午後6時50分、100mile3人駅伝の第二走の僕に襷は渡った。翌日午前5時までに第三走に襷を繋ぐことが、僕に与えられたミッションだ。残された時間は10時間10分。距離55.7km、累積標高3,100mのSouth1コース。それでなくても厳しい夜間。残された時間内の攻略は自分の実力では難しいかもしれない。厳しい見通しだが全力を尽くすしかない。
まずは、6.9㎞先の桂木観音エイドを目指す。完全に日が暮れた。頭と腰と手の3点燈システムが頼りだ。桂木観音エイドには1時間程で到着。
次は 10.8km先の吾那神社。桂木観音から吾那神社間の累積標高差は535m。アップダウンのあるコースを飛ばしまくる。100mileと100kmの単独ランナーに声をかけながら次々とパスする。この調子なら前半で第一走の遅れを挽回できる。2時間程で吾那神社に到着。ここまでは集中力高く絶好調だった。
South1コースの中核は中盤の吾那神社〜竹寺〜高山不動尊までの間、20.7km。本当に大変なのはこれからだった。竹寺を目指す。吾那神社から竹寺の区間は11.1kmしかないが累積標高は955m。South1コースの最難関区間だ。さらに夜間は先が見通せず精神的に辛い。前半飛ばし過ぎで脚が早くも売り切れ。大きく減速し始めた。夜間になり気温が下がると期待していたが、暑くてやたらと喉が渇き、大量の水分補給をしていた。2時間50分かけて、ようやく竹寺に到着。時間は深夜0時40分。エイドで座り込んで長めの休憩。やたらと脚と身体が重い。心が折れ始めていた。
次は10.0km先の高山不動尊。区間の累積標高は595m。South1コース中、2番目の難関が続く。まずは子の権現を目指す。売店はランナーのために24時間営業とのこと。本当にご苦労様です。子の権現からは西吾野駅まではほとんど下り。そこでコースを逆走して登ってくるマーシャルからの声援に元気を与えてもらう。
時間は深夜。コースで睡眠を取っているランナーが何人もいる。座り込みうなだれている者、仰向けになっている者、エマージェンシーシートで完全ビバークする者。いきなり暗闇にライトで浮かび上がってくるから驚かされる。眠気との戦い。これも過酷なレースの一面だ。
本当にランナーが前後にいない。深夜の時間帯。人っ子一人いない山の中。後ろを振り向くと、ランナーたちの小さなライトが見える。ひとりでないと感じる瞬間だ。月が大きなライトのように見えていた。
西吾野駅からの登り返し。ここも急登。一般的な登山道ではないところを巧妙にコース取りしている。本当に攻略しがいのあるコースだ。下りで脚を使うと登るのが辛い。人生、楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。ウルトラトレイルは人生の大切な教訓を与えてくれる。
急な石段を登り、高山不動尊のエイドにようやく到着できた。時間は午前3時18分。座り込んで、関門までの残り時間を計算し直した。残り1時間半で関門の5時。大きく遅れてしまった。残りは17.3km、関門突破は現実的には無理だった。SNSでチームに連絡を入れる。チームメンバーからの激励の言葉が返ってくる。それにどう応えたらいいのか分からない。申し訳ない気持ちで一杯だった。
ここからはFUN RUNに変更しようとネガティブな考えに傾いていた。それを強固に反対するもう一人の自分。例え、関門に間に合わないと分かってもベストは尽くせ。悔いは残すな。駅伝とは個々が全力を尽くすものだ。今回の経験を次に活かすんだ。苦しくても、前に向かうんだ。そうだ自分は駅伝を走っている。チームのために走っている。気持ちをなんとか持ち直し、8.8km先の桂木観音に向けて高山不動尊エイドを後にした。
関八州見晴台手前のロードに出た所、夜景と星空が綺麗だった。ライトを全て消して空を見上げた。偶然にも流れ星がすっと流れた。自分がもっと強くなれるようにと願った。関八州見晴台からの四寸道は下りなので走り続けた。まだまだ動けた。徐々に夜が明けていく。ロード区間を経て上大満の集落からトレイルに再び入り桂木観音へ。47.2km地点の桂木観音エイドに到着。時計は午前5時20分を指していた。それは関門突破できなかったことも示していた。
残り8.5km、ニューサンピアを目指す。桂木観音から一度下山して最後の大高取山を登り返す。高々376mの低山だが、いやらしくキツイ。ある駅伝ランナーと話をしながら一緒に進む。最後のロードに出た時に、単独で100mileにチャレンジしているランブラーさんに追いついた。彼は脱水症状で大きく遅れたようだ。最後の2km、彼と並走しながらゴールを目指した。ゴールの手前でモリジーが出迎えてくれた。最初に出たのは、関門に間に合わなかったことを詫びる言葉だった。
第三走のカトは繰り上げスタートを切っていた。繰り上げスタート?最初に聞いて、冗談かと思っていたが、白襷を付けて本当に繰り上げスタートしていたようだ。箱根駅伝などでもギリギリのドラマがある瞬間だ。自分の場合は大きく遅れたからドラマは無かった。そのカトは襷リレーは途絶え、時間計測もなく、モチベーションも維持できなかったようで吾那神社でドロップした。東吾野駅から電車を乗り継ぎ、昼前には会場に戻ってきた。これで私たちの100mile駅伝のチャレンジは終了した。
記録は106.7km、21時間52分で終わった。1時間52分の関門オーバーだった。初めての100mile3人駅伝は全く歯が立たなかった。完敗。走力、レースマネジメント全てを見つめ直して、また出直してきます。