【19】CHAMPEX-LAC – BOVINE 132,7 km
Champex-Lacのエイドに入って来た時は夕方だったが、エイドを出るとすっかり夜。UTMBの二晩目の夜が始まった。仮眠をとってリスタートしたことで体調は絶好調となり、身体も軽く元気。シャンペ湖のほとりを快調に走れている。これまでの不調が嘘のようだった。このままゴールまで行けるだろうか?と思っていたがその思いは1時間も経たないうちにあっけなく終わる。シャンペ湖を過ぎてボヴィーヌ峠のトレイルに入り、登りでペースが落ちると再び強い眠気がぶり返して来た。シャンペ湖のエイドで40分ほど横にはなっていたものの、本当に寝られた10分くらいの睡眠時間では足りなかったようだ。カフェイン入りのジェルをとっていても殆ど効かなくなっていた。残り約30km。楽勝にも思える距離が、眠気によってノロノロと進んでいる今は果てしなく遠い感覚だった。眠気で意識が遠のいたりを繰り返しながら30分ほどボヴィーヌ峠までの登りを歩いていると途中の岩で座っている選手がいて、ふとゼッケンを見ると日の丸国旗が見えて、よく見るとエディさんだった。声を掛けて一緒に進むことになったが、話しながら進むと眠気も緩和し、夜の景色が見えない退屈な状態がとても楽しくなった。あっという間にボヴィーヌ峠に到着し、下りとなる。下りになると先ほど通過したシャンペの街のオレンジ色の奇麗な夜景が一望できてさらに元気になった。
【20】BOVINE – TRIENT 139,6 km
トリエントのエイドに到着。しばらくして則さんがエイドに入って来た。軽く食事をして、テーブルでそのまま仮眠することにした。トリエンのエイド内は音楽が流れて陽気なエイドで、2009年のCCCの時は元気を貰ったエイドなのだが、今回は睡魔で寝たくて仕方なく、大音量の音楽はホントに勘弁して欲しかった。エディさん、則さん、自分の3人が机に突っ伏して寝ているというなんだかチーム100マイルの出来の悪い生徒が教室で居眠りしているような(笑)…そんな絵図だった。目を覚ますと同じくチーム100マイルのマルヤマさんもいて、ここからしばらくこの3人で残り二つ目の山であるカトーニュ峠をアタックすることになった。標高差は800mほど。残り30kmを切ったが、進むペースがガタ落ちでゴールはまだまだ遠く感じていた。
ここでも同じく、登りになると眠気がぶり返して来た。結局、カトーニュの峠に着く頃には3人がバラバラになっていた。シャンペからヴァロルシーヌまでは同じような山を3回登ったり降りたりするので、夜中で景色も変わらないので3回目ともなると作業のように下っていた。しかし、コケて怪我をしないように細心の注意をしながら最後の大エイドとなるヴァロルシーヌに到着した。
【21】VALLORCINE 150,2 km
ここはボスキャラのモンテ峠へ向かう最後のエイド。実は日中の熱中症を抑えるために水を被っていたことで股ズレがひどく、一歩一歩進むたびに激痛に悩まされていて、初めて医務室を頼った。医務室でワセリンをもらって塗って再びコースに復帰。若干緩和したものの、あまり効果は感じられなかった。こんな激痛がしていても眠気が醒めるということが無いのが不思議だ。ヴァロルシーヌから出ようとした時にTDSを完走したタテノさんが応援に駆けつけてくれていた。この後のモンテ峠が最後の山だ。これを越えればゴールだ。応援ももらい、焚火が派手に燃やされていてさらに気合いが入る。
【21】VALLORCINE – Col des MONTE 153 km
気合いが入って走り出すも5分ともたたずに、再び睡魔が訪れる。今度の睡魔は今まで以上に強いものだった。これまで岩に寄りかかって寝ることはあったが、腰をおろして寝るということはしてこなかったが、初めて岩に腰をおろして眠ることにした。エイドから近いこともあって、頻繁に通るコーススタッフに見つからないようにシューズを直すポーズで仮眠という小細工をしながらちょうど良い岩を見つけては寝てを繰り返し、モンテ峠の入り口の駐車場に着くのに歩いても20分かからないだろうという距離を1時間くらいかけて到着した。時計を見ると最低目標であった40時間以内ゴールも無理とわかったが、もうそんな事はどうでも良くなっていて、とにかく完走するんだという想いでモンテ峠の長い登りのアタックを開始した。そして、徐々に空が白んで来ると、最後のご褒美とも言える絶景が待っていた。
「そう、この景色が見たかったんだ!」
2009年のCCCの時はガスに隠れて見えなかったモンテ峠から遠くのモンブランを見通せる素晴らしい景色が目の前に広がっていて、悩まされていた眠気はいつの間にかどこかに消えていた。
【22】Col des MONTE – LA TETE AUX VENTS 157,9 km
モンテ峠を過ぎると、ダラダラと走れるいやらしい登りが続く。しかし、既に走れる脚は終わっていてストックを突きながら早足で進む。トップ選手達はもちろんここを走っているのだが、少しでも油断すればガレた岩で脚を捻ってしまう。体力だけではなく、150kmを越えてもなお最後まで相当な集中力が必要だ。上位陣とのこの差は何だろう?を問いながら進んでいた。
本当に最後の登りとなるヴェンツ峠に到着。眼下にシャモニーの街が見えて来る。ここから先にはこれ以上の高さの山は無い。ここまで来るとチェックポイントのスタッフや応援の人達も和やかな雰囲気だ。あとは街まで下るだけだ。
【24】LA FLEGERE 161,5 km
最終エイドに到着。ここを通過するとゴールで待つ人にあと1時間半で下山してくる事がわかる。脚も特に異常は無く、眠気も無い。最後の最後に脚首を捻らない事だけを注意しながら下りを走る。登る脚は残っていないが、下れる脚はまだ残っていた。途中途中でCCCやTDS等他のレースに出ていた仲間たちが応援で山に入っていて、顔を見るとほっとした。
【25】CHAMONIX 168km
しかし、安心するにはまだ早かった。時計を見ると41時間を越えるか、越えないかのギリギリの時間だった。当初の最低目標は40時間以内だったが、なんとか40時間台以内にしようと最後の力を振り絞って悪あがきをしていた。間もなくトレイルを抜け、道がアスファルトになってシャモニーの街に入った。沿道から応援をもらいながらゴールを目指す。殆どの選手がゆっくり楽しみながら走っているが、1人の日本人がやけに汗をかいて必死になって飛ばしている(笑)。
しかし、ゴール手前で応援の仲間達を発見し歓喜のハグ。そして念願のUTMBゴールをくぐった。41時間は越えたか?と思っていたが、40時間59分47秒という結果だった。
ゴール後、もう一つ念願だったUTMB代表のカトリーヌさんとのハグという名物儀式も狙っていたが、残念ながら彼女はその時ゴールにはいなかった。そして、フィニッシャーベストを受け取るのに列に並んでいると、ゴールで待ってくれていたsasashinさんから「何か飲みたいものは?」と訊かれて、
「シャンパンを」
とお願いしたら、近くのCafeからシャンパンとグラスをもったウェイターさんを連れて来てくれたのだ!この時注がれたシャンパンの味は今でも思い出すくらい美味しかった。
そして、UTMBはまだ終わってはいない。続々とゴールする仲間を待ち受ける。
というわけで、仲間達のゴールを見届けUTMBの挑戦は終わった。
『まとめ』
UTMBを完走した直後にSNSで身近の人に対して書いた感想は
「地獄のように苦しく、天国のように美しいレースだった」
と書いた。今もこの感想は変わっておらず、これまで八ヶ岳スーパー100マイル、UTMFと2回の100マイルレースを完走したが、UTMBはこれまで味わった事が無い辛さで、
「UTMBはUTMFの1.5倍辛い by Tsuyoshi Kaburaki」
は本当だった。何が辛かったんだろうと思うが、UTMBは登りの距離がとにかく長かった。登っても登っても山頂に着かないのだ。また、平均標高も高いので自分が思っている以上に身体への負荷が高く、いつの間にか体力が削られている感じだった。特に前半の何でも無い緩いトレイルなのに(1)で書いた異常な心拍の上がり具合は今思えばヤバい状態だった。そして、日本の山のように森の中を進む区間が少なく、強い日差しが体力をジワジワと奪っていく。これが過去の大会ように雪が降ると今度は寒さで体力が削られる。暑くても寒くてもどちらにせよ、めまぐるしく変わる環境の変化の振り幅が日本の大会より大きい。国内のレースでさえ万全の体調で望むのが難しいのに、慣れない海外遠征で時差ボケも加わり、数日間で自分の体調を整えてUTMFより辛い100マイルレースをスタートしなければならないのだ。タイムはどうであれ、それら万難を排して完走した人は本当に凄いと思う。そして、完走できなかった事は全く恥ずべき事ではない。それくらい厳しいレースだと思う。
そして「美しさ」については、とくに最初の夜明けに通過したセーニュ峠と2回目の夜明けで通過したモンテ峠からの景色は目の前にあるリアルな景色なのに脳ではそれを信じられず、なんだか脳と身体が分離してフワフワと夢の中にいるような感覚だった。自分が死ぬときはこの景色を想いながら死にたい。そう思えるほどの圧巻な景色だった。
完走出来た理由を振り返ってみると、4月のUTMFで胃腸のダメージでリタイヤ寸前だった自分が仲間の励ましにより復活して完走出来た経験を持てた事。次にチーム100マイル練習や夜のpark練で限界まで追い込んだ練習を経験したことで、どんなに苦しい場面でも「あの時と比べたら楽。練習に比べたら楽。」と思えるようになったこと。この2つの心の支えがあったからこそ、何度も訪れる苦しい場面をなんとかやり過ごすことが出来た。
そして、運もあった。前半の心拍が異常に上がってヤバかった時はサポートのmoto君のアドバイスがあったことで回避できたし、後半の眠気でフラフラの時にちょうど周囲に日本のトレイルラン仲間がいたことで楽しみながら危機的状況を回避する事が出来た。
こうして並べてみると、練習にせよ運にせよ全て自分だけでは解決できなかった事だらけだ。走っているのは自分1人だが、1人の力だけでは完走出来ない。今回のUTMBという100マイルレースでは特にそれを強く思ったし、100km以下のレースではこういった思いに至ることは無かった。よく「100kmと100マイルは違う」と言われるが、それが身体的な辛さだけでは言い表せない100kmを越えた先にあるこの「不確かな何か」だとわかった。そしてその片鱗を今回のUTMBで初めて感じる事が出来たように思う。
5年前に500mも走れなかった時から始まったトレイルランへの挑戦は、今回のUTMB完走をもって一区切りするところに来た。次なる目標は何か?を現在探している最中ではあるが、今回感じた「100kmの先にある不確かな何か」が何であるのか?をもっと知りたいという興味が日増しに強くなっている。
UTMB2013レポート(完)