今回は僕の紹介をします。
僕の出身は新潟県の小須戸(旧小須戸町)というところで、近くに秋葉丘陵という小さなお山があります。今でも、実家に帰るとよく走りに行きます。
とても良いお山なので、今度紹介しようと思います。
(高立山から五泉市を望む:photo by naminemu)
小学校1年生からサッカーをはじめ、中学校でサッカー部がなかったので仕方なく卓球部に入ったこと以外は、大学までずっとポジションはサイドバックでした。
サッカー経験者ならもうお気づきかと思いますが、
僕はサッカーが超ヘタクソなんです(笑)
サイドバックは今でこそ重要なポジションですが、当時はチームで一番ヘタクソなやつが務めるポジションでした。
サッカーはとても残酷なスポーツ(なんでもそうかもしれませんが)で、瞬時にボールを自分の扱いやすいところに置く能力、敵と味方の位置を把握する能力、どんな体勢でもきちんと狙ったところに蹴る能力。そういった能力をほんの数秒で行使することが求められます。
所謂、「センス」というやつです。
高校でどれだけ練習しようとも、どれだけ走ろうと、どれだけ筋トレしようとも
その「センス」の差は埋まることはありませんでした。
結局、燃え尽きてしまって、大学ではサークルで楽しくサッカーやる程度。
※大学ではむしろ空手/釣り/スノーボードに夢中になってました。
卒業してIT関係の職業についてからは、フットサルを少しやっていたものの、
仕事が激務すぎて、気付いたらストレスで大学生のころから14kg太っていました(泣)
(渡月橋からピースをする残業月200時間のころのナミネム氏:photo by naminemu)
もう、会う友達、会う友達に「とっちゃんボーヤ」とバカにされ、さすがにヤバイ!と思い、軽くジョギングを始めたのが2009年4月。
はじめは2~3km走るのがやっとだったけど、半年たつと徐々に慣れてきて向上心がでてきました。
ついには、「Number」の横にあったりして、今まで邪魔だなとか思ってた、見向きもしなかった「ランナーズ」なる本を買って読むように。
と、そこに衝撃の記事が。
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09年3月に15年勤めた群馬県庁を辞め、プロのトレイルランナーとして再出発した鏑木毅さん。世界最高峰のトレイルレース「ツール・ド・モンブラン」(8月フランス・イタリア・スイス)では3位の成績 etc…
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高々と日の丸を掲げ、ゴールする鏑木何某さんの姿が。
距離を見ると、な、なんと160km!!
こんな世界があるんだ。
ど変態じゃん。ていうか、人間ってこんな走れんのか?
でも。。。なんかかっこいい服装してて、自分が知ってる「はみ出しそうな」ランパン&ランシャツのマラソンと違う。。。
ん?ザックから出てるこのチューブみたいなのなんだ??
と、なんだかギアのかっこよさがまず印象に残りました。
でも、なによりも異国の地で堂々と日の丸を掲げて、怪我をしているのかテーピング足にグルグル巻いて(2年後ニューハレだとわかるww)、すごいボロボロだけど喜びの表情をしている、ついこの前まで群馬県庁職員だったこの鏑木何某という人に惹かれました。
その後、これまた偶然にも、「激走モンブラン2009」再放送を運よくみて決意。
「俺、来年(2010年)からこれやろう!!」
でも、どうやったらいいのか??
名前はトレイル・ランニングなんだから、まずはランを頑張ろうかな。
今もちょこちょこ走ってるし。
ということで、僕は「トレイルランナー」になりたかったので、まずはロードを1年頑張ることに。
これが、トレイルランナー「ナミネム」の走り初め。