OCCへの道

こんにちは、藤岡です。

2015年も残すところ一ヶ月ちょっと。今年の私のレースも残すところThe North Face Endurance Challenge Californiaだけとなりました。今年で5年連続5回目の出場です。

私が初めて出場したトレイルランニングの大会が2011年のこのレース。当時はトレランに関する知識も浅く、「なんでも日本の鏑木さんという有名なランナーがでるらしい」くらいしかわからないまま出場。無謀にもその鏑木さんにスタートから7キロほど付いていって前半で撃沈。後半の40キロを完全に終わった脚でなんとか完走するという、大変いい勉強をさせられたレースでした。

12月最初の週末にサン・フランシスコはゴールデン・ゲート・ブリッジのすぐ近くで開催されるこの大会。さまざまな距離のレースの中でも、50マイルはここ数年アメリカ国内だけでなく世界からもトップが集まる間違いなくアメリカでは最もハイレベルなレース。アメリカらしい走りやすいトレイルでスピーディーな戦いが繰り広げられます。

現時点で登録されているエリート選手の一部を挙げてみただけでも、男子ではフランソワ・デンヌ、セージ・カナディ、マックス・キング、ザック・ミラー、クリス・ヴァーゴ、アレックス・ヴァーナー、ダコタ・ジョーンズ、アダム・キャンベル、ダイラン・ボウマン、マイケル・ワーディアン、ホルヘ・マラヴィーヤ、ハル・コナー、カール・メッツァー、ジェズ・ブラッグ、ポール・テラノヴァ、ジャスティン・フック…、女子ではマグダレナ・ブレ、ロリー・ボシオ、エリー・グリーンウッド、メラニー・ボス、ラリッサ・デニス、アリッサ・エブラ、ダーシー・ピセウ、エマ・ロッカ、ジョディ・アダムス・ムーア、ミーガン・キンメル、ミッシェル・イェーツ…。日本からも鬼塚智則さんと宮﨑喜美乃さんのお名前が。

いやはや質・量ともにすごい顔ぶれ。私が総合上位を狙えるレースではなく、またレユニオンのあとどこまで体を戻せるかわかりませんが、せいぜい雰囲気を楽しんでこようと思います。

さてさて、今回のサン・フランシスコでは私だけでなく妻も走ります。妻が参加するのは50キロのレース。彼女がこれまで走った最長のトレイルレースは9月のクリスタル・マウンテン・スカイ・マラソンの42キロで、初めてのウルトラ・ディスタンスです。

Crystal Mountain Sky Marathon


妻の目標は、これを完走して来年8月に開催されるUTMBの短距離版OCC出場に必要なポイントを獲得すること。UTMBに出場予定の私と一緒に楽しくフランス・モンブランを満喫できればいいな。

Crystal Mountain Sky Marathon


レユニオンで”バカ”ンス(後編)

前編中編の続きです。)

難所だった圏谷セクションをなんとか終えて、ゴールまで残すところ50キロほど。まだ先は長いとはいえ、すこし先が見えてきました。

長い下り

標高2030メートルにあるマイド(Maïdo)から標高350メートルにある124.7キロ地点のサン・スシ(Sans Souci)までの14キロは、序盤に緩やかな上り下りがあった後は一本調子の走りやすい下りが続きます。

暖かい服装でマイドをスタートしたものの、何キロも走らないうちにすぐに体が温まって暑くなり、一度立ち止まってさっき着たばかりの上着を脱いで、ふたたび走り始めました。

ここまで来ると十キロ以上続く走りやすい下りも「走らされる」感じで堪えますが、我慢して脚を回し続けます。眼下には闇の中に海岸線沿いのサン・ポール(Saint-Paul)の街明かりが浮かんでみえますが、景色を楽しむよりも早く下り終えたい一心です。

マイドを下るAntoine Guillon。総合優勝した彼は私の一歳年上。

マイドを下るAntoine Guillon。総合優勝した彼は私の一歳年上。


疲労のピーク

長く感じた下りを終え、サン・スシに到着したのは金曜午後10時30分。脚を使わされる区間で疲れましたが、止まっていてもゴールには近づきません。コーラやスープをゆっくり摂った後、先へと進みます。

歩きにくい短い下りと平坦な砂利道を過ぎ、飛び石伝いに川を渡ると、登りが始まります。

眠気はないものの、スタートから24時間を超えて疲労はピーク。ペース云々より、とにかくゴールまでの距離を埋めるために前へと進むことしか頭にありません。標高600メートルほどの山をただ淡々と上り続けるものの、ペースは上がらず、途中で寝ていた人にも抜かれてしまいました。

山を登り終えたあとに迎えたセクションは歩くのも大変な藪の中。手を使って木や石につかまりながら進みました。

それでも143.2キロ地点のポセッション(Possession)では、待っていた妻に元気な返事をするくらいの余裕は残っていました。念のために妻からジェルなどの携行食を受け取り、「ゴールで待ってるよ」と見送られました。

膝を破壊する石畳

ポセッションを過ぎてまもなく、シュマン・デ・ザングレ(Chemin des Anglais)が始まります。かつてイギリスがレユニオンを占領していた頃に作られた、火山岩が敷き詰められた石畳の道です。

この石畳の区間は大変そうだという情報は、いちおう事前に頭の中には入れていました。でも実際に来てみると、今まで体験したことのない類の、想像以上にタフなセクションでした。綺麗に並べられた石畳ならまだしも、不揃いに置かれた石の上を数キロにわたって渡り続ける道は、変に踏み外そうものなら簡単に捻挫します。

こんなガタガタな石では足を着地したときに膝の位置が定まらず、しばらくするとちょっと膝が痛くなってきました。石畳は150キロ地点にあるエイドステーションをまたいで続き、さすがに心が萎えました。

やっとゴール

全くペースが上がらなかった石畳をなんとか終えたころに、レースが始まって二度目の朝を迎えました。

そこからは、なんとか気力を振り絞って走りはじめるも、しばらくしてくたびれて歩きだし、また気力を出して走っては歩くの繰り返し。

次第に気温が上がっていく中、ただゴールを目指して進むと、やっと最後の山の頂上となる159.3キロ地点のコロラド(Colorado)に到着。ここからゴールのサン・ドニのラ・ルドゥト・スタジアム(Stade de la Redoute)までは、テクニカルながらもなんとか走れる下りを残すのみです。

トレイルを下りきり橋の下をくぐると、まもなくスタジアムが左手に見えてきました。

スタジアムの入り口で待っていた妻に軽く合図を送り、まだ朝早く観客も少ないスタジアムのトラックを走りぬけ、やっとのことでゴール。これまで経験した100マイルのレースでは、ゴールの瞬間はいつもとにかくレースが終わったことにほっとするだけだったのですが、今回は安堵感に加えて達成感か充実感か、ちょっといつもと違う気持ちが去来しました。

振り返り

今まで経験した中では最もテクニカルなコースで、こうしたコースが不得意な私には当然きついレースでした。とりわけマファト圏谷の最後の上りは「常軌を逸している」としか思えないキツさ。でも、バラエティに富んだトレイルと圏谷の眺望は素晴らしく、またエイドステーションのボランティアの方々も心からサポートしてくれて、終わってみると本当に楽しいレースでした。島を上げてのお祭りは、多少常軌を逸しているくらいのほうが楽しいのかもしれません。

アメリカからだとフライトだけでも20時間以上、乗り継ぎも入れると24時間を超えるほどの遠方で、なかなか簡単に訪れることができる場所ではありませんが、是非また機会を見つけて参加したいと思います。

自分の走りに関しては、33時間44分07秒で総合59位と、スタート前に予定していた32時間〜34時間の範囲になんとか収めることができました。

序盤の転倒は大事には至らず、終盤にややペースを落としたものの大きく崩れることもなく、妻の協力もあって無難にレースマネージメントができました。未知のコース、得意ではないテクニカルなトレイルであることを考えると、ベストとまでは言えないまでも、悪くない結果でした。

上り下りの多い時間がかかるコースで、また歩いている時間も多かったこともあってか、レース後は肉刺もほとんどなく、脚へのダメージも案外少なかったように感じます。レースの二日後には山の中を長い距離歩いていました。

最後に

最後に、この大会に参加しようという方へ。レースに参加するだけでなく、少し時間をとってレユニオンのいろいろな面に触れることを心からお勧めします。

山だけでなく海も文句なく美しいですし、見たことのない鳥や魚などにも遭遇できます。時間はゆったりと流れ、人は優しく、治安も良い。加えて胃が強い私はまだしも、普段旅行先ですぐに日本食に走る妻でさえ毎日食べても飽きない現地の料理は、インドや中国などアジアの影響を受けていてとても美味しいですよ。

走る”バカ”のお祭りを満喫して、本当に楽しいバカンスでした!

(おわり)


レユニオンで”バカ”ンス(中編)

前編の続きです。)

3つの深い圏谷

シラオス圏谷(Cirque de Cilaos)からマファト圏谷(Cirque de Mafate)を通り、一旦サラジー圏谷(Cirque de Salazie)に入ったあと、再度マファト圏谷を抜けるアップダウンの激しい中盤は、もっとも厳しく、かつもっとも美しいセクションでした。

シラオス圏谷

まずは周囲を壁のような山に囲まれたシラオスの町へ向けて、階段状のトレイルを2キロの間に一気に800メートル近く下ります。

頭の中で描く理想はスタスタと軽快に下るイメージですが、実際にはドタッドタッと行った感じで、スピード感を欠いて降りて行きました。それでもなんとか後続の選手にほとんど抜かれずに下り切り、階段を降りきって直ぐのところにあるマール・ア・ジョゼフ(Mare à Joseph)のエイドステーションで簡単に補給を済ませました。

そこからシラオスの町までは近く、走りやすい下り基調の道を4キロ行った場所にあります。

65.9キロ地点のシラオスの町に金曜日の午前7時55分に到着した頃には、既にかなり気温が上がっているように感じました。

妻がエイドステーションで待っていて、暑さよけのため首の後ろまで日除けがある帽子を手渡してくれました。このあと午前中は日差しが強かったので、かなり助かりました。

ドロップバックを受け取り、靴下やシューズ、上着をすべて交換し、携行食を補充した後、少しゆっくり食事を摂りました。このエイドステーションでは他のエイドステーションで用意されているいつものラインナップに加えて、チキンとトマトソースとパスタの温かい食事が用意されていました。ただしパスタはユルユルのグテグテでフランスのクオリティ。アルデンテのパスタが食べられるのはイタリアと日本くらいです。

シラオスの町を抜けると、しばらく谷沿いのトレイルを下っていきます。ちょっと時間をとって休んだこともあってか脚も元気で、加えて私にとっては比較的走りやすい区間だったので、先行するランナーを何人か抜くことができました。

下りを終えると、シラオス圏谷を抜けるべく急な上りが始まります。暑さにやられてスローダウンする選手が多い中、歩調を淡々と維持しました。前半痛めた太ももが多少痛みましたが、幸いレースを進める上で大きな問題というほどではありません。

途中で何箇所が飲水できる湧き水があり試してみましたが、まろやかで甘みがありました。ちなみにレユニオンではシラオスの水とマイドの水は飲用水としてボトル詰めで販売されています。

マファト圏谷へ

きつい上りを終えてシラオス圏谷を抜けると、今度はマファトの深い谷へと下っていきます。マファト圏谷は車でアクセスする手段がなく、ここでリタイアした場合、大怪我の場合はヘリコプターで、そうでもなければ自分の足で圏谷外に出るしかありません。

77.4キロ地点のマルラ(Marla)のへの下りは、シラオス手前の下り同様の激下りでやはり苦労しました。一人か二人に抜かれましたが、まあ自分が得意としない急な下りではやむを得ないといったところでしょうか。

金曜日午前11時4分にマルラを過ぎたあと、やや上り基調のトレイルを進みます。途中にある平坦な区間も横木で渡されていて走りにくく、コースプロフィールを見ただけではわかりませんでしたが、なかなかペースが上がりにくいセクションでした。

昼が近づき、すこし雲が出てきて多少日差しは弱まりましたが、高い湿度は相変わらず。かなりの暑さを感じていました。

サラジー圏谷を抜け、再びマファト圏谷へ

さほど長くない階段道を83キロ地点のコル・デ・ブフ(Col des boeufs)まで上り、一旦マファト圏谷からサラジー圏谷に入ります。ここから97.1キロ地点のグラン・プラース・レ・バ(Grand Place les Bas)までは下り基調の走れるセクションです。ただ、ここまで繰り返し上り下りで脚を使わされせいか、大きくペースは落ちないまでも、私の足取りはやや軽快さがなくなってきました。グラン・プラース・レ・バでは日本から参加の西野さんと言葉を交わしました。

コル・デ・ブフへの上り

コル・デ・ブフへの上り


ここから再びマファト圏谷に入ります。ここからロッシュ・プラット(Roche Plate)を経由してマイド(Maïdo)へと至る道のりは、レースに参加した誰もが最も辛かったと口を揃えるであろう厳しい区間です。私はここまでは1リットルの水でエイドステーション間を問題なくやりくりしていましたが、念の為に予備のフラスクを取り出し、500ミリリットルを追加で背負って出発しました。

両脇が切り立った岩山の稜線を一つ越え、さらに切り立つ山を一つ、二つと超えたあと、誤って落ちたら数十メートル真っ逆さまという切り立った上りを上ったうえで、105.1キロ地点のロッシュ・プラットに至るセクションは常軌を逸した厳しさでした。途中、疲れ果て、座り込んだり寝たりしている人があちらこちらに見られました。私はトレイルのタイプは違うものの昨年走ったUTMFの天子峠をすこし思い出しました。

このセクションに2時間半かけて金曜日午後5時32分にロッシュ・プラットのエイドにやっとの思いでたどり着くと、疲れてしばらく座り込こまざるを得ませんでした。じっくり時間をかけてコーラやスープをのみ、バナナ、オレンジを食べたあと、このあと迎える二日目の夜に備えてヘッドランプの電池を交換して装着しました。私が出発するのと入れ違いで、先のエイドで会った西野さんが入ってきました。

マファト圏谷はまだ終わりません。ここから111.5キロ地点のマイドのエイドステーションまで、さらに1000メートルの標高差を上り続けます。

マイドの眼下に覗くマファトの村

マイドの眼下に覗くマファトの村


マイドへと上っていると次第に暗くなり、霧が巻き始めました。途中ですこし道を間違えて後戻りし、正しいコースに戻るために後続を待ったりもしました。

そんな険しい山の中にも、時々応援する人が座って待っていたりします。また知り合いの選手を待ち構えていて、ペーサーとして並走を始める人もいました。(これはおそらくルール違反だと思われます。)

やっとのことで上りを終え、応援の人だかりがあるのでやっと休めると思ったら、マイドのエイドステーションはそこからまだちょっと先。このレースではいたるところに人だかりがあるので、人がいるからエイドステーションだと思ったらいつもがっかりさせられます。

マイドに上りきったところで待つ人々。

マイドに上りきったところで待つ人々。


エイドステーション直前で待っていた妻と言葉をかわしたあと、金曜日の午後7時54分にマイドのエイドステーションに到着。くたびれて椅子に座ってじっと休んでいると、急に寒さを感じ始めました。動いている間は半袖でもまったく問題なかったのですが、エイドステーションがある場所は標高2000メートルを超え、観客やボランティアの人はダウンジャケットなどかなりの厚着です。受け取ったドロップバックに入れていた服に急いで着替え、上着をはおり、エネルギーを補給しました。

マイドのエイドステーション

マイドのエイドステーション


やっと圏谷セクションが終わりました。流石に疲れてきましたが、大きくペースを崩すこともなくここまで来ました。

ゴールまで残り50キロほど。やっとすこし先が見えてきました。

つづく


レユニオンで”バカ”ンス(前編)

こんにちは、藤岡です。

私が住むアメリカから見ると地球のほぼ裏側、フランスの海外県レユニオン島に二週間ほど滞在し、レユニオンをがっつり満喫するついでにディアゴナル・デ・フ(La Diagonale des Fous)に参加してきました。

地理的にはアフリカでありながら、かつては植民地、現在は海外県としてフランス本土の影響を強く受けるレユニオン。また歴史的にはヨーロッパとインド間の貿易の中継点の役割を果たしたり、中国からの移住を受け入れたりと、いろいろな要素が混ざり合ったことで独特の「クレオール文化」を育んでいます。

一年を通じて温暖な気候で、ディアゴナル・デ・フの全参加者の約半分を占めるフランス本土の人の多くは、家族と一緒にバカンスを兼ねて2〜3週間をレユニオン島で過ごします。

わたしもそんなフランス人に倣って(?)レースだけでなく山へ海へと遊び回ってきました。レユニオンでの滞在で見たこと感じたことすべてを話すととても長くなってしまうので、レースに絞ってレポートしたいと思います。それでも長いレースだったのでレポートも長くなってしまいそうですが。

LA DIAGONALE DES FOUSとは?

ディアゴナル・デ・フは1989年から続く歴史ある大会で、「グラン・レッド」(Grand Raid)とも呼ばれます。レユニオン島の南側にある海辺の町サン・ピエール(Saint-Pierre)から「ディアゴナル」(斜め・対角線の意)の名前の通り島を北西方向に斜めに突っ切り、北側にある海辺のサン・ドニ(Saint-Denis)にゴールする全長163キロ、累積標高差10000メートルのレースです。ちなみにディアゴナル・デ・フの「フ」(Fous)とは、日本語で言うと「阿呆」「馬鹿」「狂ってる」というような意味なので、「ディアゴナル・デ・フ」は「阿呆が走る対角線」という意味になります。

レユニオン島の面積は神奈川県よりちょっと大きいくらいですが、火山活動で形成された複雑な地形が変化に富んだ豊かな自然環境を作り出しています。島の東側にある活火山ピトン・ドゥ・ラ・フルネーズ(Piton de la Fournaise)と真ん中にある最高峰3070メートルのピトン・デ・ネージュ(Piton des Neiges)、そしてピトン・デ・ネージュを囲むように形成されたマファト圏谷(Cirque de Mafate)、シラオス圏谷(Cirque de Cilaos)、サラジー圏谷(Cirque de Salazie)の一帯は「レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群」としてユネスコの世界自然遺産に登録されています。レースではそのど真ん中を横切って行くことになります。

こうした地形もあってテクニカルなセクションの割合が高く、キリアン・ジョルネ(Kilian Jornet)が提唱するテクニカルレベルの分類ではUTMBよりも難易度が高いとされています。

過去に滑落により2人、心臓発作により1人の合計3人の死者を出しており、「無事に生き残り、完走する」ことだけでも十分に誇れる過酷なレースです。

また、ディアゴナル・デ・フと同時に93キロのトレイル・ドゥ・ブルボン(Trail de Bourbon)と64キロのマスカレーニュ(Mascareignes)も開催されます。

島で人気のアクティビティ

トレイル・ランニングは島では人気のアクティビティ。島中に張り巡らされたトレイルの幾つかを私もレースの前後に歩きましたが、多くのハイカーやトレイル・ランナーに遭遇しました。また、ある宿の主人とは「キリアンはすごいよな!」と普通にトレラン談義に花を咲かせることもできました。

当然ディアゴナル・デ・フは島の一大イベントで、多くの島民がレースに参加し、ローカル紙では連日報道され、地元のテレビ局ではレースの模様が中継されていました。

ディアゴナル・デ・フを題材にしたボードゲームもあります。

ディアゴナル・デ・フを題材にしたボードゲームもあります。


目標と計画

優勝者でも24時間はかかる長丁場のレース。かつアメリカの走れるトレイルばかりを走っている私はテクニカルなコースが苦手。さらに100マイルのレースではこれまで後半いつも失速しています。なかなかこんなところまで来られる機会もないので、まずはしっかり完走してコースを隅から隅まで楽しむことを目標に、できれば32時間から34時間ぐらいでゴールできればいいなと考えていました。

他の100マイルレースと同様、今回も妻にサポートしてもらう予定。ただエイドステーションに車で先回りするのが容易ではないコースレイアウトになっているので、もし妻のサポートを受けられなくても問題がないように、途中二箇所で認められているドロップバックに着替えやシューズ、食料などをしっかり準備しておきました。

スタート時のシューズはグリップとクッション性を備えたMerrell All Out Peakを選択。最初のシラオス(Cilaos)のドロップバックにもMerrell All Out Peak、ふたつ目のマイド(Maïdo)のドロップバックにはクッション性を重視してHoka Challenger ATRを入れておきました。

スタート時の携行食はいつもより多め。ジェルと固形食合わせて2000〜2500キロカロリー分くらいは持っていたでしょうか。

スタート前

スタート地点は前日にもレース登録で訪れたサン・ピエール(Saint-Pierre)。比較的大きな町で、私達がレース中の拠点としたサン・ドニ(Saint-Denis)からは渋滞がなければ車で1時間ちょっとの場所にあります。レース開始の二時間ほど前には到着し、すべての必携品についてチェックを受けた後、選手が待機するエリアに入り、地元ミュージシャンのライブ演奏を聞きながら待ちます。

地元ミュージシャンの歌を聞きながら待機。

地元ミュージシャンの歌を聞きながら待機。


レユニオン空港に到着してからというもの、バカンス地の雰囲気にすっかり気持ちが緩んでしまい、レース直前になっても気持ちが入り込まず「これから本当に自分は走るの?」という心持ちでした。

レース開始まで一時間足らずという頃に突然の強い雨。慌てて薄手のレインジャケットを着ます。島の中央にある山々が雲を作りやすく、午後は天気が崩れやすいようです。

スタートまで30分を切ると、エリート選手に続いてすべての選手がスタートラインへと移動。約2500人の「レッダー」(Raideurs=グラン・レッドを走る人)ですし詰めとなり、自分が先頭からどのあたりにいるのか見当もつきません。雨脚が弱まりレインジャケットを脱いだころにレースはスタートしました。

スタート

木曜日の午後10時にレースはスタート。まずは海を右に見ながら舗装路を5キロほど進みます。沿道の両脇で応援する人は途切れず、観客に挟まれて細くなった道は追いぬくことも簡単ではありません。海のほうからは花火が上がり始めました。

湿度が高く、夜でも少し汗ばみます。しばらく日本の夏を経験していない私にはなんだか懐かしい。

しばらくすると海岸線から左に折れ、なだらかな上りが始まります。人混みもバラけ始めてやっと走りやすくなり、つぎつぎと周りのランナーを追い抜いて行きました。

レユニオンの名産の一つであるさとうきび畑に入っても、ところどころで応援してくれる人がいます。かなり遅い時間だというのに子供も混じっています。

コースプロフィール

コースプロフィール


スタートから40キロ地点までは、海抜ほぼ0メートルから2000メートルまで緩やかな上りが続きます。途中、舗装路もあり比較的走りやすいセクションですが、中盤以降の難所に備えて、先を急がずゆっくりと、歩くべきところは歩くのがディアゴナル・デ・フの鉄則です。

いつの間にか雲も消え、時々ヘッドランプを消して満天の星空を楽しみました。

序盤

序盤は活火山ピトン・ドゥ・フルネーズの近くを通りますが、夜のため姿は見えません。

序盤は活火山ピトン・ドゥ・フルネーズの近くを通りますが、夜のため姿は見えません。


24.3キロ地点のノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペ(Notre Dame de la Paix)にあるエイドステーションに金曜日の午前1時6分に到着し、最初の補給を行いました。

食べ物が用意されているエイドステーションの品揃えはどこも大体一緒で、飲み物は水、コーラ、コーヒーなど。塩っぱいチキンスープはゆるゆるの柔麺入り。その他にバナナ、オレンジ、塩、チーズ、ハム、サンドイッチ、ビスケットなど。

私はエイドステーションではいつも通りコーラでカロリーとカフェインを摂取するとともに、食べやすいバナナとオレンジを中心に食べていましたが、加えて今回は湿気で発汗も多かったこともあり意図的に塩分を多めに取り、またUTMBで胃の不調があった反省からサンドイッチなどの固形食を増やして胃を動かすようにしました。ノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペではローストチキンも用意されていて、大変おいしく頂きました。

ディアゴナル・デ・フではエイドステーションには選手しか入れません。一方、私的サポートが受けられる場所はかなりルーズで、エイドステーションの前後数キロにわたって道の脇で選手を待つ人々が見られました。

私もノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペで妻から最初のサポートを受ける予定でしたが、エイドステーションへ向かって歩く妻と遭遇したのは私がエイドを出てしばらくしてから。すでに食事を済ませており、他に必要な物もなかったので「順調、順調」とこちらから声をかけて先へと急ぎました。

ノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペを過ぎると、火山岩が隆起していたり前夜の雨でぬかるんでいたりで、すこし走りにくいセクションが増えてきました。ペースを落とさざるを得ないだけでなくメリハリのないセクションで、ちょっとだけうんざりしながら淡々と進み続けます。

と、ちょっと走れる場所で前を急ぐと何かにつんのめり、前からすっ転んで顔と胸を土面に、右太ももを岩にぶつけてしまいました。特に右太ももは結構な痛みがあり、心を落ち着けつつ様子を見るためにしばらく歩いて進みましたが、リタイアするほどではなさそうなので再びペースを戻しました。

50.3キロ地点のマール・ア・ブ(Mare à Boue)を金曜日の午前4時45分に通過したあと、しばらくして夜明けを迎え、やっと周りの風景がはっきりと現れました。右手がかなり切り立ったセクションもありましたが、トレイルの両脇に植物が茂っていたのでさほど危険は感じませんでした。

いつまでつづくかわからなかった走りにくいセクションが終わると、眼下にシラオスの町が現れます。いよいよディアゴナル・デ・フの山場が始まります。

つづく