100mile駅伝、第二走者のミッション
2019年5月11日午後6時50分、100mile駅伝チームの第二走者としてSouth1(55.7km/累積標高3,100m)をスタートした。
第三走者への襷リレーの制限時刻は翌5時。残された時間は10時間10分。ナイトパート、累積標高、距離すべてが厳しい条件であり、自分の実力では時間内の完走は困難とも思われた。しかし、可能性がある限り全力を尽くす覚悟で挑んだ。
桂木観音エイドへ、ナイトパートの始まり
最初の目的地は6.9km先の桂木観音エイドである。辺りはすっかり夜に包まれており、頼れるのは頭・腰・手の三点灯。
約1時間で桂木観音に到着。
次に目指すのは10.8km先の吾那神社エイド。途中の累積標高は535mと厳しいが、調子は上々で、単独ランナーたちに声をかけながらリズム良く進んだ。2時間ほどで吾那神社に到着。集中力も高く、快調そのものであった。
South1最大の難関、竹寺へ
South1の核心部は、吾那神社から竹寺を経て高山不動尊までの20.7km区間である。
吾那神社から竹寺までは11.1km、累積標高は955mに達し、コース内最難関の登りである。
前半に飛ばした代償か、脚は早くも売り切れ状態となり、ペースは大きく低下。夜間の視界不良、蒸し暑さによる喉の渇きも相まって、精神的にも苦しい区間であった。竹寺には2時間50分をかけて深夜0時40分に到着。エイドで座り込み、長めの休憩を取る。身体も脚も重く、心が折れかけていた。
孤独な深夜の山中、気持ちとの闘い
次の目標は10.0km先の高山不動尊。累積標高は595m。South1で2番目に厳しい登りが続く。
まず子の権現を目指す。この時間でも売店は営業しており、サポートに感謝するしかなかった。
西吾野駅方面へは下り基調で進みやすく、逆走して登ってくるマーシャルの声援に励まされる。
深夜のコースには、眠気と闘うランナーたちがいた。座り込み、うなだれ、横になり、エマージェンシーシートでビバークしている姿。ライトに照らされたその光景は、まさに極限のレースの現実である。
人の気配はなく、静まり返った山中で孤独を感じていたが、後ろを振り返るといくつかの小さなライトが見えた。「ひとりではない」と実感できた瞬間である。空には大きな月が輝いていた。
高山不動尊エイド、関門タイムアウトが濃厚に
西吾野駅からの登り返しも急登である。登山道というよりも山の斜面を縫うようなコース設定であり、下りで脚を消耗していると、この登りは一層厳しく感じられた。
急な石段を登り、ようやく高山不動尊エイドに到着したのは午前3時18分。ここで残り時間を再計算すると、関門の5時まであと1時間半。残り17.3kmでは関門突破は現実的に不可能であることが明らかになった。
チームにSNSで連絡を入れると、励ましの言葉が返ってきたが、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
FUN RUNへ切り替えようかという弱気な思いが頭をよぎった。しかし、もうひとりの自分が強く否定する。
「たとえ関門に間に合わずとも、全力を尽くせ。悔いを残すな。駅伝とはそういうものだ」
流れ星に願いを託して
高山不動尊を出発し、関八州見晴台手前のロードに出たとき、綺麗な星空が目に飛び込んできた。ライトをすべて消し、空を見上げる。偶然にも流れ星がひとすじ、夜空を横切った。
「もっと強くなりたい」と願った。
四寸道の下りでは走り続けることができた。夜明けが近づく。ロード区間を経て、上大満集落から再びトレイルへ。47.2km地点の桂木観音エイドに到着したのは午前5時20分。これは、関門を突破できなかったことを意味していた。
最後の登り、そしてゴールへ
残された距離は8.5km。ニューサンピアを目指す。桂木観音から一度下り、最後の登りである大高取山(標高376m)を越える。決して高くはないが、ここまでの蓄積で非常にきつく感じられた。
途中、他の駅伝ランナーと並走しながら言葉を交わし、最後のロードで100mileの単独挑戦者のランブラー氏に追いつく。彼は脱水症状で大きく遅れていたという。
最後の2kmを並走し、ニューサンピアのゴールが見えてきた。第一走者モリジーが出迎えてくれた。最初に出たのは「間に合わなかった、ごめん」の言葉だった。
第三走者、そしてチャレンジの終わり
第三走者のカトは、白襷をつけて繰り上げスタートをしていた。最初は冗談かと思っていたが、本当だった。
ただし、襷リレーが途絶え、時間計測も無くなったことでモチベーションを維持できなかったようで、吾那神社でドロップ。電車を乗り継ぎ、昼前には会場へ戻ってきていた。
我々の100mile駅伝チャレンジは、ここで終了となった。
結果と振り返り
記録は106.7km、21時間52分。関門までに1時間52分足りなかった。
初挑戦の100mile3人駅伝は、完敗に終わった。走力も、レースマネジメントも、すべてが足りなかった。
それでも、また挑戦したい
この駅伝に挑戦して、本当に多くのことを学んだ。
仲間のために、襷をつなぐために走る──それは個人レースとは異なる価値と喜びがある。
次こそは完走を目指して、また出直してくる。