2012年のSTY参戦記、プレイバック第三回目。
レースはコース最大の難関、天子山地へ。エスケープルートのない約30kのトレイルを縦走しなければならない。そして終盤に待ち受けていたのは伝説の「高低図に入れ忘れた山」!
ぼくのトレイルランニング人生の中で、忘れられないくらい苦しく、そして楽しかった区間。
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「トレラン富士大決戦!暗黒大魔王編(UTMF/STY)」
西富士中学校は野戦病院のようであった。
ぼくらSTY組にとってはまだ序盤戦だが、UTMF組にしてみればすでに100kを越えている。しかもこの先にはコース最大の難関と言われる天子山地が待ち受けているのだ。シリアスな雰囲気が漂うのは当然のことだろう。
それにしてもサポート隊の気遣いがハンパない。「何か飲みますか?」「やきそば持ってきますよ」と、いろいろと声をかけてくれる。サポート隊だって疲れているだろうに、その気遣いに感謝。みんなよい奥さんになることだろう(すでに奥さんな方も数名いるけど)。
ぼくは少し食事をして、山対策の着替えをして15時40分頃に西富士中学校を出発。一度天子山地に足を踏み入れれば戻ることも楽ではないコース最大の難関が待ち構えているのだ。再度の必携装備品チェックと、六花先生の体力チェックがそのシリアスさを物語る。
遠くに見える天子山地。麓に着いたのが16時頃。標高500mからコース最高度の毛無山の1964mまで、登り降りが続く難関である。
明るいうちに天子山地に突入。ぐいぐいと登っていく。ここからはiPhoneを出すのが面倒くさいのと暗くなってしまったので、写真少なめ。
試走したランナーのみならず、主催者側である鏑木さんも「難関」と公言する天子山地。1300mくらいまでは一気に登りが続くが、そこから1300m〜1600m付近を登ったり降りたりを繰り返す。ここで精神と体力を消耗されるのだろう。
しかし、(ペースは遅いとはいえ)ぼく自身はそんなに削られることはなかった。登山と考えればこうしたルートはたくさんあるだろうし(チーム☆ホヤタケシ☆の八ヶ岳登山のほうが辛かった)、まだ中盤戦のSTY組にとっては、自分のペースさえ守れば、乗り越えられない壁ではないと思った、のだが。。。
大会直前に追加された予備関門がよくわからず、間に合わせるようにそこそこのペースで進む。結局、熊森山22時という関門を21時過ぎにクリア。途中、エディ☆や石井さん、トモさん、KINGとも会えて、気持ち的にもアガる。そもそも、アドレナリン、ドーパミンが出ているのか、夜の山を歩くことが楽しくて仕方がなかった。かなりハイテンションだったのだ(歩みは遅いケド)。
そこまではわりと順調だったのだが、ふたつの要素がペースを下げさせる。
ひとつは粘土質の急な下り。ぼくはかなり後ろのほうだったので、多くのランナーが進んだ後のぐちゃぐちゃな土が滑るのなんのって! おっかなびっくりで降りるので、ぼく自身も遅いし、渋滞もところどころ発生し、まったくペースが上がらない。
そして早めに付けたヘッドライトの電池が切れ始める。。。真っ暗な山の中で灯りを失う恐怖感。これは体験しないとわからない。
ライトはヘッドを2つ、ハンドをひとつ、予備電池も持っていたのだが、少々疲れていたのか不思議な判断をしてしまう(その時点でライトも電池も信用できなくなっていた)。ライト明るさ弱めバージョンにして、とりあえず電池切れだけは避ける。しかし若干暗いライトは、登りはよいのだが、下りでは足下が見辛く、これまたペースが上がらない。前後に人がいなくなると、後ろの人を待ったり、前の人に追いつくようにペースをあげたり。。。
そんなこんなで予定をオーバーして毛無山の頂上に到着した。
日付は変わり、温度は5度程度しかないかもしれない。そんな状況で、毛無山頂上では多くのランナーがサバイバルシートに包まって寝ている。ある意味、すさまじい光景。まるで戦場のようである。
このあたりからハンドライトしか持たないランナーを数人見かけた。ぼくと同じように電池が切れたのだろうか。エスケープルートもない天子山地という難関。サバイバルシート、ライト二つ、予備電池など、必携装備品の規定に救われたランナーは少なくないのかもしれない。
ぼくは身体が冷えるのを避けるために、すぐに出発。GARMINで距離と標高をチェックしながら進む。端足峠を越え、標高も順調に下がっている。そろそろ下って山を出るだろうと思ってスタッフの方に「次のエイドまでどれくらいですか?」と聞くと、「1時間30分くらい。あと山越えがひとつあるから」。
え?
ぼくの予想だと30分程度と思っていた。オフィシャルの高低図には書いてないようで後から知ったのだが、標高1200mから1500mまで一気に登る竜ヶ岳というラスボスが天子山地の最後に待ち構えていたのだ。
目の前に立ちふさがる真っ暗で大きな山のシルエット。まさに暗黒大魔王である。
とはいえ、越えなければゴールには辿り着けないし、たいしたことがないと思えばたいしたことがないと自分に言い聞かせる。辛い時は楽しいことを思い浮かべよう。
黙々と登り、頂上で残りは下るだけであることをスタッフの方に確認して、猛スピードで下る。予定ではA9本栖湖スポーツセンターに到着するのが2時40分だったが、すでに4時近く。サポート隊が心配しているかもしれない。
脚はまだ充分に残っていて、下りもそれほど急ではないので、それなりに速いペースで進み、ついに本栖湖に到着。難関、天子山地を約12時間で通過。「生きて辿り着いたぞー!」と思わず叫ぶ。エイドの灯りが見え、歩くのもじれったくなり全力疾走。
そして4時20分、第二関門である本栖湖スポーツセンター(55k地点)に到着した。時間制限40分前、予定より1時間40分オーバー。サポート隊のみなさま、大変お待たせ致しました。
(続く)
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