アメリカ、パシフィックノースウエスト、ワシントン州で行われたBigfoot200 endurance ran は、過酷で孤独な耐久レースではなく、まず選手がセルフレスキューの精神によって自立していること、そして選手同士、主催者、ボランティアスタッフ、全ての人と人が尊敬し合い、認め、思いやる事によって成立する、ちょっときつめの山旅でした。自身の結果は、レースも後半に差し掛かった時点で、勘違いによるルートミスをし、それをリカバーできず、残念ながら160マイル、255kmの関門でタイムアウトDNFとなりました。
スタート後、約2日が過ぎ、そろそろ各選手の疲労が蓄積している。中位から少し後ろを走っていたつもりでも、各エイドの関門でカットオフになったり、自らの正しい判断でドロップした選手もいて、自分はいつの間に最後尾に近いポジションになっていた。111マイル地点、Lewis River Aid は美しい滝(リンク)のある景勝地にある。ここから次のセクションはこの滝を横目に見ながら、渓谷を高巻きして、徐々に標高を上げ、セクションとしては最大の5,500フィートの累積標高、19マイルのセクション、夜なのでほぼ全歩きで、8時間程になるはずだ。このエイドからペーサーをつけられるのだが、ペーサーもクルーもいないインターナショナルランナーを心配したのだろうか、エイドを出るときに、ボランティアスタッフが、小さな封筒に入ったカードを手渡してくれた。「苦しくなったらこれを見ろ」と。おおよその内容は想像できたが、その心遣いと優しさに上手く応える言葉が見当たらない。「サンキュー、アイ ガッ ゴー」とだけ言い、強く握手して別れた。
初日のセントへレンズ山の砂漠のような暑さから、軽い熱中症となりながらも、なんとか上手く時間を使ってリカバリーはできていた。ただ、プランしていたような仮眠をしっかりとりながら進む展開ができていない。眠気からペースが上がらず、Ambit3のマイル表示がなかなか進まない。「自分はやはり登りが弱いんだ」と自分を疑い、ネガティブな言葉が脳から全身を支配しようとする。標高のフィート表示は体感通りにアップダウンしているので、高低図からも距離は判断できるのだが、Ambit3の距離とは合わない。深夜で周囲の地形が見えず不安になる。前後の選手のライトは見当たらない。後続の選手は諦めて戻ったのだろうか?時折現れるリフレクティブのリボンマーカーだけが自分とレースをつないでくれている唯一の接点だ。上がらないペースと残り時間から、諦めようとする自分がいるのがわかった。そしてそいつが心を支配しようとする。「もう十分だ、よくやったよ、100マイルはとっくに超えているし」そうだ、あのエイドで渡されたカードには何が書いてあるのだろうか。補給のために一旦腰を下ろし、カードを開けてみる”believe, believe, believe…” 信じろ、信じろ、信じろ、と書いてある。心に刺さった。自分が自分を疑ってどうする?単純ではあるが、時として言葉はシンプルな方が刺さるものだ。補給をしたからだろうか、脳の思考がクリアになる。Garmin の小型GPSのスイッチを入れてみる。すると衛星捕捉エラーが出た。分かった。渓谷のルートと、それを通過後にはこの巨木が立ち並ぶシダーウッドの深い森でGPSが捕捉できない区間が多いのだ。高度計は気圧変化で計測されるので、やはり高度表から自分の位置を判断すればよいだけの事、残りの距離はもうさほど遠くないはずだ。眠気が一気に飛んでペースを上げる事ができた。このセクションは予定よりも大幅に時間がかかったが、カットオフには間に合い、ボランティアスタッフの心優しさに助けられた事になる。
このセクションを通過できたことによって、ゴールが見えてきた。ペースはコントロールしているので、脚は十分残っている。食欲は旺盛でエイド毎にアボガドベーコンのハンバーガーや肉系のラップをしっかり食べていた。ただ、仮眠のプランが崩れており、2つ後の比較的楽なセクションで、大きな勘違いによるルートミスをしてタイムアウトとなってしまった。やはり、脳の思考を正常に保つために、睡眠は大事なのである。
前回のブログ(リンク)に200マイルは100マイルよりも身体への負担は小さいのではないか?と書いた。答えはYesでありNoであった。確かにペースを抑えているので筋肉ダメージは少ない。少なくとも自分が走った160マイルまでなら100マイルより身体は楽だ。足裏の豆関係は 100マイルを過ぎた辺りからエイド毎にメディカルスタッフの世話になる事が多くなる。胃腸のトラブルは一切無し。ただ、何かの気象条件変化やトラブルが1つあると仮眠時間が削られて、私が好まないと書いた二晩越えの100マイルと同じ状況へと陥る。これを防ぐにはやはり走力によって余裕を作るしか方法はないのだろうか?感覚的には、このBigfoot200ならば、UTMFで30時間前後の走力があれば、必ず起きるであろう何かのトラブルも吸収しつつ、仮眠をとりながら進めるはずですが、リザルトを見ると47人の完走者の内、10人が55歳以上、最高齢は64歳の方である。とてもそのスピードがあるとは思えない。どこにその解があるのか、今の自分には分からない。今、ぼんやりとあるのは、今回、身体のマネージメントはある程度できたのだけれど、脳のマネージメント(睡眠はその1つ) ができていなかったなということです。
北米の他の200マイルとその難易度をディスカッションしているFBページ(リンク)があるので参考にしてください。北米のトレイルランニングレースは、一部のクラッシックレースを除き、ヨーロッパのような大きなスポンサーがついて潤沢な資金で運営されているわけでもなく、ランニングコミュニティがレースディレクターの下、ボランティアスタッフとの協力によって運営が成立しているわけです。国立公園内の規制は厳しく定員も百名前後から数百名で、日本やヨーロッパのような数千人規模の商業化、観光化された華やかなイベントではない事を理解して下さい。そこに参加するインターナショナルランナー達は温かく迎えられる。だから自分達もそのローカルコミュニティをリスペクトし、選手やスタッフと片言の英語でもいいから話しをして、やっぱりウルトラトレイルの変態は世界共通なんだと笑い合う事がとても大切なことになります。
最後に、64マイル地点でのエイドでボランティアをされていたMMAブロガーでもあるシアトル在住の藤岡さんご夫妻、最終エイドでの業務とスイーパーを担当されていたポートランド在住の@trailinportland (ツイッターアカウント)さんに感謝いたします。序盤に他の日本人の選手にトラブルが発生しており、藤岡さんがボランティアにいなければ自分がレースを棄てて、そのエイドに留まる事になったことでしょう。そして自分が最後尾になった時点でも、十分に脚は残っていることから、これはもしかしたら@trailinportlandさんと初めてお会いするのに、自分はDFL(Dead Fxxxxxx Lsat) としてスイープされるのかあ、かっこ悪いなあなどと考えていた事がモチベーションになっていたのも事実です。来年もよろしくおねがいたします。(え?行くのか?俺は?)
追記:大会のオフィシャルフォトグラファーを尊重して、写真がオンラインになったらできる限り購入してブログでも活用し、上記の写真と入れ替える予定です。現時点での自分の写真は自分のインスタグラムを見て頂けらコースからの美しい写真があります。(普段は非公開ですが、しばらくはオープンにしておきます)特に#nofilterとタグがあるものはフィルター加工なしでも美しいものです。インスタアカウント(リンク)https://www.instagram.com/kugitk/?hl=ja