私は、10年ちょいまえから走り始めた、もともと文系な人種。
初めはジムに通ってトレーニング方法なんかを聞きながらなんとか1キロ走れるようになり、少しずつ距離たしていって、立川昭島ハーフマラソンの当時あった10キロのコースを走れた事で気持ちがよくなって、ハーフマラソンやフルマラソン走れるようになって、6年前くらいからトレイルを知ってハマったり。
そのうち元々ウルトラマンが好きなのだが、ウルトラマラソンっていうのがあると知って出てみたくなり、前は真夏にやってたオクムに出た。ツラいんだけど、旅みたいで楽しい。
ウルトラ走ったあとは私は、すぐビールなんか飲んじゃうと貧血起こして倒れてしまう。オクムで初めてそうなってしまった。
3年前ほど野辺山にでて、91キロのとこで低体温、脱水で倒れて病院に1日入院。
一昨年、木曽三川の60キロの円谷プロとコラボしたウルトラマンのメダルを完走したらもらえる大会に出て、走り終わったあと風呂入って打ち上げ、とまたすぐビール飲んでひどい貧血になり病院に搬送され、仲間にすごく迷惑かけた。
そして、一昨年は萩往還の140キロを完踏、やっぱり足もぼろぼろだったけどうれしくてしかたなかった。
去年、萩往還の250キロにでて、2日目に天候不良でそのときいっしょにいた8人ほどのランナーとDNFを決めた。私は、そのとき、え?やめるの?と思ったけど寒かったしやめて正解ではあった。
今年も再び萩往還の250キロにでて、やはり2日目の5月3日、台風のような天候に。
日本海側に出てたのだが波が道路に打ち付けるほどの豪風雨。
でも食べて進むと平気なとこもあって、まだ平気だ、大丈夫だと進んでいた。113キロあたりでチェックポイントを1つ通りすぎてることがわかり、たまたま一緒に進んでた男性と戻っていたが、体が固まってきたので先に行ってもらい、あまりの風雨に電話ボックスに避難、大会本部にDNFを伝えた。
「パトロール車がまわってますから見つけたらそこから出てアピールするか、つぎのエイドまで来てもらうかじゃないと収容バスには乗れません」と言われて、はい、というと、「はい、ってことはもう次電話かけてきても対応しませんよ」と。
仕方ないな、自己責任だしな、と思ってタクシーで次のエイドまで連れてってもらおうとタクシー会社を調べてかけてみたけど、私のいる位置が遠くて行けないと断られた。
止まったことで体がどんどん冷えて動かなくなってくるのは、わかった。
ぼんやりしてるとふと上を見ると119の文字が見えたので電話をした。そこから記憶がない。
結局、私は、長門市の病院のICUに運ばれて処置を受けた。運ばれた時は意識レベルは300(10段階の一番下)で、全身痙攣してたらしい。
ほんとにあの世に足を突っ込んだのだ。
たぶん運ばれたのは3日の3時くらい?夕方、意識が戻った時は尿道管?通され、電気毛布の上に厚い布団2枚くらいと保温されていた。暑くて目が覚めたのだ。
大会のスタッフの方が時間をおいて二人いらっしゃったが私は、謝るしかなかった。
家族。。。夫は3日に山口入りしたのだが電車が悪天候で止まってしまって翌日の4日に病院に来た。もちろん怒られた。
でも6日には東京に帰り、6日だけは仕事を休んだが翌週からは普通に勤務している。
生命力があるのか亡くなった両親に生かされているのかわかんないが、回復は早いのだ。食欲もあるし、仕事戻ってからは酒も飲むし。
ウルトラマン好きで長い距離は旅みたいでやめられない。でもこうやって家族には迷惑かけてる。
ちゃんと考えろよ!!ってとこなのだが、私にしたら、やっぱり行きたくなる。
だから大会じゃなくて自分でたとえばタマリバー往復するとか勝手にウルトラやるのも手なのかもしれない。
だけど、ぶったおれてしまう可能性もある。
頭がおかしいのかな?
最近自分でもどうしたらいいのか悩んでいる。大会でもし死んだらその大会はなくなってしまうかもしれない。それはぜったいやってはいけない。
でも長い距離走りたい。
真っ白になるまでがんばりたい気持ちも正直ある。
とにかく、悩み中なのである。
ウルトラドランカーなのかも。