これは、2022年9月17日(土)〜19日(月)、3年振りに開催された信越五岳トレイルランニングレース(以下SFMT)110km への僕の参戦記になる。
僕には2018年、19年とSFMT100マイルのペーサー役としての経験はあるが、110kmは初めてとなる。
元の会社同僚2人と共に幸運にもエントリーできた。
一緒に練習するなど大会に向けて準備してきた。
待ちに待ったレースだった。
結果は、60km地点の第2関門をタイムオーバーした。
暑さのため熱中症になってしまい進退きわまってしまった。
リタイアか?前進か?その間での葛藤が今でも記憶に残っている。
14kmの荒瀬原、19kmのバンフ、35kmの熊坂と序盤戦は、22時間の制限時間内での完走を狙ったサブ21時間の目標タイム通りだった。
バンフ〜熊坂間では美しいブナ林や湿原など雪国ならではの景観と極上のふかふかのトレイルを満喫していた。
順調といえたが、変調の予兆はあった。
普段よりも大量の汗をかいていた。
元の会社同僚の2人とは35km地点の熊坂エイドで合流。
関川沿いの遊歩道を上流に向かい、3人パックで進んだ。
午前5時30分にスタートして既に6時間が経過。
正午近くで日が高く、川沿いは日陰がなく日差しがあれば直射日光に晒された。
熱中症なのだろうか?
急に身体が怠くなり、足に力が入らなくなった。
2人を追いかけるのが辛くなってきた。
関川沿いの私設エイドで水分を補給後、車道を経て信濃路自然歩道に入る。
日陰の登山道に入っても状態は好転しなかった。
倦怠感は疲労からくるものではなく熱中症の症状だろう。
倦怠感が酷く、登りだけでなく、いよいよ下りですら走れなくなった。
ソフトフラスクの水を頭からかけて火照った身体を冷やした。
次の49km地点の黒姫エイドでリタイアしたい。
もう前に進みたくない。
これまであまり経験したことのない体調の変化にネガティブなことを考えてしまう。
重い身体を引きずるように黒姫エイドへ14時32分に到着。
スタートから9時間が経過し、目標タイムから30分の大幅な遅れだった。
第1関門閉鎖時間の15時は突破したが、28分の余裕しかなかった。
まずは、エイドで水分補給と補給食を摂取した。
最低でも10分間は休憩したい。
休憩用のテント内の椅子に腰掛けて疲労回復を図りながら向かいのリタイヤ対応のテントの様子を見ていた。
リタイアを自己申告する選手が絶え間なかった。
100マイルの選手は14時に関門閉鎖されていた。
タイムオーバーした100マイルの選手や体調不良や故障など何らかの理由でレースを止める選手がリタイアテントの前に並んでいた。
頭を垂れ、自分の足をじっと見つめた。
心の中で葛藤していた。
ここでリタイアするか?どうするのか?
心に問いかけるがまだ答えは出せない。
リタイアの決断の前に、必要な補給食、トイレ、被り水、水分の補充などリスタートする準備だけはしておこう。
結局、20分間もエイドに滞在していた。
かなりの時間をかけて体調の回復を図り、リスタートの準備も整えた。
選手に必要なコース情報を伝えるために、エイド出口には拡大された高低図が表示されていた。
次の笹ヶ峰グリーンハウスの第2関門は11km先の60km地点。
ペーサーとして、2018年、19年にこの区間を経験していたことがポジティブに作用した。
高低図を見ているとその時のコースの記憶が蘇った。
なんとか笹ヶ峰に辿り着けそうなイメージに転換できて、次に向かう勇気が持てた。
この瞬間に葛藤は消え去った。
ここでリタイアはしない。
前に進むことを決断した。
これ以上進むなと言われるまでは前進する。
たとえ歩き通ししかできないにしても。
レース後に後悔することだけは絶対にしない。
第2関門突破にチャレンジだ。
黒姫エイドの出口を出て、スキー場のリフト横のゲレンデを登る。
足は思うようには動かない。
やはりエイドに戻りリタイアしようかと弱気になる気持ちをかろうじて押さえ込む。
御巣鷹林道に入り、ダラダラと長い登りが続く。
周りの選手はほとんど歩いていた。
全て歩くようでは第2関門の閉鎖時間には届かないだろう。
走りと歩きを何度も何度も繰り返した。
大したことのない傾斜なのに足が怠くて動かない。
林道の傾斜が緩くなり、ようやく林道の登りの終わりが見えてきた。
林道が下りに変化してからは、まだ間に合うかもしれないと再び走り出した。
滑りやすい登山道を慎重に下り、西野発電所の吊り橋を渡る。
登り返しとなる九十九折りの急登を凌ぎ、登り切った所で、次のエイドまで残り1.9kmと係員から伝えられた。
腕時計を見た。
関門閉鎖の17時まで残り8分。
この時点で第2関門の突破を諦めた。
残りのトレイルは、名残を惜しんで、ゆっくりと歩いた。
60km地点の笹ヶ峰グリーンハウスの関門には15分足りなかった。
熱中症が直接の敗因であるが、走り込み不足、暑さ対策の不足、補給食不足、マインドセット不足など、全てにおいて不足だらけだった。
完走に向けた準備不足は否めない。
ひとつでも不備があれば、100kmを超えるウルトラディスタンスの完走は遠のくことを痛感した。
僕のSFMTの完走を目指すストーリーは三章立ての長編となるだろう。
第一章は僕がペーサーとしてSFMT100マイルに挑戦するチームメイトを完走に導くまでのストーリー。
2018年、19年と実現に2年かかった。
第二章は僕が選手としてSFMT110kmを完走するまでのストーリー。
第三章は僕が選手としてSFMT100マイルを完走するまでのストーリー。
もちろんその際のペーサーは僕がぺーサーを務めた時のチームメイトに依頼したいと思っている。
SFMT完走を目指した僕のストーリーは第二章が始まったばかり。
今回の未達から始まったが、長大な未完のストーリーはまだまだ続くことだろう。