“ペーサー役は大変なだけで報われないため、普通は家族かお人好し、大の親友でもなければ誘いに乗らない。”
“(ペーサー役は)むこうずねから出血し、自分の靴に嘔吐し、そして一夜にマラソンを二回完走しても、Tシャツ一枚もらえない。おまけに、ランナーが泥のなかで居眠りするあいだも起きていることを求められる。”
SHINETSU FIVE MOUNTAINS TRAIL110km 2015
20:38:41
【完走】
決して満足な記録ではないけれど、一瞬遠のいたその二文字。家族でも大の親友でもないけれど、おそらく最高にお人好しでちょっと可笑しなペーサーがわたしに『完走』というとびきり嬉しい贈り物をくれました。
***
レース前は、正直なところ「調子がよくなかったら格好悪い」ので目標タイムを言わずにいたけど、調子良ければ18時間半、悪くても20時間切りを目安にしていた。
TDS(119km / 7,250mD+)から帰国して2週間半。猛烈に仕事に追われてジョギングさえできず、走り出してみないと脚の調子がわからない。電車に遅れそうで小走りをしただけで膝に違和感がある。そして3日前からの酷い頭痛。仲間の1人が「ナーバス」「ナーバス」とイジられていたけれど、たぶんわたしのナーバスさも、なかなかいい勝負だったと思う。でも、病は気から。できるだけリラックスした雰囲気を装って過ごした。
楽しい仲間たち
(トレイル鳥羽ちゃん、RUN OR DIE!!、TEAM JET and more…)
テキトーに見えて(失礼)、意外とマメで真面目で心配性なわたしのペーサーは、前夜祭で「お酒は我慢しよう!」とわたしに言う。それを遮って一口飲んでみたけど、ビール大好きなわたしがまったく美味しく感じなかった。そのくらいナーバスな状態。笑える。さらには22時、布団に入るも頭が痛く、動悸が激しくて一睡もできない有り様だった。
***
当日朝。
笑ってないのはネタなのか何なのか中途半端な3人。
信越五岳トレイルランニングレースは、日本で初めて「ペーサー」制度を採用したレース。選手が希望する場合、後半45km弱をペーサーと一緒に走ることができる。
エントリーはしたものの、ペーサーを誰にお願いしようかあまり何も考えていなかった。ひょんなことから、仲間との雑談のなかで、まだペーサーが決まっていないという話題が出たところ、ふざけたのか本気なのかその場で「俺やろうか」と言われて、あぁ、この人がペーサーだったら随分ユニークで笑えるレースになりそうだと思って頼んだのが、写真の真ん中の人。
『Born to Run』によると、たしか、 “ペーサー役は大変なだけで報われないため、普通は家族かお人好し、大の親友でもなければ誘いに乗らない。” はずなのに、彼は「マジで?マジで?エマちゃんがマジなら俺マジでやるぜ。」とやたらマジマジ繰り返してなぜか気軽に受けてくれた。
みんなの反応は、揃って
『えっ?』
だった。
彼がもう信越は4回目のベテランだという大事なことは後から知った。
***
当日朝、極限まで緊張した状態で、みんなを待たず真ん中あたりでスタートラインに立つ。隣にはスタート前でもやたらよくしゃべる縦走仲間のTEAM JETマサシさんがいた。ごめん、何かしゃべっていたけど正直何も覚えてない(笑) 左右逆側の前の方に鳥羽ちゃんの面々がいるのが見えた。
TDSでATC storeの芦川さんから紐の結び方を教わって以来、靴ずれがなくなった
■スタート〜1A
海外レースに出て思ったけれど、ロングなのにトップ選手以外も日本人はみんな序盤が速すぎる気がする。とはいえ海外レースに1回しか出ていないのでわからないけど。信越だからなのか?とにかく前も後ろもみんな速い。その流れに乗ってゲレンデの周りをぐるっと駆け上がる。雲海と朝焼けに染まる山々が見えた。いつもなら胸のボトル部分にiPhoneを差し込んでるのに、この日はザックの中。取り出すか一瞬悩んだけれど、焦りの方が大きくてそのままスルーした。あぁ、全然自分のリズムじゃない。
沿道に賑やかな応援の人々が並ぶ花道を抜ける途中で、「女子12番目!」と言われた。100人くらい参加していると思っていたので、しまったペースが速すぎると気付いたけれど、あまりに周りのペースが速すぎてスピードを落とす具合が掴めずまま走ることになった。
だけど、思ったよりも心拍も上がらず、なんだかすごく楽しかった
(崩れゆくわたしの様をお楽しみください)
この時、脚の調子はよく、貧血気味かと思った体調も問題ない。周りのペースにも付いて行けている。ふかふかの落ち葉と走りやすい道。すごい人数で、朝のジョグを楽しんでいる気分。思わず大声で叫んでいたと思う。
「気持ちいい!最高!」
気持ちよく走っていたら、バチッと何かが肘に強く当たり、それからすぐに頭のてっぺんにぶつかった。慌てて頭を振った後、前の方で「痛い!」という声が聞こえた。脚が攣ったのかと思っていたら続いて「やられた!」という声。すぐに近くの選手がポイズンリムーバーを取り出し、2人がかりで助けていた。
蜂・・・ですか!?
大丈夫、行って!と助けている人に言われそのまま過ぎると、50m先、さらにそのまた50mくらい先でも同じような光景。それが3回くらい続いてアワアワしていると後ろから『エマちゃーん!』という声がして、振り返るとトレイル鳥羽ちゃんのユウキさんが猛スピードで走ってきた。
『後ろにもデカイのが2匹いるから!ここは急いで抜けた方がいい!』
みるみる見えなくなっていく彼の背中を追いかけながら、こんなスピードで走ったことないというくらいに必死に走った。
■1A〜2A
その勢いのまま、1Aには16hを切るペースで着いた。予定よりかなり早い。トイレに行きたかったけれど並ぶのが面倒でそのまま我慢して通過した。完全に自分を見失ってる。
斑尾山に登る途中で見える野尻湖
身体の異変を感じたのは、斑尾山頂に至る急登に入る手前だった。まだスタートして20kmにも満たない。大腿四頭筋(前腿)、ハムストリングス、ふくらはぎ。全部がパンパンすぎる。膨らましすぎて今にも破裂しそうな風船のよう。もうこれ以上膨らまないと嘆いてもさらにパンパンになっていく。さらに右脇腹と背中も痛い。だめだ、得意な登りが全く登れない。何人もの選手に道を譲る自分をどこか遠くから見つめながら、TDSの時とはあまりに対照的なその姿に心底情けなくなった。
『あぁ、わたしはバカなのかな?ヤバイ、これは、完走できない。数週間前に120kmも走って、調子がいいわけがない。ましてや、まだたった20kmで、あと90kmもあるのに今にも転びそうなほど脚が動かないなんて何なんだ。あぁ、オワッタ。ゆっくりいけば完走はできるだろうなんて、100kmだよ?100kmなんだよ?調子乗りすぎだ、だめだ、このままじゃ、完走できない。』
アーーーッ!叫びながら太ももを叩きほぐして、足がもつれて転びそうになりながら斑尾の山を下りた。まったくマトモに走れていなかったけど、それでもずいぶん早くに2Aに着いた。
「エマちゃん!ペース速すぎるよ!」
うん、そりゃそうだ。だって、もう脚ぜんぶが張って動かない。足底も腰も痛い。足底の違和感が一番ヤバイ。完全に“脚が終わってる”。
まだ序盤も序盤、2Aだけど、救護に行ってテーピングを施してもらうことにした。こういうのは早めに対処するに越したことはない。なにも助けを得ずに完走できりゃそりゃ格好いいかもしれない。だけどわたしは走り続けたいし、なんとしても完走したい。わかりきっていた連チャンレースでたった20kmくらいでリタイアして「仕方ないよ」なんてなぐさめられるような時の不甲斐なさに比べれば全然恥ずかしくなんてないし、エイドや救護が充実した信越の特徴を利用しない手はない。これはすごく、いい判断だったと思う。
足底と膝にテーピング、腰と腿のストレッチをしてもらった。まだ2Aなのに悲鳴をあげるわたしにきっとオイオイと思ったんだろうな。「完走のためにたくさん私たちを頼ってください、そのために来ていますから」と、わたしよりもはるかに若くて可愛いらしい女の子が力強く背中を押してくれた。
わたしが顔をしかめてテーピングをしてもらっている横にペーサーが寄り添ってくれて、なんて優しいんだと思ったら、スタッフの人となんだかどうでもいいアイドルの話で盛り上がって笑っていた。心配してくれているのかなんなのかよくわからない。まぁいいか。
■2A~3A
「速すぎるくらいだから大丈夫、だけどサボらないで!」
そう言われて、動かない脚で必死で袴岳を登った。ペーサーをとにかくめちゃめちゃ信頼して、ひたすら言われることをぜんぶ素直すぎるくらいに聞こうと決めていた。徐々に気温が上がり始めて、沢で水を汲んでは脚や頭にぶっかけて冷やしたりもした。
テーピングのおかげで足底の痛みはすっかりなくなったものの、袴岳からの長い下りではもう足のふんばりが効かなくなっていた。さらに熱中症に気を使って水分をこまめに取っていたものの、お腹を下しやすい私は案の定、完全に下痢状態で内臓トラブルに苦しむことになった。
「あ、エマちゃんだー」
後ろから声がして、moonlight gearのチヨさんと鳥羽ちゃんのゴリさんが仲良くトレインを組んで陽気にわたしを抜いていった。いやぁ、もう、脚が疲れちゃって、そう言い訳するのが精いっぱいだった。下りきった後のエイドまでのロードで再び追いついて、一緒にA3に入った。
頭から水をザブザブかぶり、エイドを覗くと、ボランティアをしていたRUN OR DIE!!のアヤちゃんが笑顔で迎えてくれる。心折れ部の仲間が「鳥羽ちゃんの人達はもう出ちゃったけど、次のエイドで待ってくれてるよ!」と声を掛けてくれた。夏に一緒に練習をした大好きなハルさんがわたしよりも5分ほど先にエイドを出ていった。
レモンをかじり、麦茶とコーラを飲んで、腹痛に悶えてトイレに籠りながらペーサーにメッセージを送る。
「いま3Aで、かなり貯金を切り崩してしまってる・・・」
「後半巻き返す予定だからそのままでオッケー。フラットはサボらないで頑張って」
「20~21時間ペース、下痢ピーと足が上がらなくて結構ヤバイです」
「(いいね!の絵文字)熱中症にならないように気をつけてね」
なぜ(いいね!)なんだろう・・・と首をかしげ、優しい言葉が返ってくるかとちょっと期待した自分を馬鹿馬鹿しく思いながら、饅頭を2つポケットに入れて、バナナを頬張りながら“地獄の関川”に入った。
■3A~4A
多くの選手が苦しむ関川には自信があった。2年前にも走っているし、この長い長い河川敷がちゃんと終わることも知ってる。途中の水かぶりポイントも、最後の私設エイドがあることも知っている。黙々と走ればいいだけ、そうすればぐんぐん人を抜くことができるのだと、わたしは知ってる。
橋を渡って河川敷に入ったとたん、周りが急に歩きだした。しめしめ。河原に腰かけたおじさんが「まだ女子30番くらいだと思うよ!がんばれ!」と声をかけてくれた。こんなにもグダグダなのに、まだ30人くらいかと、なんだかやる気に火がついた。いけるかもしれない。
10mくらい前を走る、ALTRAを履いた男性がリズムよくペタペタと走っている。ちゃんとフォアフットだなぁなんて思いながら、ALTRAのシューズの裏の柄をぼんやり見つめてそのテンポに合わせて走った。意識はどこか別のところへやって、とにかくそのリズムだけを見て、ペタペタ走った。2回~3回、合計30歩くらい歩いてそのほかはスピードが遅くても全部走った。ずいぶん前にエイドを出たはずのゴリさんに追いついて、私設エイドの旗がなびくのが見えた。関川終了の合図だ。
エイドに近づくと、見たことのあるヒゲモジャな人がこちらにブンブン手を振っている。
「うぉ~い、エマ~」
思いがけなくAnswer4のコバちゃんが迎えてくれて、いつもの調子でゆるく笑ってる。私設エイドの公園にはDMJのTOMOさん(井原さん!)もいた。まさかこんなところで会えるなんて思っていなくて、しかもわたしのことを覚えていてくれて、ものすごく嬉しかった。
TOMOさんが
『走ってるうちに、TDSの疲労が抜けてきちゃうかもね。後半すごく調子上がっちゃったりして?』
と優しい笑顔で声をかけてくれたそんな嘘みたいなことが、まさか現実になるなんて思いもしなかった。あれは何か特別な呪文だかおまじないみたいなものだったかもしれない。
7kmもある関川を越えて私設エイドを出たら、ハルさんが登りを並走してくれた。なぜか関川の後に“発電所の急登”があると思っていたけれど、それはまだ先の話で、だらだらと長い林道登りから始まった。ハルさんに引っ張ってもらって歩くゴリさんを抜いたけれど、しだいに着いていけなくなって、先に行ってもらった。まだ脚が動かない。だけど、4Aにはペーサーやサポートが待ってくれている。それがとにかく嬉しくて、それだけがこの時のわたしのモチベーションで、彼らに会えることだけを考えて走った。
林道から徐々に深い森になり、こんな場所もあった。
脚を上げるのはつらいけど、切らないでいてくれてありがとう。
気持ちが明るくなってきたと同時に、登り始めに飲んだVESPAがやけに効いて、力が沸いてきた。腿の疲労もしだいに抜けていくような感覚がして、脚が動くようになってきた。そうすると周りの人のスピードが遅く感じて、歩く人をどんどん抜きはじめた。それがまた嬉しくて、今度は「速くエイドに着いて褒めてもらいたい」そんな気分になって、気持ちのいいシングルトラックをたくさん走って走って、4Aに着いた。
■4A~5A
思いのほか早く着いたわたしを、たくさんの仲間が待っていた。
「あれ?なんか調子上がってきたの?」と言われて嬉しくなった。
仕事の電話がかかってきて、
「いまちょっと山を100kmほど走っていまして」と説明する。
おもむろに仕事の電話を取るわたしを見て、ペーサーが笑って写真を撮る。「走ってって言われたからめっちゃ頑張って走ってきたんだよ~!」と子供のように猛アピールしたら「いいね!頑張ってるよ!」と褒めてもらえた。がんばって走ってよかった。こういう時って、ちょっとしたことが嬉しくてがんばれるからホント不思議。
早めに出た方がいいよ、と言われたけれど、1Aで受けたストレッチのおかげで復活し始めていると思い、再び5分ほどのマッサージを受けた。ちょっと右膝に違和感を感じはじめていた。
■4A~5A
「黒姫は長いから、頑張って!・・・。」
ペーサーが言ったその頑張って、という言葉の後に“走って”という言葉を飲み込んだような気がした。同じように感じたのか周りが「登りも走れっていうの~?(笑)」と笑ったら、『いや・・・うん、まぁ。歩いていいんだけど、遅くない程度で』と真面目な声色で返していた。なるほど、走れということね。承知したよ。
黒姫の林道にもちょっと自信があった。
小股で走り、辛くなったら林道は20歩走って10歩く戦法で、歩き通しよりもはるかに進む。脚を使いすぎない程度で、ジリジリと走っていると、トボトボ歩く人をどんどん抜いて、10分先にエイドを出たゴリさんに再び追いついた。脚がくたくたのまま急いでエイドを出るのではなく、マッサージを受けてほぐしてから出発しても、結果的にはその分の10分を巻き返せたわけだ。
皆が苦しむ黒姫の林道も、あっという間に下りになった。ただ、その後のダートの下りが違和感のある膝にガツンガツンと響き、痛みが大きくなるにつれて足を引きずるように走っていたら、せっかく抜かした十数人にみるみる抜かれてしまった。
人数制限のある吊り橋で、一呼吸置く。
下りきった後には、今度こそ“発電所の急登” 。短いけれどどんな坂なのか知らないとかなりメンタルに響く九十九折れの急登なのだ。2年前にヒーヒー言いながら登っていたらベテラン風の男性が「ここはキツイけど短くて、パイプみたいなのを2つ乗り越えたら終わりだよ。ナイスファイト!」と声をかけてくれたのを鮮明に覚えていた。足を止めて休む人を横目に1つ、2つとパイプを乗り越えた。
「発電所の後は、アップダウンのある樹林帯が長くて、その後はちょっと走りにくい牧場があって、それを抜けると5Aだ。」自分でも驚くほどその先の情景がどんどん頭に浮かんだ。2年前はものすごく長く感じた樹林帯もあっという間で、牧場も思ったよりも短く感じた。
5A手前で、ゆっくりと歩いている人に
「すいません、右抜いてもいいですか?」
と声を掛けると、元気ですねぇ、と言って譲ってくれた。
だって、ペーサーが待ってるから。きっと真面目なあの人なら「いいタイムでゴールさせたい」と思ってくれているはず。すこしでも早く着いてその期待に応えたい。予定よりもずいぶん遅くなってしまって情けないけれど、それでも1分1秒でも早く5Aに入りたい。樹林帯にめちゃくちゃでっかい猿がいて、写真を撮りたい気持ちを振り切って(笑)、5Aまで走った。
“走れる”(走らされる)信越は、
他のロングレースよりも時間の流れが早く感じた
やっと会えたペーサー、アンディさんが一言めに「10分くらいで出るよ」と言う。その声色と緊張感に、会えた感動よりもエイドを手早く出ることに脳みそが切り替わった。
5Aでは、ドロップバッグのものを広げて待っていてほしいとリクエストしてあった。寒さに備えてタイツを履いて、気分転換にTシャツも着替える作戦。すぐそばに更衣室があるのを知らなくて、『着替えたいからなんか布あるかな?』と聞いたら、大勢の人がいるここで堂々と着替えるのかと笑われた。だって、急がなきゃと思って!
この頃にはジェルが少し気持ち悪くなり始めていて、ごはんが食べたいと頼むと、サポートに来てくれてるオトちゃんが手早くねこまんまを作ってくれた。もっと、もっと食べたいと懇願してごはんを流し込み、コーラを飲んで15分ほどで出発した。
■5A~6A
ペーサーとの旅が始まるその道すがら、アンディさんが脚の調子や身体の具合を聞いてくれる。右膝が痛い、左の踝が痛い、前半のパンパンだった疲労は抜けた、下痢がひどい、胃はまぁまぁ、そんな風に報告する。
なんだよっ、そのポーズは(笑)
「心折れ部の人が、エマちゃんは根性あるし絶対復活するから大丈夫って言ってたよ」
あはは、そうかな、今日はかなりキツイなぁ、なんて笑って話をしながら、前を走るアンディさんを追う。数か月前に肉離れをしたという右足のテーピングが痛々しい。大丈夫なのかな。
この後のレース運びについて色々と話してくれる。〝話しながらついていくだけでいい″ というのがすごく楽だった。しかも5Aで履いたタイツが疲れた脚を適度にキュッと押さえていて、なんだか走りやかった。2年前はこのあたりですでに全然走れなくて、心もすっかり折れていたけど、今は、気持ちは十分に元気。それに、「いいねいいね」「ここを走れているのはかなりいいよ」と励ましてくれる人が隣にいる。うん、まだまだ走れる。不思議なもので、あんなにクタクタだったのにみるみる元気になった。
そうだ、2年前はこの登りの前で、補給ミスをしてハンガーノックになったんだった。ポケットに忍ばせたULTRA LUNCHのマウンテンファッジを頬張りながら、晴れているのに泥泥ぐちゃぐちゃの黒姫に足を取られても気にせず登った。関川の私設エイドでTOMOさんが言っていた『疲労が抜けるかもね』のおまじないが効いて、たかが20kmで絶望に打ちひしがれていたのが嘘のように、アンディさんのなんかよくわからない話につっこんだりしながら、いつも通りのやり取りに気持ちもリラックスして、どんどん登ることができた。
だけどわたしの最大の弱点はテクニカルな下り。しかも結構膝が痛い。黒姫を登りきったはいいものの、6Aに向かう下りは、膝が痛いだの足首が痛いだの訴え、うまく下れないうまく下れないと文句を言いまくった。どん臭いわたしはドタバタするばかりで、細く引き締まった足で軽快に下りて行くアンディさんに全然ついていけない。
「もっとステップ細かく!」「ほら、集中して!」と怒られながら、自分の下りの下手さと膝の痛みにイライラする。これまで過去2回ペーサーをした時の話を聞かせてくれて気が紛れるけど、うーん、やっぱり膝が痛いよ。
『エマちゃん、知ってる?Born To Runの。 “痛みを抱きしめる” らしいぜ。痛み、抱きしめようぜ!』
特段面白いことを言っているわけではないのに、アヒャアヒャと肩を揺らして笑いながら抱きしめろ抱きしめろと言うので、下りが緩やかになり始めたところで、試しに『抱きしめる』ことにした。
「・・・わたし、前に行ってもいいですか?」
「えぇ~~どうしよっかなぁ~~~?アハハ~。」
ついて行けないから自分が前に出たいという主張だと思ったのか、そんな調子で返されたので、ほとんど失笑で前に出て走り出した。つんのめるように痛みを堪えて下るのではなく、膝を柔らかく、できるだけ力を抜いて傾斜に任せ、いつもの楽しい時のステップを思い出して。痛みをそっと包み込む。
そうしたら、思い切って走った方が痛みが少なく感じ、徐々に足さばきが良くなり、スピードも上がって、6Aまでの下りをとにかく爆走した。アンディさんは驚いた様子で「この巻き返しはヤベー!」「超いいよ!どんどん走ろう!」と突然のハイテンションでわたしを煽り、走りやすいように並走したり前後したりしながら足元をライトで照らしてくれた。2年前、ハンガーノックでつらい思いをしながらトボトボ歩き通してしまった下りを、無我夢中で走って最高に嬉しかった。ここに、もう一度帰ってきて良かった。
6Aに着いた。2年前、台風で中断を告げられた場所だ。ずいぶん巻いてこれたと思ったけれど、後ろを走っていた仲間も間髪入れずに次々とエイドに駆け込んできた。なんだ、まだみんな、元気なのか。もっとがんばらなきゃいけないんだ。とにかく爆走してきたものの、脚の痛みがなくなったわけじゃない。
「ゴールまで走り切れるくらい、しっかりテーピングしてもらおう」
痛いところを全部事細かに伝えて、というアンディさんの的確な指示で、救護であれこれと状況を伝え、右膝や前腿、アキレス腱や踝に丁寧なテーピングを施してもらった。その間に、電池の入れ替えや防寒の準備、救護を受けながらの補給など、何も言わなくてもアンディさんがあれこれなんでもやってくれた。時間が気になって、もう出た方がいいかな?まだ大丈夫?と聞いても、「大丈夫、しっかりやってもらいな」と休ませてくれた。
くだらない話をしていたかと思えば唐突にハイテンションになったり、厳しいなと思えば、途端に見たこともないくらい優しくなる。ギャップが忙しい人だな。こりゃ〝ゴールまで″ 飽きなくて面白いや。寝っ転がってテーピングを受けながら、そんなことを考えていた。
■6A~7A~8A
6A以降も、自然にわたしが前を走ることになった。
エイドを出た後は寒くて仕方なかったけれど、身体を摩って暖めてみてとか、ウエアに呼気を吹き込めばいいとか、いろいろアドバイスをくれた。かと思えば、「俺が温めてやろうか」とか「ふーふーしてあげようか」とか嬉しそうにふざけては笑ってる。いやだ~、キモイ~、ウザイ~、と返す。もー、ほんといつだってこんな調子。トレイルに入る頃には身体も温まり、再び走り出した。あんなに走れなかったのが嘘のようにどんどん足が前に進んだ。6A~8Aは比較的フラットで走れるパート。ここで稼げるだけ稼ごうという指示に従う。前にほんのり光が見えて、徐々に詰めては、抜いていく。
「いいねいいね!面白くなってきたぜ!」
「どんどん抜いてるの自分でもわかるっしょ?」
「見えるだろ?前にいるのが。ゆっくりでもいいから刺そうぜ!」
「エマちゃんにこの面白さ知ってほしいんだよ」
「いい感じだよ!このままどんどん行こうぜ」
「刺せ刺せ!どんどん刺せ!」
うん。はい。うん。わかった。
だいたいそんな返事をしていた気がする。やたら横で饒舌なアンディさんに、刺せ刺せ言われながら「刺せって何だろう」と思いつつ、黙々とヘッドライトの明かりだけを見つめて無口に走り続けた。すごく集中していた。十数人抜いた気がする。それはいわゆるロングレースの『復活』ってやつだと思う。もしこのレース展開をアンディさんが面白いと思ってくれているなら嬉しい。一緒に楽しめているなら最高じゃないか。もっとがんばろう、そう思った。7Aで先行していたハルさんを抜いた。関川の後でついていけなかったハルさんを抜いたんだ。
時折、歩きたいと言うと、オーケーオーケー、パワーウォークパワーウォーク、と言ってごく自然に少し前に出て引っ張ってくれる。この人ほんと名ペーサーだ。きっとわたしのレベルと状況に合わせて、先を読んでこうしてくれている。一緒にいる時間が長くなるほどにそのバランスの良さに信頼感が増した。
ちなみに、ただただふざけたことばかり言ってるわけでもなく、エマちゃんが走れてるから俺も寒くなくて助かってるんだとか、やっぱりエマちゃんは強いね、頑張ってるね、すごいよとか、復活してくれて俺も面白くなってきたよとか、絶妙な言葉を掛けてくれた。この人はなんでこうもわたしのツボを押さえてるんだろうか。
たまに挫いたのか肉離れの脚が痛むのか「イテッ」という声に大丈夫?と声をかけても、「俺のことは気にすんな」「前だけ見てればいい」と少女漫画の主人公ばりにクサくて優しかった。内心ちょっと笑っちゃったけど。足も痛いし胃もキリキリと痛んだけど、そんなことはどうでもよかった。2年前、復活したのに甘えた気持ちでだらだらと歩いてしまったところを、あの後悔を払拭するように、一生懸命頑張った。
8Aに着くと、ボランティアスタッフをしていたRUN OR DIE!!のジャキさんがいた。いつも熱いジャキさんが大好きで、会えるのをすごく楽しみにしてた。ゴールして一緒に泣いてもらおうなどと、その顔を見ただけでずいぶん元気が出た。オトちゃんがお湯をとおにぎりを用意してくれて、ストレッチをしながら補給をしたら早々に8Aを出た。2年前はここで終わったんだ。
■8A~GOAL
瑪瑙山が信越五岳の最大の山場。復活して以降、この登りではなんとしても自分の得意を活かしたいと思っていた。お尻を使ってモリモリ登った。登りの最初の方で、もう1組、仲間を抜いた。ずいぶんと前を走っていた人だ。何人も何人も抜いて、もうあまりに必死すぎて何も覚えていない。胃が苦しくて揺れると痛い。身体を折ると吐きそうだし、食べるとお腹を下す。今思えば、もう少し補給をした方がよかったかもしれない。だけど気持ち悪くなって停滞したくなくて、そのまま耐えた。
頂上目前のゲレンデ登りで少しスピードが落ちたものの、「抜かれても周りは気にしなくていい」と言われ、自分のことだけを考えて登りきった。結構ハイペースだったと思う。そのままゴールまでかっ飛ばせれば、きっと20時間を切ることができたんだ。
***
だけど、そこからがとにかく地獄のようだった。
瑪瑙山の山頂の道標すら覚えていない。下りに入ると長い長い傾斜のきついゲレンデ下り。一向に斜度は緩くならず、その下りでどんどん膝が痛くなり、左のアキレス腱が周りに聞こえるんじゃないかと思うほどギシギシいいはじめた。走りたいのに、痛くて早歩きしかできない。
「薬、飲む?」
ううん、我慢する。その時たぶんはじめてはっきりとペーサーの提案を断った。飲んだらきっと、具合が悪くなる。胃を壊した経験も、心拍が上がりすぎて過呼吸になった経験もある。我慢できるなら、この痛みのまま走りたい、そう思った。その選択が正しかったのかどうかはわからないし、正直なところ薬を飲んで、わたしよりもずっと早く走りきった話を聞くと、この時点で飲んでいればよかったんじゃないかと今でもちょっと考えたりもする。
だけど、痛みがどんどん増幅するなかで、がんばって早歩きを続けたのもむなしく、後ろからどんどん選手達がわたしを抜いて行った。
「大丈夫、気にしなくていいよ」
そう言われたけど、走れない自分が悲しかった。どのタイミングだったかもう覚えていない。ゲレンデから樹林帯に入った時だったか、ズキンと激痛が走った。アキレス腱が切れてしまったんじゃないかくらいの痛みだった。
一歩足を着くと、全身に激痛がはしる。もう一歩着くと、さらに激痛がはしる。あまりに痛くて、ホラー映画ばりに叫び倒した。足を着くたびに脳天まで響く激痛に、足の裏全体が攣りそうで、怖くて一歩が踏み出せない。気が遠のくような、こんな強烈な痛みは初めてで、失神しそうだった。
「イタイイィィィィ・・・・」
止まろうとすると、
「だめ!止まらない!歩きでいいから!行くよ!」
と待ってはくれない。ほら、歩きでいいから!頑張って!ここ踏ん張りどころだから!そう言うとアンディさんはどんどん先へ行ってしまう。足が痛い上にハンガーノックでフラフラする。石や根っこで足場が悪いのに、ちゃんと足が着けない。ヨロヨロ朦朧としながら歩く私に、ちゃんと集中して!と激が飛ぶ。身体に力が入らないと言っても聞いてくれない。足が痛いと言っても聞いてくれない。さっきまで優しかったのに・・・。ふざけてくれることもなく、たまに振り返っては暗闇に消えていく。
「ひゃっ!」
足がかくんと折れて尻もちをついたわたしを、すごい形相でがしっと掴んで立ち上がらせて、また先に行ってしまう。「ちょっと、足を、伸ばしたい・・・。」小さな声で訴えて、アキレス腱を伸ばそうと木に両手をついた。
「おい!座るんじゃねぇよ!」
怒鳴り声にびくんと身体が震えた。ち、ちがうよ、アキレス腱を伸ばしたかっただけだもん・・・。あぁ、ごめん、と謝ってくれて、だけどやっぱりまた先に行ってしまった。痛くて痛くて、走れそうな場所なのに全然走れない。走りたいのに走れないと訴えると、ここは走らなくて大丈夫だから、止まらずにがんばって歩こう!と言われる。
さっきまであんなに快調だったのに。せっかく復活して面白くて、前にいるあの人を抜かそうとか追いつこうなんて話していたのに。ごめんなさい・・・。悔しくて悔しくて涙が出た。ウゥゥ、と声にならない声で泣きだすと、やっと笑ってくれた。
あんまりにもアーアーウーウーと喚きながら歩き続けるわたしがよっぽど面白かったのか、鬼のようだった顔をいつものおふざけ調子に変えてしょーもないことを言い出してケラケラと笑うもんだから、わたしも泣きながら笑った。「笑えるくらいならまだまだ大丈夫だな」 さっきまで怖かったのに、もー、普通こんな悲劇みたいな状況でふざけるかなー。フツーはもっと深刻でしょ。なんでこの人はこんななんだろ。あー、もー、やっぱこの人で良かったよー。
ずいぶん抜かれたと思う。20時間切りももう難しい。最後のウォーターエイドW2にボロ雑巾みたいな状態で着いた。あとは林道、7.6km。
この7.6kmは走ろうと言われたけれど、アキレス腱の激痛は収まらず、ここまできたら胃が悪かろうがなんだろうがやるしかないと思って、効くことを願って薬を1錠飲んでみた。終わったあとに嘔吐したから、やっぱり早めから飲まない判断はあっていたのかもしれない。
疲れた脚には意外と長い林道を前に、「話しながらか、黙々と歩くかどっちがいい?」と聞かれ、「じゃあ話しながらがいい」と言ったのが失敗(?)で、どうもレース前から考えていたらしい、しょーもない一問一答みたいなくだらないトークが繰り広げられ、けらけら笑いながら、歩いているのか走っているのかわからないようなステップで先を急いだ。ものすごくくだらなかったけど、おかげであっという間だった。
わずか20kmあたりで一瞬遠のいたようにも思えた「完走」の二文字。目の前がクラクラした。あぁ、また完走できないのか。2年もたってこんなにも成長できていないのか。自分に負けてしまうのか。くやしい、そんなのは絶対にいやだ。だけどそんな気持ちとは裏腹に全くもって脚が上がらなかった。一歩一歩踏み出すのが精いっぱいで、ゆっくり完走を目指すのか、それでもやっぱり自分なりに攻めるのか迷いもあった。それがペーサーと合流してからみるみる元気になって、瑪瑙山の登りまで、遅くても自分なりに必死で攻めた。
残り1.5kmくらいのところで痛みが和らぎはじめた気がして、あとはどうにでもなれと思って
「走る!」
と宣言した。思いのほか遠く、1.5km以上あるような気がしたけれど、それでも歩いちゃいけないと、ありったけの力を振り絞ってゲレンデの上で点滅する赤い光を目指した。
ゴールだ。ヘッドライトを消して、どうする?手つなぐ?と言われ、たぶん手を繋いでゴールをしたけど、泣き虫のわたしは恒例行事のように泣きじゃくりながらゲートをくぐり、マトモに2人で写真も撮らず、「ハイハイ、すみやかに外に出てくださ~い」と言われて感動のゴールのはずが結構あっけなかった。
勢いは、ある
何度も「どんな風にゴールするか考えておこうぜ」って言われながら走っていたのに、カッコいいゴールができなかった。まぁ、だいたいそんなもんか。
20時間38分。
目標には届かなかったけれど、当たり前ながらそもそも結構無謀だった。ゆっくり行けば完走できるだろうなんて、かなり甘かった。根性には自信があるけれど、気持ちだけではどうにもならないような状態は初めてだった。
でもそんな不調な状態でも、後半でどんどん落ちていくパターンをちょっぴり克服したし、あの激痛のなか、止まらずに歩いたからこそなんとか完走できた。きっとひとりなら22時間めいっぱい使うくらい休んだり歩いたりしただろうと思うと、20時間38分の完走はペーサーがくれたものだと思う。
強烈に苦しくて痛かったけれど、ペーサーのおかげで、翌日にはまた出たいなんて思うほど楽しかった。バカだよなぁ。仲間がたくさんいて、お祭りのような信越。ロングレースの醍醐味もあり、ペーサー制度という独特な面白さもあり。信越には信越にしかない苦しさや楽しさがある気がする。はじめてでも、2年たっても、きっとベテランの人にもそれぞれのドラマがある。
わたしのドラマは想定外にもサスペンスかホラーのようで、思い出すと恥ずかしいくらい叫んで泣き喚いて醜態を晒したわけだけど、1人で走っていたらそんなことしないわけで。この人だったらどんな状況でも笑って済ませてくれそうだし、受け入れてくれるだろうという安心感があった。それよりも意外だったのは、想像以上に厳しくて、想像以上に熱くて、想像以上に優しかった。
大会前、『厳しくしてほしい』と言ったわたしのリクエストに、そんなに忠実に守らなくてもというほど(笑)ちゃんと応じてくれた、その真面目さはすごくクールで、普段の可笑しなキャラクターを忘れるほど、ちょっとかっこよかった。
・・・株、上げすぎたな。
おつかれさまでした。
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※脚を痛めてまで走るべきか否か、賛否両論あると思います。完走ばかりが美化されがちななかで、信越五岳のあとのUTMFの応援でも同じことを感じていました。すべては自分の判断であり、その状況によるもので、わたしは本当は大会のレポートのあとにいつでも、この言葉を添えたいと思っています。
『完走したすべての選手と。関門に向かって諦めずに走ったすべての選手と。リタイアという英断をしたすべての選手と。レースに挑んだすべてのトレイルランナーと共に、その健闘を讃え合いたい。』
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[…] <archive> ■信越五岳2015 信越五岳に向けて、それまでの話。 https://mountain-ma.com/emma/2015/09/ 信越五岳―20時間38分のドラマ― https://mountain-ma.com/emma/2015/10/03/shinetsu/ […]
いつも楽しく拝読させていただいています。どれも好きなのですが、この「信越五岳―20時間38分のドラマ」は特に好きです。EMMAさんの文章は読んでいるうちに、ぐーっと惹き付けられますね。勉強になります。これからも更新楽しみにしています。
古い記事にコメントいただきありがとうございます!そう言っていただけると嬉しいです。楽しく更新していきます!