ハワイシリーズも終盤戦。6日目から書き出してから、スタートから時系列に時間を追っています。そうこうしているうちに本日から台湾に出発して山で遊んでくることになりました。
窮屈な姿勢で車が動き始めるのを待つ。力強いエンジン音が響き、ゆっくりと車はキャンプ地から遠ざかっていく。溶岩に覆われた大地が車窓から後方に流れていく。4日目のロングステージは、スタート前のドライブから始まった。決してカーレースに変わったわけでも、リタイアしたわけでも、ましてや世界の車窓からという記事になったわけでもない。
ステージレースの一般的なスタイルは、キャンプ地がスタート地点となり、次のゴールを目指す。そしてゴール地点がキャンプ地となり一夜を過ごすというサイクルを繰り返していく。
この大会「Mauna to Mauna」もそのはずだったのだが、3年がかりで準備してきたというコースは大会直前になって大幅な変更を余儀なくされた。その煽りを受けてマウナロアとマウナケアという、ふたつの高峰を結ぶはずだったトレイルが使えなくなった。土地の通過を許可していた土地所有者が、大会直前になって心変わりしたのだという。
結果として、コースは分断されてしまい、3日目のコースはスタートとゴールが同じ周回コースになり、長いロードの区間が挟み込まれた。2日間にまたがるロングステージはマウナケアの一部を登って標高2,900mで折り返し、来た道を引き返してステート地点まで戻ることになった。加えて3日目まで異常気象に見舞われ、雨が断続的に降り続いた影響で、ロングステージ後のキャンプ地が水浸し。テントを張ることができないため、ゴール後は次のキャンプ地に移動すると事前に告げられた。
その土地所有者の話を聞いたわけでもないので、真相は分からない。ひとつだけ分かっているのは、ロングステージの前に、スタート地点までのショートドライブが追加されたということ。
大会直前のコース変更には正直なところ少しむっとした。ものの、何が起こるか分からないのがステージレースの醍醐味だと思うと、むしろ過酷だったり、イレギュラーな方が盛り上がるのだ。翌年からの第2回目以降のレースがどう運営されるにせよ、今回のような経験はできないだろう。そう考えると、なんだか気分が乗ってくるのが分かった。
登山道の入口がスタート地点だった。車から降りてきた10人が体を動かして走り出す瞬間を待っていた。ランナーの数が少ないのは、下位のランナーが走り出してから2時間後に、上位の10名がスタートすることになっているからだ。
「5分前」
合図に従って、全員がスタートゲートの後方に集合したところでサプライズが待っていた。ここまで総合1位のビセンテが誕生日ということで、みんなで祝福。嬉しそうな笑みを見せるその目は潤んでいた。
レース前にも関わらず、アットホームなのもステージレースの良さだろう。同じ道をたどり、同じテントで眠り、誰もが空腹や疲労に悩まされる。レース中は競い合っていても、ひとりひとりが濃密な時間を共有する仲間である。
この日も、延々と続く砂利道の往復をともにするのだった。その道中では、地上を一望できるビューポイントも共有。折り返し地点付近で遭遇した虹は標高3,000mよりも遥かに高く、見たことがないほどの巨大さだった。
折り返し付近は標高が高くて前日同様、酸素が薄くて走るのが若干苦しい。無理して倒れない程度のペースで走る。トップを争う2人もキツい登りは歩いているとスタッフから聞き、少し安心した。超人的な2人もやはり人間なのだ。
折り返し地点からの下りは急傾斜でまばたきが極端に少なくなる。ここで4位から3位に浮上。長い長い下り坂の地面には無造作に転がる砂利と小さな岩。思考するよりも早く反射的に岩をかわす。
スピードを殺さないように駆け下りていく。踏んでもぐらつかない岩、その次の一歩を安全に落とせる場所を求めて、その瞬間ごとに最善のコース取りをする。目に飛び込んでくる膨大な情報量から判断をくだす。路面の凹凸から斜度、カーブ、目の前を遮る木の枝、もちろん別のランナーの姿も、すべてが判断材料だ。
夕暮れ時には、もやがかかり、水滴のついた草木が照らされ、輝いていた。もやで乱反射して一面が金色に染まったその瞬間は足を止めそうになるほど美しかった。
日没後は淡々と下っていく。痛めていた右足をかばっていたせいか、左足も疼くようになっていたが、まだ走りには支障がない。この日のうちにゴールできれば翌日は休養に当てることができる。痛みに関してはその時考えればいい。いまは少しでも早く、無事にゴールにたどり着こう。その一点に集中していたせいか、長いはずのロングステージは、あっけなく終わりを迎える。3位だった。僅差ながら総合成績も3位に浮上した。4位とのタイム差は17秒しかない。200kmを走って100mに満たない時間差。これもまたひとつの得難い経験である。