1月17日午前11時30分。飛ばし屋のパイロットのおかげで定刻より1時間早くホノルル空港に降り立った。激戦の抽選を突破してH.U.R.T100mileに出場するためにやってきた。初のハワイ。錦糸町より日本人率が高いね。
予定より早かったのでTomoさんのピックアップをお断りしてバスでホテルまで。事前にネットで購入して手配していたジェルが無事に届いていた。今回はエイドにジェルはなしという事前通達があったのだ。
ブリーフィングは14:30から。時間を間違えていてご迷惑をおかけしたが無事にTomoさん一家&Isoさんの車にピックアップして頂いて、スタート地点のNatureCenterへ。
たてのさん&MIKAさん、山本さん&TOMOMIさん、中辻さん、Takuさん、Joさん、MarikoさんのチームJAPAN無事合流。このチームが脅威の完走率でRDならびにHURTコミュニティーを驚かせることになる。
参加賞のpatagoniaのTシャツの背中にはコースプロフィールが。上りか下りしかない。
それにしても暑い。ちょっとナーバスになってるぞとIsoさんに指摘される。蚊も凄い。すぐに日焼け止めクリームと虫除けスプレーを買いに行く。
翌日は5時には会場入りなのですぐに解散。ホテルへ。ホテルのすぐそばでシャモニーで消えたサングラスを再度購入する。ホテルではすでに日本で作っておいたドロップバッグ3つにジェルを入れて準備完了。すぐに寝る。寝ようとした。ちょっと目が覚めて携帯を見ると香港100kで奥宮さんが7位。去年のリベンジだ。山屋さんがドロップ。悔しいだろうな。自分のレース前なだけに色々考えてしまいつつ就寝。
3時30分起床。すぐにカレー、納豆、シャケ、みそ汁で朝食。4時20分にTomoさん&Isoさんがピックアップしてくれた。途中セブンイレブンでコーヒーを購入して中辻さんのホテルへ。暗闇の中スタート地点へ向かう。
スタートのNature Centerはすでに選手&サポート&スタッフでかなりの熱気。アメリカのレースは初めてではなく、全く案内なくてもスタッフと話しながら淡々と準備出来るがこれがロシアだったらドキドキだな。ロシア行かないけど。
東京とシャモニーで会ったGary Robbinsが覚えていてくれて声をかけてくれた。去年CRを作った彼は今年も優勝。
スタート直前飯は今回はコッペパン(マーガリン&ジャム)。普段山で練習する時に食べているものを持ってきた。みんなに笑われた。
あっという間にスタート5分前。Isoさんに「とにかくアメリカ人のスタートダッシュに巻き込まれるな」と声をかけられる。そう、今回は完走ギリギリ。プランでは序盤は前から2/3ぐらい80位前後で進み、生き残れば半分がリタイヤするので40位前後でギリギリ完走だ。
ほら貝みたいな「ぷぉーー」という音でスタート。暗闇の中へ消えて行く。すぐに山に入る。
コースはYの字。とにかく同じところを行ったり来たり。トップ選手ともなんどもすれ違い、そしていつか抜かれる。
2回目の出場で想定タイムがほぼ同じのたてのさんにくっついて行くことにする。走りながら色々とアドバイスをして頂き助かった。現地入りまでコミュニケーションを取れなかった山本さんとも話ながら進む。鎌倉の披露山で35周練を決行したという。ビビった。このレース、やはりレベルがとんでもなく高い。
プランとしては6時間、6時間、夜の2周は8時間、8時間、で最後の1周は明るくなって6〜7時間で34〜35時間でゴール。
最初のエイドまで12km。途中で折り返してくるトップランナーともすれ違ってテンションが上がる。Tomoさんとは「Yes We Can!」を連呼して盛り上げた。ほぼ予定通りの2時間で到着した。
すでに明るくなっていてここでライトを置いていく。Isoさん,Marikoさん他女性サポート陣が総出でお出迎えしてくれた。テンションが上がる。
次のパートは8km。1時間30分。そして最後のパートは再び12kmで2時間15分かかり5時間45分で1周目を終える。脚は大丈夫。いけるかもしれないという感触を得る。
2周目。一気に気温が上がる。すでに山本さんはかなり前に行ってしまった。たてのさんを視界の中にいれつつ進む。暑い。そりゃそうだ。ここはハワイだ。沖縄で夏にトレランやるやついるか?なんで常夏のハワイで走ってるんだ?低山なので登っても気温はほとんど下がらない。暑いよ。
途中で手がシャツに触れるとビショビショ。「フラスコから水が漏れている!」と思ったら自分の汗だった。やばいよ。たのむ!曇ってくれ!たのむ!雨降ってくれ!太陽さんどっか行ってくれ!
最初のエイドまで今度は2時間30分、水を飲みまくっているが頭がぼーっとしてきて2つ目のエイドまで1時間45分かかった。2周目にしてピンチ。
途中でTomoさんに出会った。「青梅ターキー思い出せ!」と言われたが、すでに青梅ターキーより疲れた。
第2エイドからスタート地点まで戻る途中から頭がぼーっとしてきた。一気にペースが落ちた。で、途中でまさかの日没withoutライト(T T)
まわりに選手が来ない。足を捻り、転び、もう泣きそうになる。太陽さんゴメン。もう一回、30分だけ戻ってきてくれ….
脱水だろうか、手足の痺れが酷い。そして暗闇の中でひたすらブレーキをかけながら下ったからだろうか、腿がやばい。わずか64kmでこの状態。絶望的な感触でとぼとぼとスタート地点エイドに戻る。結局2周目は6時間30分位かかった。
たてのさんが出発するところだった。たてのさんもかなり予定より遅れているようだ。Isoさんによると去年と比べて格段に暑く、他の選手もかなりグロッキーだとのこと。私はまだ元気な方だと言われた。そういわれるとやる気が出てくる。
Isoビンタを頂戴する。「Tomoさんに食らわしたやつの10分の1位ですよ!」
20分位やすんで13時間経過時点で出発。夜の2周を8時間でこなせばギリギリセーフか。イッテキマス!!地獄のようなコースにエイドスタッフが大きな拍手で送り出してくれる。
3周目。Isoビンタパワーは1時間で効力が切れた。下りで全く踏ん張れない。後傾でブレーキをかけるパワーもなく、かといって前傾で勢いよく走るほど足さばきは上手くないし、もう動かない。斜面でポールを使ってカマキリみたいに進む。
時間がどんどん過ぎて行く。気持ちは前向きなのに足が動かないというあまり経験のない状況。
1つ目のエイドに3時間かかって到着。エイドに入るちょっと前でたてのさんとすれ違う。あまり差がついていないようだがこちらはもう意識朦朧。このエイドでは暗闇の中で海賊のコスプレしたスタッフが迎えてくれる。あまりにテンションが高くて、勢いよく出発してしまった。
2つ目のエイドに向かってすぐ出発する。下りが長くて急なパート。この辺りから平衡感覚がなくなる。全く平らなところでふらつく。片側が崖のパートではもう這うようにして進まないと落ちてしまいそう。
「すぽるちば〜!!」という叫び声とともに4周目のIsoさん&Tomoさんが追いついてきた。「ねばれ!たてのさんともまだ近い。明るくなるまでねばれ!」と叱咤激励を受ける。抜き去っていったあと、暗闇の中から「シンヒロアキたれ!!!」という声が聞こえた。
脚にとにかく力が入らない。そして意識が朦朧。とりあえず声を出そうと考えて一歩一歩「いーち、にーい」と声を出してみる。効果なし。急な下りで転げ落ちないように体を支えるので精一杯。「神様、抽選だからといって分不相応なレースに出てごめんなさい。もう絶対出ませんから次のエイドまで無事に返して下さい。ごめんなさい。ごめんなさい。」とずーっと謝っていた。
先のエイドから折り返してきたIsoさん&Tomoさんがやってきた。Tomoさん曰く、「斜面で生まれたての子鹿みたいになっていた」ようでIsoさんがTomoさんのペーサーから離脱して私の介抱をしてくれた。申し訳ない気持ちと、Isoさんがそのような判断を下すほど自分はヤバい状態なんだという思いで絶望的な気持ちになる。
薬をもらって、シェルを着せてもらって進み始めた。薬の効果か少し進める気がする。前に進みたい一心だろうかいつのまにか「まーえ、まーえ」と唱えていた。
第2エイド到着に3時間かかった。今思うとやってはいけないことだと思うが、ふらっとスタート地点に向けて再び進み始めてしまった。リタイヤというのはかなり明確な判断力がないと出来ないのだろう。エイドスタッフの大きな歓声に後押しされて前へ。
ひたすら「まーえ、まーえ」といいながら進んだ。元気なJoさんとすれ違ったが反応できず。
気を失って、気がついたら病院のベッドの上だったら幸せだな。と考えていた。
斉藤和義の「うちに歩いて帰ろう〜」という曲が頭をまわっていた。
そして相変わらず「トレランの神様ごめんなさい。僕みたいな雑魚は涼しい皇居でも走ってます。もう来ません」と謝っていた。
あまりに時間がかかってペツルNAOの電池も切れ気味。半径20cm位の範囲しか照射されてないのでもう怖くて仕方がない。
ルートを表すテープと細い木の枝の区別がつかなくなって何度も間違えた。
ここで優勝したGaryにpassされた。飛んでいった。「優勝だぞ!」と声をかけると「Yeah!」と返してくれた。
何度もpassされたTimoさんもGaryに次いで飛んでいった。
そして私はこのパートに5時間30分かかってスタート地点に帰ってきた。
椅子に座ったまま動けない。声もでない。30分ぐらいぼーっとしていた。
TomomiさんとMarikoさんの「〜はどう?」にすべて「大丈夫です」と答える。大丈夫なのではなく、動く気力がないのだ。
100km完走まではあと4kmだが、実際は次のエイドまで11km進まないといけない。もう絶対に無理だと感じていた。椅子に呆然と座っていた。
気がついたらすぐ後ろでTimoさんがインタビューを受けていた。「おめでとう」と言うと「まだですよ!あきらめないでくださいよ!」と激励を受けた。
エイドのボランティア、Marikoさん、Tomomiさん、そしてTomoさんのペーサーから離脱してきたIsoさんからも諦めるなと声をかけられた。
最後の判断力を振り絞って、日の出まで待つことにした。
4時間程休んだだろうか。明るくなっていた。
目が覚めて、Marikoさんと目が合った瞬間に「行く?」と聞かれた。反射的に「行きます」と答えた。
休んでもやはり脚は重く、そして日差しは強かった。5周目を走るランナーに必死についていく。大きな収穫。やはり、歩くにせよ走るにせよ体重移動がスムーズ。こちらはびびって踏み出す一歩に全体重がかかっている感じ。そして、こちらの大きな一歩の間に前のランナーはすたこら3歩ぐらい進む。
もう最後。目に焼き付けておこうと真似をしつつ食らいついた。
そしてエイド直前ラスト1マイルぐらい。なだらかな広いトレイルに出たところでラストダンス。全力で走ってみた。
piratesたちがお出迎えしてくれる第一エイド。4周目で到着したことを告げると「おめでとう。よくやった。」とスタッフがハグしてくれた。5周目だったとしても完走ギリギリの時間だ。私のHURTはここで終わり。
スタッフにエイドの片隅に設置された飛び込み台&ミニプールに連れて行かれた。「ここでドロップだ」多くのスタッフとTEAM JAPANのサポート陣に見守られて飛び込んだ。水の冷たさがただただ気持ちよかった。
振り返っても、「あそこで踏ん張れば」という点は見当たらない。スタート地点に持ち込んだものでは足りなかったんだと心底思う。
周回と暑さで散漫になりそうな意識をしっかり保ってスムーズな体重移動で下っていく。わずか100kmで今までにないぐらい痛めつけられた脚を引きずりながらトレーニングの構想を練っている。
目標としていたSUB24に届かなかったTomoさんも「本当に難しい。難しい。」とつぶやいていた。激坂じゃなくて、激根っこ探しましょう。青梅高水5周やりましょう。夏休みにハワイまで来て練習会しましょう。などなど。
私は神様にまた謝っている。「ごめんなさい。もう1回だけ走らせて下さい。」
レース終了から24時間後。海の近くのレストランでpostレースパーティーが開催された。完走者、そしてボランティアなどの功績を讃えるこのパーティーで、私は100kmまで辿り着いた他のランナーたちとともに「HURT Fun Run 完走者」として拍手を受けた。今年から100km完走者は「Fun Runner」の称号が与えられることになったのだ。
30時間、トレイルから「お前はちゃんと俺と向き合ってるのか?」と問われ続けていた気がする。テキトーに走ってねぇか?気を抜いてねえか?ちゃんと練習してきたのか?
アホみたいな周回コースなのですが次回こそ!ゴールにあるこの看板にキスをします!アロハ!
では。明日から本気出します®