いよいよUTMFサポート日記も今回で最後。
160kmも走るレースなので、サポート日記も長くなりました。
私自身気が付いてますが、途中から、サポート日記じゃなくて『富士山周遊珍道中』みたいな話になってるけど大丈夫かな?
まぁとりあえず、本日も徒然なるままに書いてみようと思います。
二十曲峠A9(141.7km)はサポート禁止となっているので、
その先の富士小学校A10エイドに向けて、山中湖を出発します。
サポートの私も、結局1回も睡眠時間とることなく私も移動しているので、30時間以上起きていると、さすがに眠さ、胃の気持ち悪さ、疲労が波のように押し寄せてきます。
なにか食べた方がいいな・・・
と思うのですが、胃が受け付けなくて食べれない。
睡魔と胃の気持ち悪さと戦いながら、車を走らせます。
私は山梨県生まれ山梨県育ちなので、富士山周辺も「地元だね」と言われることが多いのですが、私が生まれて育ったのは、八ヶ岳の麓の小淵沢。
富士山より長野県のがよっぽど近く、富士山周辺の地図や道路がいまいちわからないのです。
案の定、山中湖から富士吉田市の富士小学校までどう行ったらいいかわからず、googleナビを入れて進むのですが・・・
あれ?この景色・・・デジャヴ・・・??
いや・・・確実に1周したね!
そう、気が付いたときには山中湖を1周して、また山中湖きららエイドに戻ってきていました。
これは呪い?何かの呪い?
なんでこんなに道を間違えるの?
なぜgoogleナビいれたのに、1周したの?
このタイムロスさへなければ、仮眠もできたのに・・・くそう・・・
気を取り直して(再度ナビを設定し直して)、富士小エイドへむかいます。
16:00頃、やっとの思いで富士吉田に到着します。
このエイドには、ブーメランの立田さん親子、ひろかっちゃん夫妻も応援にかけつけてくれました。
富士小学校に入る手前の道路で、交通誘導をしているMMA渋井さんと出会えました。
富士小エイドには突貫さんをはじめ、たくさんの知り合いがスタッフとしてエイドをもりあげてくれていました。
このエイドはサポーターもエイドで作っている吉田のうどんを食べてもOKだったので、ここでおいしいうどんをいただきます。
温かいうどんのおかげで体も温まり、私の胃も回復してきました。ごちそうさまでした。
小山田さんの到着時刻は18:00頃。
最後のサポートエリアだから忘れ物が無いように、しっかり確認し、サポートバックに入れていきます。
駐車場の目の前に杓子山が見え、この山を越えてくるんだなぁと見つめます。
しかし、、、そんなセンチメンタルな気分に浸れない、、、なぜならこのエイド、ものすごくブヨが多く、ブヨから逃れるのに一苦労。。。虫除けスプレーなんて全く効き目がなく、次々にブヨの餌食に、、、みんなあちこち刺され、血だらけ(笑)
かゆみと戦いながら選手の到着を待ちました。
しかし、待っていてもなかなか選手が到着しません。
どの選手も予定時刻より30~50分遅れて到着している様子。徐々にあたりは暗くなり、待っている側もヘッドライトをつける時間になってきました。
小山田さんの状況をランナーズアップデートで確認すると、二十曲峠をもう通過していて、通過順位が103位。
参加者1363名もいて、今100番台にいるとは思っていなかったので驚きます。
しかも、100位以内でゴールも可能で、目標は35時間以内で完走だったけど、それよりもっと早い30時間前半でゴールできる可能性が見えてきたことに気が付き、胸があつくなります。
時折見える杓子山を進む選手のヘッドライトの明かりを見つめながら、今どの辺に居るんだろう?時間通りに来るのかなぁ?と、いても立ってもいられません。
どこのエイドでもそうですが、サポーターは選手到着が待ちきれず、少しでも早く会いたくて、少しずつエイドから出て、コースを逆走し、様子を見に行きます。
じっと待っているというのが本当に辛いのです。
壮太くんのサポートをしていた彩ちゃんや女王と一緒に、コースを300mほど逆走して、到着を待っていました。
ヘッドライトが見えると、来たんじゃないか?とソワソワして、小山田さんじゃないと、がっかりするということを何回も繰り返します。
すると、まず壮太くんが現れます。彩ちゃんたちが壮太君と一緒ににエイドへ向かっていきます。それから30秒もせずに、小山田さんがやってきます。私も慌てて一緒にエイドへ向かいます。
18:12 富士小エイドA10 156.7kmに到着。
到着したときから、小山田さんが今までと雰囲気と違っていました。早く食べて、飲んで、準備できたらすぐ出たいという、前へ向かう気持ちが伝わってきます。
「俺、今、順位どのぐらいか知ってる??」
突然の質問に驚きます。
順位は調べてあったので知っていたけど、普段順位にこだわるタイプではなかったので、調べた順位を言うべきか言わないべきか悩んでたぐらいだったからです。
レースに対して余裕がない状況ではなくて、戦うモードになってるのかな?と思いました。
「今、103位ぐらい。だから、もう何人かこせば100位以内でゴールできるよ」
「ふーん、わかった」
聞いたくせに、返事はやっぱりそっけなくて(笑)
別に順位を気にしてる様子は全くなく、そんなことより、少しでも早くゴールしたいと、体も気持ちも前に向かっていました。
その闘志は、157kmも走ってきているのに、今までで一番力強く見えました。
壮太君と言葉を交わし、セバスチャンの応援に来ていた鏑木さんに闘魂注入してもらい、
18:22、今までで一番短い滞在時間の10分でエイドを出発して行きます。
あともうひと山。
霜山を越えたら、気持ちいい下りが続き、河口湖が見えてきます。
大会前に
『どうか1人でも多くの選手が、ここを通過して欲しい』
そんな思いで私が、マーキングテープを付けた箇所でもあります。
ゴールまであともうちょっと。
どうか自分が納得できる走りができますように。
そう祈ってエイドを出る後ろ姿に手を振ります。
2年前サポートしたときは「どうかこの山を越えられますように」と、山に向かって祈っていました。
あの頃は小山田さんも私も100mileレースの経験が無くて、何が必要か、どうしたらいいかもわからず挑み、不安と心配で毎回泣きながらエイドから見送っていました。
この2年の間に、状況はだいぶ変わって、小山田さんは100mileを走ることを中心に年間の練習や準備をしているし、私も自分自身も少し走れるようになって、またサポートする機会が増えて、いつどんなことが必要でどうして欲しいかが、わかるようになっていきました。
それと、、、
実は大会前に、小山田さんの仕事環境が変わり、生活環境も大きく変わった為、もしかしたら今回はUTMFには出場できないのではないか?と思っていました。
この大会に向けて、小山田さんも私も色々と準備してきたけれど、出場は諦めなければならないかもしれない。もしも小山田さんの中で「出られない」という結論が出たら、それに従うしかないな・・と思っていただけに、スタートラインに立つ姿を見た時は感動したし、予想時刻より早くゴールへ向かう姿に、前を向かって走り続ける姿に、準備や練習は決して裏切らないんだなと思いました。
このエイドを最後に、私がサポートできることはなく、走りぬく小山田さんをゴールするのを待つしかないんだな・・・と思うと、不思議と涙があふれました。
力になりたいけど、力になれない。
サポーターは無力で、
ただ信じて待つしか、もう出来ることはないのです。
レースはすでに2晩目に突入し、 STYのトップ選手が富士小学校に入ってくる時間になりました。
STYには親友の逸子が出ていて、逸子のサポートをしているベスパ齋藤さんから、逸子が順調にトップ争いをしていることを聞いていたので、一目応援したいと、富士小学校でそのまま待機することにしました。
このエイドは本当にサポーターエリアへの入室チェックが厳しく、
応援の人、サポーターだけどまだ入れない人、エイドに出入りする選手などで、入り口付近はごった返していました。
逸子の頑張っている姿を応援したい。
そう思いながらも時間が過ぎ、ゴールへ向かわねばいけない時間が近づいてきました。
後ろ髪をひかれながら、ゴールへ車を走らせます。
20:20、ゴール地点の八木崎公園に到着。
MCの鈴木ダイさんの声が、夜の八木崎公園に響いています。
『いよいよ来たんだ』という思いと、ダイさんがMCをしている時間に帰ってこれたことに感動します。
なぜなら、今まで夜中か明け方のゴールで、華やかな時間帯に帰ってきたことが無かったからです。
急いでゴールへ向かうと、友人が何人かゴール付近にいるのが見えました。
例年、ゴールゲート近くには、ゴールに向かう選手がラスト1km地点に差し掛かった時に、ゼッケンNo.が表示される電光掲示板が設置されていたのに、今年はなぜかありません。
ゴールゲートでは、STYのトップ選手がゴールし、インタビューが進んでいます。
友人、知人が色々と話しかけてくれるのですが、小山田さんがどこまで来ているのかわからず、いつゴールになるかわからない状態で、全く落ち着かない私は、
ごめんね、またあとで・・・と、話もそこそこに、周辺をうろうろします。
こんなところでうろうろしていても仕方ない!と、またしても居ても立っても居られない私は、ゴールから逆走して湖畔沿いで小山田さんを待ちます。
ブーメランサポートメンバーにも、小山田さんが予定時刻より早くゴールしそうであることを急いで連絡します。
すると、見たことあるシルエットが向かってきます。
「あれ?小山田さん?」
暗闇でヘッドライトをつけていると、顔が全く見えず、体の形や走り方で本人かどうかを判断するしかありません。
「きたよ」
小山田さんの声です。
そうです、ついに、ゴールまできたのです。
そのまま一緒にゴール近くまで並走します。
「いよいよ来たね」
と、声をかけると
「ありがとう。。。ありがとう。。。」
2回つぶやきます。
その言葉で、私も号泣。
小山田さんはペースを緩めることなく、ゴールへ向かっていきます。私は、コースから離れ、小山田さんのゴールシーンを撮影します。
ゴールにむかって一礼。
そして、コースに向かって一礼。
距離:170.3km 累積標高差:7,889m。
31時間41分19秒。
総合順位92位/1363名。
ゆっくりとゴールテープをくぐり長い長い旅が終わりました。
ゴール後、感動する間もなく、休む間もなく、まだ戦っている仲間を迎えにゴールやエイドに向かいました。
一緒にスタートしたブーメランメンバーの結果は 5人中4人が無事完走。
1人は途中携帯電話を落とし、レギュレーションチェックでアウトという結果でした。
無事完走したメンバーも、納得の結果だった人、そうじゃない人、いろんな思いがあったと思います。
大好きな逸子はSTYで3位!
スタート前にあれだけ足が痛いと言っていたのにやっぱりさすがです。
それに、逸子のゴールの時には、信越メンバー再び!って感じで、逸子&小山田さん&私で手をつないでゴールし、齋藤さんに迎え入れてもらって、すごく素敵な思い出ができました。
まだまだまだまだ実はいろんなことがあって、書ききれないこともたくさん。
そのぐらい100mileレースには選手にも、スタッフにも、家族にも、応援するサポーターにもたくさんのドラマが生まれます。
1年、2年と長い時間をかけて準備したものを、この3日間にぶつけるのですから、壮大な物語になってしまうのです。(長文になったいいわけではない笑)
最後に。。。
レース中、facebookを通じて小山田さんの通過状況を皆さんに報告していました。
沢山のご声援をいただき、本当にありがとうございました。
全員にお返事できませんでしたが、みなさんの「いいね」やコメントに私もずいぶん元気をいただきました。
近くに来て応援していただけるはもちろんうれしいですが、SNSを通じて応援いただけるのも、同じぐらいうれしいです。
ほんとうにありがとうございました。
小山田さんの通過報告の際に使う写真が、だいたい変顔なので
「なぜこの顔?」「この顔流行ってるのか?」
との質問をいただきましたが、特に流行っているとかではありません。
あの顔は、小山田さんが、大事な家族に「元気だよ」と伝えるための変顔です。
ブーメランの仲間や、サポーターの私は、小山田さんと帯同できるので様子を知ることができますが、家で待っている家族は「大丈夫かな?元気かな?」と不安で眠れずに待っています。
「元気に頑張ってることを伝えて、少しでも安心させてあげたい」
という話をスタート前に聞き、各エイド出発時に写真を撮って小山田ワイフへ送信していました。
疲れてるときも、足が痛いときも、胃が気持ち悪いときも、
「(家族に送る)写真を撮るよ」
と声をかけると、決まって変な顔をする姿に、家族が心の支えになってるんだなーと心底感じました。
そんな小山田ワイフからレース中に届いた写真は、小山田さんに1番パワーを与えてくれたと思います。
さて、2015年のUTMFの思い出話はこれでおしまい。
小山田さんはすでに2016年のUTMFに向けて、準備を始めました。
100mileを走り続ける、戦い続ける為の手応えをなにか掴んだようで、次の目標に向かって走りはじめています。
来年は20時間台でゴールも夢じゃないような気が・・・
なんか小山田さんならやってくれるような気がします。
そんな私も・・・
懲りずにサポーターになりたいなぁと思ってるので、
次こそは忘れ物や落し物をしないように。
しっかり落ち着いて準備ができるように。
今のうちからボケ防止の訓練を始めたいと思います(笑)
小山田さん、本当に素敵な旅のお供にしてくれてありがとう。
次はきっともうちょっと上手にできると思いますので
今後ともどうぞ宜しくお願いします。