少し複雑な気持ちでこのブログを書いています。自分は相馬選手と直接関わる機会は残念ながらなかった。そうした私が相馬選手について書くのは不遜な事ではあるまいかとも考えた。相馬選手と親しい方の中には、未だにこの写真集を冷静にみることはできない方がいるかもしれない。それでも何か書き残したいと考えたのは、間接的ではあるが、やはりこの時代にトレイルランニングを始めた一人として大きな影響を受けていること、自分がトレイルランナーとして過ごしてきた時代の何かを、次世代へ書き残したいと考えたからなのです。この写真集を作成されたスタッフもそんな想いからではないでしょうか。
自分の本棚に古くても捨てられない「ランナーズ」が一冊ある。2009年1月号は相馬選手が連載していたコラム「Trail Fighter」の最終回であった。2008年のハセツネは鏑木選手の国内での最後のレースであり、横山選手が故障からカムバック、山本健一選手が大会記録を大きく塗り替え優勝して一躍脚光を浴びた年でした。相馬選手も前年の優勝者として優勝争いをするはずが、アクシデントで失速、255位という結果に終わっている。このコラムには、そのレース中の細かな心境変化が書かれていた。トップ選手として次のレースを考えれば、第二関門でのドロップが正しい判断とも思える。だが、周りのランナーの様子、そして後続で完走を目指している一般のランナーを想い、「やめられないな」と考えたという。そしてプライドを捨てて、ほぼそこから全歩きに近い状態で、12 時間以上かけゴールへとたどりついた様子が書かれている。自らの力で安全が担保できる限り、そのレースを捨てることはしない、ということを、自分はこのコラムから学んでいる。そしてこのコラムの最後に相馬選手が一編の詩を紹介している。小笠原諸島に勤務していた時代に、島の小学校2年生によって書かれた詩ということです。
ハート
ハートが燃えている限り
人間は生きていけるのだ
ハートが燃えている間は
自分の好きなことができるのだ
ハートをつかんだ自分は失敗しても
次の自分に旅立っていけるのだ
ハートは大切 いのちの一つ
2008年2月 吉井千尋
自分は2012年の信越五岳に知人のペーサーとして参加している。そのときの前泊が相馬選手とそのご家族と同じホテルでした。早い時間に大浴場にいると、相馬選手とそのお子様達が入ってきました。そこにいるのは、あのTrail Fighterの相馬剛ではなく、一人の優しい父親でした。私の中で勝手に作り上げていた相馬選手のイメージとそのギャップがとても大きかったことをよくおぼえている。一昨年、遭難の一報を聞いたとき、思い浮かべたのは一人の父親としての相馬さんであり、これから先、自分の近しい仲間や、ましてや自分が山で遭難したら、どうなるのだろうと考えるようにもなりました。残念ながら時期を同じくして、鹿島槍でその想像の半分が現実になってしまったわけですが、自分はこれからも絶対に自力下山するという誓いとともに、同じ時代を生きたトレイルランナーの端くれとして、山での安全に対する考え方は、次の世代へ引き継いで行きたいと思っています。
前記のランナーズ以外にも、今は廃刊となっているアドベンチャースポーツマガジンなど、いくつかの古い専門雑誌をが本棚にある。どれも写真が美しいもので、この風景の中を走りたいと思ってトレイルランニングに傾注していった自分の歴史でもある。今でも、「あ、あの写真の風景って、ここだよなあ」と思う事も数多くあります。このBEYOND TRAILが、これからの世代のランナーにとってそんな一冊になることを願っています。
2018年10月2日追記(一部本文修正)
追記:Fuji Trailhead http://fuji-trailhead.com/より正式に発表がありました。ご冥福をお祈りいたします。