UTMF2018が終わった。
選手として立っていることしか想像できなかった大会に
震えるほど寒い思いをしながら、まさか、レースを発信する側(dogsorcaravan.com/)に立っているとは
数年前には想像もできなかった。
A7(128km)山中湖からの最初の登り(パノラマ台)からTop選手を待ちながら
ふと、「運」と「縁」と「恩」について考えていた。
鏑木さんが飛行機からふと眺めて、頭の中で浮かんだ富士山ぐるりのコース。
この構想を初めて聞いたときは、チーム100マイルもなく、当時は鏑木セミナーというOSJのセミナーであった。
その過程で出会い、懇意にした方々が結成していた「すぽるちば」なるチームに加入し
そして、2012年、自分はSTYに出ることになるのであるが、、、
今思うと、100mileってどう練習すればいいのかわからず、ハセツネダブルすれば良い的な風潮があったり。
今では考えられないけど、天子山塊は一度入ったら10時間以上選手が出てこなかったり。
トレランチームがこぞってチームシャツやフラッグなどを作って、戦国時代さながらに、そのフラッグの下でゴールしてたりとか。
日本で初めての、大規模な100mileレースができていく高揚感や
主催者もレースする方も手探り感満載で、この当時にどストライクで参加できていたことは
本当にタイミングというか「運」なのかなと思った。
正直年々UTMFは洗練されてきていて、運営も素晴らしくなってきている。
そういった中で、みーんな手探りな草創期に関わることができた「運」というのはなんだか少し、ニヤッとする。
それは、昔はよかったな~的なことを言うおじさんの発言となんら変わらないのかもしれないけども(笑)
また、その当時知り合った方々(僕は「激走モンブラン世代」といっているけれども)
その方々とは並々ならぬ「縁」を感じた。
今回UTMFに参加している方々の顔ぶれが、「激モン」世代はスタッフ側に回る人が多かった。
やはりみんな気にしているのである。
選手として出ることはなくても、このレース。やっぱり、気になるのである。
かつてハセツネがそうだったように、100mileというカテゴリーにおいては、UTMFが同窓会というか
なんらかの形で関わっていたいのである。
これは本当に素晴らしいご「縁」だし、健全な新陳代謝だと感じた。
大会が歴史を持つとこういった側面ができてくる。大会が歴史を重ねていくことのポジティブな面を
あらためて知ることができた。
そして、「恩」である。
実は、この「運」、「縁」、「恩」という言葉。
これは、僕が会社の先輩からいただいた言葉である。
『「運」と「縁」はその時の時代やタイミングに左右され、それはそういうもので、ある意味刹那的なものである。
ただ、「恩」は能動的というか、自分からご「縁」のある方に返していかなければならない。
お前は「恩」を人に返しているか?そういう意識を持てているか?』
その言葉を頭の中で租借ながら、これまでご「縁」があった方に思いを巡らし、
そもそも、そのご「縁」自体が本当に素晴らしいことだと思った。
一般社会ではおそらく交わらなかったであろう方々ともこうしてUTMFを通じて交流できる。
これだけで本当に素晴らしいことで、感謝しなければいけないと純粋に感じた。
僕がこの先、「恩」をどのように返していくのか。それはまだ明確にはできていないけれども
まずは鏑木さん、関係各位、もちろん激モン世代への「感謝」の思い。
そういった思いを持ち続け、今後とも微力ながら何らかの形でUTMFに貢献できればと思う。
それが「恩」を返すことにつながっていくのかもしれない。
この先もUTMFが様々なご「縁」をつなぎ、素晴らしい大会となることを願っています。