新年あけましておめでとうございます。
走り納めで三浦、走りはじめを鎌倉、家に帰って駅伝観戦というトレイルランナーとしては正しい年末年始を過ごしました。その合間にいくつかの本を読む。コミックも含みますが(笑)
「神々の山嶺」全5巻、チーム100マイルの仲間からお借りしました。コミック版ですが、読むのに時間がかかる。1ページ中の文字数が多いな(笑) 「そこに山があるから」と言ったGマロリーが最後に消息を絶ったのが1924年、当時まだ未踏峰だったエベレストへの初登頂の謎を残して。そこへ日本人カメラマンが謎解きを試みると、日本から姿を消した孤高のクライマー、羽生丈二がカギを握っているのがわかる。長谷川恒夫をモデルとしたと思われる長谷恒夫という登場人物も出てくる。後のストーリーはネタバレなので皆さんが読んでのお楽しみ。その代り、印象的なセリフを1つ。
「何故山に登るのか、何故生きるのか、そんな問いも答えもゴミのように消えて、蒼天に身体と意識が突き抜ける」
3000m級の山に登ると、早朝などの空気が澄んだ時間の空の青さに驚くことがある。まさしくこれだなと。
他に山のコミックでは「孤高の人」も読破。こちらは新田次郎の小説をベースにしているが、ストーリー展開は異なる。ただし時代背景を昭和初期から現代に置き換えられたもので、オリジナルの小説よりわかりやすく、小説に描かれていたテーマはきちんと表現できていると思う。
これらの山コミックや新田次郎の小説は読んでいて面白いのだけれど、どうしてもぬぐえない違和感がある。大抵の人物設定が、山をやる人=ストイック=孤高=ソロ(単独行)=精神性、というステレオタイプの図式にはまる。これは、山をやらない人にストーリーとしての面白味を演出するもので、仕方ないことなのだなあとは思うけれど、正直言って、自分も他人からそう思われているのかもしれないと心配になってしまう。まあ、全否定はできず、山に癒しを求めるって程度のものはありますけれど。
そんな違和感ではなく、共感できる書があった。少し前に自分のアメブロに紹介したのが、日本人で唯一、世界8000m級14座を登った竹内洋岳のインタビューをまとめた「頂へ、そしてその先へ」、そしてこの年末に、14座を登る前に発刊された「初代、竹内洋岳に聞く」を大手書店にお勤めのランナー仲間に注文して手に入れた。いくつも共感できる言葉や考え方があり、なによりも小説に描かれているステレオタイプな違和感がない。竹内氏自身、神田の資産家に生れた、いわゆるお坊ちゃん。精神性を求めるような悲壮感がない。あるのは山、登山というスポーツの面白さの追求とその普及。
「私が登山にいま携わっている状態というのは、根底に何か精神的なものを追い込んで、自らモチベーションを高めて山に登っているわけではないんです。(中略)ただ、山登りが楽しいというか面白いほうが先行しちゃっていて、そういう段階ではないです」
書の中でその面白さをわかりやすく語っている。ランニングと一緒で、世間から「つらい」と思われているスポーツの魅力を語るのはとても難しいのだけれど、インタビューをライターがまとめたものだから口語で読みやすく、普段活字を読まない人にも楽しく読めると思う。トレイルランニングであれ、登山であれ、クライミングであれ、山に関わる人なら楽しく読めるはず。
今日はこのブログより読んでほしい書のこと、書いてみました。