しびれる展開が待っていた。
泥だらけだったトレイルは3日目にして、ようやく溶岩大地へと変化を見せた。火山をめぐるレースがようやく、らしくなってきた。尖った岩の連続する荒れ地を進みながら標高を上げ、4,000m級の高峰マウナ・ロアの周囲を巡る。
ステージ2まではウォーミングアップのようなもので、走りながら気候やコースに体を慣らすランナーが多い。いきなりトップギアで走ってリタイヤしないための定石である。
重い荷物を担いで見知らぬコースを連日走り続けるのは心身への負担が大きいうえに、筋肉疲労や内臓のダメージを翌日に持ち越して再びスタートすることになる。初日で120%を出し切ってしまうと、その日はゴールに辿り着けても、6ステージのトータルでは完走すら危うくなるので、序盤の2日間でコンディションを見極める。そして3日目からステージレースは本格化する。自分の前後を走るランナーの顔ぶれが固まり、各々が自分の走っているポジションを意識し始める。
ガレた赤い岩に苦戦しつつも、僕は3番手を走っていた。トップグループの顔ぶれは前日と同じ。トップ2はグランドキャニオンを舞台に行われるステージレース「Grand to Grand」の歴代優勝者の2人だ。「Mauna to Mauna」と同じ主催者が開催していて、今回は2人とも招待選手として出場している。
2日続けてトップをひた走るのはスペインのビセンテ。かつて砂漠のステージレースで年間優勝したことのあるランナーだ。力強い走りで序盤からレースを引っ張っていく。僕も出場したことのある砂漠レースのチャンピオンなので、憧れるよと伝えたところ、はにかんでいた。パワフルな走りに似合わず、ちょっとシャイなのかもしれない。
その後ろには、スイスのフロリアンがつけている。ビセンテとは対照的にテクニカルな走りを見せ、荒れたトレイルを軽やかに駆け抜けていく。それだけでも十分なのだが、悔しいことにイケメンだと認めざるを得ない。こればかりはどう頑張っても勝ち目がない。
せめてレースだけでも一矢報いたい。気持ちは先行する2人を捉えているものの、体がついていかない。標高はこの日の最高点である2,500m近くまで上昇していた。呼吸のリズムは変わっていないのに息苦しく、酸素がうまく取り込めない。20kmほどしか走っていないので、体力にはまだ余力がある。にも関わらず、呼吸が乱れるのは高山病の兆候なのかもしれない。
普段ならあまり影響のない標高だ。ステージ2までの疲労と背中の荷物の重さが影響しているのかもしれない。
気のせいだと思い込み、後を追う。呼吸は荒くなったまま。おさまる気配はなく、指先がしびれてきた。なにやら頭もぼんやりする。無理をすれば、追えるかもしれないと思うものの、このままペースを保つのは危険とも思える。思考がまとまらない。高山病で倒れては完走すら危うい。
意識がまだはっきりしているうちに、ペースを落とす。歩くような走りでなんとか2,500mの最高点を越えた。下り基調に転じて、舗装された道路をひた走る。標高が徐々に下がるにつれて症状はおさまってきた。トップの2人はヘビのように曲がりくねった道の遥か彼方にいた。
かなり距離を開けられていたが、姿が見えるだけでもましだ。前半で抑えていた分、ペースを上げて差を縮める。アスファルトに単調さを感じて、道路からそれて岩場を走る。こっちのほうが変化に富んでいて楽しい。何度も転びそうになるのも眠気覚ましにちょうどいい。足へのダメージは大きいものの、気分を上げる方が先決だ。
最後の10kmはほとんどが平坦な砂利道。山と山を隔てる境界線のような谷間である。谷を抜ける風が前方から吹いてくる。ポツポツと水滴が顔をたたく。水滴の粒が大きくなり、全身が濡れる。逆風にさらされてペースが上がらず、雨脚が強まるに従って体温が奪われて体が冷えていく。
寒さで指先の感覚がなくなりつつあった。またしびれることになるとは夢にも思わなかった。足が止まると、低体温で一気にリタイヤもありえるかもしれない。上位争いを考えるよりも、まずは生き残ることに集中だ。つくづくしびれるレースである。