ事が出来た。
そんな喜ぶべき状況にあるはずなのだが、大会日程が近づくに連れてモチベーションは低下する一方だった。というのも仮想UTMBとして出ていたおんたけ100kで股関節を痛めてしまって3週間1歩も走れず、体重も増えて仕上がりはベストには程遠い状態だったことによる半ば諦めモードもあったのかもしれない。
もうひとつの理由としては、世界の様々な100マイルレースに周囲の人が参加している昨今、これまでは100マイルレース=UTMBという単眼さが無くなって、多くの素晴らしい100マイルレースの中の1つのレースという見方に変わっていた事もあるのかもしれない。
でもシャモニーに来れば誰もがわかるが、街はF1レースでも始まるのかくらいに盛り上がり、UTMBは他とは別格の世界で最もメジャーな100マイルウルトラトレイルレースである事は揺るぎ無く、また来年来られるかどうかはわからないのだから、
「1回コッキリのチャンス。とにかく完走して1発でキメよう。」
という狙いはモチベーションの高低に関わらず、ずっと心の根底にあった。
しかし、4年前に約半分の距離のCCCを走った直後にそう簡単に完走できるレースでは無いこともわかっていたので、4年前の自分にどういう結果で応えられるか?自分自身もそれが楽しみだった。
30日金曜日、午後16時。
スタート30分前にスタートゲートに到着。既に教会前のスタートエリアは選手と応援者でごった返していて、既に早い時間から位置を確保している人が前にいて、行列の後方にある教会の前に立つのが精いっぱい。
スタート5分前。大好きなDaft Punk / Get Luckyが会場に大音量で流れて気分がアガったおかげで、ここでようやくスイッチが入った。スタート直前の大事なタイミングにフランスを代表するエレクトロミュージックの鬼才ヴァンゲリス、そしてダフトパンクを流すあたりは”フランスはトレイルランだけじゃないぜ”というお国自慢なのかもしれない。
そして、スタート直前。遂にヴァンゲリスのあのテーマ曲”conquest of paradise“が流れてスタート会場は最高にヒートアップ!!
「ああ、本当にこれからあのレースを走れるんだ・・・」
大きな歓声が巻き起こる中、この4年間の感慨深い想いが湧きだしてきた。しかも、過去3年間は悪天候で通ることが出来なかった本物のUTMBノーマルコースでのスタートだ。行きたくても行けなかった空白の3年間を埋めるには申し分ないシチュエーションでのスタートに気分がアガらずにはいられなかった。
【1】CHAMONIX ~LES HOUCHES〜 LE DELEVRET 0~13,6 km
大歓声のシャモニーのメインストリートを抜ける。お祭り騒ぎで渋滞が発生していて殆ど走れる状態ではない。夕方16時スタートにも関わらずまだ昼のように明るい。実は暑さを想定していなかったの暑い時用のシャツを日本から持って来なかったので、急きょ大会のサロンで購入していた。
その後、8km程のロードと平坦なトレイルを走り抜け、ウォーターステーションのある小さな街、Les Houchesに到着。この街もお祭り騒ぎで、地元のバンドによるライブがおこなわれていた。カップにコーラをもらって直ぐに走りだした。それからしばらくして、Les Houchesを過ぎてトレイルに入る時に小さな人集りが出来ていて、よく見ると驚くべき人物がいた。
説明不要の世界最強のトレイルランナーであるキリアンがひょっこり一般応援者の中に混じっていたのだ。誰かが目ざとく発見して小さな人だかりが出来た瞬間に通りかかり、記念にパチリ。選手でも出ていないし、シャモニーに居ないキリアンと写真が撮れたのはかなりラッキーだった。Le Houchesを過ぎると約800mUPのLe Delevretへのアタックとなる。選手は沢山いたが、トレイルはダブルトラックくらいの広さがあり、渋滞はほとんど起きていなかった。
【2】SAINT GERVAIS ~20,9 km
シャモニーよりも都会的な地方都市といった印象。お祭り騒ぎはシャモニー以上で、誰もがスター扱いの声援を受ける。
「もうここで終わっていいですか?」
この大歓声の中で終わったら本当に気持ち良く終われると本気で思うくらい沢山のメーカーフラッグが立ち並ぶ派手なゴールゲートだった。エイドに並んでいるものは、パン、チーズ、スープ、バナナ、オレンジ、クッキー、チョコなどなど、それからエナジーバーもあった。概ねいつものUTMBのエイドメニューだ。しかしここで終われるわけもなく、水を補給して、パンとフルーツを食べて先を急ぐ。
【3】LES CONTAMINES ~31,2 km
サン・ジェルヴェの街からコンタミンヌの街まで約10kmで300mUP程の緩いトレイルを進む。時間は夜の19時台。まだ明るく、そして暑い。早く日が落ちて欲しかった。そしてこの区間で突然の異変を感じた。緩い登りなのに心拍がいつもより10くらい高くて、走るとハートレートが即レッドゾーンを越えてしまう状態となって走りたくても走れなくなっていた。
「あれ?何かおかしい…」
標高も高いわけではなく全く原因がわからなかった。時間を見ると日本では夜中の3時台なので、おそらく時差的に寝ている時間帯だからだろうと勝手に思っていた。とにかく心拍を上げないようにゆっくり進んでコンタミンヌのエイドに到着。ここは最初のアシストポイントとなる場所だ。サン・ジェルヴェに負けない多くの歓声が待ち受けていて関門を抜けると、自分を発見したmoto君から大きな声で呼ばれアシストポイントへ移動した。ここの関門時間はスタートから6時間。自分が通過したのはスタートから4時間半くらいなので、残り1時間半前にクリア。このレースは日本のレースのように優しい関門時間のレースでは無いのだ。容赦無く足切りしてくる。とにかく潰れない範囲で走れるところはキッチリ走ってコンタミンヌを抜けないといけない。
アシストエリアでmoto君と合流。兄のnobuさんがこのUTMBに出走しており、その弟のmoto君が兄のサポートに付いているのだ。そして職業が看護士なので、自分の様子を見て
「汗かき過ぎてますね。電解質を摂ってください」
とアドバイスをもらった。先ほどの心拍が上がっていたのは暑さによる脱水症状が原因だったことがここで判明する。もし指摘されなかったら脱水症状とわからずに無策でこの先に突入していただろう。彼にこのタイミングでここで会えた事は本当に”Get Lucky”だった。塩熱サプリを2,3粒ガリッと噛んでコンタミンヌを出発した。
【4】LA BALME ~39,3 km
コンタミンヌからこのエイド、ラ・バルマまでは距離8kmで約700mUP。この後に控えるボンノム峠に入る前の小さいが重要なエイドだ。ここで栄養をとって、序盤で最も標高の高いボンノム峠(2443m)へアタックするべくいつもより多めに食事を摂った。先ほどの脱水症状の影響もあって身体に力が入らず調子もあまり良く無かった。ここで最後まで走りきれるのか?不安の方が大きくなってきていた。空は満天の星空で、時折下弦の月が山の際から見えるとライトが無くても走れるくらいの明るさだった。満月ならもっと明るかったことだろう。今が”調子の底”だと思って遅くても黙々と進み、ひたすらその回復を待った。そしてさらに嫌な事が発生していて、ジェルフラスクの蓋が緩んで胸ポケットの中がジェルでベトベトになっていた。なのでジェルを次第に摂りたくなくなっていて、こういう細かいところで調子が狂ってくる・・・ということは分かっているのだが、やはり嫌なものは嫌だ。こういう時だからこそ、余ったストラップが風になびいて当たるとか妙に細かい事が気になってしまうものだ。
【5】REF. CROIX BONHOMME ~44,7 km
小エイドのラ・バルマからボンノム峠までは距離5kmで600mUPの傾斜のきつい登りが続く。数字的には大したことはないと思えるかもしれないが、前半の山場と言っていいだろう。暗くて景色はわからないが、山頂まで続くヘッドライトの列で山のディティールがわかる。そして、星空にヘッドライトの光の列が繋がっているような圧巻の光景だ。誰もいないモンブランの山奥でトレイルランナーだけが見られる異様な光景。世界中から集まったクレイジーな奴らが作りだす光の芸術ともいえる光景をおかしく思いつつ、トレイルランをはじめて良かったと思える瞬間だ。
相変わらず脱水症状の調子の悪さは続いていいて、少しでも走ると直ぐに心拍が上がってしまう。こういう調子が悪い時にやる事はペーサーを見つける事だ。自分が気持ち良く着いていけるペースの人を探して着いていく。そうすることでいくらか楽に進めるのだ。ペーサーをかわるがわるすること約1時間。ようやくボンノム峠の頂に到着したか?と思いきや欧州の山はそこからが長い。頂上と同じくらいの標高のゆるやかな稜線が1~2km程続いてようやく頂上に辿りつく。日本の山のように山頂がハッキリしていない。
結局、頂上がどこかわからないまま、下りになる。CCCの時は下りになるとペースの落ちる人が多かったが、UTMBはさすがにそう言った人は少なく、みんな良いペースで下っていく。山頂から次のシャピューまでは6kmで1000mDOWN。上手く下らないと一発で前腿筋が終わってしまう長い下りだ。(夜間なので写真は撮っていない)
【6】 LES CHAPIEUX ~50,0 km
6kmの長い長い下りを終えるとすぐにシャピューのエイドが出現。入り口で荷物検査をしている。レインジャケット、予備ライトと電池、防寒着のチェックがおこなわれた。予備ライトがザックの奥底にあり、取りだすのがたいへんだったので、今後は出し易いようにした方が良いと思った。下りで休めたこともあり、体調はいくらか回復していて底を脱した感があった。そして思いきって時間をとってジェルでベトベトした胸ポケットをトイレで洗う事にした。おかげでスッキリしてセーニュ峠アタックへと向かった。エイドでは派手なダンスミュージックが流れて盛り上げていた。
【7】COL DE LA SEIGNE ~60,2 km
距離10km。標高1500mから2500mまで一気に登る。セーニュ峠まで真夜中だったこともあり、景色が全くわからず。見上げた先に連なるヘッドライトがセーニュ峠のシルエットを想像させ、ただひたすら登っていると気が着いたらセーニュ峠は終わっていた。夜間なのでその素晴らしい景色が見られないのが残念。またいつか歩きで巡ってみたいものだ。そして標高2500mから次のLac Combal(1964m)まで一気に下る。
【8】LAC COMBAL ~65,0 km
ラックコンバルのエイドに到着。1週間前の体験なのに、なぜかここの前後の記憶が飛んでいる。何を食べたのか?何を飲んだのか?まったく記憶に無いが、ここまでで体感的には既に90km位は来ている感覚だったが、まだ65kmなのか?!と落胆した事だけは憶えている。
鏑木選手曰く
「UTMBはUTMFの1.5倍辛い」
という言葉を思い出す。距離や累積標高はUTMFと近くても平均標高は圧倒的にUTMBの方が高い。見えない身体への負荷はそれなりに高いはずだ。それが1.5倍辛い要因の一つだと思う。この夜は寒さはさほど感じず、ミッドレイヤーにキャプリーン4を着て、その上にレインジャケットを着ているが、下はスタート時のままのハーフタイツとカーフガードのままだったがこれで充分だった。
【9】ARETE DU MONT-FAVRE ~68,9 km
UTMBの核心部とも言えるアレーテ・モンファーブル。トレイルランやトレッキングで来たものにしか見られない特別な光景がそこにある。目の前に迫る氷河と奥の奥まで連なる山脈の眺めは圧巻。UTMB2011の映像でキリアンとセバスチャンがトレインを組んでいる空撮シーンは多分ここ。同じ場所にいると思うとワクワクしてきた。やっとここに来れたという感動に浸りながら、しばし撮影をしていた。ちょうど朝日が昇って来てシャッターチャンスには最高の時間帯だった。
【10】COL CHECROUIT ~73,4 km
選手とボランティアだけがいる小さな山小屋のエイド。パラソルが並んでいてかわいいエイドだが、それでも標高は2,000mほどの所にある。あと4kmくらいで大エイドのクールマイユールに着くのだからスルーしても良かったのだが、既にそういう判断が出来ない状態にあった。ここでは紅茶とパンをいただいた。今回は今年のUTMFでの胃腸で痛い目をみていたので、胃腸対策は徹底していた。特に夜間はお腹を冷やさないように冷たい飲み物は飲まず、コーヒーか紅茶を飲んでいた。そして、腹巻きもしていた。そして今回は敢えてフロントボトルはサブボトルとして、メインは背中に入れるハイドレーションにして背中で温まったスポーツドリンクを飲んでいた。そのおかげか、胃腸はこの段階でも機能していて固形物もしっかり食べられる状態にあった。エイドを出てからクールマイユールを見降ろす下りは細いシングルトラックの日本のような急なトレイルが続く。油断すると足を捻りそうだった。そしてクールマイユールの街に出るが、一昨日にTDSの応援で行っていたので2回目のクールマイユール。選手として来ると見える景色が違うのが不思議だった。
【11】COURMAYEUR ~77,7 km
朝9時半くらいにクールマイユールに到着すると、sasahinさんが元気に迎えてくれて、エイドではmoto君と今回たまたまフランス旅行をしていた友人が出迎えてくれた。アシストポイントにてあれやこれやとお願いする。疲労は隠せず、かなり横暴な言い方になっていたかもしれない。本日も天気が良く、デポバッグからキャップにつけるモンベルの日よけカバーを取りだした。それ以外は特に装備の入れ替えはしなかった。エイドの建物の2階は広々としていてアシストの無い人達のエリアとなっていて、シャワーを浴びている人もいた。次回出る事があればシャワーを浴びてスッキリするのもいいなと思った。雲が無くこの先グランコルフェレまでの日差しが気になっていた。2009年のCCCでもグランコルフェレの手前の天気の良さで暑さにやられてしまった嫌な事を思い出しながらエイドを出た。
(つづく)