長距離的平和について

スポーツの国際大会が社会に貢献できることというのは、たぶん、さほど多くはない。政治に利用されたり、一部の権力や既得権に利用されたりと、歴史を振り返れば、あまり好ましくないことも多い。

一方、競技をしている人間の方はどうだろうか。あいつには負けたくないという好戦的なモチベーション、あるいはプロであれば収入に直結するのも現実、そういった心の葛藤に、ドーピングという悪魔も忍び寄ってくる。

自分が納得できる力を出しきって負けたならば、相手へのリスペクトしか残らないという気持ちは、どんな競技の、どんなレベルであっても、人間が後天的に得る事のできる不思議な感情だと思う。特に長距離種目は、考えている(あるいはなにも考えていない? )時間が長い。そうすると、それまでこだわっていたことが、どうでもよくなったり、単純にネガティブなことは考えたくない、考えられない、という状態になる。ましてや100マイル競技の後半は、ゴールにたどり着くまでに必要なこと、そしてこれからの人生に必要なことが、シンプルに、何が大切か、カメラのピントを合わせたようにクリヤーに見えてくる経験をした方もいらっしゃるかもしれません。まあ、私の場合、ビールとハーゲンダッツは交互に脳裏をよぎるのですけれど。

世界陸上の男子マラソンは、エリトリアの選手が優勝し、エチオピアの選手が2位となった。両選手はゴール直後から互いを讃え合い、言葉を交わしていたが、国旗を掲げて二人並ぶことを少しためらっていたようにも見える。そこへカメラマンが促し、並んだ二人は少し照れるような表情をみせたが、とてもよい表情に見えた。エチオピアとエリトリアの2国間になにがあったかは、ググればすぐにわかります。たぶん、長距離競技特有の、「ま、いいか、難しいことはどうでも。」という、ほんわかした感情が二人にはあったのだと想像しています。それを利用しようとするジャーナリズムもあるだろうなと、ひねくれた見方をする自分もいるわけですが、それこそ、どうでもいいこと。選手達には素直に感情を表現してほしいと思う。

 

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ブルームーンと富士登山駅伝

ブルームーン

ひと月に二度見える満月のこと、あるいは本当に青く見える満月のこと。ブルームーンを見ると幸せになれるという言い伝えもある。ーHatena Keyword よりー

今年の富士登山駅伝の前々日は、ブルームーンにあたる満月だったようです。前日の晩には、満月トレッキングツアーなども開催されていました。富士山の5合目から上は木がありません。標高が高いため、空気が澄んでおり、新月には満天の星空、満月の夜にはヘッドライトが要らないくらいの月明かりを楽しむことができます。又、月齢に関係なく、雲がなければ、街明かりの夜景もなかなかよいものです。夜間に登る弾丸登山が批判されていますが、天候リスクの面で言えば、不安定な夏の午後よりも夜の方がよい場合もあります。自分の体力や経験に合わせて、もちろん夜間のリスクを理解している経験者とご一緒に登ってください。

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今年も富士登山駅伝のサポートに行ってきました。サポートとしての面白さや、やりがいみたいなものは去年のブログ(リンク)を読んでいただければわかります。当日朝、サポート場所へと、日の出とともに、御殿場口から登り始めると、砂礫の向こうに、双子山(双子塚とも呼ばれる)が見えました。第二回のUTMFでは、その脇の砂礫を下ってきたのを覚えている方も多いはず。そこへ、大きな月が沈もうとしているところ。数分前に日の出を見て、そして月の入りを見る。永遠と繰り返される、当たり前の営みであり、これが1日という単位であることを実感すると同時に、「明けない夜はない」という比喩の空気感みたいなものを感じることのできる時間でもある。

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今年の富士登山駅伝は、ドラマチックであったようです。自衛隊の部では、ここ数年、優勝を逃していた滝ヶ原が圧倒的な強さで優勝しました。目の前で見る、宮原選手のすーっと入っていく登り、そして、華麗、優雅とも言える砂礫の下りは必見です。他の選手が一生懸命にジタバタともがく(かなりの上位選手でも)のに比べ、あまりにも優雅で、遠くから見ると、動作がゆっくりとさえ見えます。

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今年は猛暑コンディションの影響もあり、60チームほどが復路の太郎坊にて一斉繰り上げスタートとなり、襷がつながらなかったようです。自分は、その1つ上の中継点でのサポートでしたから、その場にはいませんでしたが、まるで箱根駅伝の繰り上げスタートのようなドラマがあったようです。いつもテレビで見る箱根では、「テレビ煽り過ぎ、大袈裟じゃないか? 選手は淡々と自分の区間で役割を果たすだけだろう」と斜め上から少し冷めた視線で見ているのですが、プロでもない、普通の大人が熱くなり、襷をつなぐこの駅伝に、サポートとして関わることは、自分自身への刺激になるものです。

黄色が太郎坊関門に間に合わず、回収された襷。山頂の朱印に混じって、転倒時の血がついているものもある。赤が復路太郎坊から一斉スタートに使用される襷。残っているということは、使用されず、襷がつながったということ。その数が圧倒的に少ないのがわかる。

自分のチームは、各選手の安定感が増し、去年より1つ順位をあげて20位という結果でした。全国からシリアスでストイックなエリートランナーが集まるこの大会で、個性の強い、よい意味でいい加減な(笑)トレイルランナー達が、この結果を出すのですから不思議なものです。この高い次元(自分には完全に無縁な)になってくると、劇的なタイム短縮というのは難しい。その逆のブレーキはあったとしても。各選手が、それぞれの数秒を削り出すしかない。日の出、日の入りといった、永遠に続く日々の営みの中で、どういう生活をして、それにフィットするランニングスタイルをどう充実させるのか、それぞれに与えられている課題であり、自分らしいスタイルを持っているランナーが結果を出しているようにも思える。自分自身もようやくそのスタイルが見えてきている気がしています。気がするだけかもしれませんが(笑)

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