思い返せば、UTMF/STYは常に悪い流れと闘っていたように思える。
有名なエピソードだが、鏑木さんが飛行機から富士山を見ていて、その周りを一周するルートが見えたことから生まれたUTMF。その想いの原点はモンブランを一周するUTMBだったのだろう。
しかし、第一回が開催されるはずだった2011年は震災で中止。2012年に第一回大会が無事に開催されるも、その翌年からはコースが逆回りになったり、元に戻ったり、秋の開催になったり、悪天候に見舞われたりと、常に変化を余儀なくされてきた。
そして、2018年は春開催に戻るとともに、ついにぐるり一周しなくなった。
UTMF/STY 2018に今回もスタッフとして参加した。
ぼくが現地で過ごした3日間は、多くの友人知人と会った。トレイル同世代といったら失礼かもしれないけど、なみねむさん言うところのUTMF/STY創世記を支えた「激走モンブラン世代」はスタッフとして参加している方が多かった。
ぼくも含めて、もうUTMF/STYに出ることはないかもしれない。それでも、この空気感を現場で感じていたいから、プレスやエイドスタッフ、スイーパーなど、自分で居場所を見つけてこの地にやってくる。家でSNSを見ているだけなんてまっぴらなのだ。
誤解を恐れずにいえば、鏑木さんがUTMFを生んだとするなら、激走モンブラン世代はUTMFを育ててきた。だから、いつになってもUTMFが気になる。
エイドでの業務を終えてフィニッシュ地点の大池公園に戻ってきた時に、ちょうど閉会式が開催されていた。
大池公園は第一回大会のフィニッシュだった場所で、懐かしさがこみ上げる。当たり前の話だが、その時に比べて今年の大会は洗練されていた。毎年積み重ねられた経験値が一気に花開いたかのように。
そして、ぐるり一周しないことでUTMBの呪縛から逃れられたようにも思えた。今年走っていた多くのランナーはおそらくUTMF/STYに憧れてこのレースを目指した「UTMF世代」。ぐるり一周に対するこだわりはなく、100マイルへの挑戦が第一義。それがUTMBの疑似レースでもエントリーレースでもない、UTMF独自の色なのだと感じた。
このレースにもうぼくのチームはいない。同世代チームのIBUKIもすぽるちばもいない。でも、新しいチームやランナーが大勢集っている。これまで選手として参加していた「激走モンブラン世代」がスタッフとして大会を支え、「UTMF世代」の選手がレースを走る。そうした新陳代謝がこの大会の新たな歴史を作っていくのだろう。
その景色は健全であり、それまでのこわだりを捨ててまで開催を優先した今年の大会を見て「UTMF/STYはリセットされた」と思った。
いい意味での開き直りが悪い流れを断ち切った。リセットされ新しく生まれ変わったUTMF/STY は素晴らしい大会だった。でも、まだ完成型ではない。今年の大会がフォーマットになり、よりよき大会へと育っていくことを祈ろう。
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